闇に映る亡霊
セリアが誘ったのは、昨日シェゾが訪れたばかりの例の地下通路だった。
「ここだよ」
セリアが指さすその通路とその先の地下室についてシェゾが覚えていることと言えば、濃い闇の気配とやたら血生臭い部屋の臭いが強烈だったことくらいだ。・・・正直、あまり良い記憶とは言えない。
「こんなところに、勝手に入っていいのかよ」
「大丈夫、誰にもバレたりしないから。ホラ、ここに階段がある。暗くて危ないから気を付けて・・・」
セリアはその先に何があるのか知ってか知らずか、小さな入り口などモノともせずにスルリと中へ入ってしまった。薄明かりひとつない通路にシェゾが下りると、セリアはすでにスタスタと闇の通路を歩きだしていた。仕方なくシェゾも後に続く。
「真っ暗だぞ。オマエ、前見えるのか」
「平気」
声をかけると、幾分かぼんやりとしてはいるがシッカリと筋の通った答えを返してくる。――――暗示のかかった“人形 ”にしては、ずいぶん良くできた人形だな、とシェゾは思った。時々振り返るセリアの瞳が、いつもの空色ではなく影のかかった黒い瞳でなかったら、シェゾはまたいつぞやの夜のようにセリアの暇つぶしに付き合っているような錯覚を起こしていたかもしれない。
そのくらい、セリアの様子は普段通りに近かった。
「聞いてもいいか」
シェゾが聞くと、やはりセリアは歩きながら答えた。
「何?」
「この先に何があるか、オマエは知ってるのか」
「・・・・・・」
意外にもセリアは黙った。セリアがただの暗示にかかった単純な“人形”でしかないなら、「知らないよ」または「わからない」でも全く不思議ではない、とシェゾは思っていたのに、セリアは子どもらしい細い首を僅かにかしげてぼんやりと答えた。
「前に一度来たことがある、と思う。覚えてないけど・・・」
「・・・へぇ?」
シェゾはそんなセリアの様子に、予想していなかった少し不吉な予感を感じた気がした。いや、セリアが自分をこの場所へ導くことについては、シェゾはさほど驚いてたわけではない。
地下室――――というより、屋敷の連中からほぼ忘れ去られているらしい屋外の廃道なんて、暗殺や死体遺棄には格好の場所だと思うし、・・・実際その通りに使われた形跡もある。シェゾは、血生臭い地下室で見つけた日時計のことを忘れてはいなかった。もし、セリアの背後で糸を引いているはずの“指揮者”が“楽器”の力を試すつもりなら、確かにここは打って付けの場所よな、とシェゾは思っていた。屋敷の連中に気づかれにくく、かつ事後処理がしやすい屋敷の敷地内――――つまりここは、シェゾにしろ、“指揮者”にしろ、イチモツを腹に隠さねば動けない
屋敷 の領域ではなく、相手が本音をさらけ出せる“指揮者の領域 ”―――――闇 の領域だ。
ここは、相手にとっても動きやすい場所なのだろうが、それは自分にとっても同じこと。
闇の領域は―――――相手にとって本音をさらけ出せる領域であると同時に―――――シェゾにとっても、正に本分を発揮できる領域だった。だから、――――そこに不吉な予感を感じるのならば、それは予想できる範囲なのであるが・・・しかし、シェゾがこの時感じたのは、――――そういう予想できた予感ではなくて。
「ここ」
不意に、セリアが前方の何もない闇に手を伸ばしたように見えた。
しかし、――――それは間違いだった。
セリアの手の先がフワリと光って、そこには記憶にある通りの石の扉を浮かび上がらせた。血の臭いがやたら記憶に新しい、あの水路に繋がる地下室への扉だった。リーン
鈴の音が聞こえたので振り返ると、僅かな地上の光をその黒い毛に吸収し瞳だけを紅く光らせた黒猫の姿があった。
同時に背後で奇妙な気配がしたのでセリアの方を見ると、扉に手をかけるセリアの姿が二重、三重にぶれたように見えた。まるで、力が幾重にも重なり合ってそれぞれが別の影響を彼に与えようと干渉しているようだった。――――暗示が、かかりきっていないのか? セリアの意識に、魔術が溶けきっていない?
――――たしかにセリアの元々持つ“力”は強大だし、その身には“氷の精霊”なる力をも宿している。そこに、また“暗示”という新たな魔術を侵入させるのは、たしかに――――困難かもしれないが―――――しかしその力のぶれは、もう一度背後で鳴った鈴の音に吸収されたように収まった。収まったのだが―――――
シェゾは、俄かに胸の内にわき起こったさざめきは収まらなかった。何だろう? この予感は。
これは――――この状況なら、自分が感じておかしくない“何者かの思い通りになっているようでオモシロクナイ閉塞感”ではない。その影に、大きく広がってゆく不吉な気配の方に、シェゾは一種の戦慄を感じた気がした。
何者かと誰かの全くリンクしない目論見が、セリアという一人の力ある予測できない子どもの行動が番いになることで、大きく歪んでいっている気がする。シェゾは俄かに、砂上の楼閣に迷い込んだような錯覚を起こしていた。
「シェゾ、早く」
セリアは難なく石の扉を開けると、するりと中へ入っていった。シェゾがセリアを見失ったのは、それが最初であった。
■ ■ ■
一枚板のように単純でない事件は、そろそろリンクしない意思とも様々な絡まりを起こし始めていた。
マリアにとって、今夜ほど忙しい日は無いといって良かったが、やるべきことはきちんとこなしていかなければならない。しかし、計画通り事を運んでいるつもりでも、予想外なことは起こるものだ。
ただ、マリアにとってこれから起こる予想外なできごとに比べれば、この時のアクシデントなど取るに足らない小さな異変に過ぎなかった。そのアクシデントとは、彼女がセリアの部屋に戻る途中、ビックリしたような声でサザンに呼び止められたことだった。
「マリアさん?! どうして、こんなところに居るんですか?! 今夜は、セリアさまの部屋にずっといるって・・・」
一刻も早く部屋まで戻りたかったマリアにとって、その声は少し煩わしかったが無視するわけにもいかない。
仕方なく、マリアは足を止めた。
「そりゃあ、私だって薬を取りに部屋を離れるくらいしますよ。・・・薬品庫の鍵は私しか持っていないのだから、人に頼むこともできないし・・・」
