事件
バリン!!
「?」 シェゾは、思わず天井を見上げた。
「何か、聞こえましたね・・・」
レイドに言われるまでも無く、上階の方でガラスの割れる音がした。その後、不規則な間を置きながらモノが砕ける音が数回、何かが倒れる音が1回。
「・・・何だ?」
屋敷の誰かが異変に気づいたのだろう。上階の廊下を、何人かの足音が慌てて走り抜けていった。
しばらくして聞こえてきたのは、怒鳴り声、叫び声―――――その間にも、シェゾが数えただけでガラスは4枚は割れている。
仕事をサボるいい口実にでもなると思ったのか、レイドがさっさと立ち上がった。
「私、ちょっと見てきます」
「待て、オレも行く」
単調な作業にそろそろ飽きてきた頃でもあった。男2人はは仕事をぽいと放り出して、音の方へそそくさと走り出していた。
階段を駆け上がると、4階の一角にセイジやエルダといった屋敷の顔なじみの連中が集まっていた。ドアが大きく開かれた誰かの私室の前だった。断続的な激しい物音は部屋の奥から聞こえてくる。
「どうしたんだ?」
「レイド・・・、シェゾさん?!」
ハッとシェゾに気づいたのは、アルベルだけではなかった。
「来てはなりません!」 セリアの主治医をしているというマリアも叫んだ。
そして、マリアの影に誰かいる。若いメイド―――――サザンだ。ガクガクと震えるように突っ立っている。彼女は信じられないというような瞳で、部屋の中の誰かに怯えていた。
一方でレイドが、シェゾにも一応予測できたことを言った。
「・・・あそこ、セリアさんの部屋ですよ」
「セリア・・・?」
じゃあ、中で暴れているのはアイツなのか? と、シェゾが思った瞬間だ。「うるさい、出て行け! 近寄るな!!」
部屋の奥から、一際大きな怒号が飛んだ。ドンと中から音が響いて、多分声の主が書物の束か何かを床にぶちまけたことがわかる。セリアの叫びはさらに続いた。
「お前なんか要らないッッ、消えろよ!」
「落ち着け、セリア・・・!」
無謀にも、部屋の中へ立ち入ったアルベルが悲痛な叫び声を上げると同時に、花瓶や置物が数個、アルベルの肩上をヒュッと飛んだ。ガン! ガッ ガシャン!!
「―――ッ!」
そのうちのひとつが、運悪くサザンの額に当たって砕けた。あまりの衝撃にサザンはよろめき、廊下の端でうずくまった。
「なんて事を・・・」 破片を踏みにじりながらの、いつもの義務的なレイドの台詞。
その後ろから、エルダがいち早くサザンに駆け寄った。
「サザン!」
サザンは割れたガラスの上で青ざめていた。何がなんだかわからない、そんな思考の止まった表情のまま、頬を伝う血筋を拭う様子もない。エルダは見かねて、サザンを部屋の入口から引っ張り出した。サザンをセリアの視界に入れてはいけない。そう考えているように、シェゾは思った。
部屋の中では、なおもマリアとアルベルが部屋の主をなだめようと、必死に彼の怒号を凌いでいた。
「セリアさま!」
「セリア!!」
「うるさい!! イヤだ、その声、キライだ・・・ッッ!」
レイドとともにシェゾが部屋へ入った時、セリアはベッドの上で寝巻き姿のまま耳を塞いでいた。
「誰も何もしゃべるなッッ!! うるさい・・・ウルサイ・・・!」
「セリ・・・」
「しゃべんなってんだろ!?」
もう、投げるものも無くなったのか、セリアはベッド脇のスタンドを引っつかんで今度はアルベルへ投げつけていた。
スタンドはアルベルの顎に的中し、文字通り彼の吐きかけた言葉を封じた。
「旦那さま!!」 セイジが普段、白い眉に隠れて見えない目を大きく開いて、アルベルに寄る。
この老人が、これほど素早い動きをするのをシェゾは初めて見た。
「うう・・・!!」
