雨音
部屋の外にいるのは・・・今は、マリアじゃないみたいだ。
たぶん、――――――セイジ。
おじいさんみたいな白い口ひげ。そう言うと、いつも優しいセイジが少しだけ怒った。おじいさんとは失礼な、自分はそう見えないだけでそれほど年をとっていません、と言って拗ねてしまう。ずいぶん顔を見ていないけど、すぐに思い出せた。マリアほどじゃないけど、セイジも「声」を小さくするのが上手い。少し距離さえ置いてくれれば、ホトンド聞こえないから、楽。それに、マリアやエルダみたいに口うるさくアレはダメ、コレはダメってあんまり言わない。父さんの次くらいに、大好きだった。
「・・・!」
喉の奥に気持ち悪さを感じて、投げ捨てられたままの本を一冊拾い上げた。そのまま部屋の扉に投げつける。
バン、と小さな音が鳴って、外のセイジは僕が何を言っているか、すぐにわかったみたいだ。静かに、部屋の外からセイジの「声」がふっと消える。少し遠くへ移動したんだろう。
衝動が収まる、この程度なら・・・大丈夫。発作にはならない。ホッとして、ベッドにドサリと横たわった。1人がいい。最近、そんなことばっかり考えてる。気分が悪い、今日みたいな日は特にそう。
人が近くにいるだけで、「声」が聞こえてきてウルサイと思う・・・どうして聞こえるのか、どうして聞こえたら嫌な気持ちになるのか、最近までわからなかった。今でも・・・よくわかってないけど。部屋の中を見渡した。散乱した、本や人形や色鉛筆。全部自分がやったなんて、信じられないくらいだ。
あんなことになる少し前、仕事に復帰したレイドと、ここで顔を合わせたことを思い出す。あの時は上手く話せたのに。「元気そうですね」とか「また来ますよ」とか言われても、「声」が聞こえてこなかった。だから、手紙を広げた時も・・・大丈夫だと思ったのに。
どうしてだろう? どうして「サザン」は顔も知らなかったのに、手紙を読んだだけでダメなんだろう。
ちょっと、嬉しかったのに・・・「お大事に」って、それに手紙・・・「!」
時計を掴み取り、壁に投げた。ガン、と部屋の隅の静止画に辺り、絵画は落ちた。
衝撃で、枠から外れて無様に傾く画を見ても、なんら直そうと思わない。
そんな自分にも、どこかで腹を立てていた。「・・・お願いだから、早く治って・・・苦しいよ・・・・・・」
今日は星の見えない空。黒い雲を見上げながら、胸の前で手を組み合わせた。何かを願う時は、こういう風にするのだと、誰かに教えられた通りにした。
右手に巻きつけられた紅いリボンに指が触れた。ずいぶん前に、願いをかけた細いリボン。マリアが、早く病気が治るようにとくれたオマジナイのリボンだった。毎日のように、願ってきた。どこへ行くにも身につけてきたから、ずいぶん擦り切れてボロボロだった。
願いが叶うまで、あと何日かかるだろう・・・セリアは、なかなか自分の願いを聞き入れてくれない天を見ようと、もう一度ベッドの上から窓の外に目をやった。
外では、いつの間にか雨が降り出していた。雨は、夕方ごろには激しい土砂降りとなっていた。
強い「力」を持つ少年。彼は、その「力」を扱う方法どころか、「力」を持つことすら知らない。
■ ■ ■
激しく窓に叩きつけるような雨の日まで、魔王に付き合ってやれるほどシェゾはお人よしではなった。当然、(アイギスも含めて)裏仕事はサボりである。
自室で眠っていたシェゾは、誰かに呼ばれたような気がしてうっすらと覚醒した。
「・・・・・・?」
眼を閉じたまま、誰に呼ばれたのだろう、と周りの気配を探る。しかし、感じられたのは窓の外に聞こえる雨音だけで、結局シェゾはまだ雨が激しく降り続けていることを知り得たのみに留まった。
―――――なんだ?
―――――気のせいか・・・?
ベッドにへばりついたままの眠気に、再度身を任せようとした途端、またも何かが自分を誘う。まるで見えない糸に身体を引っ張られるような感覚に、シェゾは居心地の悪さを感じた。
「・・・ちっ」
シェゾは仕方なくベッドの上に身体を起こして、もう一度良く周りを見たが、なんら変わった様子はない。柱時計の分針が12を指しており、今ようやく11時を回ったところだった。
いつになくイライラする雨音を聞きながらまた眠る気にもなれず、シェゾはもう一度 舌を打ち、手近な上着を手に取った。手早く羽織って、部屋を出る。夜の廊下には、雨のせいかいつもより空気がひやりとしていた。
シェゾは、奇妙な違和感を感じて闇の剣を喚んだ。
―――――主よ、どうした?
