氷の女王


 夜。

 アルベルの部屋近くで執事のセイジを捕まえて、シェゾは図書室への道のりを聞いていた。セイジは、レイドの管理する図書室は、すこぶる書物の揃えが良いと自慢げに話して、それは西の棟の2階にあると言った。夕食後、シェゾは早速その図書室へ向かった。

 図書室のデスクでは、司書のレイドがヒマそうに欠伸をかいていた。
「ヒマそうだな」
 シェゾは、広い図書室の真ン中のヒマ人に言ってやった。レイドは、ちらりとこちらへ目を向けただけで驚きもしない。
 代わりに、少々トゲのある口調が返ってきた。
「昼間はどこへ行ってたんです? 全く、仕事を全部私に押し付けて」 シェゾは、レイドの言葉を都合よく聞き流した。
「オマエこそ、どこ行ってんだ。夕食の時、いなかったろ」
 マリアっていう女医師もいなかったけどな、とシェゾは言ってから思い出した。
 レイドは、「ああ」と思い出すように言った。
「私はマリアさんと話してたんですよ。長い間、留守にしていましたからね。積もる話もあるわけです。・・・たぶん」
「なんだ、多分ってのは」
「まぁ、大したことではないんですがね。ところで、どうかしましたか」
 レイドにとって、日が落ちてからシェゾが図書室に訪ねてきたことは、あまり意外なことではなかったらしい。相変わらず妙な男だ。
 シェゾは言った。
「オマエ、『氷の女王』という話は知っているか」
「・・・『氷の女王』? おとぎ話の?」 レイドは少し、ズレた眼鏡を直す仕草をした。・・・ズレたままだったが。
「ああ、どんな話だったかと思ってな」
「それなら、ここにも写しがあったと思いますよ」
 さすがは棟のワンフロアを全て図書室にしてしまうだけある。例え絵本でも、有名なおとぎ話の類くらいは揃えてあるらしい。
「すぐ出せるか?」
「ええ、いいですよ。こっちです」
 レイドはシェゾを、奥の絵本棚に案内した。
 そこには、様々な絵本が幾列にも揃えてあり、その中に『氷の女王』も見つけることができた。セリアが持っていた派手な装飾が施された絵本だった。レイドは、本の表紙を見て思い出したように言った。

「・・・これ、スノーランドに本当にいた冒険者の話でしょう?」

 レイドの何気ない発言が、やっとシェゾに確信を持たせた。
「やはりそうか。どっかで聞いたことがある話だと思ったんだ」
 いくら有名な話とは言え、初めから子ども向けに絵本作家が作ったおとぎ話をシェゾが知っているはずがない。シェゾが、断片的にでも『氷の女王』のおとぎ話を知っていたのは、そういう理由があったからだ。
「でも、このセントレイス版は、結末がかなり違うらしいですが・・・」
 レイドは、本を裏返してその端にサインされたセントレイス王国の紋章を確認していた。物語の元になった民話の舞台、スノーランドで作られた絵本ではないらしい。
「元の話は、わからないか?」
「んー・・・、難しいですね。そうなるともはや絵本とかでなくて、その冒険者の残した手記になってしまう。おとぎ話の域を超えた、一種の歴史的な史料ですよ」
「それもそうだな」
「ん?」
 レイドは、シェゾが言おうとする前にレイドはもうすでに絵本を閉まってしまっていた。
「私はちょっと出かけてきます。その辺の書物、自由に読んでいて結構ですよ」
 そう言って、さっさと図書室を出て行ってしまった。驚くほど、思いついてからの行動が早い。
「ちっ・・・さっきはヒマそうにしてやがったクセによ」
 レイドが何を気にしたのかは知らないが、シェゾにも少し気になることがあったのだ。レイドが去る少し前、小さな鈴の音が聞こえたような気がした。
 今はもう聞こえない。
 そして聞こえなくなったものを、もう一度気にする気もなかった。
「・・・・・・」
 部屋に戻ることも考えたが、アイギスが来るとイヤだ。あるいは、もう来ているかもしれない。
 この図書室で、本を読みふけっている方が自室よりは安全な気がして、シェゾはレイドが許す限り、深夜までそこで書物をあさることにした。

