祭りの夜


 いざ、祭りに繰り出す直前の、早めの夕食時になって、ようやく(?)一瞬だけ昨日の火事が話題にのぼった。どうやら、あのサザンがマリアにかなり激しく抗議したらしい。マリアも言いにくそうにしていたようだが、アルベルにもう一度良く調べた方がいいと進言したらしかった。
 夕食の席で、ためらいがちに火事を話題を出したアルベルを、真っ先になだめに回ったのは意外にもルビウスであった。
「旦那さま、まだ気になさってるんですか? まぁ、セリアの坊ちゃんへの贈り物がホトンド無くなったんじゃあ・・・お気持ちもわかりますが。・・・元気出してくださいよ」
 ちなみに、レイドはやはりこの席にいなかった。一足先に、祭りに出かけてしまったのだろうか。相変わらず行動の読めない男だ―――――埋まっていたことがホトンドないレイドの空席を、シェゾは視界の端に捉えて呆れていた。
「いやいや、あの品などはもういいのだ。ただ・・・昨日のレイドの行動が、どうも気になってね」
「レイドさんじゃないですよ。ほら、あの気が良くて、ちょっと天然だけど物知りなあの人が、そんなことするハズがないじゃないですか。私にも、旅先での話をたくさんしてくれました。話を聞いていれば、あの人がどんなにいい人かはすぐにわかる。とても良い人ですよ」
「しかし、彼が無断で私の部屋へ入った理由が・・・どうもハッキリしなくてね・・・」
「そんなの、決まってるじゃないですか。きっと、今回の旅先で仕入れてきた坊ちゃんへの土産物を、コッソリ置きに来たんですよ。そしたら、中のランプを倒して火事になってしまった。だから、言うに言えないんですよ」
「でも、レイドは魔導士ですし、ランプは滅多に使いません。そもそも、あの人がランプが落ちるほどの騒ぎなど・・・」
「マリアさんまで!」
 ルビウスは大げさに嘆いた。
「よく考えてみてください。あの部屋のランプなら、最近点けられたことがあったでしょう。そう、旦那さまがシェゾさんを部屋に招き、部屋を見せた。そう言われていたじゃないですか、旦那さま。シェゾさんも覚えてるでしょう?」
「ああ、そうだ。ランプはあの時、確かに点けた」
 シェゾは、そこはキッパリと答えておいた。ルビウスは、「ほらやっぱり!」と手を打って、(何がそんなに嬉しいのかはよくわからなかったが)喜んだ。
「きっとその時に、片付け忘れたんです! レイドさんは、ちょうどいいとばかりにそれを手にした。そして、屋敷の中では恥ずかしながら、私はいつも厨房と旦那さまのお部屋を行き来するときにドタバタとやっている。いかに、部屋ひとつ分離れているとはいえ、その振動があの部屋に伝わらないとも限らない。びっくりされたレイドさんは、ウッカリ・・・・・・となると、ああ、部屋が焼けてしまったのは、私のせいでもあるのです! 旦那さま、申し訳ありません!!」
 シェゾは、静かにルビウスに感心していた。この男、騒がしいが妙に人の心をつかむのが上手い。大げさな手振りや身振りにも、どこか引き込まれてしまうものがあるようで、思わずアルベルが考えを変えたのも分かるような気がしていた。
「いや、なにもまだそうと決まったわけではない。私だって、レイドが放火をしただなんて思っていないよ。そう、お前の言う通り事故だったのだろうさ。消し忘れていたランプを、うっかり倒してしまったか何かだと思うよ」
「でも、うっかり倒してしまったのなら、その時に気づくはずでしょう・・・? どうしてあんなに炎が回ってしまったのか・・・」
 マリアはまだ不審そうにしていた。マリアが形の良い眉をひそめるたびに、飯が不味くなっていく気がする。・・・砂食ってるみたいだ。味がせん。
「よしましょう」
 ずっと、黙っていたエルダだった。やはり、この女性の声は年齢を感じさせない。
「屋敷の中で誰が犯人かを探り合うようなことは、お客様にも失礼です。旦那さまも・・・何より、セリア様がお気になさるといけません」
 エルダに同調するように、傍のセイジ執事長も口を開いた。
「そうでございます。なんであれ、この屋敷に放火をするような人間はいないはず。炎は事故です。これ以上何も言及することなどございません。それに、レイドは広がった炎を消し止めました。評価されこそすれ、責められる所以などないはず。そうでしょう? 旦那さま」
 絶妙なコンビネーション。お見事、とシェゾは心の中で拍手を送った。
 強い意思を持った2人の言葉で、アルベルの気は完全に落ち着いたようだった。
「・・・そうだな、エルダ、セイジ。私が悪かった・・・。レイドには・・・そう、何か事情があったのだろう」
 言葉とは不思議なもんだ。組み合わせによっては、強大な力を持つ精霊を呼び出せたり、その一方で何をどう間違えたのか、“変態”と相手にののしられるハメになる組み合わせになってしまったり。
 セイジは、なおもその説得力のある口調で言った。
「私もエルダも、ルビウスと同じ考えです。レイドは毎回、ふらりと旅に出ては、必ずセリア様に土産を持って帰っておりました。今回は直接渡せない上、部屋には私とエルダ家政長しか入れないので、忍び込んだというところでございましょう」
「レイドなら、言ってくれれば開けたのに・・・。全く、妙なところで律儀な男だな」
「はっはっは、レイドさんはちょっと変わってますからな!」
 ルビウスは相変わらず明るい。このテンションは、今夜から街で始まる祭の影響を少なからず受けているのだろう。

