空耳


「・・・さて」

 部屋へ戻り、アイギスが去ると、シェゾはさっさとベッドに寝転んだ。
 ぼんやりとした考え事をする時、シェゾは何処かに寝転ぶクセがあった。
 天井を虚ろに見上げながら、シェゾは先刻 地下室で見つけたノートの内容を、ひとつずつ思い出そうとした。手には、地下室から持ち帰った唯一の物品―――壊れた日時計を握っている。この大きくへしゃげた文字盤は、シェゾを血塗られた地下室へでも、止まったままの10日前の過去にでも、記憶だけならどこへでも飛ばしてくれそうなアイテムだった。

 シェゾは文字盤を眺めつつ、地下室で見た出来事を考えた。

 わかったことはいくつかある。

 ひとつはこの屋敷には、自ら暗黒器の『指揮者コンダクター』を取りすます者がいることだ。それがわかっただけでも、今夜の仕事は大きな収穫を得たと考えていいだろう。・・・同時に、わからないことも増えてしまったことも事実ではあるが。

 ・・・たとえば、この文字盤が示すとおり――――10日前の今頃、あの地下室で明らかに派手な戦闘が行われた形跡があるにもかかわらず――――誰と何が戦ったのか、皆目見当がつかないこととか。

 壁に残されていた大きな爪痕、すさまじい衝撃で半壊していたガーゴイル像―――――一不必要なほど暴走させたような力の気配。・・・一体、あの地下室には何がいたっていうんだ? どれだけ相手に抵抗されたからと言っても、ゴーゴンやサラマンダー程度の魔物が暴れたところでああはならない。少なくともキマイラくらい大型の魔獣か下級魔族が暴走魔術でも駆使しなければ、あの頑丈な石壁に切り裂くような傷は与えられまい――――
 ベッドに寝転がったまま、シェゾはいぶかしんだ。
 腑に落ちないことなら、まだまだあるのだ。
 ――――そもそも、そんな魔獣もどきが屋敷の地下に巣くっていたんだとしたら、オレがこの屋敷に来る以前にアイギスあたりが気づいてるんじゃないのか。アイツはオレがここに来る以前から、ずいぶん長くここを調査していたというし・・・仮にあの女魔族が気づかなかったとしも、翌日にはオレがこの屋敷に来ているわけだから、オレ自身が何かを感じていてもいいと思うのだが―――――今のところ、地下の魔獣については、わからないことだらけだ。

 わからないのは、その魔獣と戦った相手についても同じくだ。戦闘跡を見る限り、かなりの抵抗をしたようで――――リバイアなどの、高度な反魔系の魔法の気配も残っていたから、ずいぶんと手練た魔導師だったと見える――――加えて、地下水路に引っ掛かっていたこの日時計。このことから、あそこで何かと戦った者のイメージとしては、ずいぶん旅慣れた魔導師といったところ。戦闘術もある程度心得ていたと見ていいだろう。
 ―――――日がなのほほんと同じような仕事を繰り返してるだけの屋敷の連中と、あの地下室で魔獣(?)と戦った(らしい)魔導師とのイメージは、全くと言っていいほど重ならない。・・・レイドのヤツくらいか? あんな爪痕でも残せそうな魔獣ともやり合えそうなのは。
 だが、レイドは違う。アイギスの言うとおり、あの血の量では犠牲となった魔導師は、間違いなくそこで命を落としている―――――少なくとも、今のレイドのようにケロリとしているはずがないのだ。
 ・・・だが他に、最近屋敷の中で行方不明になった人間の噂など聞かないし、――――となると、地下室は外の水路とも繋がっているようだったし、犠牲になったのはやはり外部からの侵入者と考えるのが妥当だろうか。例えば、暗黒器を狙ったどこぞの魔導師が地下からの侵入を試み、見事に失敗―――――とか?

「・・・なんか、ピンと来ねぇんだよな」

 腑に落ちない、もやもやとした気持ちのままシェゾはぼやいた。
 手掛かりを求めてもう一度、止まった日時計の文字盤に記憶を足して、10日前の自分の記憶を少しでも蘇らせようと努力する。
 10日前、それは自分が塔へ呼び出された日でもあり、この屋敷では暗黒器がその活動に変化をつけた時期でもある。その翌日に、自分は屋敷に赴いて・・・このタイミングであの惨劇。―――偶然で片づけてしまいたくない何かがあるのに。

(――――そう言えば、あのメガネ野郎と顔を合わせたのも、その頃なんだよな・・・)

 ふと感じた違和感が、シェゾに意外なことを思い出させた。あの場所は――――
 たしか、屋敷に着いた日の夜――――真夜中の―――中庭・・・西の「中庭」?

