利用する者


 10日目


 翌日の昼過ぎに、シェゾはレイエに戻った。
 レイエは、初めて訪れた時とは打って変わった、どんよりとした曇り空だった。
 シェゾは、つい9日前にアイギスと共に馬車を使って移動した道のりを、のんびりと歩いて屋敷へ向かった。夏のレイエには珍しく、真昼だというのに日差しは灰色の雲に遮られて弱い。街外れの丘に立つ屋敷も、初めてここを訪れた時と、随分雰囲気が違っていた。

 ・・・・・・一昨日の大嵐のせいで、庭の木々が葉を全て落としていた。風と柔らかな日差しを受けて眩い光を反射させて見えた梢が、今はシンと暗く静まり返っている。キレイな芝生で覆われていた地面は倒れた木々や風にあちこちが傷つけられて、無様な赤土を露呈していた。異様なまでの無気力と無音。
 たった1度の嵐が、屋敷の全てから生気を抜きとっていったようだった。
 シェゾは、散乱するガレキと濡れた路を踏みつけながら、屋敷の外門の前に立った。

 あの日。つい数日前、この場所から見えた白い屋敷は、雲ひとつない青空の下にあり、それは真っ白な翼を左右に広げて今にも飛び立ちそうな鳥に見えた。

 今日の日のそれはどうだろう。

 あの日の洋館を、記憶のどこかに焼きつけていたシェゾは、思わず足を止めていた。

 眩いばかりの白色は、乱暴な嵐によって薄汚れた灰色に変わっている。そこに在るのは、暗い濃い霧の中に佇む不気味な洋館。その左右に伸びた両棟は、さながら冥界の使者ゴーストが死者を導くために伸ばした腕のようで、ゴーストの白い衣装の裾にぽっかりと開いた屋敷の入口は、冥界への扉のようだった。

(いつの間に、こうなったんだろうな・・・?)

 屋敷見上げ、その幽霊屋敷か何かのような建物に、シェゾは、数日前には微塵も感じ取れなかった暗黒召喚器の存在を強く感じ取っていた。
 闇はすぐそこまで迫っている。
 「彼」は、その存在を主張するかのように、屋敷を闇で彩り、自らも強い「力」で着飾って、更なる闇を迎えようとしているのだ―――――「彼」は、自分の存在を歓迎するだろうか。現世でただひとり、闇の魔導師である自分。
 少なくとも、拒みはしないのだろう―――――シェゾは根拠抜きに、ただそう思った。

 白いゴーストは、闇の魔導師を迎えるように裾を広げて、何の違和感もなくシェゾを屋敷へ招き入れた。

 

 

 