 実際、レイドは深夜近くまで図書室には戻らなかった。

 

■      ■      ■

 

 ずいぶん、時間が経っていたらしい。

 図書室の窓からは、すでに月明かりさえ差し込むことは無く、静まり返った夜の森に似た闇が図書室を支配していた。闇の魔導師であるシェゾにとって、このような時間と空間こそが最も落ち着く。周囲を気にすることなく書物に没頭できることは、何者からも干渉されず自分だけの世界に浸れるに等しい。殺伐とした時間を過ごすことが少なくないシェゾの、数少ない安楽の時間だった。だが、運のツキというものから見放されたシェゾの場合、その時間は容易く長く続かない。

「何やってんのかなー?」

 思わず、ぎくりと身体をこわばらせてしまった。
 何者かが、自分に近づいてきていることくらいは分かっていた。それは、たぶん小さな子どもで、この屋敷で子どもと言えばひとりしかいないことも、頭では分かっていたつもりだった。
 ただ、どうもこのセリアという少年、シェゾの苦手属性に入る。「力」の有無はともかく、それ意外の理由も無いわけではなかった。認めたくはないが、態度、言葉遣い、声の調子、何かとあまり思い出したくない誰かを思い起こさせる。そこら辺も、シェゾがセリアを警戒する、大きな理由のひとつなのかもしれない。
 セリアは、どっかの誰かの鬱陶しい姿を思い出させるようにまた言った。
「こんな時間に、こんなとこで暇つぶしなんてシェゾらしいよね」
「セリア・・・」
 シェゾは、思考を振り払うようにその名を口にした。厄介なヤツに見つかった、と直感したことがカンのいいセリアに見事に見抜かれたらしい。セリアは、見透かしたような瞳でアハハと笑った。
「大丈夫だよ。真夜中に自分の部屋にいなかったの、シェゾや僕だけじゃないし」
と、セリアはニヤリとして言った。
「?」
 セリアの後ろの書棚から現れたのは、レイドだった。
「・・・オマエも捕まったのか」
「・・・・・・“も”とは失礼ですね、私が声をかけたんですよ。東の棟の屋上で、ひとりで遊んでたようでしたから」
「てことは・・・」
 シェゾは、この数日で何度目だか分からないな、と思いながら、セリアに言った。
「お前、また抜け出したのか」
「へへ」
 相変わらず、曖昧な笑いで済まそうとするセリアに、シェゾは少し声を抑えながら言った。
「いい加減にしとかないと、ベッドにくくりつけられるぞ」
「まさか」
 セリアはあっけらかんと言い放っていた。罪悪感のカケラもない。
 シェゾはため息をついたが、まぁ、人様の息子を本気で諭せるほどシェゾはマトモな人生を送っていない自覚があったので、それ以上何も言う気はない。それにしても・・・
 ―――――自分、妙な司書、セリア
 シェゾは思ったままのことを言っていた。
「・・・妙な組み合わせだな」
「・・・そうですね」
 レイドも、シェゾと同じように妙な顔をしている。
 なんとなく、無駄な気がしながらシェゾは一応言った。
「オレとしては、このままセリアをアルベルのところに連れて行くのがいいと思うが」
「私も先ほど、そう提案したんですけどね・・・」
「イヤ」
 セリアの即答だった。
「やっぱりな」
「彼の気が済むまで、しばらく相手します?」
「・・・頃合を見て、部屋まで送るか」
 結局、シェゾを含めた3人は、図書室の端に腰を降ろした。

 

「ねぇ、昼間の話、覚えてる?」
「・・・『氷の女王』の話か?」
「うん、面白いもの持って来たよ。きっと、シェゾも気に入ると思うな」

 セリアが片手に持っていたモノは、やはり『氷の女王』の絵本だったらしい。ただ、先刻この場所でレイドが取ったセントレイス版の本ではなかった。絵本―――子どもが読む本というには、かなり大判だ。・・・それに、かなり古い。俄かに興味をそそられたシェゾは、セリアが拙い手つきで本を扱うのを、注意深く眺めていた。表紙はくすんだ紫色で、派手な装飾は一切ない。何よりシェゾが驚いたのは、本の表題が異国語で書かれていたことだ。
 北の小国が少し前に扱った文字列―――――古今東西あらゆる語学に通じているシェゾには辛うじてそれが読めた―――――――『氷の女王』。

