絵本


 午後のことだ。昼食より後、シェゾはアトリエに戻らなかった。いわゆるサボリである。
 仕事が順調なことに加えて、レイドがアトリエに戻るはずなら、自分がいなくても仕事はある程度進むと考えてのことである。したたかなのか、愚かなのか・・・。
 一応、言い訳は「自室で美術品のリスト作りをしていた」と言うと決めていたとはいえ、初めからサボる気で自室へ戻ったシェゾのこと、リスト作りなどする気はない。連日の寝不足もあって、シェゾは簡素なベッドの中で浅く眠っていた。

(・・・?)

 シェゾは、まどろみの中でふとした気配を捉えた。

 シェゾは職業柄、眠っている間でも周囲の気配の変化に気づくことができる。警戒心の強い野生の猫や鳥のように、敵の存在にいち早く気づき危機を回避する能力である。研ぎ澄まされたシェゾのその第六感が、自室の前に横たわる広い廊下をひたひたと踏む小さな足音を捉えていた。
 扉の向こうの細長い廊下を、誰かが歩いている。
 小さな気配だ。
 気配は、部屋の前でピタリと止まった。シェゾは瞳を開けることと同じくらい無音の動きで、ベッドの上に身体を起こす。部屋の扉が開いたのは、それとほぼ同時だった。

 来客は、予想外の人間だった。

「なんだ、またオマエか」
「あれ、やっぱりいた」
 扉の向こうで、ややぁとした態度で立っていたのは、セリアだった。
「・・・また部屋を抜け出したのか?」
 シェゾは無意識に冷たく言っていた。今、オマエと話す気分じゃない、と表情で言ったつもりだった。しかし、子どもは不思議と鋭いものだとレイドは言うが、シェゾに言わせればただの鈍感の塊である。シェゾの闇の魔導師らしい“今すぐ帰れオーラ”は特に一部のガキには通用しない。
「シェゾこそ、仕事サボってこんなところで寝てるなんて、らしくないよね」
「・・・・・・」
 最近、通用しない相手が多くなってきたような気がするが、それは気のせいだということにしておく。
 セリアは、相変わらずの人懐こい表情で言った。
「寝てたってことはヒマなんでしょ。僕も退屈だったんだ、少し話でもしない?」
「屋敷には他の連中だっているだろ。そっちに遊んでもらえ」
 シェゾは、本人こそ気づいてないが、半分拗ねたような口調になっていた。これでは子どもを脅せない。
「昼間はみんな仕事で忙しいんだよ。堂々と部屋でサボってるのなんかシェゾくらい」
「・・・・・・ちっ」
 イヤなガキだ。
 セリアはふいとシェゾの前を横切り、素早く部屋の腰掛に陣取ってしまった。シェゾは、軽く頭を抱えた。
 ・・・ようやくサボれると思ったら、ガキのお守りとはツイてない。まぁ、オレが運命の女神から見放されたのはずいぶん過去のことではあるけれど。
 セリアをアルベルのところまで引っ張っていくのも面倒だ。仕事をサボってたことがバレても困る。
(不本意だが、相手してやるか・・・)
 シェゾは諦めて、無言でセリアに扉を閉めるように言うのだった。

「レイドに聞いたよ。シェゾって魔導士なんだって?」
「ああ・・・、まぁな」
 飴玉が転がるようなセリアの弾んだ声にも、シェゾは言葉少なに答えるのみだった。
 シェゾは屋敷に来てからも、決してセリアへの警戒を解こうとしなかったが、セリアの方はシェゾのそのような態度をも気に入っているようでさえあった。やはり奇妙な子どもだ、とシェゾは思う。屋敷の連中からは逃げ回る一方、初対面に近い人間の周りばかりをウロチョロとするとは。セリアはなおも話し続ける。
「いろんな国に行ったことがあるって聞いたよ。魔導士サマは冒険が好きなんだって、父さんも言ってた」
「魔導士の全てがそうってワケじゃないけどな・・・」
 そう言いながらシェゾは、セリアは今日はなぜこの部屋に来たのだろう? と、考えていた。

 セリアが退屈しのぎに遊んでいるところへ、偶然自分が居合わせた昨日までとは明らかに違っている。自分が部屋で仕事をサボっていることを知っていたかのように、彼はシェゾの自室へやってきた。何か目的があってのことだろうかと、とシェゾが考えていると、それを悟ったかのようにセリアは「あのねぇ」と切り出した。

