隔たり


 8日目


 翌日は、朝から屋敷はいつもより騒がしかった。昨日の火事の後処理もあるのだろうが、夜にはレイエの港で祭りがある。その関係で、アルベルは多くの使用人とともに朝早くからレイエ港まで出かけてしまった。屋敷はどちらかというと火事の処理より、祭りの準備で活気付いているようだった。
 朝食の後、特に仕事をしなくてはならない雰囲気でもなかったので、シェゾは図書室にいた。夏真っ盛りだというのに、この屋敷にはなぜか、冷房器具らしきものがなかった。ひんやりと涼しい図書室で、潮風がよく入る窓を選んで開ければ自室よりはなんとか暑さをしのげる。
 祭りは、街を挙げての夏祭りなので、かなりの規模で行なわれるものなのだろう。街の方から、ここまで軽やかな太鼓の音が聞こえていた。賑やかな街の雰囲気を窓の外に感じながら、シェゾは書物を読みふけっていた。
「何を読んでいるの」
 図書室には、なぜかセリアもいた。
 退屈そうに、いくつかの絵本を机にばら撒いてはいるが、多分真面目に読んでいない。セリアが何故、そんな意味の無いことをしているのか、シェゾは今のところ興味なかった。
「・・・東洋の医学書だ」
 シェゾは、わざと難しく答えた。
「いがく?」
「お前には難しすぎてわからんだろうよ」
 嫌味を含めて言ったことを、セリアはすぐに感じ取ったらしい。少し、ムッとした様子だった。
「仕事はしなくていいの」
「ウィリアムが言うには、今日は『安息日』なんだと」
 シェゾはまるで、他人事のように答えた。
「日々の幸せを神に感謝するための日だから、仕事はしなくていいんだ」
「ふーん」 シェゾもいい加減なことを言ったが、セリアもいい加減な返事だった。
「お前こそ、マリアとかいう女医師と一緒にいなくていいのか。今日一日、大人しくしていれば、祭りに連れて行ってもらえるんだろ」
「・・・大人しくしてるよ。マリアは、今、外でレイドと話してる。たぶん、昨日の火事の話・・・」
 そわそわと図書室の入口に視線を走らせながら、セリアは小さく呟いた。なるほど、さっきからあの暗い図書室前の通路で、レイドが相手しているのはマリアだったか。
 なるほどな、とシェゾは思った。
「安心しろ、アイツにも口止めしてある。お前がやったことは、いくらアイツでも言わねぇよ(たぶん)」
「・・・でも、それじゃレイドが」
「気に病むな。どうせ、屋敷の連中も祭りの準備で火事の事なんかほぼ忘れてる。この規模の祭りなら、明日にはすっかり忘れてもらえるんじゃないのか。朝っぱらから、ずいぶん賑やかじゃねぇか」
 実際、セリアは昨日のことをかなり気にしている様子だったが、シェゾは、昨日の火事のことを気にかけているのは、文字通りセリアひとりくらいだと思っていた。朝から、ルビウスは祭りで提供する料理の話ばかりしていたし、アルベルのエルダやセイジとの会話も、ほぼ全てが祭りの準備に関するものだった。
 話によると、交易都市であるレイエの祭りには、異国の商人たちだけでなく、大陸各地から多くの貴族や王族も集まるという。街の有力富豪のいち当主であるアルベルも、彼らをもてなす街の有力者のひとりとして色々と役割も多いようだった。屋敷のあらゆる使用人たちが、朝から上へ下への大騒ぎを始めるのもわかる気がする。こんな日の朝に暇をもてあますのは、ウィリアムなどのくたびれた芸術家や、シェゾやレイドの客人身分の人間か、子どものセリアくらいのものだった。
 屋敷だけでなく、街全体がひとつのイベントを、全力で立ち上げようとするエネルギーが、今もビリビリと肌に伝わってくる。それをセリアも感じ取っていたのだろう。対して説得力の無かったはずのシェゾの言葉に、セリアが妙に納得したのも、彼がそのエネルギーの質を知っていたからなのかもしれない。
「・・・たしかに、去年もこんな感じだったなぁ」
 セリアも少し苦笑して、祭りについて語り始めた。
「だぁーれも僕に構ってくれないの。準備がすごく大変そうなんだよね・・・。僕はよく知らないけど、外国の商人さんがレイエに一番多く集まる日だ、って誰かが言ってた。港の大通りの両側に屋台がたくさん並んで、珍しいモノをいっぱい売ってるんだ」
「ほう」
「シェゾは行くの?」
「そうだな・・・」
 レイエの海神祭は、シェゾも話には聞いたことがあった。
 祭りの性質上、魔導器・魔導具の類はそう出回らないので、シェゾが実際に足を運んだことは無かったが、この機会に少し見ておくのも悪くない・・・
「考えておく」
「1人で行くの」
「ひとりではおかしいか」
 シェゾが本から目を離さなかったので、セリアは少し肩をすくめた。
「そんなことはないけど。レイドも、毎年ひとりで見に行ってたみたいだし・・・」
「お前は、誰と行くんだ?」
「調子が良かったら、父さんと。でも、たぶん無理だろうな」