 

■      ■      ■

 

 夜になっても、雨はシトシトと降り続けていた。祭りはこれからが本番だが、雨の勢いは弱まりそうにない。まぁ、レイエの祭りは大掛かりなものだから、この程度の雨で中止にはならないだろうけれど。
 セリアが図書室から自室へ帰ると、部屋の前でマリアが待っていた。
「あれ、マリア。帰ってたの」
「ええ、つい先ほど。セリアさま、調子はどうですか」
 マリアが、安心したようにセリアに笑いかけた。
「・・・・・・。うん、悪くないよ・・・」
 セリアは答えながら、用心深くマリアの「声」を確かめていた。レイドと何か話していたマリア。レイドから、何かを聞いたんじゃないだろうかと、つい確かめたくなったのだ。
(―――――良かった、大丈夫そう)
 セリアは、少しホッとした。マリアの「声」は、いつもとなんら変わりない柔らかくて優しい「声」。そこに、自分への疑惑や怒りは無い、とセリアは判断した。

 ただ、マリアの柔らかい笑顔は優しかったが、その奥底に氷のような冷たい眼差しがあることも、セリアは同時に見抜いていた。時として、ゾクリとさせるほどの戦慄を伴うその気配は、セリアにとってあまり気分のいいものではなかった。けれど、たぶん――――それがマリアが自分に話をするときに使うという“氷の魔法”なんだろう―――――。
 自分に憑いた“氷の精霊”のせいで、人と話をすることが出来ない自分。医師であり、また魔導士でもあるマリアは、“氷の魔法”を使うことで、“氷の精霊”を刺激することなく、セリアと話すことが出来るのだという。だから、彼女の優しい笑顔の奥に“冷たい力”を感じるのは、仕方のないことだ、とセリアにもわかっていた。―――――わかってはいるのだけど。
(それでも、イヤな感じがするのは変わんないな)
 セリアは、ちらりとマリアを見上げてため息をついた。

 あどけない少女のような面影を残す、白魔導士のマリア。数ヵ月ほど前から、自分に笑顔を向けてくれる人は、マリアしかいなくなった。マリア以外の人からニコリとされると、途端に身体の中の“氷の精霊スノゥ・クィーン”が騒ぎ出す。それを知っている人は、誰一人として二度とセリアに笑顔は向けてくれなくなってしまった――――――セリアにとって当たり前となったことだったけれど、今それが急に、少し悲しくなったのだった。

 病気がちではあったけれど、昔はもっとたくさんの人が自分に優しい笑顔を向けてくれていたことを、セリアはよく覚えていた。エルダやセイジ、ルビウスやベラ、あの頃は偏屈なウィリアム爺さんも文句を言いながらも部屋まで遊びに来てくれていた。近所の街の子どもたちも、富豪の屋敷は珍しいらしく、度々部屋へ遊びに来ていたものだった。
 毎年の祭りには必ず彼らを誘って、夜の街で遅くまではしゃいでは、エルダたちに叱られた。そんな友だちだって、あの頃は少なくなかったのに―――――自分は、決して孤独な『氷の女王』ではなかったのに―――――

「あのね、セリアさま」
 マリアの声に、自然にセリアの思考は中断されて現実に戻った。
 レイドのことでないのなら、マリアが何用で自分を待っていたのか。年齢のわりに頭の良いセリアには大方の察しが付いていた。
「父さん、また出かけちゃったみたいだね」
 マリアが言う前に、セリアは自分でそれを切り出していた。
「え? ・・・ええ、お忙しいようで・・・。セリアさま、気持ちは分かりますが、この雨ですし・・・」
 マリアは、ずいぶん前からセリアが、この日、調子が良かったら祭りへ行きたいと言っていたのを、覚えていたのだろう。雨の中でも、自分が祭りへ行きたいと言い出すかもしれない―――――マリアは、きっとそう考えたのだ。
 年齢のワリに勘が良く、頭のいいセリアは、そのくらいのことはよく見抜いていた。
「うん、僕、いい子だから諦めるよ。今日は、ちょっと疲れちゃったから、もう寝るね・・・」
 セリアは軽く笑って部屋へ入り、マリアが何か言う前に、すばやく鍵をかけてしまった。

 

 窓の外で降り続く雨はそれほど気にはならなかったけれど、窓の外から聞こえてくる祭りの喧騒は耳障りで、セリアはやや乱暴に窓を閉めた。カーテンを引いて、ゴロリとベッドに横たわる。太鼓の音は遠くでまだ聞こえていたが、上手い具合に雨の音に紛れて、それほど気にならなかった。「雨」には隠す力があるんだと、いつか誰かが言っていたけれど(アイギスだったかもしれない)、それは本当なのかもしれないな、とセリアはぼんやりと考えていた。

