嵐の影で


 軽い祭り見物のつもりで屋台が並ぶメインストリートに出たシェゾは、街の熱気に少なからず驚いた。
 レイエの街は、普段ののんびりと商人たちが行き交う港街とはまるで様変わりしていた。

 港のメインストリートを挟む細長い建物の間は忙しく動き回る商人たちで溢れかえり、値引きや商談を指示する大声に混じって歌や踊りの音などが休みなくキンキンと響き渡っている。
 1センチの隙間も無いくらいギリギリに詰め込まれたように通りに並んだ屋台では、実に様々なものが売られていた。祭りといえばお馴染みの三色カレーライスを初め、バナナのカステラ、砂糖菓子、いちごチョコレート、レイエの特産のリンゴケーキ、海鮮焼き、金色の飴・・・食い物に限らずレイエを根城にする、アンティーク雑貨商、画商、ガラス細工店の即席支店も競うように客の収奪戦に大声で乗り出している。

 シェゾは、そんな街の喧騒を屋根の上から見下ろしていた。

 いくら、通りをランプの光で照らし出そうとも、屋根の上は夜の闇が支配する空間だった。雨をしのげる軒さえあれば、そこは滑らかな夜風が、祭りの歌や音楽を縫うように、静かに通り過ぎてゆく。その風を感じていられる方が、閉塞感漂う屋根の下の通りより、シェゾとしては心地良かった。
 この祭りは、本当に強い力で満ちている。強い光のエネルギーだ。人々の活気が生み出す、力強い輝くような圧力。光の精霊が多く住みつく場所にも、同様のエネルギーが発せられることがあるが、シェゾは、昔から自分がこのエネルギーを苦手とすることを知っていた。

 ただシェゾは、光の中に身を置くことは苦手でも、遠くからその輝きを見ることは、どちらかというと好きだった。光のエネルギーは、やはり闇の魔導師たる自分には無い力を発揮する。太陽のように自分自身で輝く力、月のように誰かの力を借りて輝く存在じゃない。自らの力だけ輝き、周りもその力に巻き込んでゆく、本当に強い力だ。