「そ、そう、なん・・・ですけど・・・」
「?」
サザンが、何か複雑そうな表情をしたのでマリアは不思議に思って聞いた。
「何か、あったの?」
「いえ、・・・あの」
彼女の中で、ずいぶん迷ったようだったが、
「セリアさまが、部屋にいないって・・・レイド、さんが」
――――言ってたから。と、サザンはさも自信無さそうに呟いた。
「レイドが?」
マリアは、思わず眉をひそめた。
レイド――――か。たしかに、あの男はただの魔導師にしては不気味な気配を感じるから――――マリアにとって、好きになれない男のひとりではある。だが、露骨にそれを表情に見せるようなことは、マリアはしたくなかった。
「そ、そんなはずない、って私、言ったんです。今日はずっとマリアさんが部屋に居るから、セリアさまがいなくなればマリアさんが気づくはずだって・・・」
「まぁ、サザン、安心して。それなら貴方が正しいわ。部屋にはちゃんと鍵をかけてきたし・・・貴方にはわからないかもしれないけど、あの部屋にはちょっとした仕掛けがしてあるから大丈夫。侵入者がいれば、すぐにわかるようにしてあるの。レイドがセリアさまを連れ出そうとしても、すぐに分かるわよ」
「そうなんですか?」
「ええ、私はこれでも魔導師だから」
マリアは、サザンを安心させるように笑って言った。
「でも、ちょっと気になるわね。・・・レイドはなぜ、そんなことを言ったのかしら。―――サザン、それっていつのこと?」
「うーん、・・・ついさっき、かなぁ? でも、レイドの言うことだから単にでたらめを言ってるだけですよ、きっと!」
「サザン・・・レイドは旦那さまのお客さまですよ? 屋敷のメイドたる貴方が呼び捨てでは、あんまりなんじゃないかしら」
「ご、ごめんなさい」
サザンは慌てて縮こまった。
「私は貴方の教育係じゃないから、厳しいことは言わないけど。でも、これ以上エルダさんに叱られたくないでしょう」
「はい・・・」
「今夜はしっかりと眠ることね。疲れていると、人は判断力を鈍らせるものよ。小さなことでも、自分の不安と結びつけて、有りもしない悪いことを想像してしまうの」
マリアは、レイドの件についてサザンがこれ以上深入りしないように諭すつもりだったのだが、返っていきり立たせてしまったらしい。
サザンは、マリアがレイドのことを言っているんだということを、瞬時に結びつけて叫んでいた。
「疲れてなんかないですッ! 本当に、レイドは怪しいんだもの!!」
マリアは、やれやれという風に肩を落とした。
サザンがレイドについて頑なに不審者扱いするのは、マリアとて理解できないわけではない。マリアとしても、兼ねてよりレイドに良い感情を持っていなかった。魔導師としてのカンもあり、マリアはある意味サザン以上にレイドにただならぬ不気味さと不安を感じていた。
ただ、サザンが自分と違うのは、サザンが単に自分の感情だけでレイドを不審者と決めつけているところだった。
サザンは、マリアがレイドに良い感情を持っていないことに感づいているらしく、コトあるごとにレイドへの不満をマリアにぶつけることが多かった。だが、単に感情に振り回されているだけのサザンのレイドに対する不信感は、マリアにとっては正直邪魔なだけだった。
「今夜だって・・・廊下を歩いてたら、急に呼び止められたんです。あの人のお部屋は図書室の近くだから、おかしいと思ってたけど・・・」
「そう・・・。困った人ね、あの人も」
「マリアさんの部屋の場所を聞いてました! 用があるって! それで、自分はセリアさまの友だちだとか、私を馬鹿にしたような目で見て――――きっと・・・そうだわ、あの人、セリア様の部屋の鍵が欲しいんじゃないかしら! だから、マリアさんの部屋に忍び込んで鍵を探すつもりなのよ!!」
「ホラ、あらぬ想像をしてる。私の部屋の場所を聞いたことと、セリアさまの話は別かもしれないじゃない」
「でも、でも、気を付けてくださいっ! レイドって魔導師、私すっごく怪しいと思うんです! 夜中に、自分の部屋の近く以外をうろつくなんて、マリアさんも怪しいと思うでしょ?!」
興奮するサザンを鎮めるように、マリアは努めて冷静に言った。
「・・・わかりました。レイドについては、あまり夜中に出歩かないよう、旦那さまから言ってもらうように言いますから」
「そんなんじゃダメですよ! マリアさんも言ってたじゃないですか、あの男は薄気味悪い感じがするって! 旦那さまに頼んで、お屋敷から出て行くように言ってもらった方がいいですよ!」
「サザン」
マリアは耐えかねて、今度こそ怒ったようにサザンに言った。
「貴方も知っているはずです。レイドは、旦那さまの大切なお話相手ですよ。長く旅をしてきた彼は、世界の地理はもちろん魔導に関しても、私よりも知っていることが多いくらいで、お屋敷のみんなにもとても好かれています。自分が嫌いだからどこかへ行って、なんて無茶な理屈が通るはずがないでしょう」
「別に、そんなこと言ってな・・・!」
「サザン。・・・貴方は、レイドに悪感情を持ちすぎなの。貴方はセリアさまのご病気を理解しないで彼を苦しめてしまい、その発作を鎮めたのが皮肉にもレイドでしたね」
「!!」
「悔しい気持ちはわからないではないけれど、それでレイドを悪く言ってばかりでは、レイドだけじゃない、周りの人間も傷つくの。何より、・・・貴方には悔しいことだろうけど、セリアさまはレイドを好いてらっしゃるから・・・」
「・・・・・・っ!!」
歯を食いしばるサザンが、何を考えていたのかは知らない。それでも、マリアは無感動に決定的な一言を添えた。
「たしかに、私も貴方と同じでレイドを良く思ってないわ。不気味な感じがするのも、本当。でも、それは私がレイドを嫌いだという感情ではなくて、もっと深い意味でのことなの。どうか、聞き分けて欲しいわ」
サザンがうつむいたまま何も答えなかったので、マリアはそのままその場を離れた。サザンには悪いかもしれないが、マリアには考えなければならないことが多くあった。それこそ、マリアのように感情に任せて結論を出すわけにはいかない―――――もっと冷静に、その結論に結び付けなければならないことが。
彼は、何者なんだろう?