 ベッドの上で、セリアは夕べ、なかなか寝付けなかったことを思い出す。エルダが用意した冷めた夕食をいつものように1人で食べて、1人でお風呂に入って、疲れた身体で少し泣きながら眠った。
 涙は、自分への嫌悪感からだったと思う。あの部屋に、火をつけた。やってはならないことだと、わかってた。けれど、あの部屋を前にして、頭の中に突然沸いたイメージは巻き起こるオレンジ色の炎だけで――――――
 暗い自室のベッドの上で、セリアは夕べと同じようにぎゅっと目をつぶった。
 昨日も散々泣いて眠ったはずなのに、またここで1人で横たわっていると、また新しい涙が溢れてきそうだった。
 恥ずかしくて、惨めで、最低の自分。本当は誰にも知られたくなかったという気持ちが、後から後から沸いてくる。

 シェゾにはバレてしまったけれど・・・せめて、父さんには知られたくない。どうか、父さんには言わないで。
 昨日は、そんなことばかり考えていたような気がする。自分は、どこかで誰かに見られていたのではないだろうか、シェゾは誰かにウッカリ言ってしまったりしないだろうか、・・・

 目をつぶっていると、まぶたの裏に、昨日、あの部屋にいた自分がゆっくりと思い出されてゆく。
 昨日、自分はあの部屋で、火が燃え広がってゆくのをしばらく見ていた。なぜ、炎が燃えているんだろう? なんて大きな炎、この炎は本当に僕が点けたものなんだろうか。さっきまでは、もっと、小さくて消えてしまいそうな火だったはずなのに。それはどんどん大きくなって―――――いつの間にか、自分の背よりも大きくなってた。それに気付いて、ビックリして・・・怖くて、後ずさりをして―――――気付いたら、部屋のノブを思いっきり回して、部屋を飛び出してた。
(・・・?)
 セリアは、その時、自分は何かを思い出しかけているような気がした。
 なんだろう?
 あの後、自分は必死になって逃げ出した。けれど、だんだん背後で炎の気配が強くなってくるのを感じて、―――――その後は? ・・・そうだ、廊下を走っている途中で、急に、消さなきゃ、と思った。・・・そうして、いつの間にかあの部屋の前に戻ってきていて―――――中に、人の気配がした。「声」の様子からして、たぶんシェゾと――――それと、何とかして、もう1人の「声」も聞こうとした。そしたら中から扉が開いて――――――

『セリアさんじゃないですか』

 セリアはハッと目を開いた。記憶の中で、あの時感じた違和感が、突然思い出されたからだ。
(・・・そうだ。昨日は色んなことで焦ってて忘れてたけど・・・)
 セリアは起き上がって、もう一度あの時の違和感を思い出そうとした。
 あの瞬間、ギクリと顔をこわばらせたのが、自分でも分かった。
 そう、その後ろでは、シェゾが驚いたような表情をしていたと思う。彼の聞こえない「声」は、なぜか「やっぱりな」と言っていた気がしたのを覚えている―――――。そうだ、普通は聞こえるはずなんだ。あんなに近くに人がいれば。
 ―――――けれど、彼の「声」は聞こえなかった―――――
 セリアの涙は、何かに強くせき止められたかのように、ピタリと止まっていた。

「・・・レイド」

 暗闇の中で、セリアは今一度、その男の名前を口にした。
 部屋の前で、彼はセリアに言ったはずだった。
『セリアさんじゃないですか』
 彼の無表情な声が、またも記憶の中で妙に響く。その瞳は、確かに自分を見ていたはずなのに、彼の瞳には何も映っていなかった。怒りも、驚きも、戸惑いさえない、不気味なくらいの無音が、あの時の彼の瞳だった。
 ―――――セリアさんじゃないですか。
 あの時、彼はどんな気持ちであの言葉を・・・?
 ―――――セリアさんじゃないですか。セリアさんじゃないですか・・・
 何度思い出してみても、あの時耳に聞こえた彼の声はそれだけで、その他の「声」は聞き取れない。自分が、どうにかして聞こうとしたにもかかわらず、だ。
 「声」の聞こえにくい人は、確かにいる。・・・例えばシェゾ。彼の「声」はよく聞かないと聞き取れないほどすごく遠い。でも、かすかに聞こえる小さな「声」は、とても繊細でキレイなガラスのカケラがサラサラと落ちてゆくような音。本当に耳を澄ませないと聞こえないほどだけど、確かにそれは聞こえてくる。
 セリアは、レイドの「声」もこれと同じだと思っていた。自分が聞こうとしていないだけで、よく聞かないと彼の「声」もまた、聞き取れないのだと思っていた。―――――しかし、それは違っていたのかもしれない。
 あの時、セリアは何とかして彼の「声」を聞こうとした。よく耳を澄ませて、彼がここにいた自分をどう思っているのかを知りたいと思った。彼の聞こえるはずの「声」を聞こうと、必死になって耳を澄ませた。けれど、彼の声はどこまでも「無表情」だったのだ――――何も聞こえてこない――――――

 まるで、彼の瞳の奥に広がる闇に、「声」が隠れてしまっているように、何も聞くことが出来ない。何も、聞こえてこない―――――昔から、聞こえない「声」を頼りに、真実を見抜くことを得意としてきたセリアにとって、レイドの無表情な「声」はあまりにも不気味だった。

