禁忌の領域
「暗黒時代の終焉から200年くらいはね、この遺跡は強大な力を持った魔導師が封印されているってことで、歴史的な価値はもちろん魔導的な価値もとても大きくて、各地からたくさんの魔導師や魔導師養成学校の生徒さんが研究のために訪れていたところなんです」
一般の観光客に対する説明にしては、いささか専門的すぎる説明だった。目の前にはガタイの良い黒髪の男が後ろ向きで立っていて、男の表情は見えない。男のそばには、磨かれた鏡のような一枚岩があった。
「ところが、ある日突然その封印が消滅したんですよ」
ガイド調の男は、なおも鏡岩の前に立つ男に遺跡の説明を続けた。シェゾは、このガイド調の男と同一視点でその場にいるようで、ガイド調の男が左腕を上げた時それがわかった。彼が左腕につけた日時計を覗き込むと、シェゾにもその日時計の指針がまるでシェゾ自身がその日時計を見ているように見えた。――――シェゾが数日前、地下室で拾った――――あの冒険者用の日時計だった。
日時計の持ち主は、ちらりと時間を確認しただけだったらしい。すぐに視線を戻して、目の前の男への説明に戻った。
「記録では、本当に突然だったようなんです。いつものように遺跡の地上には観光客が賑わい、地下遺跡には少数の研究チームが発掘に当たって――――異変は何一つなかった。本当に、なんの前触れもなく――――ある日を境に、突然封印が消滅したのだと研究日誌にはつづられています」
男はなおも同じ調子で続けた。
「一部には、闇の魔導師が封印を破って再び世に出たのだという噂も、当時はあったようですが・・・結局のところ、今に至るまで何も起こっていませんからね。結果、今では封印されていた闇の魔導師の寿命がその日尽きたのだろうと結論付けられ、遺跡の調査はついに打ち切られてしまいました。今では、この遺跡で魔導の研究が行われることはほとんどありません。わずかに、近世の歴史学者が“暗黒時代”の重要文化財として、観察しにくるくらいですよ」
そう言って男は、言葉を切った。それを待っていたかのように、黙って説明を聞いていた黒髪の男が振り返ってシェゾを――――いや、日時計の持ち主を見た。
「けれども君は、この遺跡がまだ魔導的価値を失っていないと考える、数少ない魔導師のひとりなのだろう?」
驚いたことに、それはまだ若いアルベルだった。白髪の混じらない黒髪にキリと締まった眉、きっちりと着こなした黒いスーツ姿は、創成期の実業家を思わせる。幾分のだらしなさと余裕の感じられる今の彼の比べると、エネルギッシュで剛腕な雰囲気がやや強い印象だった。
「そうなのですよ、アルベルさん」
やはりシェゾは、日時計の持ち主の視点でアルベルを見ているため、アルベルの表情はよくわかったが日時計の持ち主の顔は見えなかった。だが、その声の張り具合からそう言った日時計の持ち主は、相当満身創痍で笑っていたのだろうと想像できた。
彼は、落ち着いたアルベルとは裏腹にコロコロと調子を変えながらまた熱っぽく語りだした。
「面白いですよ。この遺跡には、他のどの地方でも見つけられないルーンロードを垣間見ることができるんです。ここ以外でルーンロードに関する研究をすると、ほとんど全てと言っていいくらい破壊と殺戮の魔術研究になってしまいがちなんですけど、ここは少し違うんです。―――見てください、これは過去にこの遺跡の内部調査に成功した優秀な研究班が残した、地下遺跡の図面なんですけどね。もちろん、写しですよ――――封印が消滅した今となっては、どうやったって入れないところです。これ、この印、何だと思います? インターホンですよ。当時としてはずいぶん粋な趣向でしょう。こんな愉快な仕掛けがところどころにあって・・・闇の魔導師として恐れられた死神にしては、どこか人間味のある造りだと思いませんか。これを配下の魔物や魔女に押させて、ピンポーン『はいどーぞ』なんてやってたら、面白いと思うんですけど」
男がアルベルに向かって猛烈な勢いで語り、その後の記憶に少しのぶれがあったあと、日時計の持ち主はこう締めくくった。
「私はね、この遺跡が好きなんですよ。世界で最も正直にルーンロードを見せてくれるような気がするから。私はね、ルーンロードの狂信者ではないつもりですが、背信者でもないつもりなんです。歴史や魔導の研究には捏造や歪みや思い込み――――先入観や根も葉もない噂がツキモノですが、ここは違う。彼は確かに人間で、魔導師で、我々と同じく何らかの願いとか野望のために――――生き抜いていたんじゃないかと思わせてくれる。我々の側(サイド)からではない、真実の物語への手がかりが――――残されている気がするから。封印が解けたのだってきっと、神罰が下ったのだとかではなくて――――彼なりの物語の続きがつづられているのかもしれない―――――」
男の話を、ジッと真剣に聞いていたアルベルは、おもむろに頷いて切り出した。
「やはり、私の目に狂いはなかった。レイド、君は私と同じく噂を拒み、真実を探求するのが好きなようだね」
「噂を鵜呑みにばかりしていては、真実には決してたどり着きませんからね」
男が、またカラカラと笑う。それはシェゾの知る真実との裏腹を笑うレイドのそれと似てはいたが、根本的なところで全く違う笑い方だった。シェゾの知るレイドに欠如している“感情”という人間味が、その声には溢れていたからだ。
「全く君の言う通りだよ。無理を言って、君と二人だけで話をする機会を作ってよかった」
若いアルベルはそう言って、やはりいつかのように笑った。強い意志を含んだその笑みは、シェゾが記憶するアルベルのそれと全く同じだった。
「その太った腹は、君のその神経のずぶとさを象徴しているのかな」
アルベルがおかしそうに男の腹を指して言った。日時計の持ち主はアハハと笑った。
「教会の教えに反しつつ細々ながら資金を繰り、研究を続けることは並の神経では正直無理だと思いますね」
その時、彼が一歩だけ鏡岩の前に進み出て、鏡の端にその姿が映った。「レイド」と呼ばれたその魔導師の腹は、チャーとかリーとかに劣らぬくらい大きく出っ張っており、顔もどちらかというとパッとしない不細工で、シェゾの知る魔導師レイドとは似ても似つかぬ男だった。アルベルは、そのレイドとは似ても似つかぬ不男レイドの手を取り、情熱で満ちた目で言うのだった。
「君のその研究を、私は気に入ったよ。私には資金がある、必要ならいくらでも申し出てくれ。私の屋敷へ来なさい、全面的に君の研究を援助しよう。ケチな協会や研究チームからは、今すぐ抜けるといい」
「太っ腹は、アルベルさんの方ですね」
鏡の中の表情を見る限り、不男レイドは全く屈託のない笑みを浮かべていた。
「その代わり・・・」
「なんです?」
「屋敷にいる、息子の話し相手になってやってくれぬかな。まだ小さいのだが・・・どうやら、私たちには聞こえない不思議な「声」を聞くことのできる子でね。もしかしたら、魔導師の素質があるのやもしれん。魔導師として世界の歴史や魔導に奇妙な偏見を持ってしまうことのないように、ルーンロードに関する君の考えも含めて、いろんな話をしてやって欲しい」
「お安いご用ですよ」不男レイドの笑い声を残して、その映像は途切れていた。
それはきっと、ずいぶん過去の記憶なのだろう。わずかに見えた日時計の指針が、およそ5年は前の日付を指していた。
■ ■ ■
壊れた日時計のネジをのろのろと戻しながら、シェゾは微妙に見たくない映像だったな、などと思っていた。岩壁に映っていた少し歪んだ映像はもう見えない。へしゃげた文字盤のせいで回しにくいネジにブツブツと悪態をつきながら、数ミリ回すごとに引っ掛かりを繰り返すネジを無理に回した。パキリと音がして「あ”」、と思った瞬間に元々ぐらついていた小さなネジは折れ、ポトリと床に落ちた。当然アイギスもいないワケで、・・・映像は二度と再生されないモノになった。
「ちっ、暇つぶしにも使えん」
シェゾは日時計も床に落として、他に暇つぶしに使えそうなモノはないかと辺りを見渡した。相変わらずの薄暗い部屋。人の気配も何もない。ガーゴイル像から流れ落ちる水音はまるで無機質だし、あとはわずかにそばで気を失ったままのセリアの息遣いが聞こえるだけだった。ポケットに入れっぱなしになっていた日時計は、身体がダルくてしばし外に出ようという気の起こらないシェゾにとって、ちょうどいい暇つぶしの道具になると思っていた。日時計の特殊な機能を見つけて興味を持ち、面白半分で再生を試みたまでは良かったのだが――――まさかあの遺跡がらみの記録が再生されようとは、因縁とはどこまでも嫌味なモノだ――――汚れた日時計をいじくり回したせいで手が汚れていたが、シェゾは水を吐き続けているガーゴイル像のところまで行こうという気にすらならなかった。シェゾは岩壁に気だるくもたれたまま、何度目かのため息をついた。