何のためにここに来て、何を目的に動いているのだろう――――――?
階段を数階上がり、角を曲がればセリアの部屋はすぐそこだった。部屋の前で今一度、首にかけたペンダントを手に取って確認する。中にはめ込まれた宝珠は、きちんと淡い紫色を放っていた。大丈夫、今夜仕掛けたこの大がかりな“仕掛け”は問題なく作動している――――自信を持って、マリアは今一度深呼吸した。
ドアのノブに手をかけて、部屋の鍵がちゃんとかかったままであることを確認した。当然、この部屋の“結界”も、問題なく――――「・・・?!」
マリアは、まさかと思って手を戻した。
慌てて鍵を取り出し錠を外すと、弾かれたように扉を開く。――――まさか――――そんなはずはない。
――――部屋を出る時、間違いなく鍵はかけたし――――その間、結界に何の異常もなかったハズ――――!『今晩は、遅かったですねぇ』
部屋の中から、ひどく落ち着いた声をかけられマリアは凍りついた。
中央のベッドに腰かけていたのは、見慣れた本来の部屋の主ではなく――――――当たり前のように冷酷な微笑を浮かべたレイドだった。
■ ■ ■
シェゾはセリアに続いて石の扉をくぐったが、先に入ったハズのセリアはその気配ごと消え失せていた。
中の真っ暗な闇に隠されただけか、それともこの地下室こそがすでに別の空間に繋がる闇の回廊だったのか――――地下室は、一昨日に感じた血生臭ささは全くなく、闇の気配が漂うだけで何もなかった。
――――これほど何も感じないのも、また妙なモノだと思って、シェゾは部屋の中ほどまで進みながら気配を探った。
同時に、背後から囁くような声がした。『動くな』
それは、いつの間にか背後に現れていたセリアの声だったらしい。シェゾは素早く身を翻して彼の眼を見る――――真ッ黒だった瞳に、僅かだが揺らめく影を見た。
―――――セリアではないな。今までのコイツは意識は暗示にかけられても、言葉は彼のモノだった。だが、今のコイツは言葉さえもコイツのモノじゃない。セリアなのは、外見だけか。「オマエは誰だ?」
剣を構えなおして、シェゾは油断なく剣先の“セリアではない何者か”に問いかけた。当然のように“彼”はそれには答えず、その眼は油断なくシェゾを強く睨みつけていた。
『オマエの力を試す。そして、オマエが何者なのかを見極める』
息を飲んでいるヒマはなかった。
瞬間、セリアの足元の影が波打って、一閃幾筋かの闇がシェゾの首と胴を薙いだ。彼の下半身はその場で崩れ落ち、頭部と胴は溶けるように背後の闇へ一瞬に消えた。
『幻影 か』
短く呟くセリアの背後に、闇が音もなく集まっていた。セリアが気配に気づいて振り返るのと同時に、闇の中から凄まじい勢いで剣先が差し出され、それはセリアの喉を容赦なく貫いていた。
「オマエも だろ。・・・本体はどこだ?」
闇の中から姿を現したシェゾは、剣を握ったまま言った。
セリアの幻影はそれには答えず、剣に喉を貫かれたままニヤリと笑った。
次の瞬間、セリアが僅かに顔を上げて、彼の真っ黒な瞳がシェゾの蒼瞳を貫いた。
ドンッ
「――――?!」
シェゾが気づくより一瞬早く、息苦しい地下の閉鎖空間に、突然足元から爆発的な風が発生した。次の瞬間、やたら周りが開けるような感覚がシェゾを襲う。
―――――何だ?!
シェゾは俄かに発生した地揺れに驚き、セリアから目を離した。
目に映る景色がめくるように変わっていく―――――地下室の岩壁は次々とはがれ、外側に淀んだ紺色の空が継ぎ合わさり―――――地面も簡素な地下室の床は粉々に砕け、奥から地割れのひどい赤茶けた大地が出現した。
「!!」
乱暴に空間転移を行った時のような、身体ごと裂けそうな圧倒的な引力にシェゾはあえて逆らわなかった。
『・・・本体はこの空間そのもの。オマエの存在は、今完全に取り入れた。本体を見つけてその“力”を砕かない限り、ここからは出られないよ』
そう言って、セリアの幻影は周りの空間に溶けるようにして消えた。
「チッ、強制転移か」
どうやら、術にハマって地下室とは文字どおり別の空間に移動させられてしまったらしい。おそらく、地下室にあらかじめリンクさせてあった閉鎖空間へ移動させられたのだろう。たぶん、あのセリアの幻影はそのキッカケを起こすための仕掛け の一つ―――――
シェゾは剣を握りなおすと、足が大地を踏みしめていることを確認してから周りの様子を確かめた。
その空間は、すでに地下室ではなかった。闇の力がかすかに溶けるような深紺の空、星も、月も、雲ひとつない――――だが、どこかに淡い光でもあるのか、うすぼんやりと辺りの景色が浮かび上がっている。乾いた赤茶色の大地が空を地平線で割るところまでずっと続いていた。
「・・・なるほど? ここが、その“力を試す”とやらのための舞台というわけか」
幻影はこの空間は、セリア本体そのものだと言ったな。
――――と言うことはこの景色は、セリアの心内情景そのものと言えるのかもしれない。
――――闇の気配が濃いとはいえ――――やはり、完全な闇ではないな。・・・アイツの持つ“力”は、闇ではないが――――強大な魔力にも匹敵しうる“白い光の幻影”―――――ふと、背後に不思議な気配を感じてシェゾは振り返った。
「・・・本?」
山積みされたような本――――絵本だった。赤茶色の大地に無造作に積み上げられ、それらは何か不思議な力でも宿っているかのように青白く光っていた。
いつかの日の光景が思い出される。セリアが図書室で、バサバサと床に落とした絵本の山だ。
―――――へぇ、だとすれば。
気配を感じてそちらを向くと、やはりセリアがそこにいた。
シェゾが気づく以前からそこに居たのだとでもいうように、絵本の山の傍らに虚ろな表情で突っ立っている。手に広げた一冊の絵本を持ったまま、やはり黒い瞳でこちらを見ていた。
シェゾは、剣を構えなおしてその虚ろな瞳を睨みかえした。「・・・
ソレ でどんな風にオレを試すつもりだ? “奏者”さんよ」セリアはやはり答えず、ほんの少しシェゾに微笑んだだけだった。
(本体か? いや、・・・本体だったとしても)
剣を構えたまま、シェゾは落ち着いて考えた。
アイツの幻影は、確かこう言っていた。『本体を見つけて、その“力”を砕かない限り――――』
つまり、本体を斬っても無意味――――その“力の源”――――この空間を作り上げている、セリアの“力”そのものを斬らなければ、この術は破れない。そういうことか・・・?