 成長もしない、ただ静かにそこに在るだけで、いつも取り残されてゆく孤独や寂しさというものは、光の中には存在しない。存在するのは、羨ましいほどに眩しく輝く、無限の可能性なのだ。誰にでも愛される光の力は、闇にとっては、本当に羨ましくて、嫉ましくて仕方がない力のひとつなのかもしれなかった。
 闇は決してそこに存在できないけれど、だからこそいつも傍にいたいと思う。そんな光のエネルギー。それが、少し形を変えた形で今のレイエにも存在していた。
 いつもの、のんびりとしたレイエの街のどこにコレだけのエネルギーが隠されていたのか、シェゾにとって少し不思議ですらあった。
「さすが、世界でも有名な祭りってだけあるよな・・・」
 欠けた屋根の端に頬杖を着き、シェゾはぼんやりとつぶやいた。警戒するような力の気配は今のところ感じられない。街に出る前は不覚にも少なからず動揺していただけに、ただ熱気に渦巻くだけの祭りの様子は大いに拍子抜けですらあった。
 傍でアイギスも同様に通りを見下ろし、焼き鳥を食いつつぼやいている。
『たった1日で、よくここまで雰囲気変えますよねぇ。・・・街が化けたとでも言いますか』
 小雨がぱらつく中でもなお活気を失わない街の様子に、アイギスは酷く感心しているようだった。
 海を眺めたまま動かないシェゾに、アイギスは不思議そうに聞いた。
『見物にいかないんですか。珍しいモノ、たくさん売ってますよ? 焼き鳥もおいしいし』
「・・・少し、疲れたんだよ」
と、シェゾは短く言った。
 自分のことはあまり聞かれたくなかったので、シェゾは逆にアイギスに問うた。
「お前こそ、なんでオレと同じようなところにいるんだ。祭りを楽しむんじゃなかったのか?」
『んー・・・。そのつもりだったんですけどね・・・』
 シェゾは少し驚いた。
 いつもは感情も抑揚も無い淡々とした口調でしゃべるアイギスが、珍しく迷いを含んだ言い方をしたからだ。
「?」
『まぁ、それほど気にすることではない、とも思うんですが』
 アイギスは金色のマスクを、少しだけ持ち上げてシェゾを見た。
『私は魔族なんですよ』
「・・・? それは知っている」
『――――つまり、“異邦人”ですね。この街にとっての』
 シェゾは、アイギスの言っている意味がわかったわけではないが、何となく引っかかるものがあると感じたことも事実だ。
『お祭りってね、不思議な力を持つものだと思いませんか』
 アイギスは少し考えて、もう一度海の方へ向いた。
 海上で何かの儀式が始まったらしい。沖合いの大きな帆船から、白い煙が数本立ち上り始めていた。
『レイエは、普段はただ風変わりな者が集まる交易都市でしかないんですが、・・・あの海神祭だけは、どうも違うんですよねぇ。なんというか、私にとって少し居心地の悪い力を感じるというか・・・』
 返事をしないシェゾに構わず、アイギスは話を続けた。
『レイエの守り神とは、あの儀式で祭られる“海神”という存在らしいのですが、どうやらこの“海神”は、レイエの街をあらゆる災厄から守るというのですね。どこの町や村でもそうなんでしょうけど「守り神」と呼ばれる存在は、侵入者を街から排除する“力”を持つもので、このレイエの場合はそれが“海神”という存在なんですよ』
「それと、お前が魔族だということと何の関係が・・・」
 アイギスは、しばらく答えようとしなかった。
 その沈黙は、なんとなくシェゾが答えを導き出すのを待っているかのようでもあった。彼女の達観したような表情は、もうすでに答えを導き出せるだけのことは言い終わった、とでも言うような。そう感じた時、シェゾは彼女の言わんとしたことを唐突に理解した。
「・・・・・・お前は、排除されるべき“異邦人”?」
『街の人々にとっては、そうなんじゃないですか。魔族なんて』
 アイギスは、相変わらずの淡白な口調でキッパリと言った。
『“彼ら”は、街に繁栄をもたらす異国の商人は歓迎しても、きっと私のような魔界からの“異邦人”は歓迎しませんよ』
「・・・・・・・・・」
『そんな“街の意思”みたいなモノをどことなく感じるのか、今の私はこの街に、どこか拒絶されている気がするわけです。まぁ、あくまで「気がする」だけなんで、それだけといえばそれだけなんですが』
 一息にそう言って、アイギスはシェゾと同じように、そばの空き箱に頬杖をついた。
 もっともらしいことを言うアイギスだったが、そのふて腐れたような様子は、単に年甲斐もなく祭りではしゃぎ過ぎて、神社の境内に座り込む情けない年増女に見えなくもない。
「異邦人を拒む“力”・・・? お前は、そんな“力”が、今、この街で働いているとでも言うのか・・・」
 浅はかな考えに嘲りも含めてシェゾは言ったが、アイギスは俄かに予想外なことを言った。
『いいえ、ハッキリと拒絶される“力”を感じるわけじゃないですよ。ただの気のせいかもしれないし・・・でも――――実際、今 貴方もここにいるでしょう』
「・・・何?」
『貴方も感じているんじゃないですか。この街の、無意識に“異邦人”を拒む「力」を。だからこそ、街の熱気が届かないこの場所で、貴方は祭りの様子を眺めている。違いますか』
「まさか」
 シェゾは即座にそれを否定した。シェゾが廃屋の屋根に登ったのは、単に祭りで慣れない人ごみの中を歩き疲れたからである。シェゾは、“自分の意思”で街の熱気を避けたはずだった。
 何か別の「力」に影響されて、そう行動したわけではない―――――この魔族が言うことは、トンデモナイ勘違いであった。・・・・・・だが、

「・・・・・・」

 ―――――ただ、自分が闇の魔導師である限り、この街にとって“異邦人”であることは事実だったかもしれない。シェゾは一瞬だけ、そんなことを考えた。たった一瞬だけ。

 ―――――魔族や魔物、外敵と同じ、彼らにとって闇の魔導師もまた、本来街に“居る筈の無い存在”“必要の無い存在”“排除されるべき存在”―――――もし、強引に侵入しようものなら、彼らはどこからか“守り神”や“勇者”を用意して、この闇からの“異邦人”を全力で排除しにかかるのだろう。

 まるで、それが女神の意思に許されているのだとでも言うように?
 明確な敵意を持って、ただそれを当然のこととして・・・・・・――――――

 アイギスは、シェゾの否定には元々興味なかったらしく、すでにまるで別のことを話し出していた。
 それは魔王に対する愚痴だったかもしれないし、インキュバスに関する噂話だったのかもしれない。
 いずれにせよシェゾは、アイギスの話には興味は無かったし、聞いてもいなかった。

 ただ、街の熱気が蒸し暑かった。だから、涼もうと思って屋根の上った――――それだけだ。

 この蒸し暑さは、普通に考えて祭りと単に気候のせいだった。
 しかし、この女魔族はいつものように奇妙なことを言うではないか。「街」が、無意識に自分を“異邦人”として拒むせいではないかという。