「これは・・・」
「スノーランドで作られた絵本ですね。・・・ずいぶん古い」
 レイドは、とても興味深げだった。正直、セリアがいなければシェゾもレイドのように本に興味を示していただろう。
「ホンモノの手記を元に作られた話、かもな」
「読んでみる? 父さんが訳してくれたんだ、面白いよ」 セリアは、訳書らしきノートを手にシェゾに言った。
「悪いが興味はない・・・」
 ウソだった。ただ、ここで読みたいと思わなかっただけだ。言葉足らずも甚だしいが、本を読むことは好きだったが、人前で読むのは好きではない、という意味である。
「そう言わずにさ、聞いてみてよ。あのね、こんな話―――――」

 セリアはレイドから絵本を取り上げて、勝手に読み聞かせを始めてしまった。「むかし、むかし―――――」

 

 むかしむかし、あるさむい国の森の中に――――――氷でできた大きなお城がありました。

 そのお城にはひとりの魔女が住んでいて、その魔女はとても強い氷の魔法を使うので『氷の女王』と呼ばれていました。『氷の女王』は城に迷いこんだ人間をひとり残らずつかまえて、氷の魔法によって身体を冷たくしてしまうのです。

 たくさんの人がぎせいになったので、たくさんの人が女王を倒しに城へと向かいましたが、だれひとり帰ってきませんでした。

 みんな、『氷の女王』に身体を冷たくされて、しんでしまったのでした――――――

 

 ある冬の日、女王の城にひとりの若者が迷いこんでしまいました。若者はシアンという名まえで、いろんな国を冒険する旅人でした。森で道がわからなくなって、一晩泊めてもらえる家を探していたのです。女王の城を見つけて、シアンは喜びました。何も知らずに、女王の城に入ってしまったのです。

 氷の女王はすぐにシアンをつかまえましたが、何も知らないシアンは女王が自分を助けてくれたのだと勘違いしてしまったのです。シアンは女王にお礼を言いました――――――

『ありがとう、貴女のおかげで僕は死なずに済みました。本当に、ありがとう―――――』

 

 ―――――女王は、シアンを氷付けにすることが出来なかった。

 ―――――なぜかって? そりゃ、シアンには女王に対するとても暖かい心があったから。

 とても強い感謝の気持ちと、女王への熱い想いがあったからだよ。
 女王は自分の魔法を解かされるのが怖くて、氷付けにすることはもちろん―――――シアンに触れることも、近づくことすら出来なかったんだ。

 ―――――シアンはケガをしてた。シアンは、ケガが治るまでここにいてもいいか、と女王に聞いた。女王は、シアンが自分の前に姿を現さないことを条件に、それを受け入れた。女王は、一度としてシアンの前に姿を現すことはなかった。シアンがどんなに頼んでも、女王は絶対に姿を見せてくれなかったんだ。

 それでも、シアンは嬉しかった。女王は姿こそ見せてくれなかったけれど、声はいくらでも聞かせてくれたから。

 シアンと女王は、氷の壁越しに色んな話をした。空の話、海の話、遠い外国の話、魔法の話・・・そして、女王がなぜこんな森の中でたったひとりで暮らしているのかも。人の心は暖かすぎて、自分には怖くて触れられない。この城の氷の魔法は、自分の脆い存在を護れる唯一のもの。本当は、そっとしておいて欲しい、って。
 そして、シアンは悲しいことを言われてしまうんだ。―――――だからお前にも、本当は早く出て行って欲しい、私に氷付けにされたくなかったら―――――って。
 シアンは、悲しくなって女王に聞いた。