“力の源”――――この空間にそんなモノがあるとすれば――――差し当たり、あの不気味に光る絵本の山――――ぐらいしか無いよなぁ。
シェゾがそう考えて、絵本にチラリと視線を向けた時だった。不意にセリアが手に取った絵本に向かって何事かを呟いた。「?!」
地が避けるような轟音とともに赤茶色の大地が膨れ上がった。
「・・・なに!?」
足元から次々と舞い上がる岩と一緒にシェゾの身体も勢いよく跳ね上がって強烈な風圧がシェゾを襲った。――――うわ、息ができねぇ!? しかも、口ン中に瓦礫の粒がッッ 気持ち悪っ!! 風に縛られて自由の利かない首を無理やり捩じって顔を上げると、目の前に雲をも貫く巨大な大樹が出現していた。
何だコイツは?!
突然の展開に、一瞬遅れて意識が追い付く。――――なんだ、これは――――セリアが出現させたのかよ?! なんて、考える間も一瞬で、またも地上から凄まじい風が吹いた。また、息ができなくなる。風に任せて中空に投げ出されたシェゾが最終的に着地したのは――――それこそおとぎ話のようで笑っちまうが―――――大樹が突き出た雲の上だった。
「痛って・・・」
雲の上に落ちた衝撃こそないが、瓦礫の中をぶっ飛んできた時の衝撃は正直痛い。頭を押さえながら、シェゾは凄まじく混乱していた。
セリアはオレに、一体何をしろっていうんだ・・・?
思う間もなく、背後に大樹に劣らず巨大な気配を感じたシェゾは、ゆっくりと振り返ってやった。視線の先に、シェゾが見たモノは。
雲の上に、やはり山のようにデカイ巨人がいた。やたらデカイ棍棒みたいなモノを持って、ゆっくりと近づいてくる。巨人の持った巨大な棍棒が目の前で振り上げられるまで数秒くらいあったはずだが、その間シェゾは絶句したまま間抜けにも巨人を見上げたままだった。
「・・・・・・・・・」
本当に、セリアはオレに何をさせたいんだろう?
コイツを倒せと言っているのか?
このまるで文字通り絵本の中から出てきたようなコイツを、絵本の解釈に従って城の宝でも盗んで逃げろってか・・・?じゃっ●と豆の木
そんな“闇の魔導師”としてあまりにもトンチキなタイトルを連想して、シェゾは思わず頭を抱えた。
どういう展開だよ、こりゃ?! あまりにもバカバカしくて、剣を構えようとすら思わない、しかし腰を抜かしている場合でもなかった。
「だぁっ!」
展開は子ども騙しでも怪物の力はホンモノだったらしい。
突然シェゾに振り下ろされた巨人の棍棒は容赦なく雲を薙ぎ払い、雲の大地に巨大な穴をあけていた。・・・当たると、マジで痛そうだな。シェゾは頭を切り替えることにした。
大樹の影へすばやく逃げたシェゾを追うように、巨人は再び棍棒を振り上げた。しかし今度ばかりはシェゾも、振り下ろされる前に剣を構える。
「闇の剣よ・・・斬り裂けッ!」
ただのけん制だ。こんなアホらしい戦いなんかで魔力も体力も無駄遣いしてられるか! 剣圧でできた疾風に巨人がひるんだ隙に、シェゾは素早く雲の陰から飛び出し、大樹を降り始めた。しばらく後に巨人が追って大樹を降りはじめたことを確認して、シェゾは大樹から身を離して一気に自由落下に切り替えた。
見る見るうちに地上が接近してきたが、墜落直前にシェゾは再び剣を構える――――今度は本気だ、行くぜッ
「闇の剣よッ」
――――応!
応える剣に力を合わせて、シェゾは思い切り大樹を薙ぎ払った。
「斬り裂けッッ!!」
ドガァッ
大樹は根元から切り裂かれ、徐々に傾いてゆく。天まで届いていた大樹がバランスを崩し、やがて大地を揺るがす轟音とともに巨人ごと地上に伏した。
・・・・・・ったく。何だったんだ、今のは。――――からかってるつもりなら、今すぐあのセリアをとっ捕まえて――――
「!」
背後に、そのセリアの気配を感じた次の瞬間、目の前の倒れた大樹がぐにゃりと歪んだ。液体のようにしなやかに曲がりくねったかと思うと、ソイツはいきなり激流と化してシェゾを目の前から襲った。
「ぶわっっ?!」
今度は何だ!! 叫ぶこともできない、今度は文字通り息ができない。大樹が化けた激流はまたも本物だった。辺りはたちまちの内に水に呑まれ、シェゾを中心にして巨大な渦潮が出現していた。凄まじい勢いでぐるぐると回る水流に抗う術はない。シェゾは水流がおさまるまで、頭の中で何やってんだオレも! セリアも! と好き勝手に喚いていた。なすすべなく水流にもまれながらシェゾは、たぶんまたセリアが別の絵本を開いたんだろうと、なんとなく結論付けていた。水流に無理矢理導かれた先は、海の底。揺らめく謎に満ちた闇の気配と不気味な死の気配が漂う海の墓場――――地上の光は一切届かない深海を思わせる演出がお見事だ。目の前に、図ったように用意された沈没船――――この場合は、幽霊船と言った方が適当なんだろう。そして、例に漏れずその幽霊船の陰に蠢く不気味な影・・・
「・・・だから何がやりたいんだ、オマエ」
巨大な烏賊の足をくねらせながら、ソレはゆっくりとシェゾの前に姿を現した。
海の魔物クラーケン―――――海賊を次々と海に引きずり込み、海軍提督に打たれたという伝説もあれば、海洋王国の王女を海へ連れ去り王国を脅かしたという伝説もある海の魔物だ。
魔物はやたら長い足をいくつか槍のように持ち上げて――――と、思った瞬間にはそれがシェゾの身体目掛けて爆発を起こした。
「ちっ!」
間髪置かず、シェゾの周囲が次々と爆発を起こす。巨大な身体に似合わず、まるで矢のように足をつき出す魔物の動きは、明らかに視認不能だ。シェゾはそのホトンドを同様の速度で剣を操り弾き返すことしかできなかったが、一方で海の魔物はそれがどんなに巨大なモノでも、水中では凄まじく素早い動きを見せるっていうのはホントなんだな、などと悠長なことを考えていた。
「うわっ!」
魔物の身体が再び頭上で動き、シェゾの頭の上を凄まじい速さで何かが掠めた。間一髪でそれを避けたシェゾの背後で、幽霊船の外販が粉々に崩れた。すばやく飛びのいて海の魔物の弱点である“雷”の呪文を紡ぐと同時に、闇の呪術も紡ぎあげた。
「闇の英霊よ、我が霊焔の盾となれ――――轟け、“雷 ”よ!」サンダーストーム!!