 ―――――確かに、古い街や村という場所ところは、程度の差こそあれ“旅人”や“異邦人”に対して排他的な性格を持つものだ――――――特に、祭事を始め伝統的な行事が執り行われる時、いつもは見えない侵入者に対する「意思」が、俄かに顕著に現れることが多くあった。
 いくつかの物語と歴史は、古い街の「意思」と化した“力”が異邦人を排除しようとする事実を、妙に語ることがある。
 時に「守り神」を用意して。時に「勇者」なる者を用意して。街の平和と繁栄を脅かすであろう“異邦人”に対して、研ぎ澄まされた氷のような牙を剥くわけだ。物語を語り終えた時、彼らはそれで街の平和は守られたと、街の「意思」を誇るのだろう―――――

 

 ―――――けれど。

 

 ならば排撃された“異邦人”は、一体どこに行くのだろう?

 古い街、古い村、新しい都市や大きな王国、どの場所にも平和と繁栄を求める「意思」があり、「力」があり、「願い」があり、それぞれに“異邦人”を拒む“守り神”が存在するというのなら。

 街と街の間、「平和」や「願い」の狭間を往く異邦人は一体何処へ向かうのだろう? 狭間の領域を彷徨う永遠の孤独者は、一体何処へ行くのだろう・・・?

 帰るべき場所ところのない孤独な彷徨い人にも、もし何かしらの「願い」があるとすれば、それは何処へ流れて行くのだろう―――――?

 ――――人間にとっての“異邦人”が、人とともに隔たりなく関わりあえる場所が、この世界の何処かに在るとただ信じ、―――――彼らはその場所を探して永遠に狭間を彷徨い続けるしかないのだろうか――――――

 

 海上では、いよいよ本格的な祭事が始められようとしていた。帆船がゆっくりと北を向き、海神を喚ぶという細い笛の音が奏でられ、音に合わせていくつかの白い舟が帆船を囲うように動いてゆく。
 しかし、シェゾはそんな祭りの様子など、何も見ていなかった。

 ―――――― ああ、そうだ

 シェゾは遠い海の向こうを眺めながら、ふと、自分が意識するより先に無意識でぼんやりと考えていた。
 あの遠い、海の向こうに、“あの街”がある。無意識が、そう意識した瞬間。カタチにならない意思が、遠い海の向こうで風のように囁いた。

 ―――――― 明日にでも 一度 “あの街”へ帰ろう

 ―――――― 人 魔物 亜人 魔族 誰もが他人が何者でもなく、他人のまま全てを受け入れることが自然な場所

 ―――――― 少なくとも、自分が“異邦人”を演じる必要のない あの街へ

「・・・・・・」

 ―――――― 自分が、ただ自分ありのままでいられる あの場所へ

 

 祭りの熱気はますます盛り上がってゆくようだったが、アイギスやシェゾが懸念した“大きな力”の訪れは、今のところその気配すら感じられない。
 悪い予感は、今夜は当たらないのだろうか?
 それとも、この雨や街の喧騒に隠れて、実はすぐそばまで来ているのか・・・?
 あるいはそんな力は、初めから喚ばれてなどいないのか・・・

 ぼんやりとした頭の中で、シェゾはいくつかのことを考えていたが、そのどれにも明確な答えは出てこなかった。

 遠くにレイエの海を望みながら、頭の中で混沌としたまとまらない考えをぼんやりと浮かばせては消して―――――その間、シェゾはずっと無言だった。

 アイギスは、いつの間にか屋根の上から消えうせていた。
 雨が酷くなってきたので、どうせ店にでも帰ったのだろう。今夜は何も起こらない、彼女もそう判断したのかもしれない。シェゾも、街の喧騒を意識の遠いところで聞きながら、やがてそんなふうに考え始めていた。

 

■      ■      ■

 

 「声」が聞こえないところを選んでうずくまったつもりだった。
 けれど、「声」はあちこちから容赦なく自分の脳裏に響いてくる。

(・・・やっぱり、家にいればよかったかな)

 セリアは、雨のカーテンの向こうに見える、丘の上の屋敷をもう一度見た。
 ずいぶん遠いところにある。
 祭りの音に誘われて、こっそりここまで来てみたことを、少し後悔しはじめていた。