 屋敷の敷居を踏み込む時、急に屋敷を空けたことで、仕事に不都合なことが起こっているかもしれない、と一瞬だけ考えたシェゾだったが、それは杞憂だった。
「昨日は、いつものお屋敷の仕事が一切中止でしたよ」
 レイドがケロリと答えた。アトリエの奥の部屋では、ウィリアムどころかチャーとかリーまでもが、げっそりとした様子で床に転がっていた。・・・何事か。
「外回りの者は、嵐で中止になったお祭りの後始末。屋敷に残った者は、庭掃除に始まり、一時避難に訪れた街の人々への食事の提供。ウィリアムさんたちも、テントの設置や庭で倒れた彫刻の修理や処理に追われて、屋敷の中の方が嵐みたいだったんですよね」
 レイドのケロケロした言葉に、ウィリアムが奥の部屋からしわくちゃの顔だけ出して、ウンウンと頷いた。チャーリーとリーマスはともかく、このしなびた老人レタスまでコキ使われるとは・・・気の毒に、本当に死にかけている。合唱。
「おまけに祭りの夜にセリアさん、大熱を出したでしょう。そのことでも、結構バタついて」
 ハタとして、シェゾはレイドに聞いた。
「そうだ、セリアはあの後どうだった」
 嵐の夜、セリアを屋敷に届けた後、シェゾはセリアに会っていなかった。
「昨日はずいぶん大変な体調だったんですけど、今は大丈夫みたいですよ。朝食にゼリーを食べてました」
「朝食に出てきたのか」
「何がです? ゼリー?」
違うッッ セリアが食堂まで出てきたのかと聞いとるんだっ」
「ああ。ええ、珍しく。・・・そうそう、シェゾさんがいないことに散々ブーたれてましたね。貴方が休暇を取ってること、知らなかったらしくて」
「・・・・・・ふん。そりゃ、あいにくなことをしたな」
 シェゾは少し安心した。
 あの嵐の夜以来、なぜか闇の中にひとり佇むセリアばかりが思い出されて、落ち着かなかったのだ。
 強い力で召喚されたあの大嵐。・・・あの嵐とセリアに何の関係もなければいい。
「で、なんでお前はそんなにケロリとしてるんだ」
 奥の部屋から聞こえる呻き声に、シェゾは思い出したように聞いた。昨日屋敷がひっくり返ったような大騒ぎだったのなら、レイドもウィリアムたちのようになっているはずだった。
 レイドは、少しだけ困ったような顔になった。
「私は、この屋敷での身分は一応客人ですから。手伝おうとしたところで、屋敷の勝手をよく知ってるわけじゃないですし・・・」
「・・・・・・・・・」
 屋敷の内外で何が起ころうとマイペースな、いつものレイドだ。淡白な口調も変わらない。
 色素の薄い髪をボサボサのまま放っておくのも、相変わらずのことだった。
(ん・・・?)
 シェゾは、レイドのそのボサボサの髪とその貫けるような氷の色を、一瞬、屋敷・・・というか、レイエ以外のどこかで見たような気がした。
 ――――?
 ――――どこだ?
 過去に、コイツと何処かで会っただろうか?
 シェゾはしばらく考えてみたが、やはりその場所を思い出すことが出来なかった。
 レイドは言った。
「そういうわけで、今日はウィリアムさんたち抜きで仕事するしかないですね。・・・まぁ、ホトンドの化石は昨日までに彼らが磨き終えてくれていますから、あとはその化石を詳しく分析して、鑑定書を作成するだけ。そうすれば、最後の骨格を復元させる大仕事が楽になりますよ。分析だけでも、今週中に2人でやってしまいましょう」
「・・・なんでお前が仕切ってるんだ」
 やたら張り切るレイドに、シェゾは嫌味半分で釘を刺しておいた。
 尤も、立場上の現場責任者であるシェゾに、現場を仕切るつもりは毛頭なかったので、シェゾも悪い気はしなかったが。マイペースなレイドには、やはりシェゾのぼやきは聞こえなかったらしく、さっさとウィリアムが磨き上げた化石の取り出し作業にかかっていた。
 鑑定作業は、嵐で役に立たない助手を数名排除しただけで、あとは滞りなく順調に進んだ。

 

■      ■      ■

 

