雨音
いつもの発作だ、とアルベルは簡単に言ったあと、マリアと共に再び部屋を出て行った。おそらくセリアの部屋に向かうのだろう。マリアが、薬らしきものを持っていた。
セリアの部屋から、階ひとつ分以上離れたアルベルの私室だった。いつもは、アルベルの許可がないとシェゾもレイドも出入りできない屋敷の“プライベートゾーン”だ(今回は、緊急事態とばかりに勝手に侵入したが)。脇では、サザンがエルダに厳しく叱責されている。
「そういう不用意な言葉こそが、セリア様を苦しめるんです!」
サザンはエルダに無断でセリアに送ったという手紙の全文を、思い出せる限り書き出させられていた。事の状況は、そんなエルダとサザンのやり取りから大体のことは想像できた。
エルダによると、セリアの発作のキッカケは、サザンがセリアに充てた見舞いの手紙に違いないという。屋敷に来てまだ日の浅いサザンは、セリアの病のことを理解できていなかったらしい。サザンは、面会しての挨拶は出来ないとエルダから聞いて、ならば手紙を、と考えたらしい―――――しかし、エルダによれば手紙であれ、一方的な言葉であれ、優しさや元気付ける言葉をセリアに伝えてはならないことに変わりはないという。エルダは経験からそれを知ったようだったが、その理屈をシェゾは解る気がした。ワケもわからず泣きじゃくるサザンには悪いが、あの娘は愚かなことをしたとも思う――――
「厄介、なんてモンじゃねぇな」
「そうですね」
シェゾの呻きに、レイドも軽く同調した。
「あの様子では、彼に憑いている“氷霊サン”は、相当タチが悪いですよ。彼に近づく「人の心」全てを恐れているとしか考えられない・・・」
「アレが本当に“氷霊”の仕業だとすれば、祓うのは容易じゃないぞ」
術者に忠実で臆病な“氷霊”。あの様子では、たぶんセリアに憑いている“氷霊”は、セリアを「護ろう」としていると考えられる。それも、よほど強く。そして厄介なことに、彼を護ろうとするテメェの「力」が、彼の心を深く傷つけていることに気づいていない・・・
「本気 でひどい声だったな。死にかけた老人のようだ」
シェゾは独り言のつもりだったが、レイドはしっかりと聞いていたらしい。
「セリアさんは死ぬんですか」
「縁起の悪いことを言うな、事実になったらどうする」
アイギスの“予言”ではないが―――――言葉には「力」があるんだからな。
「・・・それは困りますね。失業するかも」
「お前、ちょっと黙ってた方がいいぞ;」
サザンは、セリアの部屋のあるフロアへ無断で立ち入ったことを含めて、エルダに罰を受けることになったらしい。サザンが泣きながら、エルダに従って部屋を出て行った。ホッとするのもつかの間、入れ替わりに入って来たのがアルベルとマリアだった。
「レイド。それからシェゾさん、ちょっと・・・」
「セリアさんは」 とっさに聞いたのはレイドだった。
アルベルは驚いた表情の後、ふっと表情を和らげた。
レイドが、自分の息子のことを真っ先に気にかけてくれたことが、よほど嬉しかったらしい。
「今はもう、落ち着いたよ。マリアが薬をね・・・」
アルベルの傍で、マリアが沈痛な面持ちで頷いた。「今は、セイジに様子を看てもらっているよ」
「そうですか・・・」
なおもセリアが気になるらしいレイドに、アルベルは安心したようだった。
ホッとしたような表情のあと、やっとシェゾを振り返った。
「シェゾさん、お話したいことがあります。レイド、君も来なさい・・・君にも言っておかなければね」
やれやれ、話は長くなりそうだ。
シェゾには、仕事が終始順調に進む日というのはないのかもしれない。
■ ■ ■
「セリアさまの病は・・・『
氷霊の嫉妬 』と呼ばれる、世界でも珍しい奇病です。・・・レイドには、朝に少し説明しましたね」