 聞こえた声に合わせて、良くなったと思っていた気分が、再び悪くなっていくようだった。
 別に、人に話しかけられたわけでもないのに。まるで、その音そのものに、自分が嫌いな力が潜んでいるかのように。
 周りの人が、あちこちで楽しそうに笑って、踊って、好きなものを手に入れては喜んでいる。「声」だけじゃない、たくさんの気配が、酷い圧力となって自分を押しつぶそうとしているようだ。
(なんで・・・?)
 祭りの熱気は、セリアの予想以上に張り詰めた緊張のようなものだった。ドンドンと鳴り響く太鼓、海の方から聞こえる狂ったような笛の音、街を無秩序に照らす無数の炎―――それぞれが生み出す「声」のような音が、捩れたように交じり合って、その異様な雰囲気に圧倒される。人の「声」以上に、街が狂ったように吼える「音」は「うるさ」かった。
 苦しい、息がうまく吸えない。これは・・・
「・・・・・・!」
 セリアが思い出したのは、発作に苦しむ自分の姿だ。この緊張は、あの前兆と、よく似ている―――――自分の中の“彼女”が騒ぎ出す感覚が呼び起こされた。“氷の精霊スノゥ・クィーン”? どうしたんだよ、やっぱりキミは、このお祭りが嫌いなの?
 なぜ、今、ここで、この街を拒絶しようとするんだよ――――――?
「う・・・」
 胸が痛む直前、雨の向こうから、聞こえにくい声が聞こえた。

「今の街の力は嫌いですか?」

 リンと冷たいガラスを叩くようなその声は、スゥとセリアの悪い気分を掻き消したようだった。
 セリアはビックリして、声に振り返った。
「・・・え?」
 誰? そう思ってから、レイドだと気付いた。
 背の高い、ボサボサの金髪の人。髪は雨に濡れて、いつも以上にクネクネだった。
 レイドだ―――――でも、どうして一瞬、分からなかったんだろう。・・・今も、・・・なんだか別の人を見てるみたいだ。
「貴方には、今のこの街は少々荷が重い」
 レイドはまるで当たり前のことように、謎めいたことを言った。
 ―――――荷が重い?
 ―――――この人は、何を言っているのだろう?
「屋敷へ帰りませんか」
「・・・い、いやだよ。家には、帰りたくない」
 セリアは、わがままを言った。マリアか誰かに言われて、レイドが自分を連れ戻しに来たのかもしれないと思ったのもある。しかし、それ以上に「声」ひとつで胸の衝動を消したレイドに、セリアが不信感を抱いたのも事実だった。
「しかし・・・」
「イヤだって言ってんだろ!!」

「・・・・・・何を怯えてるんですか?」
 セリアは、そこでハッキリと悟った。
 街の外れ、祭りの喧騒は聞こえてきても、周りに誰も人はいない。―――――「声」が聞こえるはずだった。レイドの聞こえない「声」を聞けば、レイドは自分に対して何を考えているか何かわかる。そう思ったから、セリアは耳を澄ました。―――――「声」を聞くために。
 その時、セリアは、耳を疑う「声」を聞き取ってしまっていた
「・・・!!?」
 セリアは、突然、息が詰まったかのように固まってしまった。まるで、レイドの背後に、死神でも見たかのように、だ。
 レイドが驚いたのも無理は無い。
「? ・・・どうしたんです?」
「何だ・・・? なんだよ、お前・・・」
 恐怖を隠しきれずに、セリアは後ずさりをした。
 足が―――――少しでも動く!
 そう確信した瞬間、セリアは思いっきり地を蹴って、レイドとは真逆の方向へ駆け出していた。

 

 セリアの姿は、急に強くなった雨の向こうへ、一瞬にして見えなくなった。
 誰もいなくなった路地で、レイドはひとり首をかしげた。
「・・・一体、何だって言うんです。顔を見るなり、一目散に逃げるなんて・・・」
 セリアの肩を掴もうと持ち上げた右手が、妙にマヌケな格好となっていることに気付いて、レイドはふて腐れてその手をそのまま顔へやった。 
「このメガネが悪いんでしょうかね。目つきが悪く見えたとか?」
 途端に、レイドは真っ青になってしまった。決して忘れることがあってはならないアイテムを、自分が持っていなかったことに、やっと気付いた。
「あ、あれ・・・? まさか・・・しまった、掛け忘れて・・・?」
 慌てるレイドをヨソに、その足元を黒猫が駆け抜けていった。
 レイドは、すぐにそれに気付いて、雨のカーテンの向こうへ消えるまで、猫の姿をしばらく見ていた。
「ま、彼女に任せてみますか」
 レイドにしてみれば珍しい、ニヤリと笑った口元には、悪魔のようなオーラが滲み出ていた。が、それに気づいた者はいなかった。周りには、セリアも含めてもう誰もいなくなっていたからだった。
「ていうか、私のメガネはどこ・・・?」
 雨の中で、傘も差さず独り言を繰り返す男ひとり。レイドは明らかに挙動不審者であったが、当の本人はくだらないことに気を取られすぎていて、それに全く気づいてなかった。

 

■      ■      ■

 