クラーケンだけでなく、闇で完全に存在を隠したシェゾを除いて、周りの全てに雷の轟音が鳴った。バリバリと放電を繰り返すクラーケンは、触手を仰け反らせたかと思うとやがてぐにゃりと溶けるようにして真っ黒な墨と化した。巨大な身体をも真っ黒に焦がし、やがてどろりと溶けて周りの海の水に流れて消えた。その海の水も、雷を含んでやがてその光とともにゆっくりと引いてゆく。
このおとぎ話も、魔物を倒せば終了だったようだ。シェゾは、その時になって自分が全く濡れていなかったことに気づいた。
「で、・・・今度は何だ?」
剣を握りしめたまま、まだ水の中に居るような感覚でシェゾはなんとなく背後を振り返った。セリアの姿は見えなかったが、彼がどこかでまたすでに別の本を手にした気配だけが感じられる。これだけ勝手に絵本の世界を歩かされちゃ、すでにシェゾは何でも来いよ、な心境になっていた。けれど、それはさすがにダメだろう、というおとぎ話をセリアは選んでくれやがったらしい。
「・・・・・・な」
海の水が全て引き、幽霊船が霧のように消えた向こうに現れたのは、誰もが何かの絵本で見たことくらいはありそうな真っ黒なドラゴンだった。・・・ご丁寧に、周りが薄暗闇に広がる深い森で、ドラゴンのさらに背後には真ッ黒な棘薔薇で覆われた城が聳えているのは、一体何の演出かね。
「埒が明かん」
シェゾは、何かやけに遠くの方でドラゴンの雄叫びを聞きながら、今度こそ気が滅入った。たとえその物語を読んだことがなくても容易に想像できるのが嫌だが、たぶんあの棘薔薇で覆われた城の中には、オヒメサマなる“美女 ”がいて、さしずめこのドラゴンを倒せばそのヒロインを救う道が開かれるとかいう、ある意味おとぎ話の王道である。本当に、オレに何をさせたいんだ、セリアのヤツ!! 本当にこれが“暗黒器”の力で作られた舞台なら、なんてことに闇の力を使ってやがるんだ。“暗黒器”は、ガキのおもちゃじゃねぇんだぞ!?
と、延々と嘆きたい気分であったシェゾだが、実際にはそんな暇は一瞬もなかった。先ほどの巨人も魔物もそうだったが、敵は出現すると同時にシェゾの存在を認識しているようで、この目の前に出現した黒竜も明らかにシェゾを攻撃対象にしていた。大きく広げた竜の口腔に凄まじい炎の塊が出現するのを見た時、シェゾのすることは半ば強制的に決まっていた。
「ち・・・っ」
剣を構えたものの、エネルギーの波動がすでにここまでビリビリと届いている。案の定、闇の剣が警告した。
―――――主よ、我だけではもたぬ! 結界を張れ!!
シェゾは弾かれるように“無敵 ”に近い防御壁を紡ぎあげていた。その瞬間、すさまじい勢いで火砕流が完成したての結界に正面からめり込んできた。
「ぐっ・・・!! (舞台はおとぎ話でも――――)ドラゴンの力は、本物かよ!!」
防御壁が不完全だったせいで、シェゾは火炎ごと中空へ弾き飛ばされた。風を制御して背後の棘薔薇に串刺しになる事態は何とか避けたが、その間にも竜は鎌首を器用に伸ばしシェゾへ追加攻撃を放っていた。ちっ、これだけの炎の塊――――無傷で凌ぐのはもう無理か!!
それでもダメージを減らす呪文ぐらいは完成させようと左手で印を切ろうと――――ん? 今気づいたが、左手に何か握っていた――――何だ、これ。
「楯・・・?」
炎の気配を間近に感じて、思わずその楯を炎に突き出していた。
ドゴォン、と凄まじい轟音をたてて炎が楯を直撃する。シェゾは再び仰け反ったがダメージは無かった。どーいうこっちゃ、こりゃ?!
―――――主よ、その楯に精霊の力を感じる。・・・何かに裏打ちされた絶対的な力だ。
「精霊・・・裏打ち?」
次々と攻撃を強いられる中、楯と身のこなしでそれを凌ぎながらシェゾは決定的なことを思い出した。そう言えば、この物語で竜とたたかうのはヒロインを救いだす勇者の役目だ。勇者はここへ向かう途中――――たしか妖精だか精霊だかの力を武器や防具に振ってもらい、この戦闘に挑むんじゃなかったか。
竜の攻撃を凌ぐため、棘薔薇の網目を伝って上へのぼりながらシェゾは闇の剣に問うた。
「闇の剣、・・・まさかとは思うが、オマエなんだかいつもとは違う力をその身に感じたりしてないか?」
剣は、あっさりと答えた。
―――――わかるのか、主よ。その楯と同様、我にも等しく不思議な力を身に感じる。これは、何の力なのかはよくわからないが、どうやら我にかけられたこの力は、攻撃を防ぐためのものではなく、竜を討つためのモノらしい。
「ああ、そうかよ!」
シェゾはそう言いながら、心の中では『バカヤロー!!』とか叫びたい気分になっていた。棘薔薇を登りシェゾがついに竜の頭部より上にでたことで竜が羽ばたきだしたので、・・・叫ばなかったが。
ああ、何が悲しくて天下の闇の魔導師がガキのおとぎ話につき合って、ドラゴン退治を強いられねばならんのだ?! こんな精霊に協力してもらった剣だの楯だの引っさげて、ノコノコ城に出向いて生傷作るなんざ、どっかの某勇者気取りじゃあるまいし!! オレのイメージ返せ!