「何か、感じないか」
短い言葉が雨音に溶ける。廊下の空気は異様なほど闇に沈んでいて、重く、暗い。まるで濃い黒い霧を流し込んだようだ。雨が降っているとは言え、昨晩までとはまるで雰囲気が違う、と思ったのだ。
・・・不穏な空気。霧に似た闇の流れが、・・・どこからか自分を誘うよう。
―――――特には、何も感じないが。この屋敷の闇が深いことは、昨夜も同じだ。
「そうか? まぁ、お前がそういうならそうなのだろうが」
シェゾはそれでも、部屋へ戻ることはしなかった。シェゾは、廊下の闇に誘われるように玄関ホールへ続く廊下を歩いた。灯火ひとつ無い、真っ暗な階段をゆっくりと下りてゆく。とても静かだ。遠くで鳴る雨だれの音だけが、やたらと広い空間の中で響いていた。
「ん?」
下方の階段の隅で、何かが蠢いた。
気配を読めなかったわけではない。雨の気配に紛れていた。冷たい雨の「音」と「陰」は、静かな気配を隠すのが得意だ―――――
「・・・・・・あ」
気配は、すぐにシェゾの存在に気づいた。
セリアだった。周囲の闇に溶け入るような虚ろな表情で、手すりにもたれかかっていた。
―――――・・・コイツ、昼間はあんなだったのに。
出歩いていいのだろうか。いいわけないよな。
喉まで出かかった言葉はらしくないと飲み込み、シェゾはセリアに近づいて別のことを言った。
「調子はもういいのか」
セリアは最初、シェゾの方へ小さく視線を向けただけだった。
沈んだ表情を固く強張らせてセリアは言った。
「カンケー無いだろ」
彼には似つかわしくない、掠れた、不自然に冷たい言い方だった。
「まぁ、確かにな」
シェゾも、聞きたくて聞いたわけじゃなかった。なので、あまり追求する気も無い。
しかし、セリアは不思議そうな顔をした。
「・・・・・・怒らないの?」
「怒って欲しかったのか?」
「・・・・・・・・・。・・・そうじゃ、ないけど・・・」
訝しげな表情をさらに複雑に歪めて、セリアはまたそっぽを向く。
さらに、しばらく考えてセリアは言った。
「だって普通・・・怒るでしょ。こんな言い方されたら」
「そうか? いや、そうかもしれんが・・・場合によるだろ」
シェゾは、さっきのセリアを思い出しながら言った。
「?」
「無理をしているように、見えたからな。さっきの言い方は」
「・・・無、理・・・?」
シェゾの言葉はセリアにとって全くの予想外だったらしく、セリアはますます困ったような顔になった。
「だから、理由があるのかと思った。理由があるのなら、別に腹は立たん」
まぁ、それも場合によるとも思ったが、言い出せばキリが無い。とりあえず、さっきは理屈を抜いても、単に腹が立たなかった。言ってしまえば、それだけだ。
「理由なんか、無いよ。・・・ただ、気分が悪かっただけ・・・だし」
これにも、ウソだな、とシェゾは直感した。言いにくそうなセリアの言い方がそれを良く物語っている。
迷いのある子どものウソを見抜くことは、シェゾにとって容易い。
「なんか、複雑そうな顔をしてるな。ガキのクセに」
「・・・・・・」
セリアは黙り込んでしまった。
「傷ついたのか? 悪気は無かったんだがな・・・」
セリアはさらに表情をゆがめた。―――――まいったな。・・・話題を変えた方がいいのか。
シェゾはウソを見抜くのは得意でも、会話することは得意じゃない。話題を変えたほうがいいことはわかったところで、どう変えればいいのかなど考えたところでわからないので、結局は黙ることにしている。自分が、口を開けば余計なことしか言えないのは、一応自覚しているつもりだった。
奇妙な沈黙に耐えられなかったのか、しばらくしてセリアは小さく言った。
「昼間は・・・ヘンなトコ、見せちゃったね」
「は?」
と、言ってから、あのことか――――と、思い当たる。
「あ、ああ。あれか」
「・・・ゴメン」
「・・・・・・」
今度は、シェゾが困った。
―――――ごめん、と言われてもな・・・。別に昼間のアレで、オレが害を被ったわけでもなし。
―――――むしろ、いつもは実質的な害を被っているにもかかわらず、なぜかこっちが悪いことになってたり・・・
だめだな、どうもオレは謝られることには慣れてない。
そもそもシェゾには、セリアが何に対して謝っているのかも良くわかっていなかった。
「お前が謝ることじゃないだろ」 シェゾは、困った挙句そう言うことにした。
「でも・・・」
「オレが気にしているとでも思ったのか」
「・・・・・・」