―――――魔力も体力の消費もないのに、身体だけが異常にダルくて動けないとは腹立たしい。時間を浪費するだけで何の意味もなく、何をする気にもならない自分も余計に不愉快だった。・・・たぶん、セリアが“マネージング”によって発動させたのは完全に精神のみに働きかけた魔術で、魔術の発動の間に受けた“ダメージ”も消費した“力”も全ては「精神力」に還元される仕組みになっていたのだろう。その証拠に、シェゾの身体には直前まであれだけの戦闘を為したにも関わらず、シェゾの身体に傷はおろか汚れひとつなかった。しかし、その分の魔力の消費を含めた全てのダメージはキレイにシェゾの精神に還り、もともとあんまり強くないシェゾの動機に基づいて『動こう』とか『何かしよう』とかいう基本的な“気力”というモノを根こそぎ奪っていた。結果、シェゾは本来の魔力と体力が漲っているにも関わらず、全く“動こう”という気にならないというこの激しく矛盾する状態でただイライラを募らせるしかない状態に陥っていた。自分の汚れた手を見てもう一度腕を上げようかと考えた時、セリアが呻いて目を覚ました。顔色はすこし青白かったが、意識ははっきりしているようだった。
「気分はどうだ」 シェゾは、手のことは忘れて聞いた。
「シェゾ」
セリアはぼんやりとしたをシェゾに向けたまま、間抜けにも呟いた。「どうしたの?」
「オレが質問してるんだがな」
しかし、セリアはやはりシェゾの問いに答えなかった。聞いていなかったのかもしれない。セリアは辺りを不思議そうに見渡しながら、今自分に起こっていることに何とか筋道をつけようと頭を悩ませているようだった。
「ねぇ、ここ・・・どこ?」
「さぁな、・・・お前は覚えがないのか?」
シェゾは、セリアに気づかれないほどちらりとセリアの瞳の色を盗み見た。いくぶんぼんやりとしているが、瞳の色がいつもの明るい空色に戻っていた。―――――やはり自分はあの最後の一太刀で、セリアが発動させた精神術と一緒にセリアを操作していた“支配する糸 ”もろともぶった切ってしまったのだろうか。それとも、精神術が破れた衝撃で“糸”が一時的に昇華されたのか―――――その論拠は定かではないが、今のセリアは間違いなく「セリア」だとシェゾは思うことができた。
古びた家具、何かが当たって砕けたような崩れた壁、半壊した水吐き怪物 像――――セリアはもう何度か部屋を見渡していたが、部屋の隅に転がる樽を見た時に一瞬サッと青ざめた。息を飲んで樽から目をそらし、シェゾの影に隠れるようにまた蹲ってしまった。
「知らない。こんなとこ、・・・どこか全然わからない・・・」
シェゾは「そうか」短く答える一方で、それ以上セリアに余計なことを考えさせないでおくのがいいと思った。・・・術に操られたままの“人形”ならまだしも、きちんとした意識でここいるということは、ここで起ったことが彼の記憶にしっかりと刻み込まれるということ―――――シェゾは、正気のセリアにあまりこの部屋の記憶を刻みつけるべきでないと思っていた。“人形”たるセリアが術の発動中に正気に戻ったのは、“支配する糸 ”の術者の計算の内なのか術者ですら意図しなかった偶然なのか――――今のところハッキリしないが、いずれにせよシェゾは正気のセリアに自分が属する闇の世界に関わらせる気は全く無かった。―――――そう、全く無い――――
シェゾは、未だ隙あらば意識の奥底で囁こうとする亡者の言葉をずっと否定し続けていた。そんな戯言、ただの逃げの言葉……もちろん違う・・・
―――――まして自分がセリアの“力”を欲するなど――――心に偽ることをやめなさい、シェゾ・ウィグィィ……絶対に有り得ない・・・・・・
シェゾは激しい空腹を感じた時のような腹立たしさで、今一度薄気味悪い亡者の顔を頭の中から締め出した。
「シェゾはどうしてここにいるの。何をしてたの?」
セリアが聞いてきたので、シェゾは幾分か頭の中の声から気を逸らせることができた。
「日時計の記録を見ていた」
「日時計の、記録・・・?」
シェゾは日時計を拾い上げてセリアの目の前に差し出した。シェゾは説明した。
「魔導師が使う時計には特殊なものがいくつかある。時刻の他に、湿度や温度がわかるもの、方向石と組み合わせて地形が記録できるものとかな。その一つがこの機能だ。・・・持ち主の冒険の記憶を、いくつか記録できる」
シェゾが文字盤の端に付いている穴に折れてしまった小さなネジを突っ込んで回すと、指針がくるくると回転して色々な日付が文字盤に現れては消えた。
「他にもいくつか記録してあったみたいなんだがな。・・・普通、パスワードがわからんでは見ることはできない」
「え、見てたんでしょ? ・・・パスワードを知ってたの」
日時計をいじりながらセリアは聞いた。シェゾにとっては、あまり答えたくはない問いだった。
「たまたま・・・テキトーに入れたら、ひとつだけ当たったんだ」
「なんだ、それ。なんて入れたの」
不貞腐れた顔のまま、シェゾはぶっきらぼうに答えた。
「・・・“ルーンロード”」
「へぇ?」
シェゾがそれ以上何も言わないと決めてしまったからか、セリアはしばらくは静かに黙った。しかしずっと黙っているのも怖いようで、セリアは再びシェゾを見た。
「ねぇ、シェゾは随分落ち着いてるみたいだけど、ここがどこか知ってるの?」
「知らんな」 シェゾはウソぶいて頭を横に振った。「ただ、ハッキリ言えることは――――」
出来るだけそれで当然だ、と聞こえるようにシェゾは気をつけた。
「次にオマエが目覚めた時は、元のベッドに戻ってるってことだな」
セリアはしばらく不思議そうな目でシェゾを見ていたが、なんとか納得しようと努力したらしい。
「・・・つまり、これは夢ってこと?」
「まぁ、そんなようなもんだ」
それでもセリアはしばらくは不安そうにしていたが、意外なことにやがてふと安心したように微笑んだ。
「そう、・・・そっか。そんならいいや」
「・・・・・・えらく、聞き分けがいいんだな」
「だってシェゾは、僕がそう思うのが一番いいって思ってる」
シェゾの表情ははたから見たら憤慨したようにすら見えたが、セリアの言葉は真っ直ぐだった。
「僕はそれを信じるよ」
「・・・・・・」
シェゾは亡者の言葉を聞いた時と全く同じ意味で腹立たしい痛みを覚えた。金縛りにあったような手の中に、いつの間にか汗を握っていた。――――どいつもこいつも――――
なぜ、オレの周りにはオレの言葉や行動に何かしらの裏があると思いたがるヤツが多いんだろう? ―――――シェゾは、頭の中ではある意味憤慨していたといえる―――――
「勝手な解釈をするな。オレがお前にそう言ったのは、単に状況を説明するのが――――」
面倒だったからで――――
「そんなことないよ」
セリアが唐突に真顔で言ったので、シェゾは思わず言葉を飲み込むしかなかった。
「――――また、「声」を聞いたっていうのか」
「まぁね」
シェゾは今度こそ本当に憤慨したが、セリアはまるで気にしていない風だった。
セリアは真顔のまま、静かに目を閉じた。まだ「声」を聞いているのかもしれない。――――シェゾは、意味もなくセリアから遠ざかろうとした。セリアの閉じた瞳が、心の内を見透かしている気がして落ち着かない。しかし、身体はやはり鉛のように重かった。
「シェゾは、・・・「声」がとても複雑で、聞きとるのがすごく難しい。色んな「声」がたくさん聞こえてくるのに、どれもすごく遠くから聞こえてくるみたいでハッキリしないんだ。・・・こんなに言ってることと、やってることと、考えてることがバラバラな人、見たことないな」
「馬鹿にしているつもりなのか」
「そんなこと、してない」
セリアはなおも真顔のまま、囁くように言った。
「むしろ――――なんて言うのかな。すごいな、って思う。どうして、こんな不安定な「声」なのに、・・・全体がとても静かなんだ。遠くから聞こえる「声」はいつもキレイな音で――――細かいガラスがサラサラって落ちていくみたいで、僕はこの音が初めから好きだな」
「・・・・・・」
シェゾは思わず黙っていた。
細かいガラスがサラサラと落ちて―――――シェゾは、その言葉になぜかタイムリミットの近い砂時計を連想していた。タイムリミット―――制限時間―――“ぎりぎり許される時間”、・・・「猶予」――――何の猶予?いずれにせよ貴方はこの物語が終わる時自らの欲望を曝け出すことになるでしょう この私が言うのもなんですが貴方の望みはそれほどまでに強くそして美しい 怯えることも偽ることもやめにすれば心は忠実に応えてくれる 心に偽ることをやめなさい 貴方の“