 仕事の合間を見て、レイドに誘われるままシェゾはセリアの部屋を訪れていた。
「お帰り、シェゾ。昨日はどこ行ってたの」
 扉を開けた途端、目に入ったのは――――ベッドの上で、不機嫌極まりない顔でブーたれるセリアだった。
 なんかこの光景、前にも見たよな・・・などと、関係ないことは置いといて。
 嵐の夜の生気のないセリアを記憶に焼き付けていたシェゾは、少し唖然とした。
(・・・・・・考えすぎだったか?)
 あの嵐の夜以来、セリアの“力”が何らかの形で暗黒器と関わっているのではないかと、少なからず窺うつもりだったシェゾは、少し拍子抜けしてしまった。
 セリアは、初めて会った時の彼と全く同じ、ただの人の子だった。
 自分のように、闇を纏う気配など、あるいは闇に利用される気配など、微塵にも感じられない。
「・・・・・・」
 ――――直感が、多少鈍っているらしい。
 レイエには珍しい雨模様、異様な熱気に包まれた祭り、嵐の夜。確かにここのところ、自分の感覚を鈍らせることが立て続いていた。狂った自分の調子を整える意味で、一度あの街へ戻ったつもりだったが感覚を取り戻し切れていなかったようだ。
 けれど、単純に強い“力”を持つセリアを前にして、ようやくシェゾは普段の感覚を取り戻せたような気がした。
「何をボーっとしてるの」
「お前は何を怒ってるんだか、と思ってな」
 シェゾはそれだけ言って、あとはテキトーに答えることにした。
「怒ってないよ」
「・・・ウソつけ」
 少し遅れて、レイドが部屋に入って来た。
「こんにちは、セリアさん。調子はどうですか」
「・・・・・・」
 セリアが一瞬だけ、レイドに妙な目を向けたようにシェゾは思った。
 何かを窺うような、不審な点を探るような目を向けて黙っている。
「・・・?」
 セリアが、何も答えようとしなかったので、レイドの言葉は不自然に宙に浮いてしまった。
「悪くないみたいですね」
 レイドは気にした様子なく、ニコリと笑ってそう言った。
(・・・なんかヘンな空気だな)
 そう思った視線の先で、たまたま赤いリボンが目に付いた。セリアの手首に巻きついた、古ぼけたリボンだ。
 何か話題が欲しい空気だったので、シェゾはできるだけ自然に言った。
「お前は、そのリボンを外したことがないな」
「ん?」
 セリアはあえてレイドを無視した風でもなく、どちらかというとハッと我に返ったようにシェゾの方へ振り返った。
「その腕のだよ。菓子屋の前で会った時も、お前はそれを巻いてた」
 シェゾは、それを言いながら思い出していた。ドロップを掴む細い手の付け根で、小さなリボンが揺れていた。あの時は、外の光を強く浴びていたから気づかなかったが、改めてよく見るとそれはあちこちが擦り切れたかなり古いものだ。鮮やかな赤色に見えた色も、よく見ると埃が絡み付いて黒ずんでいる。
 ・・・・・・アクセサリにしては、えらく地味だな。
 シェゾの無言の感想を、セリアはいつものように『聞き』とったのかもしれない。
「これは」
と、セリアはわかったような顔で勿体付けて言った。
「おまじないのリボンだから」
まじない?」
「知らない? 赤いリボンのおまじない」
 そう聞かれても、呪いや魔術の類になら詳しいシェゾであったが、所詮は子供だましの“オマジナイ”の領域になると、てんでサッパリだった。
「お前は知っているか?」
 何となく、シェゾはレイドに話を振った。意外なことに、レイドはサラサラとそれに答えてくれやがった。
「噂くらいは。たしか、自分の腕を巻けるくらいの赤いリボンを用意して、願いを念じながら腕に巻く。そうして、いずれリボンが自然に切れた時、・・・願いが叶うとか」
「そう、それ」
 セリアはごく自然に相槌を打った。
 ・・・これでは、自分がまるで無知のようではないか。
「たしか、願いごとは秘密にしなければならないんでしたよね」
「よく知ってるね」
「子どもの“まじない”には、面白いものが多いですから。過去に、色々調べたことがあるんです。地方によって、色んなモノがあるんですよ」
「へぇ〜」
 “オマジナイ”に興味の無いシェゾは、すっかりセリアに無視された。
 セリアの興味は、すでにレイドの話に移ったようだ。
(・・・オレがここに来る必要、なかったな)
 シェゾは、なぜレイドに言われるまま、この部屋まで来たのかをすでに忘れていた。
 嵐の夜、雨の中でうずくまっていた少年の姿が、頭から離れなかったことが理由のひとつだったが、実際会ってみれば、セリアは相変わらずの小生意気な少年でしかなかった。
「まじない、ねぇ・・・」
 願いが叶うリボン、か。レイドにつっかかるセリアをヨソに、シェゾはセリアの腕に絡まるリボンを改めて見つめた。