「無理? 調子が悪いのか」
「それもあるけど。父さん、忙しそうだから。マリアに頼んでもいいけど、たぶん無駄かな・・・。マリアは初めから、僕がお祭りに行くの反対してたもの」
 セリアが黙り込むと、窓からの潮風が急に大きく聞こえるようだった。
 風に乗って、祭りが近い街のざわめきも伝わってくる。汽笛を鳴らし異国の品を乗せた外国船が次々と入港する港の様子、通りに一列に並ぶ屋台の様子、そこを行き交う街の人々の様子、―――――普段、自分には関係の無いところで行なわれる祭りが、いやに近く、そして遠い気がした。
「シェゾってさぁ・・・」
 街の喧騒に比べて、随分自分に近いところでセリアが、ポツンと呟いた。
「ん?」
「―――――魔導師サマなんだよね」
 シェゾは思わず顔をあげてセリアを見た。
 セリアは、机に広げた絵本のひとつをめくっているところだった。
「・・・レイドも、マリアもそうだけど」
「あ? ああ、・・・そうだな」
 シェゾはセリアがそう言ってから、そう言えばそうだったと思い出した。シェゾは魔導師の中でも特異な存在でもあるので、彼らが自分と同族だといわれてもイマイチピンと来なかったのである。しかし、そう言えば、彼らも一応の魔法が使える以上、屋敷の中では彼らもそれなりに「魔導師」だった。
 彼は、何故急にそんな話を自分に振ったのだろう? いつもの、単なる気まぐれだろうか? それとも・・・
 セリアは、急に立ち上がって傍の絵本棚から数冊の絵本を取り上げた。そして、それを机に広げられた大量の絵本の上に、また次々と広げていく。
「さっきから、何をやっているんだ?」
 セリアはしばらく、答えなかった。絵本を広げ終わると、また本棚から絵本を取っては広げてを繰り返している。
「・・・?」
 絵本棚が、ほぼ空に近くなってから、ようやくセリアは元のイスに戻った。
 そして、乾いた声でポツリと言った。
「僕ね、・・・こういう絵本を見てて、けっこうムカつく時があるんだよね」
「? 何が」
「聞いてくれる?」
 セリアが不意にシェゾの瞳を覗き込む。少し気圧された気がしたが、シェゾは無言で頷いてやった。
ルーンロード、って・・・」
「―――」
 シェゾは、思ってもみなかった言葉に絶句した。
「どんな人だったのかな」
 無言で固まるシェゾをヨソに、セリアは呟くように言った。
 シェゾは、短い時間でよくわからないまま悩んだ挙句、知ったかぶる振りをすることにした。
「・・・知らないのか? “闇の魔導師”ルーンロード。歴史の教科書にも名前くらい出てくるし、絵本にもなってるだろ」
 言っているうちに、俄かに沸き起こった胸の内の淀み・ざわめきが、また胸の奥へ沈んでいった。―――――この場所での自分は、単なるいち“鑑定士”で、少なくとも“闇の魔導師”ではない―――――そのつもりだった。
「ちょっとくらいなら、知ってるよ。昔、本当にいた魔導師サマなんでしょ」
「ああ、まぁ、そうだが・・・」
 シェゾはしばし思案した。自分が断片的に知るルーンロードではなく、一般の人間が「噂」する『ルーンロード』とは、どんな魔導師だったか? 絵本や、伝説に描かれる『闇の魔導師』の所業と運命は?
 思い出すまでもない。ルーンロードと勇者の伝説は、世界的に有名な話だ。まさか、あの廃都と遺跡のことをこの屋敷で思い出すことになろうとは思いもよらなかったが、彼らの戦場となったという廃都ラーナは今では観光名所ともなっている。シェゾは、その観光案内用のパンフレットを棒読みするようなことを言った。
「・・・多くの魔導師の魔力を奪い、次々と街を破壊して・・・最後は高慢が過ぎて勇者だか剣士だかに封印された愚か者、だろ」
 すると、セリアは急に刺々しい口調になって言った。
「ふーん、シェゾはここの絵本と同じ意見なんだね」
「は?」
 見れば、セリアは机の上に広げた絵本を、バサバサと床に投げ落としていた。古い本は、ページの中ほどから砕け、一枚一枚がバラバラになって床で散らばっていく。ページの途切れた物語は、そこで物語としての意味を失い、ただの文字入りの絵となっていった。
「何をやってる」
 言いながら、シェゾは床に落ちた絵本の内容に、ある共通点があることに気付いた。床に堕ちた物語は、魔女や鬼、ドラゴンや悪魔、闇の魔導師―――――おおよそ、昔から人間に恐れられる“人為らざる者”たちが、人間を苦しめる話ばかりだ。
 代わりに、棚や机の上に残っている絵本は、そういう普通“悪者”として描かれる鬼や魔女が、人間に優しい姿で描かれたものだった。――――人間と仲良くなれずに泣いた鬼の話。迷子の子どもを助けた魔女の話。その中には、セリアが「お気に入りだ」と言っていた、スノーランド版の『氷の女王』の絵本もある。