 セリアは、レイドのその無音の表情を、何かに似ていると感じていた。

 思い出されたのは、今朝、何気なく図書館で眺めていた絵本の数々。魔女や魔物や鬼の話。
 彼らは、まるで当たり前のように主人公たちの仲間を騙し、苦しめ、時には殺してしまったりする。そして、まるでそれが決まった運命か何かのように、物語の主人公たちによって逆に懲らしめられてしまうのだ。
 物語を通じて、彼らの台詞はいくつもある。けれど、どの物語もそうだけれど、彼らの心の声はひとつとして聞こえてこない。なぜ、彼らは人を苦しめるのだろう? そんな疑問を胸に、彼らの台詞の一つひとつにセリアは耳を傾けてみたことがある。
 けれど、―――――何も聞こえてこなかった。
 挿絵の中で台詞を口にする彼らの瞳には何も映っていなかったし、聞こえない「声」も聞き取ることが出来なかった。なぜ人を傷つけるのか、どうして決まった台詞を迷いなく口にするのか、彼らの瞳は決して何も語らないのだ―――――
 絵本ではそれで当たり前なのかもしれない。
 ただ、セリアは、あのレイドの無表情な声が、それによく似ているような気がしていたのだった。

 無音で、何も聞こえてこない言葉。
 まるで、それが当たり前で、決められた命運か何かのように、何の疑問も怒りも戸惑いさえなくて、ただ決められた台詞を義務的に口にしているだけのような。まるで、あの部屋の前を演劇の舞台にしているかのような、感情の無いレイドの台詞は、燃え広がる紛いモノのような炎を見た直後なだけに、セリアにとって絵本を読んでいるかのごとき錯角を起こさせるほどのものだった。

 なぜだろう?
 なぜ、彼の声は絵本の中の台詞みたいなんだろう?

 ―――――どうして?
 ―――――どうして、レイドの「声」は聞こえないの?

 他の人は、イヤでも「聞こえて」くるのに、どうしてレイドだけは。

 ―――――― ど う し て ?

 特徴的な彼の怪しげな微笑を思い出しかけたとたん、窓の外に大きな光が輝いた。

ドォン

 窓の外からの轟音を、雨もさすがに隠れきれなかったらしい。その音と光は、祭の始まりを意味していた。

ドォン ドォン ドドォン・・・

 音につられてカーテンを開けると、小雨がぱらつく中、海の上に花火が次々と上がっているのが見えた。
 遠くで始まった祭りの気配に、セリアは一瞬だけレイドのことを忘れた。

 セリアの部屋からは、海と街の様子が一望できる。
 お気に入りの港の灯台、そこから続くメインストリートは色とりどりのランプが、ずらりと並ぶように輝いていた。いつもはレイエの商人たちが行き交う通りも、今日ばかりは異国からの客人や馬車、外国商人たちで賑わうはずだ―――――港にはすでにいくつもの豪華客船が着いていたし、沖合いからの派手な花火は、そのような客船を迎えるためのものでもあった。
 客船を降りた異邦人たちは、港から続くレイエのメインストリートを通って、丘の上に集まる迎賓館に招かれる。アルベルも、今夜そこで開かれるパーティに、街の富豪として出席しているはずだった。たしか、ルビウスも給仕のひとりとして出向くこそになっていると屋敷の誰かが言っていたと思う――――――
 この狭くて暗い部屋の中ではない、煌びやかな広い光の空間で行なわれる盛大なパーティと熱気溢れる街の祭り。双方は、自分とは関係の無い世界で華々しく執り行われるイベントだった。

 ―――――――自分とは関係の無い世界ところ

 そこまで考えた時、セリアは急に、かつては自分もそこにいたひとりだということを思い出した。窓から見える、黄金の建物。雨の中でも、街の光を浴びて輝いている。たくさんの人が集まり、楽しそうな音楽を奏で、色んな人とのおしゃべりを楽しむ場所。2年以上前は、自分も父親に手を引いてもらいながら、あの場所の中心に近いところにいたはずだった。
 人を拒絶することしかできない今の自分が、行くべきところではないとは分かっていても、あの時の自分が羨ましくてしょうがなかった。どうして、“氷の精霊スノゥ・クィーン”に憑かれただけで、自分はあの場所から排除されなければならないのだろう?
 自分は、絵本の中で、何の疑問も持たないで、人を苦しめるだけの“悪者”じゃない―――――かつては、あの街の一員で、屋敷の中でも一番たくさんの人に愛されていたはずだった。
 “はずだった?” ―――――違う。
 違う、そうじゃない。今だって、僕は・・・

 セリアの脳裏に、レイドとはまた別の声が蘇った。

『尤も、それはお前の本当の気持ちじゃないんだろうが・・・』

(そうだよ。ここにいるのは、僕の本当の気持ちじゃない)
 セリアは思わず、そう答えていた。それは、自分の「聞こえない声」でもあるかのように、ザワ、と周りの空気をも揺さぶるほどの意思だった。

 遠くの方で、何かの力が喚び起こされるような奇妙な気配を同時に感じる。ただ、それを気にする余裕はセリアには無かった。祭りの音が、さっきより近くに感じる。耳に、リズミカルになってきた太鼓の音が、ズンズンと響いた。音に隠れるように、「声」はさらに意識の内側で蘇る―――――