「・・・・・・・・・地下室の正面」

 シェゾは、「あ”」、と思わずつぶやいていた。今思えば――――妙なもので、あの夜――――中庭でスッ転んで機嫌が最悪だったシェゾの前に突然現れたレイドは、あの隠れた地下室への入り口の丁度その前に立っていた。あの立ち位置は――――入口の目印になっている、天使像のすぐ脇だ。

(――――まさか)

 直後に「いや」と呟いて、シェゾはこんがらがってきた頭をかきむしるようにして、欠けたメガネついて考えるのをとりあえず止めた。
 ここにきて、シェゾはレイドのことについてあれこれ深く考えるのは時間の無駄であることを徐々に悟りつつある。シェゾのカンが正しければ、彼はただの魔導師ではない。だが、それだけに今回の事件とは、かなり単純な形でしか関わっていないことに、シェゾはある種の確信を持っていたのだ。

 ――――違う。
 当然、そうじゃない。
 事件の核となるのは―――――レイドではない――――もっと―――別の――――、例えば・・・地下室のあの惨劇でさえ、この物語のサイドメニューでしかないのだろう。
 ―――――オレが目を向けるべきは、あの魔王がよく見てみろとウザいくらい煩いその“謎”は――――

 

 

 シェゾは、そろそろ夢うつつになりかけてきた意識を自覚しつつ、もう一度だけ意識を思考に集中させた。意識を保った状態で考え事をできるのは、おそらくこれが最後だろう。睡魔がもうベッドを伝ってまぶたのすぐそばまで来ていた。

 とにかくよく注目しなけばならないのは、あの目立つ惨劇の様子ではなくて、わざわざアイギスが時を歪めて見せたあのノートの記述の方なのだ。

 そうだ――――ノートの持ち主は記述の中で、自らを『指揮者コンダクター』と称し、問題の暗黒器『地獄の楽器ヘルハープ』を操る者として位置づけているようだった。・・・・・・それだけならまだ単純で済んだのだろうが、ノートは、『指揮者コンダクター』・『暗黒器』とは別に、その力と直接接触・共鳴している別の“力”があるらしいことを示唆していた。
 シェゾが気になったのは、その一文である。

 文面によると、『地獄の楽器ヘルハープ』を奏でるためには、もう一つの別の“媒介アイテム”が必要だったという。どんなアイテムなのかは文面からは読み取れなかったが、―――――『指揮者コンダクター』はその必要な“媒介アイテム”のことを、『奏者』と記していた―――――
 『指揮者コンダクター』の指揮に従い、『地獄の楽器ヘルハープ』を譜面通りに奏でる『奏者アイテム』。この3者の関係がうまく成り立つことを、『指揮者コンダクター』は理想としていたらしい―――――
 なるほど、構図としては確かにあのノートの言うとおり、ちょっとした『演奏会コンサート』といったところ。『指揮者コンダクター』、『奏者』、『楽器ハープ』、この3者の力それぞれがうまく共鳴することで―――――『地獄の楽器ヘルハープ』は本来の力を発動させ、闇の歌声を奏でられるということか。

 鬱陶しい眠気や考えを振り払うように、シェゾはゆっくりと寝返りを打った。

(・・・クソ、それが本当だとすれば、―――――厄介だ・・・)

 それが本当なら、『指揮者コンダクター』、『地獄の楽器ヘルハープ』の存在だけでも十分厄介だというのに、それ以外に、まだそんな厄介な力を持ったアイテムがこの屋敷に存在するということになってしまう。魔王がそれを知ったら、否応もなくそれも回収しろと喚きだすに違いない―――――『暗黒器』の方でさえ、未だその存在も不明確なのに、そっちの『奏者』まで手を回せと言われたら、今度こそお手上げだ。こっちに関しては、今やもう燃えてしまって存在しないノートにその名が書かれていただけで、他に何の手がかりもないのだから。

 ・・・いや、そもそもこんな曰くあり気なガラクタばかりが転がるこの特殊な屋敷で、1週間あまりで見たこともない『暗黒器』だとか『別のアイテム』だとかに見当をつけることそれ自体が、雲をつかむような話ではないか・・・・・・

 そこまで考えて、シェゾは目を閉じたまま、億劫だったが少しだけ首をかしげた。

(・・・・・・・・・)

