よろず学問所
科学という古い概念を脱ぎ捨て、常識の壁を乗り越えるために
今の時代、科学的であるというのは一つの美徳であるかのように言葉が使われています。場合によっては、科学的であることが最も正しいとか、真理である。とでも言いたげな表現まで飛び出します。
そして実際、そう信じ込んでいる人間の如何に多いことか。
本当のところ、科学というものは、科目分けをするための経験や知識を総称して、科学と呼び始めたものに過ぎず、つまり、違いや共通点を見分けるための手法でしか無かった。
というのが始まりのようです
現在でも、そこから学問的に進化しているようには、私の目には見えません。
現象を区別して、縛り付けて、固定して、その死んでしまった標本を眺めて安心を得ようとするのが、科学と呼ばれているものの根底に見えてしまうのを、無視することができないのです。
これは、知らないものを知らないものとして恐怖の対象のままでいることが出来ないから、無理矢理に名前を与えて存在の性質を決めつけてしまう。という行為に似ているように思えます。
未知の悪魔(と感じてしまっている事象)から逃げるために心の拠り所として信仰を持つという行為に似ているようにも思えます。
さて、本当に私たちが知りたいことは、いわゆる『科学』なのでしょうか?
人間の脳の中で構築することが可能な範囲の、『常識的』な事象が、この世の全てだとは私にはとても思えません。もしそうだとすれば、この世の退屈は、好奇心を捨てきれない種類の人間にとって、地獄そのものかもしれません。
この世がこれほど楽しいのは、問いに対して真摯に学ぶ者には必ず新しい答えが用意されているからです。そして、新しい答えは、必ず次の問を連れて来てくれます。
よろず学問所では、この世の未知を、少しづつ、少しづつ、こちら側に引きずり出すために、本気で問いを学びます。
学問の本質として、勉強はせず。という姿勢で問題に取り組みます。
強いて勉めればつまらなく、問いを学ぶ道は楽しい。という意味です。



































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