「君は、こんな広い城にひとりでいて寂しくないのかい?」

 女王は、すごく寂しそうに答えた。

『・・・寂しいとは思わない。この凍て付く氷だけが、私の心の支えなのだ』

 シアンは、諦めなかった。

「――――もし、寂しい時があったなら、いつでも僕を呼んでくれ」

「いつでも、喜んで君の話し相手になろう」

「君はどんな話が聞きたい? 君が聞きたいなら僕は何でも話して聞かせる」

「君が話してくれてもいい。僕は君の話したいことを聞くよ」

「何が欲しい? 何を望む? 君が望むなら何だって僕は君に贈ろう。この城を出ることのできない君へ、異国の美しい花でも、遠い海の楽しい話でも、世界一高価な宝物でも、僕は何だって君に贈れるのだから。僕は旅人だ、どこへでも行って君の望むものを手に入れることができるんだ」

 シアンはいつの間にか、壁越しにしか話をしたことのない『氷の女王』を好きになってたんだ。
 だから、女王が欲しいと言えば花を摘むし、宝石だって届けるんだ。そして、話をする。女王が寂しくならないように、たくさんたくさん。
 でも、シアンは気づいてなかったんだね。・・・それが女王の寿命を縮めることになってたんだ。
 女王と話をしているうちに女王を好きになったシアンは、その内女王にどうしても会いたくてたまらなくなる。
 何度も頼むけど、女王は決して許さなかった。でも、やっぱりシアンは諦めなかった。

「どうしても、君の顔が見てみたいんだ。その美しい声を発する身体に触れてみたい。どうか姿を見せておくれ」
『それはならぬ。シアンよ、私はお前に会ってはならぬのだ・・・』
「なぜ? なぜ君は僕の願いを受け入れてくれない? 君は僕ほど寂しいと思ってくれていないのか。僕は君の声を聴いているだけで会いたくて、会いたくてたまらないというのに、君は僕の声を聞いているだけで満足だとでも言うのかい?」

 シアンの悲しそうな声を聴いて、ついに女王は会うことを許してしまうんだ。

『・・・わかった、シアン。私もお前に会いたい・・・だから、私はお前の前に姿を見せよう。しかし、見せるだけだ。決して触れることはできない。それが我らの運命なのだ・・・許しておくれ』

 消え入るようなその声に導かれて、シアンは心を躍らせて氷の壁の向こうに行ったんだけど・・・・・・

 

 

「シアンが目にしたのは、今にも水に還ろうとする女王の姿と、その涙で濡れた大きな氷の玉座だけだったんだって」

 静かに、セリアは話を終えた。

 パチパチと、乾いた拍手を最初に送ったのはレイドだった。
「大変、興味深いお話でした。氷の女王は、自分の身を滅ぼす要因を、自ら招いてしまったわけですね」
 レイドの淡白な感想に、セリアは少しムッとしたようだ。
「消えるとわかっていても、それでも触れたかったんだよ。どうしてそれがわからないの」
 レイドに冷たい一瞥をくれて、セリアは絵本に挟んであった『氷の女王』の挿絵を開いた。昼間にシェゾに問いかけを繰り返した、あの絵だった。
「会いたい人に、会えないなんて・・・」
 悲しく微笑む女王と、絶望した旅人の姿を見つめながら、セリアは言った。

「僕だったら、こんなの絶対イヤだ・・・」
 心なしか、セリアの声は震えているようだった。
「ねぇ、シェゾだったらどうする?」
「・・・・・?」

「氷の女王は、どうすれば良かったんだろう?」

 ――――――オレだったら?

 唐突とも言える、セリアの質問だった。しかし―――――
 セリアが知ろうはずもないが、シェゾはそういう場合、自分がどんな行動をとるべきかを知っていた。

 どんなに望んだところで、拒まれて当然で。無理に手を伸ばしたところで、手に入るモノではないこともわかっている。むしろそれは、レイドの言うように身を滅ぼす要因を自ら招くことに他ならない――――――ならば。