 アイギスが去って、しばらくしてのことだった。

「・・・?」

 ―――――嵐が来る。

 気圧が急激に下がるのを感じて、シェゾは思わずそう直感した。
 風の動きを読み、強い「力」が俄かに起こった方角を振り返った。視線の先に、海が見えた。シェゾが驚いたのは、その海の向こうが夜闇よりも「真っ暗」だったことだ。
 強い力で引き付けられるように、夜闇よりもさらに深い色の黒雲が、海の向こうで膨れ上がるのをシェゾは見た。真っ暗な水平線を飲み込むように、俄かに起こった黒い闇はぐんぐんと街へ近づいている。どういうことだ?――――とシェゾはその雲のあまりにも早い動きに、息を呑んだ。
 湿った重たい強い風が、次々と黒雲を港の方へ押し流している。その先端は、すでに灯台の頂点にまで達していた。
 あの調子では、ほんの十数分後には街へ嵐が到達するに違いない―――――
「――――?!」
 あまりにも大きな嵐の到来の他にも、シェゾは不気味な気配を感じていた。誰かに、喚ばれているような強い力を。身体ごと、引き付けられるような異様な気配。この強烈な純粋さと支配力は、自分が良く知る力のひとつだ。
(・・・まさか。いや、だがなぜ・・・?)
 確信と、それを否定するための根拠をどこかで探す自分への警告。
 その直後、シェゾが召喚する前に、俄かに膨れ上がった闇の気配に呼び覚まされるように、闇の剣が覚醒した。
 ―――――主よ。
「お目覚めか」
 焦る気持ちを抑えつつ、シェゾは心強い相棒の目覚めを歓迎した。彼を具現化させて、お望み通りクリスタルの切っ先を到来する嵐の方角へ向けてやった。後は彼が、自分であの異様な力を読むだろう。
「どう思う」
 シェゾの短い問に、剣も短く応えた。
 ―――――・・・間違いない。同志の力だ。
 剣の言葉には、確信があった。同時に、強い警戒心も。
「暗黒召喚器が喚んだ嵐か。これはまた、ずいぶん派手な登場を選んだものだな・・・」
 雨や祭りの熱気に紛れて正体を隠し、静かに、あるいは巧妙に気配だけが近づいてくるのではと警戒しただけに、このような力の接近は予想外だった。
 今の今まで、こちらがやる気を失くすほど微弱な気配だけで活動していただけクセに、一体どういう風に吹き回しだ・・・?
 剣は、クリスタルの刃をゆらゆらと闇に淀めかせ、ゆっくりと繰り返した。
 ―――――本当に強い、「闇」の力だ。今まで、何処にあのような力を隠していたのか、異様な程。これこそ我らが同志の力だ。主よ、どうやら相手は待ち人が中々己に興味を示さぬ故、自ら迎えに現れたようだな。
 ニヤリと高揚感に酔うような剣の言葉は、少しシェゾの耳に痛かった。
「・・・悪かったな、怠け者でよ」
 連日、暗黒器探しをサボり続け、真面目に仕事をしてこなかったツケが、ここにきて払わされるハメになりそうだ。嵐は、すぐそこまで広がっている。このまま嵐が街を直撃したら、祭りはにべもなく中止に追い込まれることだろう。
 さて、どうする?
「・・・・・・あの野郎は、肝心なときにいねぇし」
 アイギスが現れる気配はない。
 別に、嵐から街を守る正義感がシェゾに在ろうはずもなかったが、気配が現れれば一応それなりの行動をとるつもりではいた。そう、“一応、それなりの行動”というモノを・・・
(・・・・・・・・・)
 しかし、シェゾはこの時になって初めて気がついた。
 ―――――主よ、どう出る?
「どうって・・・さぁ?」
 剣の言葉に、シェゾはハタと考える。そう言えば、アイギスと短く言葉を交わしたあの段階で、自分たちは何らかの力が召喚される可能性は予測できたが、その正体まではわからないだろうと踏んでいた。だから、力の正体がすでに『嵐』だとわかっている今、何をすべきなのか全く考えてなかったのだ。・・・アホだ。
 ・・・いやだって、まさかここまであからさまに力の存在を誇示してくるとは思わなかったし。
 まさか、嵐を召喚するなんてそんなわかりやすい、というか大胆かつ無謀とも言えそうな方法を、なぜ今になって? これほどの力がありながら、なぜ今までその力を隠してきた? 思惑とは別に、今考えても仕方がない疑問が次々と沸く。
 そういう意味で、暗黒器は一体何を考えているのだろう。あの海の上で吹き荒れる嵐は、まるで怒りに任せて力を爆発させたみたいじゃないか。
 闇の剣が言うように、強い力を示せば、自分が本気でそれを探しに来ると踏んでのことか?
 少なくとも、闇の剣はそう期待したようだった。
 ―――――屋敷へ戻るか、主よ。
 シェゾはしばらく考えて、言った。
「そうだな・・・。相手がこうも本格的に活動を始めたとなれば・・・根拠地で何か起こっているかもしれん」
 風が強くなってきた。小雨だった雨が、風に吹き付けられて強い雨に変化し始めている。
 街もようやく異変に気づいたらしい。
 祭りの熱気一色だった通りのあちこちから、さざめきやどよめきが起こり始めていた。
 シェゾは顔を上げて、屋敷の方向を向いて屋根の上に立った。酷くなった雨に遮断されて、見えていたはずの屋敷は闇の中に見えなかったが、その方向の闇が街より一層深く感じられる。