 遊びの延長でしかない“まじない”の類に夢中になるセリアは、ただの子どもだ。“オマジナイ”なんて、子どもの勝手な噂に過ぎないのだろうが、そこに彼の強い願いが託されているのは事実なのだろう。
 セリアの場合、託された願いとは何かくらい、想像がつく。
 今は元気そうに見えても、セリアの身体には「氷の精霊」が今も巣食っているはずだった。
 彼の願いが在るとすれば、病の治癒、それ以外に考えられなかった。

 ・・・・・・そう言えば、そうだった。
 セリアは、魔導師でも魔術師でもない―――――だから、初めから疑う必要などなかったはずだ。
 自分の望みをかなえるためには、子供だましの“オマジナイ”に頼ることしか出来ない無力な少年に過ぎない。ただ純粋にリボンに病の治癒を願う少年に、嵐を呼べるだけの「力」はあっても、召喚する方法を知るはずがなくて―――――
 たとえ、この屋敷のどこかに嵐を召喚できうる物質アイテムがあったとしても、初めからこの少年はそれを使えるだけの“器”にないのだ―――――彼は、そう―――“器”のもろい―――子どもでしかないのだから―――――

(・・・・・・・・・)

 だが、リボンを見つめながらシェゾは何となく気付いてもいた。

 「力」を持つ器が、その「力」を使う方法を知らなくても―――――それ以外の“何者か”が、その方法を知っていれば?

 「力」を持たぬ“何者か”が、「力」を喚び寄せることのできる何らかの魔導器アイテム使うことで、もろい器の「中身」に何らかの形で干渉できると考えれば―――――

 ―――――あの夜の、“喚び声”

 ―――――強い力に、まとわりつくように誘い唄った、あの唄は

 

『“空の肉体を持つ者”もいるのだ』

 

 それは、誰の言葉だっただろう。空の肉体を持つ者でも、力を持つ者を利用することで、巨大な魔術を作り上げることも出来るのではなかったか。闇を喚ぶことも可能かもしれない―――――

 

 シェゾが取り留めのないことを考えている間、レイドはずっと“まじない”の話を続けていた。

 マリアが心配そうに部屋を覗きに来たので、シェゾとレイドはそれを期に部屋を出た。
 ずいぶん部屋に長居してしまったらしい。すでに夕方近くになっていた。これから仕事に戻っても、大した仕事は出来ないと判断して、シェゾとレイドはすでに部屋へ戻ろうとしていた。

「元気そうで良かったです」
と、レイドは嬉しそうに言った。

「気になるのか?」
 ある程度、レイドの考え方を読めてきたシェゾは、ニヤリとした表情をレイドに向けた。
 レイドもまた同じような笑顔を貼り付けて、謎めいたことを言う。

「それは、もう。彼は、私にとって大事な人なんですよ・・・」

 氷の魔術が得意な彼。闇の気配をも容易に見抜けるほどの優秀な魔導師であるという。
 だがシェゾは、すでに彼のそんな肩書きの全てが真実だとは思っていなかった。

 シェゾは、レイドというひとりの魔導師に、この事件の解決へ導く、ひとつの糸口を見つけていた。
 それは、決定的な解決には結びつかないかもしれないが、少なくともいずれ自分が暗黒器の正体を暴く時、余計な情報の削除には大いに役立つはずだった。

「では、シェゾさん。また明日」

 夕方だというのに、すでに闇が肩に落ちたように暗い廊下でのレイドの言葉は、ひどく魔的ですらあった。
 しかし、その人間離れした彼の様子が、シェゾにある種の核心を持たせることになっていることに、レイド自身は気づいていたのだろうか。

 残念ながら、直感力の鋭いシェゾにも、それはさすがにわからなかった。

 

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