「逃げる、だろうな。旅人から徹底的に」

 それが、本当は正しい選択だった。もう、二度と求めてはならない世界――――――

「・・・逃げる?」
「自分の魔法が効かないんじゃ、逃げるしかないだろう」

「はは・・・なんかカッコ悪いね、それって」
 セリアは、誰を笑ったのか。シェゾは、自分が笑われたはずなのに、なぜか腹が立たなかった。一応、皮肉っておくけれど。
「格好など気にしてられるか。自分が殺されるんだぞ」

「うん、そだね。そうだよね・・・」

 セリアは、シェゾの言葉に何度も頷いていた。

「逃げるしか、ないよね・・・」

 

■      ■      ■

 

「セリアさま・・・!」
 図書室に、突然現れたのはセリアの主治医―――――マリアだった。真夜中にセリアが部屋にいないことに気づき、慌てて探していたのだろう。
 マリアは、セリアに向かい合うように本を広げて座り込むシェゾとレイドにぎょっとした様子だった。そりゃ、探していた大事な旦那のひとり息子が、怪しい男2人に真夜中に構われていたとなれば・・・例えアルベルでもこうなるだろう。
 ただ、マリアは気丈な女性らしく、すぐに落ち着きを取り戻した。心配そうにセリアの前に膝を落とし、言いにくそうに言った。
「お部屋にいらっしゃらなかったから・・・その」
「・・・ごめん、マリア」
 この時ばかりは、セリアも罪悪感を感じたらしい。シュンとした様子で、マリアに“ゴメンね”という仕草をした。
「シェゾさん・・・貴方が見つけてくださいましたの?」 と、マリアが聞いた。
「あ? いや、こいつが・・・」
 一応、セリアを見つけたのはレイドなので、シェゾは我関せずを決め込んでいるようなレイドをこづいた。
「レイド、貴方・・・」
「いや、ずっとシェゾさんと一緒でしたよ」 レイドは何を焦っているのか、慌てて言った。
 どうやら、このレイドという男、マリアにあまり信用されていないらしい。それはシェゾにも判る気がした。レイドは出会ってからこっち、何に関しても妙に淡白だ。まぁ、それこそ人によるだろうが、レイドのそういう口調を気に入らぬ人間もいるだろう・・・
 マリアは、俄かに厳しい口調になった。
「セリアさまを・・・不用意に連れまわさないで下さい。旦那様から聞いているでしょう。この子は・・・病気なんですよ」
「そんな酷いものじゃないってば」 セリアが、ぷいと口を尖らせた。
「セリアさま」
「いいから、行け」
 これ以上ややこしいやり取りになられても困る。シェゾは早々にセリアに部屋に戻るように言った。不思議なことに、セリアはシェゾの言うことはよく聞いた。
「部屋に戻るよ、マリア」
 セリアは、マリアを引っ張るようにして図書室を出て行った。
 マリアの姿が図書室の向こうの廊下に消えるのを待っていたように、レイドが口を開いた。
「私、マリアさんに嫌われてるみたいなんですよねー・・・」
「まぁ、オレはそうでもないがな。ところで」
 シェゾは、レイドがマリアをどう思っていようが興味はなかった。代わりに、気になることがある。セリアのことだ。
「・・・あいつ、本当に病気なのか?」
「そう、らしいですね」
 レイドは、シェゾの言わんとしていることがわかったらしい。歯切れの悪い言葉で答えた。
「よく・・・出歩いてるよな。何の病気なんだ?」
「さぁ・・・。元気そうですよね、やいやい言われてるワリに」
 シェゾもレイドと同感だった。ただ、レイドも首をかしげていることからして、この男からは何の情報も引き出せそうにない、それもまた事実だった。

 

「とても、興味深かったですね。私の知っている『氷の女王』の話とは、全然違いますよ」
 子どものいなくなった図書室で、レイドが何がそんなに嬉しいのか楽しそうに言った。レイドは、セリアが忘れていったスノーランド版の『氷の女王』を読み返している。アルベルが訳したというノートを片手に、絵本の挿絵を楽しんでいるようだ。
 仕方なくシェゾは何処にでもありそうなセントレイス版の『氷の女王』を手にとって見る。一応、どんな話だったかをもう一度確認するためだ。