「安心しろ。お前が思ってるほどオレはお前に興味は無い・・・」
興味が無い? いや、多分違うのだろう。深く干渉したくないだけだ。
住む世界が違い過ぎる。進む道も決して交わらない者にまで興味を持つほど、自分は欲張りじゃないつもりだった。
「・・・そっ、か」
失言だったか? セリアは、また落ち込んだように黙ってしまった。
ただ、その表情は、寂しそうでもあったが、どこかホッとしたようでもあった。
「そっか・・・」
雨の音にまぎれるように、セリアはもう一度言った。そして、
「そうだ。僕、もう戻らないと。マリアが見に来るといけないから」
と、言った。
「ああ・・・」
シェゾはそこで初めて気づいた。
―――――ああ、そうだよな。病気の子どもが、こんな真夜中に廊下をうろついていいはずが無い。
―――――ん? つーか・・・
「お前、部屋で寝ていなくていいのかよ?」
慌ててシェゾが問うと、セリアは打って変わって様な明るい表情でニヤリと笑った。
「鈍いなぁ、今気づいたの? まぁ、昼間がアレだっただけに――――今夜は部屋から出ちゃダメだって・・・言われてるんだよね」
「お前・・・」
「大丈夫だよ、今は調子が良いから」
「調子よさそうな顔、してなかっただろうが」
さっきまで、亡霊みたいに手すりにもたれかかってたクセに。
「今はいいの。じゃあね!」
「待て、セリア・・・ちっ」
セリアに待つ気は無かったようだ。闇の淵のように真っ暗な廊下も、屋敷の者にとっては何の障害にもならないらしい。セリアは、さっとシェゾの前を通り過ぎ、3歩先も見えない階段を軽やかに駆け上がっていってしまった。
シェゾは、しばし呆れた。
―――――なんつーか、・・・元気だよな。
―――――というか、昼間の囚人みたいなアイツからは想像できない。
彼の足音は、しばらくして遠くへ消えた。
しばらくセリアが消えた階段の上を見つめていたが、すぐに飽きて、シェゾはふらりとその場を離れた。シェゾは当初の目的が一応外へ出ることだったことだけ思い出して、玄関ホールまで静かに下りた。
玄関の大扉を少しだけ開いて外へ出る。しかし・・・
「こりゃ、ダメだな」
わかってはいたつもりだったが、雨はずっと降り続いていた。したがって闇の気配など、雨にまぎれてサッパリわからない。一応、記憶を頼りに中庭近くまで歩いてみたが、収穫はナシ。というか、こんな天気の悪い日にまでなぜ自分はマジメに裏仕事までやってるんだろう? つーか、オレは(アイギスではないが)雨が降っている時点で裏仕事はサボリとさっき決めたんじゃなかったか? なのになぜ、オレはこんなところにいるのだろう?
根本的な問題に行き着いたところで、シェゾは完全にやる気をなくした。
何の未練も無く、というか少し後悔さえしながら、シェゾは早々に屋敷へ引き返した。玄関扉にシェゾが再び手をかけた時だ。
突然、扉が内側から開いた。
それにも驚いたがシェゾは、屋敷から出てきた顔を見てさらに驚いた。
「・・・・・・え?」 相手も変な声を上げた。
「・・・何をやってるんだ? こんな夜中に」
レイドだった。シェゾと全く同じ顔をして、シェゾを見ている。
「何って・・・それはこっちの台詞ですよ」
――――――たしかに。
シェゾは納得せざるを得なかった。こんな真夜中に屋敷をうろついているのがレイドなら、それを見つけた自分も同じだけ怪しいということになる。
・・・ただ、それを言うならもちろん目の前のこの胡散臭い図書室の司書も怪しいわけで・・・
「そういえば・・・お前と初めて会ったのも、こんな真夜中だったな」
「・・・雨は・・・降っていませんでしたけどね」
シェゾが屋敷へ来た、その日の夜のことだった。その時は、まだレイドの名さえ知らなかった。レイドはあの時と全く同じ、ビードロのような澄んだ瞳。その表情も、あの時と変わらない。月の光を受けた綺麗で、怪しい微笑だった。ただ、ひとつ違うのは――――レイドの表情に微妙な焦りが滲んでいることくらいだろうか?
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
そのまま、2人はしばらく無言だったのだが。
先に表情を和ませたのは、レイドの方だった。
「・・・お互い、理由は聞かないってコトでどうです?」
「いいね」
シェゾも、油断ならないレイドの態度に向かって、同じような態度を返した。
結局、シェゾもやはりレイドという男がキライではなかったワケである。