 気がかりなことが、実はあった。

 今となっては嵐の前兆だったのかもしれない、アトリエで聞いたあの“歌声”。こうとなっては、おそらくはあの声は暗黒器が発した「力」を召喚するための“喚び声”だったに違いない。嵐を呼ぶために周りに利用できそうな「力」を求めたか、あるいは求めた「力」の方が嵐の召喚を望んだのかはわからないが、少なくとも自分やアイギスが拒否したあの暗黒器の“喚び声”に、応じた者があの時屋敷にいたことになる。

 厄介なことに、屋敷には暗黒器“喚び声”に応じられそうな、もっと言えば暗黒器が利用しそうな「力」の源が、いくつか存在する――――。例えばレイド――――アイツは魔導師を名乗る以上、確かに大きな魔力を持つ者だし、もっと別な力を持っていることをシェゾはすでに見抜いていた。それから、ウィリアム―――――あの老人も、普段はしなびたレタスと変わらないが、鋭い眼差しや老人特有の雰囲気は、時々ではあるがどこか得体の知れない力を感じさせることがあった。
 暗黒器が単独で力を行使している可能性ももちろんあるが、周りに利用できそうな“力”が存在すれば、―――――少なくとも、自分は利用しようと考える。特に、シェゾが最も気になっている“力”の源は、「力」そのものは強大だが、それを宿す器は驚くほど純粋で、不安定だ。ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐにどんな「力」にも変化するだろう、いくつモノ可能性を秘めた白い「力」。孤独と寂しさに圧されながらも、必死に生きようと身を固く護る氷の女王スノゥ・クィーン――――
 あの「力」を闇に利用されると考えると、少しマズイことになる可能性がある。
 シェゾは、2日前に見つけた地下室より先に、その前に覗き込まれた飴玉のような瞳を思い出して舌打ちをした。
 やはりあの時に、もう少し調べておくべきだったのか。まさか、これほど急激に闇の力を召喚してくるとは・・・

 シェゾはいつの間にか屋根を降りて、裏通りを駆け出していた。

 黒雲は、やはり瞬く間に港まで達し、雷雨を伴う風が大きくなり始めていた。シェゾが通りの中ほどを駆け抜けた時には、すでに通りの商店のほぼ半数が商売を切り上げ、片付けを始めていた。
 轟々と、凄まじい風の音が海の方から聞こえてくる。まるで、ピンと張られた糸を手繰るように、真っ直ぐレイエの街を目指すその雷雨は、まるで意思を持っているかのようでさえあった。

 

■      ■      ■

 