 物語の中で、主人公は『氷の女王』が炎に弱いことを知る。勇者となることを決意した主人公は、城の檻から助け出したヒロインに言う――――

『女王は愛の力が怖いのだ。情熱に燃えた人の心が。だから、私たちを氷付けにしてしまう。だが、私の心は凍らない。何より熱い、貴女への愛があるから。さぁ、この剣に貴女の心で燃える熱い炎を捧げて下さい。私たちの愛の力で、女王を倒すことが出来るのです!!』

 シェゾは、結末まで読む気力も失せて、本を閉じた。

「・・・ありきたりすぎて、反吐が出るな」

「セントレイスの英雄物語なんて、そんなのばっかりですよ」
 レイドは、声の調子を全く変えずに言う。

「確かに“愛”の力は偉大ですが、相手によると思うんですよねぇ」

 レイドは、デスクの上に足を投げ出していた。昼間の優雅な態度からは想像もつかない。
 アルベルの前では、不気味なくらい礼儀正しいクセに・・・ってまぁ、裏表があるという意味なら、シェゾも人のことは言えないが。それにシェゾとしても、このようなレイドも嫌いではなかった。
 レイドはさらに言った。
「氷の力は、自然の持つエネルギーの中で最も守護能力が高いもののひとつです。氷の相手を想う力は本当に強い。彼らの持つ強固な“愛の力”は、本来人間ごときがそう簡単に破れるエネルギーじゃないんですけどね・・・」
「魔導をよく知らん人間が創った話なんだろうよ」
「大陸の人間は、一般的に魔導に疎いですからね」 それは、大陸外の魔導師が言う台詞によく似ていた。
「氷の女王には炎の剣、闇の魔導師には光の勇者、・・・人は伝説を作る時、どうも対極対決を好むようですが、自然のエネルギーは本来そう単純なものじゃないですよ」
 いつもは感情の有無をあまり見せないレイドが、この時ばかりは少しだけ不満そうにも見えた。
「・・・まぁ、単純な方が分かりやすいし伝えやすいんだよ。この本、一応子ども向けだろ。ルーンロードの伝説も、いかにもな噂がずいぶん分かりやすい形で伝わってる。全部が全部、真実なのか怪しいモンだ・・・とは言え、あまり調べる気もないが」
「彼の伝説にも、突き詰めていけば色々な矛盾がありますからね。まぁ、彼の伝説に限らず・・・どの物語にもそういう傾向がありますが、氷や闇を「悪」と混同しすぎている。代わりに、「正義」の象徴にはなぜか光や炎が登場しますよね。本来、氷も炎も同じ力を源とする、純粋なエネルギーのひとつなのに・・・やはり、それぞれの属性の持つイメージが強いのでしょうか」
「まぁ、それもあるんだろうな」
 シェゾがセントレイス版の『氷の女王』を部屋の隅に放り投げる一方で、レイドはもう一度スノーランド版の表紙をめくって言った。
「むしろこちらの物語の方が、実に真実味があっていい。氷の精霊の持つ強固な守護の力とそれ故の孤独な運命が、よく語られている・・・。アルベルさんが、珍しい話だと思っていつものようにガラクタと一緒に購入したんでしょうね。私は、この話の方が好きですよ」
 レイドの言葉を聞き流しながら、シェゾは女王が描かれた挿絵を見つめるセリアを思い出していた。

『僕だったら・・・絶対にこんなのイヤだ・・・』

 悲しい表情で水へ還る女王の姿。
 セリアは何故、あの女王の姿をあれほど自分に重ねたのだろう?

 人の優しさを恐れて、頑なに旅人を拒んだ孤独な女王。
 セリアは、ただ単にそのような女王の運命に同情しただけだったのか。

 いつの間にか、レイドは別の書物を手にとって勝手に読みふけっていた。傍らに、セリアが持っていたスノーランドの『氷の女王』が、読みかけで放っておかれている。

『それはならぬ。シアンよ、私はお前に会ってはならぬのだ・・・』

 なぜか、挿絵に描かれたその女王の表情が、部屋に戻りたくないと拗ねるセリアの顔に似ている気がした。

 

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