欲望 ”は何ですか 今一度私にではなく―――貴方の心に―――問うてみることでシェゾは、それが自分――――というより、セリアに迫っている危険のことなのではないか、と根拠なく思い当たった。
耳を澄ませるセリアを邪魔するように、日時計を彼から強引にもぎ取って言った。
「自分でもよくわかっていない“力”を――――むやみに使うな。・・・いらん力まで喚び寄せるぞ」
ちらりと掠めた不安が、口をついて滑り落ちたようだった。
「・・・いらない力? 何それ」 セリアが聞き逃さなかったので、仕方なくシェゾは答えた。
「お前は元々、“力”を呼び寄せやすいんだよ。“力”があるから」
「??」
セリアは答えずに、良くわかっていないというような表情でシェゾを見ただけだった。
「・・・・・・」
言いながらシェゾは先刻、無意識なのだろうが完璧にシェゾを取り入ってみせたセリアの力を思い出していた。
セリアが見せた絵本を介した“精神術”――――そこで感じた気配は、赤茶けた大地に光のない空――――あの景色には、闇がうっすらと漂っていたが完全な闇ではなかった。セリアは闇に干渉されてはいるが、まだ完全に闇に支配されてはいない。――――そういう意味で、セリアはまだ自分が「真の名」を持って関わることのできない世界の人間だ、とシェゾは考えている。
――――だがシェゾはもう一つの可能性が否定できないことも知っていた。“白い鳥、小さな羽根は光に満つ。闇の気配、未だ歩まず。しかるに秘密に溶けた暗黒の色、鈴の音に紛れて羽根を染める”―――――
魔族 に不吉な予言を与えられている以上、その時点ですでにコイツは魔の領域からの“力”による干渉を受けやすい所にいたのだろう。
・・・問題はそのことに、その危険性に、セリア自身が全く気付いていないことのように思われた。
――――これだけ闇に接近されているんだ。「羽根が染められて」しまう前に――――闇に都合よく利用されてしまう前に、少しくらい自分自身の“力”と“器”を護る術を知っておくべきなんじゃないのか。
無防備にただ暗黒器に“力”を利用されその度に“器”は傷つき破壊され続けるのだとしたら、これほどバカげた話もないと思う。
シェゾは思った。
お前は、もう少し自分の“力”に対して頓着すべきなんだ。安易に“力”を曝け出しているから、暗黒器のようなタチの悪い古代機器はもちろん、自分の内にいる亡霊のような存在からも――――いらぬ干渉を受けることになる――――それを知るべきなんだ――――・・・言うべきだと主張する意思と、言うべきでない、関わるなとウルサイ警告とが混在する荒々しい意識の中で、シェゾは静かに結論を出した。「この際だから、お前にハッキリ言っておいてやる」
シェゾは、セリアの方に顔を向けずに言った。セリアの方が少しだけ頭を動かして、シェゾの顔を見た。
「・・・お前には“力”がある。魔力ではないが、下手な魔導士なんかよりよほど強い何らかの“力”だ。だからこそ、お前は「声」が聞こえたり、妙な「精霊」に憑かれたりする。無意識にとは思うが、オレやアイギス――――レイドもそうなんだろうが・・・お前が“力”を持つ者に惹かれやすいのもそれが絡んでるんだろう。お前は“力”を持つが故に“力”に干渉されやすいんだ。覚えておけ・・・」
「・・・?」
わからない顔をしたままのセリアをシェゾは無視した。シェゾ自身、この警告をセリアに話すべきなのかよくわかっていなかった。よくわからないまま、話をしている。まるで口が勝手に動いているようだった。
「・・・「声」を聞くのは構わない。聞こえてくるモノを無理に聞くなとは言わん―――お前に憑いている「精霊」も今のところ、恐らくはお前が今居る世界に属する“力”――――お前自身に帰属するモノだろう。いつか言ったかもしれんが―――――「声」も「精霊」も今はお前の“力”だから、お前自身が強い意思を持ちさえすれば、これらはお前に従順な“力”にしか成り得ない。・・・お前はこれらの“力”を、自分の力として自由に使って構わない――――だがな」
シェゾはようやく、セリアの方へ顔を向けた。
「気をつけた方がいい。お前に干渉してくる“力”の中には、お前が関わるべきじゃない“力”も存在る。お前に、最も相応しくない“力”とかな」
「僕に・・・ふさわしくない力、って――――何?」
シェゾは、少しだけ沈黙した。自分がそれを言い終わると同時に、自分がこの話をしたことをセリアがキレイに忘れてくれればいいとか、かなり勝手なことを考えつつ、なんとか無難な言葉を選んで答えた。
「・・・今のお前が持つ「声」や「精霊」を、お前が今居る世界に属する安全な“力”だとすれば、一方の“力”はお前が居るべきじゃない別の世界に属する“力”だ。お前が今居る世界からは考えられないくらい、強大な力を持つヤツらが彷徨う世界の“力”のことだ」
――――過去に人間 が女神の加護と引き換えに、失ったハズの禁忌の“力”――――そんな言葉を最後に飲み込むようにして、シェゾは言葉を切った。
「僕が、考えられないくらい強い力・・・? そんなモノが、あるの」
「無い。少なくとも、お前が知るべき所にはな」
ガンガンと痺れるように疼く頭痛を押さえながら、シェゾはとにかく言い切ることに専念した。口の中はすでに乾いていた。言うべきことは必要最低限であり、初めからそう多くなかったはずなのに――――言葉は次々と堰を切ったかのように流れ出していた。―――――本来、これらは「向こう側」の人間に伝えるべきことではない。それ以前に、自分のような人間が関わるべきことですらない――――だが、言っておかなければならない、なんとしても。コイツはまだ――――世界との繋がりを失っていない――――女神の加護を受ける者で――――あの亡霊の不気味な予言が真実となる前に、オレはあえてコイツに警告しておかなければならない。
「「それ」は、お前みたいなヤツが決して望んではならない“魔の領域”の力なんだ。決して望むな」
「・・・・・・ソレを、僕がその―――「マ」の“力”を望んだら・・・どうなるの」
「望むな」 血走らした目を鋭く向けて、シェゾは言った。「・・・どんなカタチであれ、自分の意思でそれを望んでしまったら、お前は帰るべき場所を失うことになる。お前がどれだけ望んでも、もう二度とここへは戻ってこられない」
シェゾは、セリアがそれを最も恐れるだろうと考えて、ハッキリと言った。
「お前は、本当の意味で“氷の女王”になるんだ」
「何・・・それ」
その驚愕した表情は、予想通りのモノだったのか。「オレはさっき、ここはお前の夢の中だと言ったな」
セリアの目を捕らえたまま、シェゾは言った。
「夢のついでに聞かせてやるよ。世界で――――」
それまでただの一瞬もそれを聞かせるつもりがなかったのに、シェゾはセリアがまだ“力”について充分理解していないように思えて、いつの間にか話すべきだと結論付けていた――――
「世界で、恐らくは最もマヌケな形で“元居た場所”を失ったヤツがいる」・・・ソイツはある時、今のお前と同じくある場所で――――自分が望むべきでない領域からの干渉を受けた。ソイツの場合その領域から唐突に問いかけられたんだ、“世界最強の悪魔になってみないか”、とな――――
「ソイツは全力でその干渉を拒んだよ。・・・誰だか知らんがお前なんかに、自分の運命を決められてたまるかってな」
だが、魔の領域からの干渉ってのはそう簡単に断ち切れるモンじゃないんだ。ソイツがそれに気づいた時には、すでにソイツの運命は半分くらいはそっちの領域の力に干渉されていたと思う。だからソイツは――――まぁ、その辺がソイツの不運さを如実に物語っていると思うんだが――――ソイツはマヌケにもその干渉を拒絶するために、干渉してきた“力”そのモノを武器に、その干渉を断ち切ろうとしたんだ。――――自分が属する領域以上の“力”を望んでしまった。いや、実際に必要だったんだよ。その時の自分以上の“力”がな。
なぜなら、干渉してきた“力”の意思は強大で、それこそそれまで自分が持っていた“力”だけで拒むことは・・・不可能だった。――――だからこそソイツは、自分の持てる“力”以上の“力”を欲した。それがたまたま――――ソイツが元居た世界のモノではなくて――――「ソイツが最終的に手に取ったのは、干渉してきた魔の領域の“力”だった」
断ち切るために望んだ“力”が、たまたま別世界の(中でも最悪の)力だっただけで
「――――わかるか? ソイツは自分に干渉してきた領域との繋がりを断ち切るつもりが――――実際に断ち切っていたのは、皮肉にも自分が求めていた(ハズの)世界との繋がりの方だったんだ」
断ち切るために望んだハズの“力”でも、望んで手に入れた“力”であることに間違いなかった。