心で滅茶苦茶なことを叫びながらも、しっかりと巨大なドラゴンとの距離を詰めてゆくところはさすがである。しばらくして、シェゾの囮を兼ねた動きがようやく実を結んだ。シェゾの持つ剣の切っ先がギリギリドラゴンの心臓部に届くところまで、シェゾは接近することができた。すかさず、剣に呪文を紡ぐ。
「闇の剣よッッ!!」
―――――応ッ!
剣の応答と同時にシェゾは棘薔薇の先端を蹴り、
「貫けッッ!!」
竜の心臓をめがけて真っ直ぐに剣を投じた。
ついでなので楯に振られていたよくわからない力も吸収して、剣の呪文に上乗せしといた。それが功を奏したのか、最後に竜が放った真っ黒な炎をも剣はバリケードを作るように炎を弾き返して、竜が仰け反った所を空間を切り裂くような音とともにその心臓を貫いていた。
竜は断末魔の雄叫びをあげて、棘薔薇の森の底へ落ちていった。闇の剣はすぐに見つかった。
別に探さなくても、もう一度シェゾが呼べばすぐに手元へ召喚できるのだが、・・・そんなことをする気力もない。
剣を抱えて肩で息をしながら地面にへばるシェゾをよそに、城を覆っていた棘薔薇が見る見るうちに枯れ落ちて、茨道の向こうに城への入り口が見えた。入口は、竜を倒した勇者を迎え入れるように今にも扉を開きそうな気配を見せている。さぁ、ここから先が物語のハッピーエンドなんですよ、とでも言うように。「・・・って、これじゃ話があべこべだろ!!」
シェゾは城の前で激しく頭を抱えた。
闇の魔導師が、ドラゴンや魔物を倒してヒロインが眠る(?)城へ迎えられてどうするんだっっ!!
本来、闇の魔導師 なんて存在 の方が!・・・・・・物語の最後に倒される――――“招かれざる客”―――――――――
「!」
セリアが、また、別の絵本をとったらしい。いつの間に現れたのか――――シェゾは、視界の端――――城の入り口で、セリアがその本を拾い上げる所を見た。
それは、暗い、闇色の気配がねじ曲がったような黒い絵本。
赤茶けた大地の上に無造作に積み上げられた絵本の山の中で、・・・それだけがひときわ不気味な色で明暗を繰り返していたことを、シェゾはなぜかよく覚えていた。「・・・・・・・・・」
城の入口の前でセリアがまた何ごとか呟く。周りの景色が再び歪んで変わってゆく――――――それは一瞬だけ、屋敷の地下室に戻ってゆくような感じがした。
だが――――
シェゾは再び闇の剣を手に立ち上がった。
ただならぬ気配を感じたのだ。この――――深く、淀んだ――――血の臭いにも似た闇の気配は―――――――――屋敷の――――地下室ではない。
―――――ここは――――あの、遺跡――――あの、地下迷宮―――――「・・・・・・・・・! キ、サマは・・・」
すっかりと闇に包まれた霧の中から現れたのは、―――――穏やかな悪魔の微笑を携えた、史上最凶の悪の象徴。
・・・ルーンとは、魔導を含めた古代の膨大な知識の粋をなす文字のこと――――ロードとは、偉大なる統治者の意―――――
つまり、彼の者が持つ名の意味は―――――「“
古代の叡智を――――支配する者 ”・・・?!」銀糸のような不気味な光沢をもつ長い髪や、死化粧したばかりのような肌の色など、・・・本当に
あの 遺跡の中から蘇ったように、その姿はシェゾの記憶の中のそれを寸分と違わない。亡霊のような、その声も。『お久しぶりですね・・・、未だ咲くこと叶わぬ――――“
神を汚す華やかなる者 ”・・・』それは――――今までの、文字通り本にインクで描いたような魔物とは明らかに別次元体だった。・・・悪魔のようなその緋色の瞳は、シェゾを旧友とも宿敵ともつかぬ淀んだ光で見つめているし、亡霊のようで生気こそないが実体としての気配が痛いほどに突き刺さる。絵本の中の“闇の魔導師”にしては少々出来過ぎたその亡霊は―――――やはり良くできた薄気味悪い笑みでシェゾを迎えた。
「キサマ・・・今更、何の用だ・・・?」
剣を握り直して、声が震え出す前にシェゾは言い切った。亡霊は、瞳を細めてよく知った笑い声を薄く上げた。
『おやおや・・・貴方の喚びかけに応じてこんなところにまで出て来てあげたというのに、ずいぶん手厳しいことですねぇ・・・ふふっ』
「戯言を・・・!!」
シェゾは油断なく亡霊から距離を取り、剣を構えた。
冷やりとした感覚が俄かに背筋を流れていく――――シェゾは思わず舌打ちをした。一瞬にして怯えとも焦りともつかない戦慄が全身を走り抜け、手には汗を握り始めた。魔族を前にした時とは全く別の血腥いオーラが徐々に広がってゆく。それでもシェゾは、亡霊から目を離そうとはしなかった。―――――記憶が灰色に変わるその境で、今なお笑い続ける悪魔の象徴――――それに向き合わなければ、今の自分はない――――シェゾは、常にそう思っている。
「!」
突如、シェゾの周囲が熱水のようにわき上がり、漆黒の火トカゲ が数体とキマイラが現れた。・・・火トカゲはともかく、キマイラとはね。・・・オレがこの屋敷にバイトに来てることを知ってるとでもいうのか? この亡霊。
「ちっ、くだらねぇもん喚び出しやがって・・・」
『んふふふ・・・せっかく久々の再会が果たせたんです。お手並み拝見させていただきますよ・・・』
余裕の亡霊は霧のように姿を隠して、声だけを辺りに響かせていた。
「ふん、即刻まとめて消してやるよ・・・!」
言うが早いが、シェゾは呪文の詠唱に入った。その僅かな間を逃さず、一気に魔物が間合いを詰めてきた。動きの速い火トカゲの一団が、一瞬早くシェゾに迫った。シェゾを襲う瞬間、火トカゲは漆黒の身体を焔色に輝かせて凄まじい炎のエネルギーを放った。
瞬間、シェゾは転移術を放つ。火トカゲが吐いた炎は中空へ逃れたシェゾの足元で連鎖爆裂を起こし、自らの身体まで炎で焼いた。同時に、その巨大なエネルギーがシェゾの構えた剣に吸収される。
「闇の剣よ!」
――――応!!