 メインストリートをもうすぐ抜けられるくらいのところで、横の路地から目の前に飛び出してきたのはレイドだった。髪とローブを雨に濡らしながら、シェゾの目の前を一旦通り過ぎ、「あっ」と気付いて振り返った。
 レイドは、酷くなってきた雨を鬱陶しそうに振り払いながら、雷の混じり始めた豪雨に負けない大声でシェゾに聞いた。
「シェゾさん! 私のメガネ知りませんか」
「・・・・・・お前、本気で言ってるのか」
 突然、目の前に現れて呼び止めて、何を言い出すかと思えば下らない。
 本当に、この男の行動は、シェゾには全く読めない。
 強い雨風にイライラしながらも、シェゾは目の前の意味不明男に言う。
「前髪を触ってみろ」
「ん? あ!」
 レイドの前髪に絡まった、二つの欠けたレンズがやっとレイドの瞳の前に収まった。
「んなお約束なことをするヤツ、初めて見たぞ」
 正確には、2人目だったかもしれない。もっとも、あの魔王を“ひとり目”と数えることができればの話だが。
「それよりシェゾさん」
「・・・やはり、お前も気づいているのか」
 さすがだな、とシェゾはいらぬところで感心していた。
 レイドはメガネの奥から、俄かに真剣な、それでいて非常に冷たい眼差しをシェゾに向けて言った。
「ええ、この嵐の気配。明らかに自然に起こった嵐じゃないですね」
「ああ、そうだな・・・」
 厄介なことにならなきゃいいが。そんなことを考えたシェゾの横で、不意に、絶妙なタイミングでレイドがふと呟く。
「セリアさんは無事なんでしょうね」
「お前、やたらとアイツを気にすんのな」
「・・・お互い様でしょう」
「・・・・・・そうか?」
「そうですよ」
 シェゾは少なからずびっくりした。レイドは、一体何を根拠にそう言っているのか。・・・まぁ、レイドの言うことだからあまり深読みはするつもりはないけれど。
「アイツは・・・あの屋敷にいる分には大丈夫だろ」
 あまり大丈夫だとは思っていなかったはずなのだが、なぜかシェゾはそう言っていた。しかし、イヤな予感とは当たるものである。特に、シェゾの場合。
「あれ、知らなかったんですか」
 シェゾの言葉に、レイドが珍しく素っ頓狂な声を上げた。
「何を?」
「セリアさん、夕方くらいにまたお屋敷を抜け出したんですよ。私、メガネを探しに一旦、お屋敷まで戻ったんですがね。屋敷中、大騒ぎでしたよ。今頃、街の警邏隊にも連絡が行ってるはずです」
「・・・・・・なんだと?」
 メガネを頭にひっかけたまま、屋敷中を探し回ったマヌケな男はほっといて。
 ―――――あのバカ・・・! 調子悪いくせに・・・。
 シェゾは反射的に、セリアの“力”の気配を探っていた。セリアの力と他の雑多な力―――嵐や闇、街の混乱など―――の読み分けは容易ではないが、知った気配だ。
 見つけた気配は良くわかるわけではないが、たしかに屋敷の方角ではない。・・・・・・海の方? 屋敷と正反対だ。
 シェゾは、迷わず海の方へ駆け出していた。
「私も行きます」
 後ろで、レイドが言った。
 シェゾはいったん足を止め、振り返って言った。
「お前は、屋敷へ連絡だ。セリアはオレが必ず見つける、アイツの「力」の気配を追えば簡単だ。お前は、アルベルに心配するなとでも伝えとけ」
「・・・・・・わかりました」
 レイドは少し複雑な表情で黙った後、しかしすぐにそう言った。
「すぐ、連れ帰る」
 シェゾはもう一度地を蹴った、が・・・
「シェゾさん」
 レイドが、妙に低い声を出した。
「何だ」

鈴の音を追えば早く見つかるかも、ですよ?」

 シェゾがもう一度振り返った時には、すでにレイドは豪雨の向こうへ消えていた。

 

 

 突然の豪雨に慌てて店を仕舞う出店が並ぶ通りを駆け抜け、街の屋根の上に時計塔が見えるところまで走った。あの塔の向こうまで出れば海が見える。シェゾが1週間前、この街へ来て初めて訪れたその場所だ。一度、セリアと話したこともある。豪雨であれ、迷うことはない。
 あの時よりも数倍暗い路地を通って、塔の前の物見台まで来たがいいが・・・
「チッ 気配が・・・でか過ぎる」
 シェゾはあせった。今夜の一段とでかい、街を覆うほどの闇の気配。雨や闇は隠す力に優れている。セリアの「力」の源が、この物見台塔付近だとわかっても、さらに細かい気配を読むにはこの豪雨は激しすぎた。
 その時である。

 リ―ン

「?!」
 ・・・・・・?!
 まさか。この豪雨だぞ? 音なんか・・・
 シェゾは、信じられないと思いながら、もう一度耳を澄ました。

 リ―――ン

「・・・・・・鈴の音?

 どこかで何度か聞いたことがあるような、ビードロを叩いたような澄んだ音。
 風と雨と雷の音しか聞こえないはずなのに、別の次元で鳴ならしているかのように、音は自然に耳に響いた。
 それも、それでないものも含めて不思議な音だったが、シェゾはなぜそれが聞こえるのかとかは全く考えなかった。聞こえるものは聞こえるんだから仕方ない。とにかく、余計な思考をしている時間は無いのだ。レイドの言葉を信じたのかはわからないが、シェゾの足は無意識に鈴の音の聞こえる方へ向いていた。