それがどんなカタチであれ、自分の意思でそれを望んでしまったら――――ソイツは帰るべき場所を失うことになる。魔に属する者として――――永遠に安息を禁じられ、居場所を求めて世界の狭間を彷徨う者となる。女神の加護と同時に元居た居場所との繋がりは全て失われ、それまでの記憶は色のない灰に変わる――――どれだけ探しても見つけられないし、見つけたとしても――――そこはもう自分の居場所ではなくなっているだろう――――「だったら、・・・その子はどうすれば良かったって言うの」
いつの間にかセリアは身体を持ち上げて、それでも身体はだるいのか岩壁にもたれるような姿勢でシェゾの方を睨んでいた。
「自分で望んだワケじゃなかったんでしょ。ただ突然聞かれただけなんでしょ、「悪魔になってみないか」って。なのに、「嫌だ」って言っても自分が持ってる力じゃ拒めないし、だから何とかして自分以外の“力”を使って断ち切ろうとしたら、逆に帰る所が無くなるなんて、そんな滅茶苦茶な話、無いよ!!」
「どうすれば良かったか、だと?」
シェゾは憎しみと蔑みで塗り固めたような目でセリアを睨み返した。 「・・・逃げるべきだったんだよ」
「“力”を拒むために、断ち切るための“力”を欲するのではなく――――ただ、必死に元居た場所へ逃げ帰ろうとしていれば、・・・あるいは」
セリアはなおも喰いついた。「でも、逃げられなかったら?」
彼はシェゾの言葉に何か思い当たっているかのように、それによる怯えとも怒りともつかぬ感情によってか、徐々に興奮してきているようだった。
「逃げられる状況じゃなかったら? どうにかして逃げたいのに、自分じゃどうしたって逃げられない――――だから、逃げるためにもっと大きな“力”が欲しいってどうして望んじゃ・・・」
「可能か不可能かの問題じゃない」
セリアの言葉を遮って、シェゾは低い声で言った。「要は、自分の“力”に限界を以って定められるかなんだろう」
「女神は器に見合う“力”で満足する者を、他の強大な“力”から護ろうとする。逆を言えば、器以上の力を欲する者を加護の対象にしない。どういうことかわかるか」
「全然」
睨むシェゾを睨みかえすセリアの瞳は強く、シェゾに劣らず挑戦的だった。
シェゾはギリと汗がにじむ拳を握り締めて、それでもセリアの感情を逆なでするようにニヤリと笑った。
「ソイツは、自分の力では逃げ切れないと悟った時点で、女神か何かに――――自分以外の何者かに加護を求めるべきだったのさ」
「・・・・・・そんなこと」
「だが、ソイツはそうしなかった。あくまでも自分自身で運命を断ち切ろうとした。女神なんかに頼るくらいなら――――自分自身の“力”で何とかしたいと願い、今以上の“力”が欲しいと望んだからこそ、女神の加護は断ち消えた。一種の背信行為だよ。だからこそソイツは安息を禁じられ、永遠に自らの“力”のみで生きることを強いられる彷徨い人になった。――――どうだ? ずいぶん、筋の通った話だろう」「どこが!!」
セリアは即座に吐き捨てるように言った。
「そんなの・・・! そんなの、オカシイ! そんな・・・自分が生きるか死ぬかって時にまで、女神サマに頼れっていうの? お願いしたって、お祈りしたって、神サマがお願いを聞いてくれるのなんてずっと先かもしれないじゃないか!! 僕は今すぐにでも願いを叶えて欲しいのに、待ってなんかいられない。そんないつ叶うかわからないオマジナイみたいなモノに頼るより、僕は僕に出来ることをする!! 父さんやレイドも言ってた! 願いは自分で叶えるモノ――――自分ができることを少しでも探して」
「黙れ!!」
今度はシェゾが怒鳴る番だった。シェゾは、過去に似たようなことを堂々と宣言して、自分とは全く逆に女神のいない領域に身を置くことを誇りにすら思っているような少女を思い出しかけた。―――――だが、アイツはまだ気づいていないだけで――――
「アイツが言いそうなことをソックリ言ってんじゃねぇよ」
シェゾは即座に落ち着きを取り戻してそう言ったが、腹は煮えくりかえったままだった。怒りとともに湧き上がる闇の衝動は、うっかり解放すればアイツと似た力を持つセリアに容赦なく向かいそうだった。
――――アイツも多分、似たようなことを言って元居た場所を出てきたクチだ。おそらくは何の疑念も抱かずに――――自分の“力”を信じ込み―――それが当然だと言わんばかりに――――愚か者が! 己の力を過信するヤツほど、愚かなヤツはいない――――それは己自身がよくわかっている――――!
「そういう考えが甘いと言ってるんだ。そんな考え方だと、今即座にでも“こっち側”に引きずり込まれるぞ。・・・お前は今、たぶんお前にとっての“向こう側”からの大きな干渉を受けている!」
「・・・・・・?!」
「だが、今言ったようにお前の意思でその“力”を望まない限り、お前がこの居場所を失うことはない。“氷の女王”になることはない。お前自身が望まないというのなら、オレはお前に干渉する全ての“力”を断ち切ってやってもいい。―――だがな、これだけは警告しておく」
シェゾは、セリアが何か言おうとする前に断言した。
「オレはお前を加護する女神じゃない」
セリアの瞳は、真っ直ぐにシェゾを見ていた。シェゾはその強い意思に気圧されてなるかとばかりに、冷酷に断言した。
「・・・お前が望んで禁忌の扉に手をかけるというのなら、オレはオレの名において、真っ先にオマエの“力”を奪いに来るぞ」
■ ■ ■
「一応聞くわ・・・。ここには特定の人しか入れないよう結界を張っていたのよ。貴方が侵入したら、私は気づくはずなのに・・・術者に気づかれないよう痕跡も残さずに結界に侵入するなんて、以前の貴方ではこんなこと絶対に出来なかったわ! ――――この高度な結界を、どうやって破ったのかしら」
『・・・どうやら動物に対しては、無効だったようですね。意外でしたけど』
レイドは冷ややかに答えていた。青い部屋の中央で、マリアは今こそ確信したように叫んだ。
「あなた・・・やはり、レイドではないわね。そうよ、あなたがあのレイドなわけがないわ・・・! 前と違いすぎるもの!!」
『おや? やっぱり貴女にはバレてたんですか。貴女はずいぶん私を不審者扱いするから、もしかしたら――――とは思ってたんですが。なぜわかったのです? さすがは魔導士サン――――と言いたいところなんですが、貴女にはそれほど強い力を感じない。どうして私の力が通用しないんでしょうね・・・』
「あなた、いったい何者なの!? あの子をどうしたのよ!!」
しかしレイドは最初の質問には答えず、後の問いにも意味のわからない答えを返した。
『ああ、セリアさんなら心配いりません。・・・ちょっと危険な気もしましたが、しかるべき者をしっかり付けておきましたから。それに、「彼」ならセリアさんに手荒なこともしないでしょうし・・・』
そう言いながら、実はレイドは一方で「どうだろう?」と首をひねっていた。――――確かに「彼」は表面上“彼”に好意的で、表面以外のところでも少なくとも“彼”に対して不干渉を保つようにしている気配があった。ただ、――――それはついさっきに気づいたことだが――――それは今まで「彼」が本来の肩書きを見せていなかったからではないか、と考える自分がいた。
仮の姿では“彼”に対して不干渉でも、もし「彼」が何かの拍子に本来の肩書き通りの者として“彼”に干渉したとしたら。人の子にしては強い力を持つ“彼”は、恐らくは「彼」にとっても充分な魅力を備えた“獲物”なのではないだろうか・・・?
しかし、そんなレイドの身勝手な自己解釈を含んだ言葉を、マリアが隅々まで理解できるはずがなかった。当然ながら、マリアはレイドの言葉も半分も理解していない。尤も今のマリアにとって、レイドの心境などどうでもいいことだったけれど。
「・・・な、一体・・・何の話をしているの・・・? どうして、貴方がここに・・・セリア様をどうしたのッ?!」
『だから、しかるべき者を付けているから心配いらないと言ってるじゃないですか。・・・ああ、騒がないで下さいよ、セリアさんがここにいないことが他に知れたら、困るのは私も同じなんですよね』
セリアはどこにいるのか――――――マリアがその時知りたいのは、まさにその一点だけであった。なぜレイドがここに居るのかということより、彼がセリアをどうしたのかということの方が問題だった。実際、部屋のセリアのベッドは、ずいぶん以前からそうであったとでも言うように、空だった。しかも、レイドはそれで当然なのだとでも言わんばかりで―――――それがわかった途端、マリアは反射的に思った。――――コイツは消さなきゃ! どんなことをしても!!