その瞬間、火トカゲの炎を突き破って目の前にキマイラが飛び込んだ。気づいた時にはすでに鋭い爪がシェゾの額まで迫っていたが、シェゾは一瞬たりとも怯まなかった。
「斬り裂けぇッッ!!」
闇と炎の強烈な爆風がキマイラを薙いだ。霧に隠れた亡霊はその見事な闇と炎の捌きに感心し、その直前まで気付かなかったがシェゾは爆風その勢いのまま、霧の一角に巨大な古代魔導を叩きつけた。「アレイアード!!」
『!!』
「ちっ、・・・外したか」
ようやく地面に着地したシェゾの背後に、真っ黒な霧が集まって亡霊が再び姿を現した。
傷一つ負っていない。だが、気配が若干薄れていた。――――ふん、亡霊は亡霊でしかない。実体はなく、力が集まってそう見せてるだけの幻影にすぎない証拠だ。
亡霊はなおも言う。
『さすがですね・・・火トカゲの放つ炎を吸収し、そのエネルギーでキマイラを撃破・・・その勢いのまま、貴方の十八番 で私までを狙うとは。・・・本来火トカゲは自らの炎でその身を焼くことなどないのに・・・転移の瞬間、彼らの特殊な竜鱗 に“ルアクウォイド”でも、かけましたか』
「答える義務はねぇな」
シェゾは、剣を肩にかけて無感情に言うだけだった。
『さすがは時を経ているだけありますよ、シェゾ。あの時より、ずいぶん闇の力が美しくなった』
「ふん・・・幻影が。ずいぶん知った顔で言ってくれる・・・」
『心底、感心しているのですよ・・・正直、ここまで闇の力を使いこなしてくれるとは思っていませんでしたから。あの頃の貴方は・・・この命運を受け継ぐことに・・・ずいぶん否定的でしたからねぇ・・・! ふふふふっ』
「黙れ、オレは幻影の言葉などに惑わされん。絵本に創り出されたにすぎんキサマごときが、オレの過去を知るような言い方をするな。虫唾が走る・・・!」
青白い顔を醜く歪めて笑う亡霊にシェゾは心底嫌悪し、亡霊以上に感情を歪めて言い放った。
「悪いがキサマの戯言に付き合っているヒマなどない、消えてもらうぞ!」
地を蹴って、今度こそ亡霊の目の前に魔力の波動の中心を据えた。
呪文など紡ぐ必要はなかった。高まる魔力をそのまま亡霊の面に叩きつける。今度こそ亡霊の気配は拡散し、霧の中に消えたかと思われた。今までの魔物であれば、これだけのダメージを与えてやれば、「力」に創り出された舞台そのものが崩壊してゆくはずだった。
しかし、シェゾはすぐに背筋にその冷酷な気配を感じ取った。
・・・一旦拡散した「力」が再構成されてゆく不気味な気配。ふわりと広がった霧が背後に音もなく集まって、先刻と寸分変わらぬ氷のような声が再び聞こえた。『んふふ・・・果たして、戯言をおっしゃっているのはどちらでしょうねぇ・・・』
「!!」
『確かに私は、
彼 の少年によって創り出された幻影に過ぎませんが』一瞬凍りついた足を激し、シェゾは何とか背後を振り返った。
先刻と全く変わらない姿を保ったままの亡霊が、先刻と同じようにシェゾを見下していた。
『彼のような子どもに、このような私の正確な姿を思い描けると思いますか? 私の存在を絵本でしか知らない彼が、ここまで貴方の記憶通りの私を創り上げられるとでも思うのですか? 貴方しか知らないはずの過去を、私がこうして語れるのはなぜでしょう? シェゾ、貴方ならおわかりでしょう? そう、私は』
「黙れ・・・」
シェゾは魔族か悪魔――――彼が心底嫌う相手にしか出さない低い声で唸った。
『私はこの幻影こそ少年の力で創り出された淡い存在でしかないけれど』
「黙れと言ってるんだ!!」『この紛いなき闇の姿や、貴方の運命を決定づけたこの力、・・・貴方の過去・・・それらは、貴方の心の闇がこの幻影に映し出されたものなのですよ・・・?』
『貴方があの遺跡で放った禍々しい炎―――――ほら、貴方は思い出している。覚えているのですね・・・この炎に捲かれて消えたのは・・・私の存在だけではなかったことを―――――』
「闇の剣よ・・・!!」
剣を構えて力を喚んだ――――しかし、この時ばかりは剣は反応しなかった。――――この剣はシェゾが真に必要と確信して喚んだ時に限り力を貸す。今の、ルーンロードに惑わされた迷いある呼びかけでは、闇の剣はおろか精霊でさえ応えてはくれないだろう。
それくらい、シェゾの意識は凍りついていた。心の闇の隙間に染みいってくるような亡霊の声に、何ら抗う術を持ち合わせていなかった。なぜならそれは、ルーンロード自身ではなく、亡霊が言うようにそれは亡霊の姿をした――――彼の心の闇そのものだったからだ。『貴方は、いつまでわからないフリをしているつもりなんでしょうね・・・』
『貴方はもう、わかっているんじゃないですか・・・? 暗黒器を本当は誰が操っているのか・・・誰が真の“指揮者”であるのか・・・そして、その者が貴方に何を望んでいるのかも・・・! んふふふふ・・・私にはわかりますよ、貴方はただわからない振りをしているだけ・・・なぜですか・・・?』
「そんなものはオレは知らん・・・! 知っていたら、さっさと見つけだしてこんな屋敷から飛び出してる・・・! デタラメを抜かすのも・・・大概にしろ!!」
『おかしいですねぇ、知らないはずはないんですよ? この私は貴方の心によって創り出された、いわば貴方の心の闇そのものなんです。貴方の心は今矛盾に満ちている・・・そのわだかまりが彼の作り出す闇の幻影に投影されて、私は貴方に語りかけることになった・・・』