 雨のカーテンの向こうに、時計塔が見えた。セリアが、気分が悪くなったら来るといっていた場所だ。そんなことを思い出しながらシェゾは時計塔へ続く石段を駆け上がった。雨も風もうっとうしい。ずぶ濡れで、膝が異常に重かった。歩いて上がる気なんかにとてもなれない。
「チッ」
 ―――――物見台の端で、ようやく見つけた。
 セリアは、屋根の無い物見台の柱にもたれるようにして、うずくまっていた。豪雨に打ち付けられている。せめて、塔の中に入ればいいものを、なぜにこんなところで――――――シェゾは改めてセリアが馬鹿だと思った。
「・・・・・・猫?」
 セリアのそばに、黒猫が静かに座っていた。
 黒猫は、シェゾの姿を捉えると素早く身を翻し、物見台の向こうにひょいと降りて、そのまま視界から消えてしまった。その時、もう一度鈴の音がしたようにも思ったが、今度こそ、それは同時に鳴った雷鳴の音に掻き消されてしまった。
「セリア・・・おい、聞こえるか?」
「・・・・・・。シェゾ?」
 セリアは、なぜシェゾがここにいるんだ、というようにぼんやりと首をかしげた。うっすらと開いた目には、一応シェゾは映っているらしい。シェゾの心のどこかがホッとしたが、雷雨に混じった闇の力がその心を冷徹に冷やす。
 シェゾは、セリアに冷ややかに言った。
「意識があるのなら話が早い。お前、屋敷をまた抜け出したろ」
「ああ、うん。・・・お祭り、行きたいなー・・・って、思って・・・」
 のん気なヤツだ。祭りなど、この豪雨で台無しに決まってる。屋台もほとんど閉められていた。
「祭りは中止だ。とにかく、屋敷へ帰るぞ」
「中止? そう、なんだ・・・」
 そう言って、セリアはまた眼を閉じた。よほど、気分が悪いと見える。
 まぁ、これだけの気味の悪い“闇”に覆われた街で気分がいいのは、まぁ・・・オレくらいなんだろうが。いや、オレだってここまで雨に濡らされて、気分がいいなんて思っちゃいないが。

 セリアに雨を弾く魔法をかけて(自分にもかけてないことにこの時気づいた)、少々乱暴に担ぎ上げた。その足で屋敷に向かう。・・・面倒なことに首を突っ込んでしまったと思いながら、いつものように自らの運の悪さを呪って、シェゾは天を見上げた。雷雨は街を覆う大きな“闇”の力を含んで、さらなる勢いを増しているようにも感じられた。

 ・・・しかし、奇妙な嵐だ。
 確かにこの嵐は、闇の剣が言うように、剣が闇を召喚する力とよく似ている。
 そういう意味で、この嵐が暗黒器の力で呼ばれたことは、確かに間違いないのだろう。
 ただ、シェゾはそれにしてはこの嵐に酷い違和感を感じていた。

 シェゾは、嵐の叩きつける雨の冷たさに、吹き付ける風の轟音に、ある種の人間的な“怒り”を感じ取っていた。
 嵐はまるで、強い怒りで祭りの活気を打ち壊そうとするかのように荒れ狂い続けている。
 暗く、冷たく、感情が一切ないただの“モノ言う物質”に過ぎない暗黒器が、このような怒りと絶望を訴えるような雨風を喚ぶだろうか―――――?

(・・・・・・・・・)

 シェゾの脳裏に、またひとつのイヤな予感が走った。直感とも言う。そして、シェゾの直感というのも、イヤな予感というのも、残念ながらよく当たるモノのひとつだ。福引などは全く当たらないのに。

 ――――――鈴の音を追えば、早く見つかるかもですよ?

 ――――――然るに秘密に溶けた暗黒の色、鈴の音に紛れて羽を染める―――――

 暗黒器の力を何者かが利用しているのか、何者かの力を暗黒器が利用しているのか――――――どちらにせよ、シェゾは嵐の陰に、暗黒器とは別の“誰か”の意思を感じてならなかった。

 そして、それは――――それこそ憶測と直感でしかなかったが――――
 シェゾは、暗黒器が、そして何者かが、利用してもおかしくはない「力」を持つ者の存在を知っていた。強力な“氷の精霊”を身に宿し、さらに別の「力」をも持つ少年。子どもなだけに、その「力」は危うく不安定で、何かのキッカケさえあれば、「光」にも「闇」にもすぐさま変化するだろう――――――

(たしかに、コイツの“力”は純粋で、ある意味強大だ。・・・闇に魅入られても、おかしくはないが・・・?)

 しかし、だとすれば。―――――少々厄介だぞ

 

 雷雨の闇の気配にまぎれて、深く淀んだ異空間がにわかに波打つ。
 何度感じても、良い気持ちなどしたことが無い。

 

 そら来た。

 

 淀んだ暗黒の淵で闇の剣は言う。

 ――――――主よ、この少年は危険だ・・・。他に力を利用される恐れがある・・・

 

 だから、今のうちに力を奪っておけとでも言う気なのか。

 剣はそれ以上何も言わなかったが、周りの音に関係なく耳と劈く“鈴の音”よりも、コイツの“声”の方が頭に直接響く分、耳に痛い気がした。

 

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