 セリアはなぜ、絵本をこんな風に分けたのだろう? シェゾの心の奥で、何かが引っかかった。
「あんまり、知らない人のことを悪く言うのはよくないよ」
 セリアは、不機嫌な表情ままそんなことを言った。
「どうして絵本は、魔女とか鬼とか闇の魔導師サマとかを、すごく悪い人って決めつけて描くのかなぁ」
「・・・? お前は、闇の魔導師を“悪いヤツ”じゃないと思っているのか?」
「・・・・・・・・・。そーゆーことじゃないけどさ」
 複雑そうなセリアの表情に、シェゾは何となくこの少年の考えていることが分かったような気がしていた。散らかった絵本から察するに、セリアは自分をこれら絵本の魔女や鬼と重ねて見てしまっているのではないだろうか? そう思ったのだ。
 “氷の精霊”を宿す少年は、心のうちはどうであれ、善良な実父や家族同然の人々を、攻撃し、傷つけ、絵本の“悪魔”さながらの形相で彼らを拒絶し続けている。だからこそ、魔女や悪鬼を「そうではない」「そうとも限らないよ」と語る絵本を、彼は大切に持ち続けるのかもしれない――――――机の上に残された、数少ない心優しい魔女や鬼、『氷の女王』の物語は、床に打ちつけられた絵本よりも、どれもキレイに綴じられていた。
「ルーンロードは、魔導師サマの力を奪っていたの?」
「・・・少なくとも、ラーナという都市の魔導師は全滅したらしいな」
 簡単すぎる歴史の問題のような質問に、シェゾはあえて素っ気なく答えていた。
「ふーん。それは、本当なんだね・・・」
「しようと思えば出来てしまうところが、“魔導師”の怖いところだからな」
「シェゾは出来るの?」
「・・・・・・聞くのか」
 少し、嫌な空気を吸った気がしたが、気にしても仕方のないことだった。
「レイドや、マリアも出来るのかな・・・」
「さぁな、・・・魔導師にもそれぞれ得意・不得意な魔術というのがあるからな」
 ちらりと思い出したのは、火事を沈める時にレイドが放った強力な氷の魔法だったが、それをセリアに答えてやる気は毛頭なかった。
「うーん」
 セリアは行儀悪く、顎をコツンと机に乗せて、ふてくされるように言った。
「あのねぇ、・・・上手く言えないんだけどさ。絵本に出てくるひとって、人じゃない“ひと”もいるじゃない。しゃべる狼とか魔女とか、鬼とか魔族とか・・・。絵本には、こういう“ひと”たちが人を騙したり、酷い目に遭わせたりする話が多いんだけど・・・、そうじゃないのもあるんだよね。助けてくれた人にお礼を届ける小鬼の話とか、舞踏会にいけない人を助けてあげる魔女の話とか。人魚の話もそう。キレイな歌で船を海に沈めてしまう話も多いけど、本当はダメだったのに人間の王子さまを助けてあげて、最後は海に消えてしまう話もあるでしょ。『氷の女王』もさ、セントレイスではすごく悪い魔女だけど、別の国ではとても優しい人だったり・・・」
 シェゾはセリアが、急にルーンロードと全く関係の無い話を始めたように思った。
「? 何が言いたいんだ?」
 セリアも困ったように、首をひねっている。
 彼自身も何を言えばいいのかをよくわかっていないのだろう。悩みながら、途切れ途切れに言葉を足すように話を続けた。
「うんとね、だから・・・僕の知ってる“魔導師”サマは、レイドみたいに旅行の度に魔法仕掛けの時計とか、壊れたモノを入れておくと明日には直ってる壷とか、そういうヘンなものをどこかで見つけてくるちょっと変わった人でしかないし、マリアだってそうなんだ。レイドよりちょっと口ウルサイだけで、少しおかしな色をした薬とかを持ってきて、発作を鎮めてくれたり、“おまじない”だとか言って、手のひらに文字を書いたり・・・やることが結構、地味なんだよね。シェゾだって、魔導師とか言ってるけどやってることって、ヘンな石を磨いたり本を読んだりしてるだけでしょ」
 結構なことを言われている気もしたが、この程度の「馬鹿にされ」方でいちいちキレていたら、“あの街”の連中と渡り合えないことくらいは、シェゾも分かってきていた。シェゾは、キレるかわりに呆れることで、怒りを抑える方法もあることを、最近知りつつあるのだった。
「あのなぁ・・・魔導師って言ったって、別に年中ドラゴンと戦ってるわけじゃないし、・・・誇張した話や、作り話だって多いんだぞ」
「だよね」
 セリアは、床に散らばったルーンロードの絵本をひとつだけ取り上げて言った。
「闇の魔導師サマの話もさ、セントレイスの『氷の女王』みたいに、作られた話も多いかもしれない。少なくとも悪いだけの人じゃないかもしれないって・・・、思っちゃダメなのかな」
 ポツリと呟くようなセリアの言葉は、窓を隔てた街の喧騒とはまるで別の空間で吐かれた台詞のようだった。

 

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