『お前がそうだからじゃない。いくらお前の中の“氷の精霊”がアイツらを拒もうと、お前自身は変わらずアイツらが好きなはずだ。違うか?』

「・・・そうだよ」
 セリアは今度は、ハッキリと呟いた。
 言葉にしてしまうと不思議なもので、何か自分の中のエネルギーが内側から湧き出だして、それが大きな決意として次第に固まっていくようだ。何か遠くにある大きな力を奮い立たせるような気持ちが、身体の中から熱く沸き立つ。なんだろう、何か大きなものが遠くで喚び起こされるよう。これは――――なんだろう? 勇気? 武者震い? それとも――――どれも合っていそうで、違う気もする。

 ただ、確かなことは。
 祭りに行きたくないと思っているのは、自分の中の“氷の精霊スノゥ・クィーン”で、自分自身は、今もあの場所にいたいと思っている。雨の中でも、熱気に溢れて賑やかな街。暗闇の底のような、こんな部屋の中ではなくて、白い光に輝くあの街に、自分はいたいと思っていたことだ。

 そんなセリアの言葉に、誰かがどこかで応えている――――――君は、誰・・・?

『なら、行けばいい。力を貸そう・・・』

 「声」は、そう言っているように聞こえた。身体の内側から聞こえてくるようなその「声」は、実際にはまるで異国の音楽のようで、セリアに理解できる言葉ではなかった。けれど、なぜか何を自分に訴えているのかはなんとなく「わかる・・・」。

「・・・ごめん、マリア」

 その言葉は、「祭りには行かない」という彼女との約束を破る、最後の決意の現われでもあった。それは何かの呪文であったかのように、セリアの心に揺るぎない意思として固まってゆく。

 部屋に鍵をかけてから、かなりの時間が経っていた。部屋に入った時より、ずいぶん気分が良くなっている。
 慣れた手つきで窓の鍵をすばやく外し、音を立てずにストンと外の巨塔の装飾部分へ降り立った。雨に濡れた足場とはいえ、何十回と繰り返してきた行為だ。セリアは「声」に誘われるようにして、難なく中庭に降り立ち、誰かに気付かれる前に屋敷の門に向かって走り出していた。

 少年の脳裏に、もう一度「声」が彼を励ますように響いたが、その後はもう聞こえなかった。

 雨や霧には“隠す力”があると言われる。
 この時も雨はセリアにずいぶん都合よく働いたようで、その闇と雨は彼の気配を上手く隠し、足音をかき消し、雨さえなければ残ったであろう足跡さえもキレイに流していった。少年が1人、雨にまぎれて屋敷の門をくぐりぬけ、街の方へ走ってゆくのに誰も気づかなかった。
 屋敷の軒先でジッと佇んでいた黒猫が1匹、思い出したようにその後を追っていったことを除いては。

 

■      ■      ■

 

 今日は仕事らしい仕事などしていないクセに、妙にくたびれていたシェゾは、アトリエで祭りの始まりの合図を聞いた。窓枠に肘をついた姿勢のまま、半ば無意識に独り言をつぶやく。ああ、そういえば今夜は遠くに見える港が一段と明るい―――――

