見えない真実
「アンタか? セリアに闇魔導師の妙な噂を吹き込んだのは」
昼過ぎに屋敷へ帰っていたアルベルに、シェゾは書類を届けついでにそう言った。
「・・・妙な? それはどんな噂でしょう」
書類に興味深そうに目を通していたアルベルは、セリアがそうする時とそっくりのきょとんとした目をシェゾに向けた。
何か、理由の分からない怒りと、それを抑える感情が互いに力を打ち消しあったような無表情で、シェゾは自分でも気づかないうちに口を動かしていた。
「アンタは、闇の魔導師 を恐れないんだな」
アルベルは勘のいい男だった。シェゾの言葉不足な台詞の意味を見事に察したらしい。たぶん、いつかそういう話を持ち出されるのではないか、とアルベルも知っていたのだという気がした。
「ああ、・・・セリアから聞いたのですな。しかし、少々誤解があるようだ。私は別に、闇魔導師を恐れていないわけではありませんよ。伝説に残る彼の所業の数々が全て真実だったとすれば、彼は間違いなく恐怖の象徴です」
「? 歯切れの悪い言い方をするんだな」
シェゾは、先刻セリアにも感じた戦慄を、アルベルにも覚えざるを得なかった。
“全て真実だったとすれば”? 彼は、“闇の魔導師”の伝説を信じてはいないというのだろうか。魔女や魔物を多く従え、多くの魔導師を殺し、神の信託を受けた者によって断罪された存在を、それでも伝説として闇へ葬ることをためらうというのか。理解できない――――――
「・・・そうですね。確かに私が恐れているのは、闇の魔導師 自身ではないのかもしれません」
アルベルは書類に目を落としたまま(読んでいたのかはわからない)、呟くように言った。
「私が本当に恐れているのは、闇の魔導師に関する「噂」そのものですよ」
「・・・・・・? 「噂」が怖いのか?」
シェゾは、少し話しをそらされたような気もしたが、構わずアルベルの答えを待った。
彼の答えは、「その通りです」だった。
「なぜ?」
間髪を入れないシェゾの問に、アルベルはようやく書類を置き、やや表情を硬くして言った。
「真実を見失うのが怖いからですよ」
「・・・?」
シェゾは、無意識の眉をひそめていた。たぶん、さっきセリアの前でも一度くらいこのような表情をしたかもしれない。
「そうですね、・・・ふむ」
アルベルは、手近なパイプを手に取ると、慣れた手つきで火をつけた。
何かを少し考え込んだようだが、結論は意外に早くついたようだった。少し深くパイプを加えなおして、彼はゆっくりと丁寧に言った。「・・・少し、昔の話をしましょうか」
「他愛ない恋の話です」
そう言って、しばし沈黙した後、アルベルは少しずつ語り始めた。「あるところに、男がおりました。若い男です。彼は子どもの頃から冒険が好きで、自分で商売を始められる年になると、仕事の傍ら資金を繰り、古今東西あらゆるところを旅し、地方の珍しい伝説や昔話を知り、たくさんの未知の美術品を集めて回ることが好きでした・・・」
「ある時、彼は美しい女性に出会いました。大陸の西果ての・・・今でも謎の多い地域ですな。昔は、もっと未知の世界でした」
「彼は、彼女と結婚しました。しかし、彼は・・・しばらくして、彼女の恐ろしい秘密を知ることになりました・・・」
「酔った勢いで、妻が必死で隠してきた左腕の布を解いてしまい・・・彼は見てしまったのです」
「愛する妻の左腕に、『魔女』の刻印が施されていた」
「子どもでも知っている、有名な烙印。教会が行う裁判で、悪魔の術を扱う者だと・・・魔女だと確定された者に捺される印でした」
「彼女は魔女だったのです」
「今でこそ、魔導師や魔女は一般にも認められるようになりましたが・・・あの頃はまだ、“
血飲みの伯爵 ”や“闇の魔導師 ”などと変わらぬ怪物でした・・・私たちにとってはね」「彼女は誤解だと言いました。教会のいうような魔女も確かにいるが、自分たちは違うのだとも。ですが、男は聞き入れなかった。彼は、彼女を裏切り、教会へ密告しました。彼女は・・・捕らえられ、数日後には火刑に処されました」
「残念なことに・・・」
「男が・・・彼女が男にとってどれほど大切な存在だったかに気づいたのは、彼女の刑が執行された後でした」
「男は、彼女を信じてやれなかった自分を悔いました・・・。同時に、自分を責めたのです。一体、彼女が自分に何をしたというのか・・・。彼女が自分にしたことは、魔術を使って呪ったわけでも、忌術を使って人を殺めたわけでもない・・・。ただ、ひたすら・・・自分に優しい笑顔を・・・向けてくれていただけだったのに」
「それ以来、彼は決して噂だけで物事を見ることが出来ないのです」
「・・・・・・・・・」
「昔の話ですよ。本当に、昔のね・・・」
短い話だった。それだけに、淡白で残酷だ。まるで、アイギスが話しているようですらあったが、アイギスではとてもこのような話は出来ないのだろう。
なんだろう? この圧力は。得体の知れない力 を、魔力を持たないはずの目の前の男から感じる気がした。
しかし、それは一瞬のことで、次の瞬間にはアルベルはただの普通の男に戻っていた。「・・・北の地方の一部では・・・未だに魔女や魔導師は迫害の対象だと聞きます」
彼の話はまだ続いていたようだ。