マリアは、宝珠に魔力を込め始めた。目の前の「レイド」は、明らかにマリアの記憶の中のレイドではない。それが確信に変わった今、この「レイド」に対して容赦は無用だ―――――と、マリアは考えていた。
『・・・? 何か、力を召喚しているようですね。なるほど、その宝珠が貴女の力の源というわけですか』
レイドが何かに気づいたように、熱っぽくマリアの宝珠を凝視した。
マリアが宝珠を介してどこから力を召喚しているのかを見極めようとしているようだ。その不気味ですらある鋭い眼差しにマリアは一瞬ゾクリとしたが、宝珠への自信を口にすることで気を落ち着かせようとした。
「・・・この宝珠を甘く見ないことね。言っておきますけど、これには火トカゲ 程度の魔物なら充分倒せるくらいの力があるのよ。アンタみたいな得体の知れない魔術師に対して使うためのモノじゃないけれど――――アンタが今すぐこの屋敷を出て行って、二度と現れないっていうなら・・・今は使わずにおいてあげてもいいわ」
『ふっ』
レイドは、それこそ蛇のように凶悪に嘲笑った。『火トカゲ ですって?』
彼の言い方は、そんな程度の魔物なら手先一つで事足りるとでも言わんばかりだった。
『貴女はその力をよく分かっていないようだ。それとも、私を理解していないのでしょうかね。いずれにせよ、貴女のその行動は間違いですよ』
その間にも、マリアの紅蓮の宝珠は輝きを増し続けていた。今や呪文らしき言霊を叫ぶように唱え続けるマリアの声さえも、輝きに呑まれて聞こえてこない。それくらいその魔力は、“普通の”魔導師が見たら信じられないくらい凄まじい力の奔流だった。
しかし、レイドはあくまでも余裕だった。凄まじい力を前に、感心したように瞳の色を僅かに変えただけで、涼しい顔で淡い色の髪を靡かせたまま微動だにしない。
『無駄ですよ、どうあがこうと貴女では私には勝てません・・・私の「力」は、貴女の持つどのような“力”よりも強い。自信があるんです。大人しく身を引いた方が、貴女自身のためだと思いますがね? その程度の力、きっと「彼」ならもっと容易に召喚できる。そうですね、今この屋敷で私の力に勝りうるのは、きっと「彼」だけ・・・現世の闇の魔導師――――神を汚す―――華やかなる者――――』レイドが言い終わらないうちにソレは起こった。マリアが輝きの中で何事かを叫んだ瞬間、突如として宝珠が凄まじい輝きを放ったのだ。圧倒的な魔力がマリアを包み込んだのはその直後のことだった。
■ ■ ■
キィィィィィィィィ・・・
一瞬にして張りつめた緊張が急激に溶解するにつれて、シェゾはようやく地下室に鳴り続けていた奇妙な音に気づいた。
キィィィィィィィィィィィィィ・・・・・・
「・・・・・・何だ?」
セリアもシェゾに少し遅れてハッとして、シェゾとほぼ同時に天井を見上げた。音は地下室の天井――――いや、もっと遠く――――地上からの、干渉・・・? 地上から何かが凄まじい伝導力を以ってこの地下深くまで響いてくるようだった。
「上に、何か・・・いる?」
「いや、これはおそらく――――魔導波の一種だ」 シェゾは無意識的にセリアをかばうように、立ち上がった。ようやく動かせるようになってきた身体はまだ重かったが、いざとなれば剣を構えられないほどではなくなっていた。
「・・・魔術を発動させる時に力を制御し切れていないと、余波のようなモノが生じることがある・・・それと似たようなモノだろう。それをお前の“力”が、妙な異音として捉えただけだ」
そう思いつつ、シェゾは冷静に考えようとした。
(上で、何か力を使おうとしているヤツがいるとして・・・その波動がここまで届いてるとして・・・何をしようとしてる? 上で何か起こってるのか・・・?)
ここ数日感じてこなかった薄暗い闇の気配に、内に眠る己の力がザワザワと鳴った。
セリアから少し離れて、岩壁に手と耳を押し当て――――気配を探ると、その金属を引っ掻くような異音は小刻みに空気を震動させる物理的な力でもあることがわかった。シェゾは待ちかねたようにその力の質を探ろうと、感覚を研ぎ澄ました。魔力の属性は、やはり『闇』――――それに、これは・・・
(“支配する糸 ”・・・?)
それも、かなり強いモノ――――暗黒器の力か?
そう考えた瞬間、突然背後に巨大な力が迫るのを感じてシェゾは振り向きざまに剣を持った手でその気配を薙ぎ払った。バチンッ!と物理的な破裂音が鳴って、闇の剣が弾かれたようにシェゾの手を離れ床を転がった。
「・・・何だ?」
払った手にも、剣が離れた時と同じようなパチパチと弾かれるような感覚が残っていた。見ると、セリアが再び岩壁に背を押しつけるようにして蹲っていた。耳を塞いでいる。
「どうした?」
「・・にか、聞こえる」 セリアは呟くように答えた。
「何?」
「なに、・・・何か、聞こえる。何これ、すごい「音」――――」
波動がその時、セリアが言うように急激に力を強めて耳を裂くような音と化した。魔術の波動はシェゾには多少は慣れた「音」でも、子どもにはかなりキツイかもしれない。シェゾがセリアを落ち着かせようと手を伸ばした瞬間だった。
「セリ――――・・・!!?」ズズン・・・ッ
波動がついに物理的な震動となって、地下室全体を揺さぶった。地下室に転がったいくつかの家具はバタバタと木偶のように倒れ、天井からは一瞬土煙が舞った。強力な結界に強引に侵入しようとするかのような荒々しい衝撃に、シェゾはよろめき膝をついたが、息を止めることで魔力の波動を何とか凌ごうとした。
「ぐっ・・・」
波動は震動の後、バリバリと音を上げてシェゾとセリアのいる空間にさらなる侵入を試みるように地下室に滞留したあと、突如何かに押し戻されたように後退した。そして、今度はさらなる圧力をかけようと再び金属をかき鳴らすような恐ろしいうねりをあげ始めていた。ギュィィィィィィ・・・・・・ッッ
「チッ、またやる気か・・・?!」
このままでは、第二波が来る――――!! そう確信してシェゾは、固まって動こうとしないセリアをどうするべきかと彼を見た。セリアは先刻と同じ状態で、手が白く変色するほど強く耳を押さえ身体を小刻みに震わせたまま動かない。「とにかく落ち着け」となだめようとした瞬間、シェゾは信じがたいことに気づき、まさかと思って驚愕した。目の前から、地上からの強い波動とは別の“もうひとつの力”が噴き出していた。その力は、今も地下室へ圧力をかけ続ける異音と波動に反発するように働きながら、徐々にその力を強めていた――――先刻、闇の剣を弾いたのもこの力だったことに気づいて、シェゾは叫んでいた。
「セリアッ!! お前、一体何の力を使ってる?!」
反発する力の中心は、間違いなくセリアだった。バリバリと音を立てて波動を拒む彼の“反発力”は、この瞬間にも恐ろしい音を立てて波動との摩擦を繰り返していた。凄まじさだけなら魔族の下手なオーラにも匹敵しそうなその力はすでに尋常でなく、シェゾのオーラをもってしてもその勢いに弾かれぬよう気を漲らせねばならなかった。
「聞こえる・・・何を言ってるの、・・・誰だよ、オマエ・・・!」
目を見開いたまま異常に興奮したセリアの表情に――――これも――――セリアの“力”だって言うのか? ・・・それとも、――――こいつの“力”が――――何かに利用されて?!
「おいッ、オレの声が聞こえてるか?!」
シェゾがセリアの肩を掴んでかなり酷い形で揺さぶるとと、セリアは目を力任せに閉じて絞り出すような声で言った。
「耳が痛い、頭が割れそう・・・! 声、・・・何か、「声」が聞こえる!! いやだ・・・!」
「・・・「声」、だと?」
またも意外なことを聞かされて、シェゾは何から考えるべきか一瞬迷った。セリア今度は叫んだ。
「何か、何か言ってる――――何? 何を言ってるの、いやだ・・・僕、そんなことしない・・・!!」
シェゾはこの状況でも、地下室を攻撃する波動の気配を注意深く探っていた。波動はセリアの激しい反発の意思に一瞬、膨れ上がるような反応を見せた。その様子に、波動がその矛先をセリアに向けていることを直感して、シェゾは反射的に普段滅多に編まない呪文を紡ぎ出していた――――“支配する糸 ”で、またセリアに取り入る気か? そうはさせるか! ――――汝、隣人を妨害せよ・・・!!
「伏せてろ!! いくぞ・・・ッ」 シェゾは力任せにセリアの頭を床に押し付けた。
その瞬間、波動の第二波が再び地下室を襲った――――
「“波動妨害 ”!!」ドゴォン!!