 ・・・理屈では、確かにそうなるのだが・・・。

 シェゾは頭の中で整理した理屈ほど、事はそう難しくないような気がしてならなかった。
 妙なこともあるもので、『暗黒器』には全く心当たりはないのに――――、まして『奏者』は『暗黒器』以上になんの手がかりもないはずなのに――――
 その奇妙な懸念を振り払おうと、シェゾはもう一度寝返りを打ったが、その妙な感覚は全く消えなかった。
 気になる物語の核心は、レイドの動向ではなくて――――まさにそこなのだ。理屈ではない、直感だけがそう訴えている。

(――――――オレは、『奏者』の存在を知っている気がする)

 『暗黒器』――――単独でも厄介だが、さらにそれを発動させるための特殊な『物質アイテム』―――『媒介』『力の源』。何度思い返してみても、そんな物質・・に心当たりは全くない。そもそも、そんな都合のいい?厄介なモノが、ゴロゴロと屋敷に転がっていていいはずがないだろう。
 ・・・なのに、そんな都合のいいモノの存在を、自分はずいぶん以前から知っている気がするのだ。

 それは、先刻―――――行き過ぎた直感がそうだったように―――――“当たっていて欲しくない”心当たり――――確信に変わりかけたあの時の感覚がまた蘇った。

 ―――――― ま さ か ?

 

 シェゾはすでに閉じてしまっていたまぶたの裏に、もう一度だけ『指揮者コンダクター』、『楽器ハープ』、そしてそれを奏でる『奏者』の3者を思い描いた。そのイメージは、少しだけ先刻とは異なっていて――――
 『奏者』――――『暗黒器を発動させるために必要な物質アイテム』――――物質アイテム? いや――――『奏者』―――楽器を奏でる者――――「者」――――――

 ――――――・・・人?

 イメージの中で、『奏者』がその赤い弦に指を伸ばして小さく弾くと、ハープは鈴の音のような音をたてた。その澄んだ音は、シェゾも何度か耳にしたことがある、あの声だった。――――透き通ったセイレーンの歌声のように、強制はしない―――ただ自分に誘いかけるような闇からの―――喚び声――――

 自分の大いなる“闇”に、掠めるように干渉する静寂な“力”―――――

 

(・・・・・・そう言えば・・・)

 シェゾは、また意識の奥から聞こえ始めた唄を聞き流しつつ、新たな事実に気付き始めていた。

 ―――――そもそも、なぜ『指揮者コンダクター』は、自ら『楽器ハープ』を奏でない? 自分のモノだろう、チャチな研究日誌まで残しておいて。普通、そこまで暗黒器の力を欲するなら、自らの「力」で楽器を奏でようと思うのが普通じゃないか?

 なぜ、暗黒器を発動させるために『別の物質アイテム』なんかを利用するんだ? ・・・面倒な。

 自分でしない? いや、―――――自分でできない? 暗黒器を発動させるだけの――――それだけの「力」を『指揮者ソイツ』は持たない・・・・・・?

 沈みかけた意識は、さまざまな記憶をシェゾの脳裏に流し込み始めた。必要な記憶と不必要な記憶が、次第にシェゾの中で混濁してゆく。半ば夢現な状態で、シェゾは浮かんでは消えてゆく記憶の欠片に唄とともに問いかけ続けた。

 空の器をもつ者もいるのだ。

 「力」を持つ器が、その「力」を使う方法を知らなくても―――――それ以外の“何者か”が、その方法を知っていれば

(・・・・・・・・・)

 「力」がないから・・・だから、暗黒器に共鳴できるだけの「力」を持つ別の『何か』を利用しているということか・・・?

 ならばそれは何の・・・・・・誰の・・力・・・?

 意識が薄れて、ようやく無意識が記憶の隙間から顔を覗かせた。
 混濁した無意識の中でも、その「力」は強く印象に残っていた。孤独と絶望に苛まれながらも、それでも希望を掻き消さない彼の自由で真っ白な「力」は、焦がれるほどに欲しいと望む大きな可能性を持つ誰かの「光」の残像のようで、シェゾの記憶の奥底に深く刻み込まれていた。

 

 指揮者コンダクターの傍で『楽器ハープ』を奏で続ける小さな手のひら。お前のその「力」は、時に荒々しい嵐のようで、時に氷の精霊の願いのように、孤独で寂しい。

 そうだ――――――オレは、「お前」を知っている。暗黒器を支配できるほどの『力を持つ者』を知っている―――――

 それこそ、あいつの力は―――――暗黒器に刺激を与えるに充分な――――だがそれだけの力を持ちながら、器は未熟で警戒心のカケラもない―――――
 器がもろく、中身がただ巨大なだけの「力」なんて、力を欲する者相手に“手を出して下さい”と言っているようなもので――――――

 「力」を持たぬ“何者か”が、「力」を喚び寄せることのできる何らかの魔導器アイテムを使うことで、もろい器の「中身」に何らかの形で干渉できると考えれば―――――  

 

 根拠はない。あの唄が、本当に闇からの声なのか。あの唄を奏でるのが、本当にあいつの「力」によるものなのか――――――

 だが、塔で魔王が、何か言っていた。
 ――――お前のようなヤツヤつが――――いいちばん狙われわれやすい

 待てよ? オレは今何か思い出しかけている。魔王は、どんなヤツが、「狙われやすい」と言っていた・・・?