シェゾはようやく自分が今、アルベルの話に引き込まれていたことに気付いたのだった。「セリア・・・あの子も同じなのですよ。あの子の親も魔女の疑いをかけられ、ろくな証拠もなく殺されてしまった。あの子は見ているんです。本当の両親が、処刑台の上で火にかけられるところを」
「私は夢中で、当時3歳にも満たないあの子を連れて馬車に乗り、急いで国を出ました」
「魔女とは何なのか・・・悪魔とは、魔物とは・・・教会の教えではない「真実」を求めて歴史学者となり、古代の様々な研究書や遺跡を旅しても、未だに私にはわからない。各地ではたしかに魔女や魔物の悪い噂ばかりを耳にします。しかし、そのどれもが似たような噂ばかりで、どこまでが真実なのかまるで辿れない」
「子どもの死体が森の中で見つかれば、人は“子どもは魔女に攫われ殺された”と噂する。川で旅人が溺れ死ねば、“川の魔物が旅人を惑わし引きずり込んだ”と噂する・・・。しかし、実際に子どもを攫う魔女の姿や、旅人を惑わす魔物の姿を見た者に会うことはなかなか叶わない」
「もちろん、全てがただの噂だなどと言いません。実際、子どもを攫う魔女は西の地方には存在するというし、人を惑わす能力を持つ魔物が存在することも事実です。そこに、いくつかの真実はあるのでしょう。・・・しかし、だからと言って」
「セリアのような子どもを、なぜあの子の親たちと同じ運命に晒さなければならないのか。・・・私にはわからない。このような子どもが、一体何をするというのです。何ができるというのです・・・」
アルベルは、そこでようやくシェゾを真正面から見て言った。
「シェゾさん、私はね・・・噂を鵜呑みにすることが怖いのですよ。それで、2度と取り戻せない過ちを犯してしまうこともあることを、過去に知ってしまったからです。それでどんな噂を耳にしても、その真実が知りたくて仕方がない・・・おかしいでしょうか」
「・・・・・・・・・」
シェゾは不覚にも、それに一言として否定も肯定もできなかった。
一方で、シェゾはそこで「絶対におかしい」とか、「間違っている」とキッパリと言ってしまえれば、どんなにラクだろうと考えていた。物語の“勇者”のように、物語の“悪者”のように、何の疑問も持たず、「なぜ」も「どうして」も考えず、勇者は“なぜ自分は勇者のか”など考えることなく、悪者もまた“どうして自分は悪者なのか”考えもせず、ただひたすら決められた運命を突き進むことができるのならば。
そこで、キッパリと「それで当然だ」と言えないのは、自分がまだどこかで無駄に近い希望を持っているからなのだろうか――――――決別したと思っていた過去を、まだ引きずっているのだろうか――――――情けない。数々の「物語」「伝説」「噂」「おとぎ話」、全てがこれほど同じことを唱えているのに、自分はまだ、その運命を信じきることができないでいるのだろうか。
シェゾが黙っているからか、アルベルは構わず話を続けてはシェゾに新たな疑問を投げかけていた。
「闇の魔導師 もまた同じではないかと、ついそんなことを考えてしまいます。ルーンロードに破壊されたという街や協会は数あれど、その全てが本当に真実なのか。数ある恐ろしい伝説や噂は本当なのか? もしかしたら、後世の人々が勝手に作り上げた噂も多いのではないだろうか。真実の闇の魔導師の姿とは、一体どういったものだったのか・・・数あるどんな噂も伝説も、彼の犯した所業を禍々しく伝えるばかりで、彼の人格や心を伝えるものは一切存在しないのです。彼という「人」を知らぬまま、噂だけを鵜呑みにすることが、私はとても怖いのです。何か、知らぬ間に取り返しのつかない誤解をしてやしないか・・・ハハ、こんなことが教会に知れたら、私は異端審判モノですな・・・・・・」
冗談でも、アルベルのように少しでも、笑ってしまえば良かったのか。
自分の運命を受け入れたあの時のように、「悪者になってやろうじゃないか」と宣言したあの日のように?
自分は、いつからあの日のように笑わなくなってしまったのだろう。
運命は、このアルベルのように、例え冗談でも「自分は異端者で、どうしようもない悪者です」と、もう一度笑えば楽になるとでも言うのだろうか。
「街や教会を数多く破壊したいうルーンロード、一方で魔女や魔物・・・人間から迫害され続けてきた者たちを厚く保護したという一面もある。教会からみれば、そのような者たちを従えるなど狂気の沙汰としか言いようがないのでしょうが・・・」
最後にアルベルは、さっきの諦めたような笑いとは逆の、強い意志を含んだ笑みを見せて言った。「なぜでしょうね、私にはその辺りに・・・闇の魔導師の真の伝説が隠されているような気がしてならないのですよ」
「・・・なぜ、そんな話をオレに?」
シェゾは、言ってから、アルベルにこう聞くのは2度目なんだな、などと考えていた。
そして、アルベルは1度目とは全く違う答えを返した。
「さぁ、なぜでしょう。ただ、貴方はどこか『あの方』と同じ雰囲気を感じたのです。私のこのような考え方に、なんら疑問を持つことなく耳を傾けてくださる『あの方』にね」「? 誰だ、それは」
「サタン=デイビス様でございますよ」
「・・・・・・」
聞かなきゃ良かった、とシェゾは単純にそう思った。
「デイビス古美術店というところは、実に不思議なところですな」