凄まじい震動に合わせてセリアに干渉しようとした強い波動をシェゾはいくつかの術で縛り付けたが、凄まじい力の集まりのことその全てを、というわけにはいかなかった。セリアを護るように張り巡らされた“反発力”も衝撃によって粉々に砕け、防御を失った地下室に波動の正体ともいうべきモノがいくつか侵入してきた。
――――――それは“
それは、シェゾはあまり好まないが見覚えのある魔術の凝隗だった。ドロリとしたヘドロのような液体がいくつか、地下室の天井からゆっくりと糸を伸ばすように落ちてきた。それは部屋の床に落ちるとスルスルと形を変えて幾本にも枝別れを繰り返し、細かな絹糸のように変化しながら瞬く間にセリアを囲うように伸びてゆく。床に転がったままの闇の剣が、その糸のひと束に取り込まれかけていた。
「ち・・・闇の剣よ」 シェゾは静かに喚んだ。
―――――・・・応。
剣は、糸の中ですでに静かな殺気を漲らせていた。
「狭間に刃を――――空間斬!!」
シェゾは、セリアの正面に伸びた糸を薙ぎ払った。それで糸の大部分が音もなく灰塵と化したが、それでも天井から落ちるヘドロの勢いは止まらない。むしろ波動が大きくなるにつれ勢いは増し続けているようだった。
(・・・やはり完全な防御は無理か。魔力のケタが違いすぎる)
糸からもっと距離を取れば可能かもしれないが、シェゾはそれでもセリアから離れようという考えは起きなかった。しかし、このまま防御に徹していては糸に絡みつかれるのは時間の問題――――シェゾは最初の策を決行させることにした。完全には至らなかったが、先刻の“妨害 ”で繋げたいくつかの偽の回路から別の魔術を送り込んで、この術自体を弱体化させる――――術者は姿を現さず遠距離から対象を絡め取ろうとする操作術の欠点をついた、有効な妨害作だった。シェゾは糸を牽制しながらも凄まじい勢いで妨害魔術を紡いだが、簡単には完成しなかった。
やがてセリアがへばり付いてた壁際からも細かい糸が彼の手足に絡まり始めた。セリアが悲鳴に近い声をあげた。
「何? ・・・いやだ! 何を言ってるの、やめて・・・うるさい・・・!」
「落ち着け! その「声」を聞くな、別のことを考えろ!」
明らかに聞こえてないのはシェゾの声の方だった。セリアは耳をふさぎながら、なおも術者からの「声」に惑わされていた。
「いやだ・・・お前、オマエ・・・誰だよ。うるさい・・・うるさい・・・っ!!」
「ち・・・っ!!」
術を無理矢理“マネージング”に繋げたシェゾは、完成した魔術を送り込む瞬間、その凄まじい「声」を聞いた―――――早く、ソイツを殺しなさい!!支配する糸 ”を操る“指揮者”の意思だったのだろうか?「いやだってんだろ?!」
「なっ?!」
バキバキバキィッ
大樹同士が凄まじい圧力で軋み合うような音が鳴り、妨害術を送り込むどころではなくなった。逆に、セリアに跳ね返された魔術の一部がシェゾの牽いた妨害術を逆流し、シェゾは一瞬その受け身に回らざるを得なかった。
■ ■ ■
部屋の中ではマリアが倒れていた。ぐったりとしているが、死んではないようだ。何か大きな衝撃で壁に叩きつけられたように、壁の一部が大きくへしゃげていた。
傍らのヴァルコニーにはレイドがいたが、マリアには一切興味はないらしく一瞥さえくれない。我が物顔で夜闇に浮かぶレリーフ上で足を組み、この時ばかりは気狂いを起こした毒蛇のように醜く笑っていた。
『アッハハハハ・・・!! なんとまぁ、まさか“マネージング”を跳ね返してしまうなんてねぇ! さすがはシェゾさん。危うく、こちらまで吹き飛ばされてしまうところでしたよ!!』
この時、レイドの意識の中を鋭く貫く視線があった。その紅瞳の真剣な眼差しにレイドは俄かに馬鹿のような笑いを止め、凛とした真剣そのものの表情に戻っていた。
『・・・は? どういうことです』
レイドの言葉に焦りも混じった。
『術を返したのは、シェゾさんじゃないんですか? 事故? 何がありました?! ・・・? よく聞こえない、・・・なんですって?!』
■ ■ ■
言うなれば、できそこないのリバイアだ。
リバイアは、かけられた魔術の反属性の魔術を完璧に創造し、魔術の威力ごと術者へ逆流させてしまう高度魔導で相当高い技術を必要とするが、上手く逆流させれば魔術は術者に全て跳ね返すことができる。しかし、逆上したセリアが偶然作り出したソレは凶悪なまでに半端なモノで、キレイに跳ね返るはずの術は、―――― 一部は術者に返ったのかもしれないが、ほとんどは木っ端微塵に砕かれ、それぞれが滅茶苦茶な方向へ飛散していた。
それは逆流というより暴発に近い。ワケがわからないまま高度な魔導を放ったセリア自身にも、異変が起こっていた。
「おいっ、セリア!」
千切れかけたような闇の断片が、セリアに巻きついたままうねっていた。“支配する糸”の残骸だ。海底から古い藻を持ち上げたようなそれは、もはや地下室の至る所でうねっていた。術は中途半端に跳ね返り、中途半端に砕かれて、それぞれの破片が行き場を失って暴走し始めていた。キリキリとよじれる幾多の怪藻の中心でセリアはもがいていた。「いらない・・・いらない、こんな力・・・! 何だよ、なんだよ・・・これ!!」
「動くな、余計に取り込まれるぞ――――闇の剣よ!!」
糸に剣を振り下ろした時に感じた渦巻く闇の淀みの中に、シェゾは信じられないほどハッキリとした幻聴を聞いた。
―――――お前なら、知ってるんじゃないか・・・?
―――――闇の力が自分の意思とは無関係に流れ込んでくる、あの 感覚――――「黙れ・・・いらないんだ、こんな力・・・!」
赤いリボンが巻きついた右腕を上げて、セリアは首に巻きついた糸を引きちぎろうと―――――その手に、さっき彼が術を弾いた時と同じ“力”を感じて、シェゾは思わず叫んでいた。「ダメだ!! それで断ち切るんじゃない!」
―――――何者かに命じられるがままに剣を振るうことが許せないからといって、界の意思にない必要のない力を使ってしまったら――――それを望んでしまったら、後に残るものは――――
少年は、あの時剣を抜いた。それが、目の前の悪魔を薙ぎ払うためだったにせよ――――呪われた力を――――自分のモノでは決してなかったはずの――――力を――――自分のためだけに使ってしまったら、
――――自分自身の“力”で何とかしたいと願い、今以上の“力”が欲しいと望んだからこそ、女神の加護は断ち消えた。だからこそソイツは安息を禁じられ、永遠に自らの“力”のみで生きることを強いられる彷徨い人に――――
シェゾの脳裏に、雷鳴のように突然蘇ったのは、灰色に汚れたあの白い鳥だった。
「やめろ!!」
聞こえてない。
セリアが、うるさい、黙れ――――とでも言うように、キッとシェゾを睨むと、突然セリアの背後から彼を飛び越え何かが――――半壊したガーゴイル像がまるで生き物のようにシェゾを襲った。
「何ッ!!?」
間一髪でその巨大な爪を避けると、シェゾの背後の壁は音を立てて大きく崩れた。
像は、改めてみるとシェゾの身長の倍くらいはあった。さすがは壁一面に掘られた彫刻――――しかも、砕けて暴走したマネージングに浸食されて身体は不自然に肥大化し、不気味な悪魔の紅い瞳がどす黒く濁っていた。つまりコイツは、理屈ではマネージングによって操られているはずだがその術者がいない暴走人形――――通常の方法(糸を切る)で止めることは不可能――――力づくで止めるしかないのか?!
一瞬でそこまで判断して、闇を纏いながらシェゾをゆっくりと視界にとらえる怪物を壁際ギリギリまで引き付けた。
「ダークエッジ!」
怪物の足元に黒刃を深く差して、シェゾは光速で怪物のわきをすり抜けた。目指す先に、徐々に真っ黒な霧に覆われて姿がぼやけて見えるセリアがいた。まずい――――! 仮にオレがここから逃げ切れたとしても、これではアイツの方が只事で済みそうにねぇじゃねーか!! シェゾは怪物の背後に出る一瞬に練り上げた爆発呪文を怪物の背に放ち、その勢いで一気にセリアに近づいた。
ガーゴイルが素早く身体の向きを変えて、シェゾを今度は背後から襲った。シェゾは、闇の剣を構えて像を牽制する―――――
「闇の剣よ!」
―――――応ッ!
「其が人形たる器を切り裂くとともに――――闇に染む力を切り刻め!!」
吹き飛ばされた砂塵の中から、再びガーゴイルは立ち上がった。どうやらセリアが跳ね返したリバイアは、相当タチの悪い代物だったらしい。暴走した糸は周囲の闇をも吸い込んで、もはや魂さえ歪んだ亡霊 を次々と生み出していた。そのいくつかは、セリアに絡まったままの怪藻にも絡み、セリアの力にも影響されてか活発に動き始めていた。一方でセリアは、すでに魂を抜き取られた人形のように、ただ力を放出し続けている。
シェゾは、ガーゴイル像の暴走も亡霊の増加も、セリアの力も含めてこの狭い地下室という空間に異常な力が集まり過ぎているのが原因だと判断した。この事態を収拾するには――――どう考えても、完全に力に呑まれているらしいセリア本体の“力”を――――いや、セリアの“力”とともに今も干渉し続けている闇の力ごと一気に封じるなりなければならない!
シェゾは、シェゾの力にすら干渉しようとするゴーストを牽制しつつ、セリアを振り返った。―――――だが、力を砕けぬからと言って、器に手を出すワケにいかない――――――そんな不才な魔族のような真似は絶対にできない――――いや!
――――何か方法があるはずだ。考えろ、考えるんだ―――――アイツの暴走を止める方法を!