 シェゾの記憶のあちこちから、魔王の色んな言葉が次々と溢れて出ていた。

 ――――お前も気をつけろよ ギャルにモテモテ セルシウスはなぜ人の領域に にんげんというものは時に魔族をかーばんくるちゃーん恐れさせ 空の肉体を持つ者もいるのだ 所詮は人間・・・める力を砕けぬならば器を破壊すれば

 

 ・・・・・・頭の中に怒涛の如くさまざまな記憶が交錯し、いつの間にか、シェゾはそのまま浅い眠りに落ちていた。

 

■      ■      ■ 

 

 夢を見る。

 懐かしくて悲しいけれど、それを冷静に冷徹に見つめる自分。自分自身の意思と手で絶った道。二度と帰らないと誓ったからこその結果。自分がもう帰ってはいけないところ、もう二度と踏み入れることの出来ない世界。
 物語の“語り手”は、あの日、自分に問うたのだろう。『悪者になってみないか』と。

 そしてあの時、自分は剣を抜いた。“語り手”の意思に応えた、『悪者になってやろうじゃないか』と。だから、もうそこにいてはならない。自分は、自分の意思で元の世界との繋がりを断ったのだから、そこに居ることができなくなった。自らが選んだ道だから、だからこそ運命は受け入れなければならないとは思う。

 しかし。

 そこいてはならない自分という存在がいる一方で、そこにいなければならない存在もいる。シェゾはそう思っている。たとえば。“語り手”が決して選ばない、問いかけさえしない存在。―――――たとえば、

 道を外した魔族や魔導師が彷徨うこの“世界”の存在にすら気づかず、まして「魔導の真意」をも知らぬ者。魔導とは本来何であるかなど、禁忌に触れたことのない、まして知ろうともしない者。力に、“光”だの“闇”だのの区別をつけず、全てを不思議な“力”として持ち続ける純真な“向こうの世界”のエネルギー。

 彼らは世界の環の中で生まれ、動き、永遠に彷徨う必要など無い。女神の加護を受ける者。引きずり込んではならない一番の存在。
 それが――――――それが、たとえば、セリアだった。

 自分の記憶の中で、昔の誰かが叫んでいる。暗いどこかの遺跡の奥で、銀色の悪魔を前にしながら。

 お前はダメだ。絶対にダメだ。お前は、この世界へ来てはならない。絶対に、来させない。引きずり込まないし、絶対に巻き込まない。
 オレという存在に魅入られるのは、決して耳を傾けてはならない“語り手”の声を聴き、応え、自らの意思でこの世界へ足を踏み入れた愚か者だけで充分だ。

 地下室で見た、惨劇の一部がシェゾの記憶の中で蘇った。誰かが、あの場所で血を流した。何か魔獣の爪に腕をもがれ、牙に貫かれ―――――闇に魅入られた者の運命を、あの部屋は不気味に語っているようだった。
 光で溢れていたはずのこの屋敷に、あのような闇の力が充満する場所があってはならないはずなのに―――――そこに在って当たり前のようにあの部屋は存在した。

 あの部屋は、何を待っているのだろう―――――次は、誰を招き入れ、誰の血で壁を黒く染める気なのか。
 暗黒器がこの屋敷で活動する限り、あの部屋は次の血を求め続けるような気がした。
 何者かコンダクターかが、暗黒器ハープの力を操る限り―――――

 思い出されるのは、あの部屋でアイツの放った炎に巻かれ、灰に汚れた白い鳥。
 炎の中で、白い鳥は歌を歌っていた。アイツが奏でる炎という名の奏に合わせて、―――――悲しい歌を。罪のない者すらを、闇の淵へ誘うように。
 そして、羽根の汚れた鳥が誘う闇の淵からは、あの「剣」の淀んだ“声”が聞こえた。

 ――――――主よ、この少年は危険だ・・・他に力を利用される恐れがある・・・。力を奪い・・・我らが闇の糧にせよ・・・

「・・・やかましい」

 浅い眠りの中で呟いてみたが、剣の気配は微弱にもしない。―――――シェゾの空耳だった。

 

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