「祭りか・・・」

『そうです』

 シェゾは危うく窓枠に頭をぶつけそうになった。いつの間にか、背後にアイギスが現れていた。全くコイツは、本当にいつどこに現れるかわからない。背後のさっきまで何もなかった空間が、とてつもなく歪んで恐ろしいオーラで渦巻いていた。あと寸刻、気を張るのが遅れていれば、この禍々しいオーラに弾き飛ばされていたかもしれない。―――だのに、オーラを撒き散らす当の本人は、至って冷静にしゃあしゃあと抜かした。
『チャンスなのです。皆祭りに気を取られて、私たちが屋敷で大きく動いても目立たない。暗黒器を探しましょう。・・・探さないんですか?』
「・・・・・・マスクが取れているぞ」
 抑えることを知らない魔族のオーラに吐き気まで感じながら、シェゾはアイギスを睨みつけた。
『あ』
 アイギスは、慌ててマスクをかけた。途端に、アイギスを覆っていた禍々しいオーラがウソのように消えた。彼女のかけた怪しげなマスクに、オーラが一瞬で吸い込まれてしまったかのように。
「そのマスクは、魔族のオーラを抑えるのか」
 アイギスはやはりそれに律儀に応える。
『ええ、強力な封印魔法を施しています。サタン様のモノはもっと強力ですよ。私みたいな者がウッカリかけようものなら、私の存在自体が消されかねない』
 シェゾは、やっとマトモにアイギスを正面から見据え――――特に、目立つ金色のマスクを注視した。
 ただの悪趣味なアクセサリだとはさすがに思っていなかったが、ここまで強力なアイテムだったとは、正直予想外かもしれない。
「・・・インキュバスは、かけてはいなかったな」
『淫魔の類は、メガネやマスクを嫌いますからね。メイク道具や何やらに魔法をかけて、誤魔化しているようですが』
 それで厚化粧なのだろうか? アイツだけは、気配が読めなくてもその存在がすぐにわかる。半径10メートル以内は常にフローラの香りだ。
「・・・・・・魔族も大変だな」
『大変ですよ。人間にも鈍感な者がいる一方で、貴方のように鋭い者もいますからね。・・・貴方は少し違うようですが、人間の中には魔族をやたらと嫌う者もけっこう多いんですよ。万全を期すに越したことは無いわけです』
 なにやらこの魔族、歴史的にけっこう重大なことをいかにも軽やかに言い切ってしまっているような気がするのは、オレだけかね。昼間のアルベルの言葉を思い出すまでもなく、シェゾはアイギスの口調に妙に薄っぺらいモノを感じてならなかった。人間の中には魔族を嫌う者が『けっこう多い』とこの魔族は言うが、彼に言わせればそれはずいぶん違った表現となるのだと思うと、余計にその軽々しさが妙だった。
 その僅かであるようで大きな隔たりにか、はたまた昼間から続いていたイライラのためか、それがふと妙な言葉となって口に出てしまっていた。
「・・・オマエは、人の子どもを攫ったことがあるか?」
『はぁ?』
「いや、深い意味は無いんだが・・・」
『ありませんよ』
 言葉を濁すシェゾをよそに、アイギスはいつもの淡白な口調ですっぱりと答えていた。
『サタン様にそーゆーことをやると人間を酷く傷つけることになると、きつーく教わっていますから。まぁ、とはいえ、人間の子どもの中にはブッサイクな顔をしたものもいる一方で、キレイな顔をした者もいますからね。隠れて可愛い子どもを攫っては、毎度叱られてる淫魔の類もいるにはいますけど』
「・・・・・・・・・アイツか」
 詳しい話は思い出したくも無いが、アイギスの言葉にインキュバスの影が見え隠れしていることをシェゾは直感的に感じ取っていた。
『人を攫うと言えば、あの小魔女ウィッチ一族なんかもそうでしたね。昔は、魔術の研究のためなどと言って、けっこう好き勝手なことやってたみたいですよ。今も人こそ攫わないものの、危険な薬品を街中にぶちまけてみたり、気に入った衣装を片っ端から集めて回るような若い魔女もいるようですが。いい迷惑です』
「・・・・・・」
『まぁ、そういう迷惑野郎もいるのでとばっちりを喰わないためにも、私のような優秀な魔族も正体はなるべく隠したほうがいいわけです』
「自分で言うな。オマエも大して優秀でもないだろうが」
 魔族は聞いちゃいなかった。他人のことは完全に無視して、マスクを手にひとりでぼやいている。
『まずいなぁ・・・ここに来るまで、すっかり忘れていましたよ。まぁ、今日は雨が降っているので、ある程度オーラも抑えることが出来ていたとは思うのですが』
「雨も・・・街全体を闇が覆っているな」
 シェゾは窓の外をゆっくりと見やる。祭りの音は相変わらず続いているが、同時に雨がやむ気配も無い。
『闇や雨、霧の力は、“隠す”のが得意ですからね』
 難しい魔導の原理を、魔族はいともアッサリと言った。悔しいことだが、彼らにとって闇魔術で少しマスクに細工を施すだけで、禍々しい巨大なオーラをも一瞬で隠せてしまう。彼女が言う、「闇」「霧」「雨」の中で、「闇」は最も秘密を守るのに長けた力だった。力ある者に「闇」の力で対象を隠されてしまったら、たとえどんなに近くにいても、彼らの正体が周りに漏れることは決して無いのだ。
『で、召喚器の話ですが―――――』
と、唐突にアイギスが言葉を切った。その意味で、アイギスはシェゾよりも早くそれに気づいたのかもしれない。
 雨と、馬鹿馬鹿しい不毛な言葉の応酬の中で、シェゾがその「音」を聞いたのは、全くの偶然だった。

 

「―――――?」

 どこか、聞き覚えがあったからかもしれない。シェゾは、その不思議な旋律を聴いて、思わず耳を済ませた。
 アイギスも同様の反応を示したので、聞き間違いではないようだ。極力耳を済ませてみても、微弱にしか聞こえない静かな音。太鼓の響きと、雨の音に掻き消えてしまっていてもおかしくないのに、なぜだろう? よく透る音だ――――
 シェゾは、アイギスを無視し無言でアトリエの窓を開けて外を見た。
 大きくなったのは、雨音と風の音、それから港の方から聞こえてくる祭りの気配――――それだけで、不思議な「音」は、窓が開いたこととは関係なく、一定の音を響かせ続けている。

「・・・? なんだ?」

 妙な音に、シェゾはすっかり困惑して耳を澄ませた。どこから聞こえているのだろう? 外でなければ、屋敷の中から? いや、そのどちらでもないような気さえする。――――もっと――――こう、近くて遠い――――例えば、身体か心の最も奥底から聞こえてくるような―――――・・・?
 シェゾはさらに、その音の性質にも注意した。
 音―――というより、音楽のようでもある。遠くを流れる水音のように、静かに、けれど確かな旋律。なんだろう? この旋律、どこかで・・・?
 思考が混乱している外側から、アイギスの単調な口調が呟く。
『何か、聞こえますね。・・・貴方を喚んでるんじゃないですか』
 相変わらず、意味深に富んだよくわからない言葉だ。
「オレ?」
『だって、そんな風に聞こえますよ』
「・・・・・・ただの音楽のように聞こえるが」
『音楽・・・? 違いますよ、どちらかと言うと「歌」では? よく聞いてくださいよ、何者かの“声”です』
 アイギスの言葉に、シェゾはもう一度よくそれを聞いた。
 遠くから、本当に遠くの方から聞こえる静かな音。しかし、その音はよく聞こえる。
 耳には雨の音や風の音も聞こえているはずなのに、それだけはなぜか空気とは別の空間を通して聞こえてくるようだ。
 そして、それはなるほど――――アイギスの言うように、“歌声”のように聞こえなくはない。
 不思議な旋律、――――聞き覚えのある音の調子―――これは・・・