シェゾの空間斬が、いくつかのゴーストを飛散させ、ガーゴイル像の右肩で砕けた。よろめいた怪物は、なおも天井にその突き出た角を突き立て惨劇の舞台に相応な振動を起こした。シェゾはうかつにガーゴイルにもセリアにも近づけず、果たして何をどうすべきかを何とかして考えようとした。何か、余計なことをしている気がする――――シェゾは必至になって考えた。
アイツの力は今、暴走している。暴走しているのはアイツの“力”そのものじゃない、おそらく“暗黒器”の闇の力が暴走しているんだ。これを封じるには――――確かに剣には相手の“力”を封印する力もあるにはあるが――――オレの闇と剣の力ではヤツの闇を押し返すどころか逆に助長させてしまう危険がある。だが、危険を冒してでもここは暴走を止めるべきか? アイツの器を裂くことで力の出所を断つしかない?――――――シェゾの中でもう一方の人格が叫んだ――――早まるな!!
違う! もっと、全く別の方法だ!! もっと単純で、容易な方法があったはずだ――――根拠はないが確信がある! 闇じゃない、“闇”に頼るな、今ここで求められる本当の力は何かを考えろ――――不必要な力に頼るな、必要な力を思い出せ・・・オレは、今日の昼間に何をやろうとしていた―――――――?!
刹那の間の後、シェゾは静かに喚びかけた。
「・・・闇の剣」
―――――可能だ。
剣はすでに理解していた。
―――――主を信じる。くれぐれも無理はするな。短く答えた後、剣は闇に消えた――――
突如として強力なサポーターを失ったシェゾだが、一種の賭けだった。―――――どうせ「アレ」が発動すれば、剣もマトモには使えんだろう。シェゾは壁を駆け上がり、傾きかけたランプ台に足を引っ掛け――――自由になった両手で今度こそ完璧な呪文を紡いだ。中心は、セリア――――! セリアにとり憑こうともがく貧弱なモノも含めて100体は超えるゴーストたちに、シェゾは殺気を含めて「触わんじゃねぇよ」と、呟いた。
――――亡者ごときにアイツの力は取らせねぇ・・・オレも含めてな!!
「エクスプロージョン!!」
セリアを中心に渦を巻くように炎柱が上がり、密室の地下室は轟音とともに灼熱地獄と化した。サラマンダーの吐く炎熱以上の凄まじい炎がゴーストを残らず飲み込み、ガーゴイル像は無残に大破し残片は炎の奔流へ流れて消えた。こんなチャチな炎じゃ闇の暴走までは止められないだろうが――――現に、燃え広がる悪魔の炎の隙間から、すでにジワジワと闇が侵食し始めていた。・・・まぁ、剣が使えない間の気休めにはなるだろ。シェゾは腕の斬り裂くような激痛を紛らわすために無理に笑ったが、自分の愚かさを再確認しただけだった。防御のホトンドをセリアの方へ回したため、豪炎の余波をマトモに喰らったシェゾの両腕は真っ黒に爛れていた。
応急処置のため、シェゾが『フリーズ』を紡いだ瞬間、キョーレツに鮮明な「声」がシェゾの脳裏に響いた。
『―――――シェゾさん?』
「アイギスかッッ」
『どうしたんです、今どこにいるんですか』
シェゾは予想以上に早い彼女の反応を歓迎した。
『―――――ビックリしましたよ。まさか、貴方がこんな方法でコンタクトを取ってくるなんて。剣を介した闇の精神回廊とでも言いますか・・・』
「初めてにしちゃ、上出来だろ」
アイギスが頷いたかどうかはわからない。シェゾは精神域でアイギスと会話しながらも、シェゾは身体面で、また油断ならない事態に直面していた。燻っていた炎の奔流が徐々にその鮮やかな色を失い、ゴボゴボと地底から湧き出すようなどす黒い闇に呑まれ始めていた。地下室全体が闇か炎かで燃え上がる中、白い光に守られるように一人たたずむセリアの姿――――ドロドロとした闇の動きは、なおもその白い光に執着しているらしい。闇は燃え盛る炎を飲み込みながら、徐々に巨大な人の形に膨れ上がり――――
『―――――・・・何かあったんですね? さっきの闇の衝撃・・・こっちまで届いてましたよ』
「わかってるなら話は早い、正直ピンチだ」
シェゾはすばやく天井から飛び降り、セリアに近づきながら答えた。頭を垂れた闇人形がゴボゴボと沸騰を繰り返す床を侵食しながら、セリアに長い手を伸ばそうと――――触れさせるか、木偶人形が! シェゾは無言でフレイムを放ち、炎の鞭は一時的に触手のように動く闇を弾き飛ばした。
「闇の“力”が暴走してる! 頼みは一つだ!!」
叫びつつセリアを強引に肩に乗せ、シェゾは人形から出来るだけ距離を取った。体温が急激に爛れた腕に奪われ、激痛と強烈な眩暈に襲われたが、正直それを気にしている余裕はなかった。
『―――――当然、すでに完了してます。発動させますか』
「・・・・・・オマエを 魔法陣の前に置いてきて助かったと、今、正直に思えるぜ」
アイギスは全く褒められていると考えなかったらしい。何の変化もない口調が返ってきた。
『―――――わかっていると思いますが、貴方が作ったこの封魔の魔法陣はかなり強力なモノ。・・・結界が発動してしまえば貴方の持つ剣をはじめ、貴方が得意とする闇魔術の全てが封じられてしまいますよ』
「承知の上だ」
もとより自分の闇で目の前の木偶を倒そうなどと考えていない。こんなところ で自分の力を使ってたまるものか! ・・・むしろ、セリアを抱えたまま意識が朦朧としたこの状態で、自分の作った「闇封じ」に「自分」が耐えられるかの方が問題だった。
『―――――ご武運を』
アイギスの声は完全に途切れた。まさにその次の瞬間。最初は、フワリと風のようなモノが凪いでいった。その後、分厚い岩壁も闇の力も何もかもを通り抜けるような滑らかさで、柔らかで静かな光が闇に渦巻くこの空間へ差し込んできた。
―――――それは、銀色に輝く『月の光』だった。「ぐあぁっ」
光によって闇を封じられる衝撃は、闇魔導師としてはかなりキツイものだった。月光が身体をすり抜けるたびに、漲る力の源が無理矢理凝縮させられ、生命力とともに削ぎ取られる感覚が何度もシェゾを襲った。・・・とは言え、シェゾの器としての身体は人間のモノだ。力を封じられても、人としての生命まで奪われはしない―――――だが、この月の光は、闇そのものから作られた人形には凄まじい効果を発揮していた。人形は身体を四方に折り曲げて悶え、地下室へ舞い込んだ月光に次々とその身を切り裂かれ、シェゾに漲っていたはずの闇の力のように、根こそぎその力を掻き消されていった。天井に、壁に、そして床に――――もとの地下室の気配が戻る。尤も――――もとの簡素な地下室らしい部屋ではなく―――――瓦礫と融解した岩がむき出しの、戦場跡でしかなかったが・・・。シェゾは膝をついて、抱えていたセリアを岩床に横たえた。
セリアの“力”は闇ではない――――強大だが、闇でも光でもない純粋にただ“白い”力だ。自分には殺人的なこの衝撃も、彼ならいくらか凌ぐことができるはずだった。予想通り、セリアは彼を飲みこもうとしていた闇のオーラを封じられると、ふっと力が抜けたようにその場で崩れ落ちただけだった。――――散々、力を暴走させて精神的にはどうかわからないが、身体への物理的なダメージはなさそうだった。
シェゾは、痺れた体を引きずるようにして、もとの壁際にもたれる姿勢に戻った。
――――――戦いは、終わった。
――――――地下室は、見るも無残な瓦礫の散乱地帯と化していた。
・・・10日前の夜、ここで日時計の持ち主が命を落とした。シェゾは、ふと、そんなことを思い出して、瓦礫の上でもう元の形すら残さないくらい崩落した壁の残骸を見て、ガーゴイルの像はどれだろう? などと、どう考えても答えの出ないことを考えた。
――――――「彼」は、ここでガーゴイル像 と戦ったのだろうか? それとも今回のような暴走した力を相手に?
――――――闇の力に屈し、(アイギスの見立てでは)2シグナルも生き延びることもできず、地下水路へ――――・・・
今度こそ本当に疲れ切っていたシェゾはそれを否定する気力もなく、沈みゆく闇の気配に代わって、月の魔力が染みいる気配にしばらく身体を休めた。月の魔力を利用した、珍しいタイプの回復魔法だった。ふくらはぎと右肩に比較的深い傷を負ったが、回復力の小さい月の魔力で充分治癒可能だった。月の力は、強くはないが長く効果を期待できる力だった。
闇とも相性の良いシェゾだが、実は彼は月属性の魔力とも相性が良い。闇の力の代わりに月の魔力を吸収して、充分動けるようになってからセリアとともにここから出る―――――ここまでは、ほぼシェゾの計画通りだった。しかし、予想外なことが一つあった。闇の気配が完全に途切れた時、突如として地下室が崩れ始めたのである。
「・・・な?!」
まさか・・・この地下室、暗黒器の力で作られたものだったとかか・・・?! いや、どちらかと言えば闇の力で強化してあったと考えるべきだろう。考えてみれば、これだけ中で暴れて崩れてこなかった方が不思議なのであって―――――そういうことかっ!!
