お花見
枝先が地面に着きそうな程大きなしだれ桜の中は、ほとんど別世界だった。
「すごい・・・」
アルルは思わず感嘆した。
にわかに踏み入れた空間は、見上げても、見渡しても、一面淡い桃色で埋め尽くされている。
大小さまざまな形の桜の花は、ふわりと心地よい風が流れ込む度に揺れ、花びらをハラハラと舞わせていた。
日だまりを閉じ込めたような暖かい空気が揺れ動き、心地よい香りが鼻をくすぐる。
外の世界との繋がりを完全に隔てたような空間に、アルルは日常の喧騒を忘れたくなるような不思議な気持ちになった。
「へぇ、見事なもんだな」
しだれ桜をくぐって、シェゾも中に入ってきた。自分と同じく見事な桜の空間に、感嘆を隠せないようだ。
「すごいよね、まるで別世界みたいだよ」
「別世界か。・・・たしかに、そんな気もする」
珍しく素直に肯定するシェゾを不思議に思って振り返ると、思わずその表情にドキッとした。
いつも不機嫌そうに据わっている目が、好奇に溢れた澄んだ空色に変っている。
冷たい色を反射するはずの銀色の髪も、淡い桃色の光と柔らかい日差しでキレイな空色に染まっていた。
(シェゾって、こんな表情もするんだ・・・)
真っ直ぐに桜を見入る真剣な眼差しに、アルルは目を逸らすことを忘れていた。
「・・・? なんだ」
視線に気づいたのか、シェゾは不思議そうな眼でアルルを見た。
(わっ、やば! なんとか誤魔化さないと)
アルルは反射的にシェゾから目を逸らし、しだれ桜の中程を指さした。
「え、あ・・・あの、あの枝っ」
「枝? あの引っかかっているヤツか?」
アルルが指を指したちょうどその先には、しだれ桜の一部が折れて引っかかったような枝があった。
小ぶりの枝だったが、桜の花がいくつかキレイに咲いていて、ついさっき折れたばかりという感じだった。
指さした時こそ動揺を誤魔化すためだったが、アルルはその小さな枝に咲く桜がどれもキレイな形をしているのを見て、思わず欲しいと思った。
「猫か何かに折られたんだろうな。あれがどうかしたか」
「記念に持って帰ろうよ。元々折れていた枝なら、誰にも怒られないし」
アルルは早速枝に近づいて手を伸ばした。
しかし枝は思ったより高い所にあり、届きそうに見えるわりにはなかなか手が届かなかった。
何とか背伸びして手を伸ばすけど――――
「いたっ」
髪の毛に、別の枝が絡まってしまった。絡まる枝と格闘していると、シェゾが呆れたような顔で近付いてくる。
「何やってんだ・・・」
シェゾは素早くアルルの髪に手をやって髪をほどく。同時にアルルが取ろうとしていた枝にも手を伸ばし、簡単に取ってしまった。
(背が高いって・・・やっぱりイイな)
髪を押さえて、アルルは振り返るシェゾを見上げる。元々キレイな顔をしたシェゾは、淡い色の桜をバックにすると怪しいくらい魅力的だ。
しかも、桜の花があまりに見事だからかさっきからシェゾの表情が柔らかい。
わずかでも、いつもは絶対にしない微かな笑みがシェゾの表情を一層引き立てているようだった。
(は、反則だよ・・・その顔)
思わず目を逸らすと、シェゾはなぜか落ち着かない様子で枝を差し出した。
「ほらよ」
「うん、・・・ありがと」
髪に葉っぱをくっつけたまま花を受け取るのが恥ずかしくて、俯いたまま手を伸ばした。すると――――
「・・・え?」

ふわりと髪を掠めるようにして、花とは別の香りが身体を包んだ。
「そういう顔するな」
「・・・!」
気づくと、アルルはシェゾの腕の中にいた。すぐ耳元でシェゾの息遣いを感じることに気づき、思わず固まる。
「特に、ここではヤバい」
シェゾが取った枝をアルルの頬に添えて、香りを確かめように顔を近づける。
熱い吐息をすぐ近くに感じて、思わず高鳴る胸を抑えることができない。
「しぇ、ぞ」
アルルはなんとかそれだけ言ったが、それ以上は何も言えなかった。
「思わず自分を、忘れたくなる・・・」
さらに抱きしめられる腕に、ギュッと力が強まるのを感じて、アルルはもう一度目を閉じた。
(どうしよう・・・ボク、イヤだと思ってない。むしろ・・・)
心地よい温もりが、背に回された大きな手の平や息遣いから感じて、シェゾの他に何も考えられない。
感じられるのは、桜の香りとシェゾの柔らかな気配だけ。他のことは何も思い出したくない。
――――自分を忘れたくなる――――
それはボクも同じだから――――
忘れてしまってよ、今だけは。
いつもの冷たい瞳と表情なんか、この別世界では似合わないから。
ボクも忘れる、今だけは。
いつも意地っ張りで、キミのこと、素直に好きだって認められない。
でも、今は――――キミのキレイな瞳とか、優しい表情、暖かい温もりの全てが好きだって思えてる――――
だから、ふいにシェゾが唇を寄せた時も、アルルは拒まなかった。
目を閉じたまま、気配だけでシェゾのそれをゆっくりと受け入れた。
大丈夫、許される――――だって、ここは――――春の魔法が俄かに作り上げた、つかの間の淡い別世界。
日常に縛られない、自由な空間なのだから。