『貴方の望みは何ですか? 貴方はわかっているはずだ、貴方の心の闇によって創り出されたこの私がわかっているのだから、貴方の心はわかっているんです。ただ、貴方が気づかない振りをしているだけ・・・「望み」を偽るから、暗黒器の“指揮者”に気づかない振りをせざるを得ないだけ・・・歪んだ「望み」を持ち続けるから、気づくことにいらぬ恐れを抱いてしまっているだけのこと・・・!!』
『貴方は卑怯だ・・・本当はわかっているのに幻影に過ぎない私などにそれを問わせている、そんなことではダメですよ・・・ふふ、自分の心を偽る前に、怯える前に、自身が真に望むことをよく心に問うてみることです。・・・私が答えるまでもないでしょう? なぜなら、貴方の心はすでにこれほど強く、その「欲望」に満ち溢れているのだから・・・!!』
「ふざけるな! オレはセリアの力など望んでいないっっ!」
『んっふふふふふ!! まだ、そんな戯言を仰る気ですか? そんな戯言ただの逃げの言葉・・・貴方の望みはもっと別のところにある・・・!』
「オレはお前とは違う!! オレは力を選ぶ! あんな魔力でも闇の力でもないモノなど、取るに足らん! 馬鹿にするのも大概にしろ!」
『んふふ・・・その虚勢、いつまで続くことでしょうね? いずれにせよ貴方はこの物語が終わる時、自らの欲望を曝け出すことになるでしょう。この私が言うのもなんですが・・・貴方の望みはそれほどまでに強く、そして・・・美しい。怯えることも偽ることもやめにすれば、心はその望みに忠実に応えてくれる』
『貴方が喚いたり、問いかけたりする相手は私ではない、自らの虚勢に塗れた薄汚い心の方。・・・こんな人形などを使って、その薄汚れた心を“
幻影 ”などに投影する必要はないはずです。だから・・・』不意に亡霊が後ろへ遠のき、霧が薄れたそこに本を持ったまま虚ろな姿でたたずむセリアの姿が浮かび上がった。亡霊は、その微動だにしないセリアの首筋に鋭い刃物のような長い爪を鎌首のようにもたげ、ニヤリとした冷酷な笑みをシェゾに向けた。
「キサマ!!」
『こんな小細工・・・必要ないんですよ!!』
「やめろ!!」
―――――応ッ!!
今度は意識して喚びかけてもいないのに、闇の剣が力強く応えた。剣はそのクリスタルの刃を、先刻の火トカゲのエネルギーを吸収した時の数倍をも上回るエネルギーで満たし、一瞬で目の前の敵を攻撃すること以外の全ての機能を停止させ、殺人鬼と化したシェゾの手に握られていた。
爆発的な脚力で地を蹴ったシェゾは、光速で亡霊の鎌首を薙ぎ払った。
『・・・・・・!!』
声を失い身を仰け反らす亡霊をシェゾは血の気のない見開いた瞳で射抜いていた。
「・・・テメェの時代は、とおに終わってんだよ・・・」
亡霊に突きつけられたシェゾの右手には、緋色に瞬く凄まじいエネルギーが漲っていた。亡霊の幻影だけではない、絵本も、それに描かれた物語も、そこに生じた感情も記憶も思い出も何もかも――――全てを消しさる闇の力がこれ以上ないくらい凝縮されていた。結果的にそれが不必要な力だったとしても、彼はその時、持てる力の全てを叩きつけなければならなかった。
切り開くためではなく、断ち切るために。
自分がそこにいたことを示す、どんな小さな痕跡をも残さないために。「闇の魔導師は―――――オマエじゃない! このオレだ!!」
消滅の瞬間、亡霊がふと瞳を穏やかに閉じたことを、シェゾは殺気に満ちた意識の中でかすかに認識した。
その緋色に染まった闇の奔流は、ルーンロードの幻影を薙ぎ払い、セリアの手に持った闇色の絵本をも消滅させた。その瞬間、セリアがハッと表情を変えてシェゾを見た。
「・・・闇、魔導・・・師・・・さま?」
驚いたことに、声に淀みが全くなかった。シェゾを見据える瞳にも、揺らめく影が消えていた。――――シェゾは、反射的にセリアの幻影が言った言葉を思い出した――――『本体を見つけて、その“力”を砕かない限り――――』
“力の源”――――やはり、絵本がそうだったか!!
そう意識した瞬間、周りの情景の全てが音を立てて崩れ始めた。セリアの持つ絵本が消滅し、「力」による支えを失ったこの舞台が崩壊しようとしている。セリアは操り糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「セリア!」
情景が崩れ落ちると同時に、拡散してゆくあの不気味な闇の気配もまた、徐々に薄れていた。
掠れてゆく亡霊の気配もゆっくりと消え始めていたが、シェゾの耳元で声だけが最後まで鮮明に残っていた。
『んふふ・・・わかっているじゃないですか・・・最後のあの魔術と言葉は、なかなか良い美しさでしたよ・・・あとは、それを誰の前で言ってあげるべきなのか・・・貴方にはもうわかっているはず・・・んふふふふ・・・』「・・・黙れ、外道が!」
『心に偽ることをやめなさい、シェゾ・ウィグィィ。貴方の“
欲望 ”は何ですか・・・? 貴方が心を偽ってまで“指揮者”を拒む理由は何ですか・・・? 今一度、私にではなく貴方の心に問うてみることですよ・・・んっふふふふふふ・・・・・・!!』不気味な笑い声を残しながら、亡霊の気配は完全に消えた。
辺りはすっかり様を変え、シェゾはセリアを抱えてやっとその場所を認識した。・・・セリアに案内された、元の地下室だった。昨日訪れた時と、何ら変わりない。壊れたガーゴイル像から流れ落ちる水音以外は時が止まったようなその闇の空間は、激しい戦闘を終えたばかりの感覚が鮮明なシェゾにとって場違いなまでの違和感があった。
「ふん、・・・終わったか」
気を失ったセリアを壁際に引きずったついでに、自身も適当な壁に身体をもたげた。
非常に――――疲れていた。
身体以上に精神的な疲れを覚えていたシェゾは、ほんの短い時間そこで意識を失っていたかもしれない。