「これは、・・・古代魔導語?」

『よく似ていますが、違いますね。でも、よく似ている――――ホラ、今も』

 音は、確かに何者かに語りかけているような“言葉”にも聞こえる。
 嵐の夜に、なぜか聞き惚れるほどの美しい唄で船乗りを惑わせる海の魔女セイレーン――――彼女の歌声も、もしかしたら、このような声なのかもしれない―――――
『貴方に・・・何かを、誘ってますね。貴方の力に、干渉しようとしてるのでしょうか』
「闇を、喚んでいるのか・・・?」
 にしては、ずいぶん消極的な喚び声だな。闇は引力、力を召喚したいなら、もっと強引に力を惹きつけることだってできるだろうに。
『どうやら、力ある者に干渉しようとしているみたいですね』
 歌声を聴きながら、アイギスは今度は自分の周りにまとわりつくような気配を感じているようだった。
 自分にも微弱に感じられるその誘うような気配は、シェゾが応じれば力を貸すと訴えているようでもある。
 アイギスは鬱陶しかったのか、ふっと息を吹き付けるようにしてその気配を消してしまった。不思議な旋律を携えて誘うわりに、ずいぶんあっさりと消えるものだ。最も、アイギスのような強大な力を前に、気配ごと掻き消されただけかもしれないが。
 シェゾも、正体が定かでない気配からの誘いなど、さっさと拒否してしまっても良かったのだが、しばらくその気配を探ってみた。まとわりつくようにシェゾの周りを彷徨うように歌い続けるこの奇妙な力の気配――――何を訴えているのか、少しだけ耳を傾ける。
「・・・・・・・・・力を、召喚している?」
 その歌を理解できたワケではなかったが、その旋律が訴えんとしていることは、なんとなく感じられる。だが、その程度だ。
 音は、しばらくして聞こえなくなった。
 その後は、すっきりしない妙な空気だけがシェゾと女魔族の間に残るのみ。雨風の音が、開けた窓から相変わらずヒュウヒュウと鳴り響いていた。
『・・・暗黒召喚器でしょうか?』
 妙な夢から覚めたあとのように、アイギスがやはり妙な表情で呟いた。
「・・・・・・それだと話が早いんだがな」
 そう言いつつ、シェゾはその意見には奇妙な違和感を覚えていた。
 ・・・何というか、あの「音」が例えばそのシェゾの持つ『闇の剣』と同列の“闇”の力の支配者を求める古代機器だと考えるには、あまりにも「音」は古代の禍々しい“闇”とは別属性だという気がした。
 静かな旋律、柔らかな音、少し寂しさと優しささえ含んだどこか懐かしい響き。
 決して無理強いはしない、あくまでも相手を誘うような“喚び声”は、古代の暗黒器に相応しくない・・・ような気がするんだが。
 妙なことというのは連鎖的に起こるもので、その時、ふと扉の向こうに現れた新しい気配がアトリエの扉を開けた。
「誰だ?」
 それと同時に、アイギスがすぃ、と音も無く鳥の姿に変じる。
 夜の暗闇が支配するアトリエの扉を開いたのは、ウィリアム老人だった。
「ああ、シェゾさんだったのかい」
 なるほどという思いと、意外だったという思いをごっちゃにしたような表情で、老人は言った。
「どうかしたのか」
「なんだか、どっからか鼻歌が聞こえたような気がしてさぁ」
と、老人はどこか浮いたような口調で答えた。
「鼻歌・・・?」
 シェゾは半信半疑ながら、さっきの“歌声”のことか? と、直感した。
 アイギスと自分だけにならともかく、この干からびた老人も、あの声に気づいたというのか。
「聞こえたのか?」
 ややあって、ウィリアム老人が眠たそうにぼやいた。
「ああ、不思議だね。外は雨だっていうのに、よく聞こえた。私は目より耳が悪いけれど、なんでかあの音はよく聞こえたよ」
 ―――――耳で聞く音ではないからだ。
 シェゾは、たぶん――――いや、確信に近いかたちでそう思った。
「いい旋律だね、また聞かせてよ・・・」
 そう言って、ウィリアムはアトリエを出て行った。
 たぶんさっきまで、寝ていたのだろう。音を聞いて、ふらふらと起きだしてきたのだ。それだけ、この老人にとってもあの音は気になるものだったに違いない。
 やはり、あの音は――――ただの音ではない――――――

 