シェゾは疲れていたことすら忘れ(たことにし)て弾かれたように立ちあがった。痙攣しかけた筋肉を圧してセリアを抱えあげ―――― 同時に、地下室全体にビシリとイヤな衝撃が走り、天井から新たな砂塵が落ち始めた。
崩壊は、時間の問題だ。
「チッ」
壁をぶち破って、通路の先――――爛れた腕も、火傷したのども、痙攣する足、そこからくる発熱と朦朧とした意識――――何一つ良好な状態はなかったが、魔力のほとんどが封じられた今、たった一つの出入り口に向かってとにかく走るしかない。地下通路の途中まで何とか這い出たまでは良かったが、中庭まで続いていたハズの道が完全に閉ざされていた。崩落はすでに始まっている。不気味な震動とともに、土煙と砂塵に混じって石室の壁という壁が重みに耐えきれずにミシミシと音を立てていた。
――――どうする?!
その時、シェゾの足元に黒猫が飛び出してきた。
「・・・オマエ、無事だったのか」
猫は埋まった出口とは別の方向に跳び、こっちだとでも言うように紅い瞳を一瞬だけシェゾに向けて一声鳴いた。
「そう言えば――――オマエ、前にここに閉じ込められてたもんな」
猫の何を信じたのかシェゾ自身もわからないが、後ろで地下室が完全に崩壊した音を聞き、腹を決めて猫の後を走り出した。 そこは、地下の抜け道のようだった。猫の姿も紅い眼ももう見えないが、崩壊する岩土に混じって鈴の音だけが途切れることなく続いていた。 ―――――薄手のビードロを静かに叩いたような澄んだ音―――――嵐の夜にも、それ以前からもシェゾが度々耳にしていた音だった。
ずいぶん長く――――実際にはもっと短かったかもしれないが――――走った後、真っ暗闇の中で鈴の音がようやく止まった。
「ニャー!」
黒猫が一声鳴くと、闇の一角がガサゴソと動いて、頭上から聞きなれたような声が響いた。
「そこに、誰かいるんですか?」
「ニャー、ニャー!」
「ちょっと、待っていてください。少し離れてて・・・」
外の野郎が、魔法か何かを使ったらしい。俄かにできた地上との小さな隙間から顔を出したのは、なぜかやっぱりレイドだった。
レイドは、すぐさま闇に浮かんだシェゾの顔を見つけて僅かに顔をしかめた。
「・・・ずいぶん、妙なところから出てくるんですね」
「気味が悪いくらい、ちょうどいいところにいてくれたな。悪いが両手ががふさがってる、出口を広げてくれるか」
「いいですよ」ベリベリ、ベキ・・・ッ
考え得るかぎりあり得ない音がして、闇の一角にぽっかりと大きな穴ができた。
意識のないままのセリアを抱えて、シェゾはやっとの思いで地上へ這い出ることができた。この時ばかりはさすがのシェゾも、闇の臭いの染み付く地下にはもう二度と戻りたくない、と本気で考えていた・・・
■ ■ ■
そこは、東の中庭だった。すぐ目と鼻の先に、いつかの朝、迷い込んだあの喧しい食堂の入り口が見えていた。南の離れは西寄りにあるが、気分転換も兼ねて時々こちら側の庭をウロつくことがあったので、かろうじてシェゾも景色を覚えていた。・・・なるほど、あの地下通路は西の中庭と同じく
東の中庭 とも通じていたワケか。西の中庭に同じく、こちら側の入り口にも同じような天使像。ただ、天使像の根元にあるこちら側の出入り口は、完全に像に塞がれていたらしく、天使像は無残にも倒れていた。
「これ、もしかしてオマエが倒したのか?」
何気なく聞いたシェゾだったが、レイドはそこで初めてシェゾの言動を警戒したような素振りを見せた。
「・・・何だ?」
「いえ、・・・・・・やっぱり、まずかったですかね」
「いや、多分・・・どーせこの間の嵐で倒れたことになるんだろうが・・・」
シェゾは、周りの木々がやはり同じように倒れているのを見ようとして、首が回らないんだったことに気づいた。
「くっ」
「すごい格好ですね。大丈夫ですか?」
「・・・ボロボロの相手に向かってよく言うな」
シェゾは爛れた腕をさり気なく隠しながら心外だという顔を作った。が、レイドはケロリと言った。
「貴方じゃありません、セリアさんですよ」
(ノ野郎・・・)
たしかにセリアは外傷こそないが、服の方は見るも無残に泥だらけだった。
先ほど少し妙な様子だったレイドは、セリアに外傷がないことがわかると元の調子に戻った。
「良かった、怪我はないようですね」
ごく自然に、シェゾの肩からセリアを外してレイドはセリアを大事そうに抱き上げていた。セリアと違って心身共にボロボロのシェゾとしては、重荷を受け取ってくれて正直ありがたかった。
「一体、何があったんです」
レイドはいつもの軽い調子で聞いてきたが、シェゾはそこに調子よりは深い意味があるようにしか聞こえなかった。
(・・・そろそろ、という段階では、もうないんだろうな) シェゾは、ぐったりとして動かないセリアをちらと見つつ、なぜかそれでも無気力な言葉しか出てこなかった。
「別に何も。・・・で済まされるわけないか」
「あるわけないでしょう。そんな大怪我をしておいて」
レイドは少し怒ったように言った。シェゾはちらりとレイドの表情を覗き込んだ。――――緑色の、透き通ったようなビードロを思わす不思議な瞳。オレも含めてコイツも多分すでに動き出していたんだろう。その結果起こった、この事件。
この屋敷において今夜の事件は有ってはならないことだった。少なくとも、屋敷の人間を巻き込むべきではなかった。――――オレは、どうしてセリアが巨塔の屋上に現れた時、「部屋へ帰れ」と言わなかったんだろうな。セリアが“支配する糸 ”に支配されていることを知りながら、その糸を切ってセリアを正気に戻し、「今夜はおとなしく寝ていろ」と言う方法もあったのに。
「・・・シェゾさん?」
「魔物がいた」
シェゾは、仕方なく答えた。
「魔物? 地下にですか」
「そうだ」
「・・・・・・。この屋敷に、魔物を飼っているという話は聞きませんがね。まぁ、周りの屋敷には色々いそうですけど」
「・・・そうだな」
シェゾは、レイドの当たり前のような口調が気の利いたジョークであるかのように聞こえて、一瞬だけ小さく笑った。
「だが、その類じゃない。チャチな闇魔術で操られた“人形 ”だった」
レイドは地下の気配を読んだらしい。それに気づいてシェゾは即座に言った。
「・・・言っておくが、ソイツは倒しておいたぞ」
「へぇ?」 その瞬間、レイドがシェゾに見覚えのある表情をした。出会った直後のコイツの表情――――貴方とはゆっくり――――話がしたい――――「さすがですね」
「闇魔術以外で、だがな」
シェゾが何となく付け加えると、途端にレイドの表情はまた曇った。
「・・・・・・マジですか」
「マジだ」
「・・・・・・・・・なぜです?」
「何がだよ」
「だって・・・」
レイドは何か言いたそうにしたが、結局言葉を見つけられなかったらしい。
シェゾは、レイドが何を言いたいかを何となくわかったような気がして、心の隅の方で言ってやった―――――ザマァミロ。
「さて、もうだいぶ遅い。何が起こったかアルベルが聞いたら死ぬほど心配するだろうよ。オレはこのケガだし、幸いコイツが今夜ここにいたことを知っているのは、オレとオマエだけだ。オマエ、コイツを起こさんように部屋まで連れてっといてくれるか。ついでに、コイツには今夜起こったことは全部夢だってことにしといてくれ」
「それは構いませんが・・・貴方はどうするんです?」
「とりあえず部屋へ戻って、朝までジッとしてる。朝、執事辺りに怪我の原因を聞かれたら、夜のうちにテキトーに事故ったことにしておくさ」
「・・・・・・。・・・貴方こそ、上手くやってくださいよ」
レイドは、非常に不安そうな顔をした。・・・ノ野郎、どうせオレはテメェと違って口下手だよ。
セリアを抱え直すと、レイドはシェゾに冷ややかな一瞥をくれて去っていった。「・・・・・・・・・」
誰もいなくなった中庭で、シェゾはいつかの夜にそうしたように――――ばったりと仰向けに倒れて空を見た。空の中央には月が輝き、その不思議な魔力を静かに放っていた。腕はまだ切り刻まれたように傷んだし、喉の火傷も酷いモノだった。口の中に魔法で召喚した氷を含み、ゆっくりと転がす。熱に浮かされた口の中でそれはすぅと滑らかに溶けてゆき――――セリアがいつかカラカラと鳴らしていたドロップの味を思い出させた。だが、それ以上に今の月の魔力は心地よくて――――
魔法陣を介さない月の魔力を、シェゾはずいぶん長い間浴び続けていた。