と、マリアが言った。
セリアの病については、シェゾが予想したものとほぼ変わりなかった。氷霊が身体に憑りつくことで普通より丈夫な身体になれる一方、代わりに暖かな人の心に触れられなくなるという。元々病弱だったセリアに一部の氷霊が同情し、彼を護ろうとしたのだろう、とマリアは言った。
ただ、マリアが病の説明をする際に引き合いに出した言葉を聞いた時、シェゾとレイドは少なからず驚いた。
「スノゥ・クィーン?」
「北の国で、『雪の結晶』を意味する言葉です。冷たい氷に護られた儚い小さな水の奇跡、大切に扱おうとしても結晶は手のひらに乗せただけで消えてしまう。そんな『雪の結晶 』に、今のセリアさまはよく似ていると思うのです・・・」
マリアは、何度も屋敷の人間に同じ説明をしてきたのだろう。言いなれた口調で説明し始めた。
「『氷霊の嫉妬 』は、一言で言えば人の暖かみに触れられぬ病気―――――です。病状自体は普通の風邪と変わりません、むしろ病弱だった人の身体を丈夫にすらしてしまいます。・・・ですが、精霊に魅入られている間、他人の優しさや思いやりが、本人にとって一番の苦痛となってしまう・・・」「『雪の結晶』は美しいですが、暖かい手で触れることは出来ないでしょう。儚い小さなその存在に、誰もが触れてやりたいと思って手を伸ばしても、それが返って結晶を消滅させてしまう手段になるのです。・・・・・・セリアさま自身を、そんな姿で想像してみてください。彼がさっき、メイドのサザンを全身で拒んだ理由がわかるでしょう? セリアさまに不用意な心で近づくことが、彼にとっていかに辛いことかがわかると思います」
最後に、マリアは静かに言った。「今のセリアさまは、『
雪の結晶 』そのものです」「今、セリアさまに憑いている氷の精霊は、セリアさまを護ることに強い想い入れがあるようです。彼を護るのは自分であると、強くそう思っているのでしょう。セリアさまを、誰にも触れさせようとしない・・・彼を愛しているのは自分だから」
「・・・だから『氷霊の嫉妬 』?」 相変わらず淡白な、レイドだった。
シェゾも、努めてレイドと同じくらい淡々とした口調を意識する。
「アイツの発作は、アイツが人の心に触れることによる氷の精霊の拒否反応だというのか」
「私はそう考えています。むしろ、そう考えなければ説明がつきません」
セリアの“主治医”らしく、マリアはそう断言した。
「旦那さまが、セリアさまにお会いできないことはとても悲しいことです。お気持ちはわかります。ですが、これが今のセリアさまのためなのです・・・」
終始黙っていたアルベルが、今の言葉にやるせなく頷いたように見えた。
何度も何度も、同じ事を聞いては同じ事をマリアに答えさせているのだろう。シェゾは、初めて見るうな垂れたアルベルを見て、ガラにもなく考えた。
今、この屋敷の中で、最もセリアに会いたいと思っているのは、間違いなくこの男なのだろう。そして、同時にセリアに最も会わせてはならないのも、たぶんこの男だった――――――
重い話はそこそこに、シェゾはレイドと共に早々にアルベルの私室を後にした。圧迫された緊張から解かれた時、シェゾはその勢いのまま、傍のレイドをチラと見て言った。
「・・・お前、昨夜のセリアの話を覚えているか」
「『氷の女王』?」 さすが、カンのいい冷徹男。シェゾの期待通りの反応だ。
「似ていると思わないか」
「・・・・・・・・・。似ているというか・・・そっくりですよね」
シェゾが言わなければ、おそらくレイドの方がシェゾに同調を求めただろう、先刻のセリアと『氷の女王』との共通点。
屋敷の人間に『出て行け』と怒鳴るセリアは、まるで旅人や人を拒む『
氷の女王 』の哀れな姿そのものだった。