 扉が閉まると同時に、鳥から人の姿に戻ったアイギスにシェゾは言った。

「・・・・・・街へ出てみる」

『なぜ?』

 アイギスのマスクがこちらを向く。いぶかしげな雰囲気も持っていた。・・・さて、どう説明したものか。
 シェゾは、一応言葉を選んで慎重に言った。
「・・・今の音が本当に暗黒召喚器のモノだとしたら、今までとは違うやり方で“力”を召喚していたということになるな」
『そうですね・・・明らかに、今までと方法が違います』
 アイギスは、つい先日までの黒インクの細糸を辿るような面倒な仕事を思い出しでもしたのか、少しうんざりとした口調で答えた。
「それも、オレの闇にさえ干渉してくるようなやり方だ。雨に紛れさせたつもりにせよ、あのウィリアムでさえ喚び声に気づいてる。オレやお前ならまだしも、人に聞こえるような力を使うとは、少し強引だという気がしなくもない」
『・・・・・・それで?』
「なぜ、そんな方法で力を喚ぼうとしたかも気になるが・・・問題は、音がすぐに途切れたことだ」
『私たちが拒否したからでは?』
 アイギスは、自らその気配を消してしまったから、そう言えるのかもしれないが。
 実際にはそうではない、あの後しばらく“喚び声”は続いていたのだ。
「確かに、オレたちは喚び声の誘いを拒否したが、その後しばらく音は聞こえてた。・・・音が途切れたのは、何らかの力がそれに応えたからかもしれん」
『私たち以外に、あの声に応じた者がいると?』
「その可能性があると言っている」
 果たして、あの声はどこまで聞こえていたのだろう? もちろん、自分とアイギス、それからウィリアム老人だけだったかもしれない。だが、・・・もっと広かったとすれば?
『・・・・・・・・・否定はできませんけど・・・』
「つまり、今の“喚び声”に応えて、何らかの力が“召喚”された可能性がある、ということだ」
 シェゾはできる限り、淡白に言った。言葉に、余計な力を上乗せさせたくなかったからだ。根拠のない憶測は、要らぬ心配や混乱を生むことを、シェゾは知っているつもりだった。
『・・・何者かが、さっきの“喚び声”に応じて、力を貸した。その根拠は、確かに声がすぐに途切れたことだけですが――――もし、当たっていれば確かに、何か起こるやも』
 シェゾは無言でうなずいた。ただの憶測でしかないが、ここ数日の召喚器の奇妙な動きとあいまって、どうも今の声が自然に消えたと思うほど、シェゾは考えなしではない。
『――――街に、今のところ妙な気配はありませんが・・・少し、雨風が強くなったくらいで』
 アイギスの気配が一瞬だけスゥと大きくなり、そして小さくなった。おそらく、今の一瞬で街全体の気配を探ったのだろう。全く、頭の回転は鈍いクセに、やることは大胆かつスマートだ。悔しさとかを通り越して、―――――むしろ、助かる。
「何も、すぐに対象が召喚されるとは限らんだろ」
 シェゾは、くぃ、と窓の外をあごで指し、あとはアイギスの想像に任せた。
 アイギスも、さすがにそれを察したらしい。
『ああ、なるほど。雨風と夜闇に紛れて少しずつ近づいてくるのかもしれませんね。今までみたいに』
「“喚び声”に応じた“力”によっては、厄介かもな」
『雨風は、少しの力で強い混乱を生みますからね・・・。おまけに、街の方には普段より強い祭りの熱気・・・』
 その通りだ。外は今の季節には珍しいくらいの嵐の気配、それに不似合いなほど湧き上がっている街の喧騒。
“力”と“力”の出会いは、時に予想しない力を喚び起こす・・・
 急に声のトーンを低くしたアイギスに、シェゾは不覚にもギクリした。
「・・・・・・あまり、根拠のない言葉を軽く吐くなよ」
 力ある者の言葉は、時として下手な呪文よりも強力な魔力を紡ぎ出す。アイギスは魔族だ、――――そのことに加えて、レイド、ウィリアム、アルベル、そしてセリアも――――魔力でこそないかもしれないが、この何故か奇妙な力を持つ者が集まるこのレイエという街で―――――この時の、アイギスの予言は嵌りすぎている。
 何か――――本当に起こるかもしれない。俄かにシェゾはそんな根拠のない直感を覚えた。
「とにかく、今から街へ出て、何か妙な気配がないか探る」
『・・・まぁ、先日までの召喚器探しよりはマシですか。無駄足に終わる気もしますけど』
「まぁな。だが、何もなければ、それはそれでいい。・・・祭りを見物しがてら、手がかりでものんびり探すか」
 努めて、シェゾは何も起こらない方向へと言葉を紡いだ。アイギスの予言まがいの言葉を打ち消すつもりもあったが、同時に自分を落ち着かせる意味もあった。
 力と力の出会いによって、喚び起こされる何らかの“力”。もちろんそれは杞憂に終われば、それに越したことはないのだけれど。
 ただ、それが杞憂に終わらない予感も、シェゾは同時に感じていた。
 冷静に考えれば、単に雨が降る夜、聞き落としそうなほど小さな歌を聴いただけ、とも言えるのだけど。
 だが、それと同時に、・・・・・・少しずつ、何か別の何かが近づいてくる気配。闇からの足音。それは、先刻聞いた喚び声のように、海の魔女セイレーンの歌声のように――――静かに、だが確実にこの場所に届く―――――
「・・・何も無ければ、それでいいんだ」
 シェゾは、もう一度そう繰り返した。今度は、本当に自分への言葉でもあったが、アイギスはそういう意味で変わり身が早い。
『そうですね。じゃあ、私は先に行って屋台で焼き鳥でも買っておきます。後で街で落ち合いましょうか』
 そう言ったかと思うと、アイギスは再び鳥になって開いた窓から出て行った。

 

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