セリアは自分が何をやったか、今更ながら視えたらしい。呻く自分の父親を目の当たりにした彼は、ベッドの上で後ずさりし、バランスを崩して壁にもたれかかった。壁づたいには、中庭に通じる窓がある。その窓枠に手をかけて、セリアは一層気持ち悪そうな呻き声を上げた。
「も・・・やだ・・・! 気持ち、わる・・・」
フラフラと窓枠に両手をかけて、膝を持ち上げようとしている。窓は開いていた―――――シェゾは、セリアが何をしようとしているかを直感した。窓は4階、運が悪ければ―――――――死ぬ。
「セリアさまッッ!!」 マリアが叫んだ瞬間だった。
「ち・・・」
シェゾは、それこそ凄まじい速さで魔法を紡ぎ上げていた。
『影縛り 』
場の混乱を避けるため、ほとんど声にしなかった。異変に気づいた者がいるとすれば、おそらくセリアだけだろう。一瞬だけ、強く何かに引き止められる感覚に驚いたらしい。そのスキを突いて、セリアの動きを完全に封じたのがレイドだった。
彼は、影縛りが解ける直前にセリアを脇から抱え込み、外へ落ちるのを阻止していた。「困りますね、勝手なことをされては」
この状況では在り得ないほど、冷徹な瞳と声だった。
熱い感情では拒まれると判断してか、はたまた本気だったのか。どちらにせよ、その冷たい瞳は正解だった。
セリアはその瞳をとらえたとたん、ふっと穏やかな表情に戻った。レイドに抱えられて安心したのか、セリアはやっと窓枠から手を離した。
「動悸が激しいですね。少し休ませた方がいいのでは?」
レイドは、声の調子を全く変えていなかった。声色が少しでも変わっていれば、セリアは再び暴れだしていただろう。セリアが今、レイドの腕で大人しく抱かれているのは、単衣にレイドが冷たい態度をとり続けていたからだ。
シェゾもそれが分かっていたので、セリアの様子に対してそれ以上干渉しなかった。まぁ、シェゾならわかっていなくても、結果的にそうしていたかもしれないが・・・。
「セリアさんを、・・・ベッドへ」
マリアも、言葉少なだった。セリアは無事、ベッドへ戻された。動悸こそ激しかったが、意識もあるし、さっきよりは充分に落ち着いていた。
「・・・・・・」
「レイド・・・」 アルベルの、安堵したような言葉をも、レイドは拒否した。
「あとで話しましょう、アルベルさん。今は、セリアさんが一番大事です」
レイドは終始冷静だった。
そうだな、とアルベルは悲しそうに部屋から1歩下がった。その脇から、額の応急処置を終えたらしいサザンが俄かに顔を出した。
「あの、セリアさ・・・」 サザンの心配そうな声に、セリアはサッと青ざめた。またも耳を塞ぐ。
「うるさい。黙れ、黙って・・・!」
「サザン、下がってなさい・・・!」
アルベルは焦ったようだったが、サザンはまだわからない表情をしている。
「でも・・・!」
「ウルサイ、お前、一番うるさい・・・! 「声」が聞こえる! どっか行って・・・いやだ!!」
「サザン!!」 エルダが一喝して、サザンは無理矢理退出させられた。
騒動は、すでに終わっていた。
それでも誰一人、部屋を出る機会を掴めないのは、まだセリアがベッドの上で泣いていたからなのかもしれない。
しかし、シェゾは何となくわかっていた。多分、この状況もセリアはイヤで堪らない。案の定、セリアは押し殺した声で言った。
「全員、出ていけ・・・! 出てって・・・僕は、大丈夫だから・・・」
最初にセイジ、次にエルダ、そしてマリア。ひとり、またひとりとゆっくりと部屋を出て行った。
「お大事に」
セリアに言葉をかけていったのは、実にレイドだけだった。
最後にアルベルでさえ、息子に何の言葉もかけずに部屋を出た。かけたい言葉は、多分たくさんあったのだろう。そのどれをも別の感情で飲み込んで、彼は部屋の扉を閉めた。