「今日は、シェゾに面白いもの見せてあげようと思って」

 言いながらセリアがテーブルの上に取り出したのは、一冊の絵本だった。どうでもいい態度で、シェゾはその絵本を手に取ってみる。凍てつくような氷結晶が一面に描かれた表紙に、白い文字でタイトルが刻まれていた。
「シェゾ、この話知ってる?」
「・・・『氷の女王』?」
 表紙中央には白い魔女の姿が禍々しく描かれていた。そして魔女の凍てつく魔法から炎に護られるようにして手を取り合う、おそらくは物語の主人公とヒロイン。彼らを嘲笑するような魔女の瞳は鋭くつり上がり、さながら悪魔メデューサの蛇目のよう。
 それは、シェゾの知る大人しいが芯の強い氷の精霊アイス・スピリィトのイメージと全く異なるものだった。

 ――――――『氷の女王』。

 世界的に有名なおとぎ話のひとつだった。絵本になどに興味のないシェゾでも、話の内容くらいは知っている。

「・・・『氷の女王』の恐ろしさを知らなかった旅人が女王を怒らせて、城に閉じ込められる話だな。旅人は、同じように城に閉じ込められていた女の協力で、炎の剣を手に入れて女王を倒す―――――よくある英雄物語だ」

 シェゾは機械的にそう言った。似たようなおとぎ話は世界各地に存在する。「氷の女王」が「吸血鬼」だったり「狼男」だったりするだけで、展開も結末もさほど変わらない。おとぎ話に限らず全ての英雄物語は、悪者と勇者ヒーローとオマケに美女ヒロインのひとりでもいれば、自ずと出来上がるものだ。冷たい考え方かもしれないが、少なくともシェゾはその程度にしか考えていなかった。
 セリアは、そんなシェゾの真意をも見抜いたのか、意外にもアハハと冷たい笑い方をした。
「まぁ、それが一番有名だよね」
「・・・ずいぶん冷めた言い方をするんだな。好きなんじゃないのか、この話」
 ほぼ初対面の自分に、わざわざ見せにくるくらいだ。子どもにはよくあることだが、自分のお気に入りの品を見せびらかしに来たつもりなのだろう、とシェゾは踏んだのだが。
「? 別に好きじゃないよ、この話」 セリアはそれで当然という風に言った。シェゾには意味がわからない。
「・・・・・・?」
 じゃあ、なんでわざわざ見せに来た? キツネか何かに、からかわれているような気分だ。頭をひねるシェゾの前で、セリアは少し声を落として言った。

「シェゾさ。これの元の話、知ってる?」

「元・・・?」

「父さんに聞いたんだけど、『氷の女王』はスノーランドの民話を元に、セントレイスの作家が英雄物語に書き換えたモノなんだってさ。――――元々の話は、全然違う」

「あ? ああ、まぁ・・・あの国はそういう話が好きだからな」
 唐突に、意外な話題をふられてシェゾは戸惑った。
 理屈っぽい偏屈ジジイじゃあるまいし、10歳前後の子どもにしては『おとぎ話』の“元の話”に興味を持つなど、ずいぶんおかしなことだ、とシェゾは思った。
「どんな話か、シェゾ知ってる?」
「いや」 シェゾは、セリアに視線を戻して言った。

「ヒントはこれ。僕が好きな『氷の女王』は、こっちなんだ」

 セリアは、絵本のページに挟まっていた小さな用紙を抜き取り、静かに広げてシェゾに見せた。用紙に描かれていたのは、パステル調の瑞々しい絵だった。
「・・・曰くつきの絵か何かなのか?」
「別に。単なる『氷の女王』の挿絵だよ」
 絵には、女王が消滅する瞬間が描かれていた。

 崩れ落ちる瞬間の氷の城、今にも水に還ろうとしている女王と、女王の正面には旅人がいる。『氷の女王』とその城が崩壊する、話のラストシーンらしい。―――――のワリに・・・? と、シェゾはすぐに違和感を感じた。

 普通、旅人の傍に描かれる救い出されたヒロインの姿がなかった。最初に妙だと思ったのは、そこだったが。

 シェゾはなおも吟味する。

 そう言えば、話の中で“氷の女王”は旅人の放った炎の魔法によって消滅するのではなかったか。しかしどう見ても、崩れる氷の城のどこにも、炎の浸食が見当たらない。・・・城は、何の力で崩れるのか、これではよくわからない。

「これがどうかしたのか」
「わからない? おかしなところがあるでしょ。もっとよく女王の表情を見て。・・・旅人の方がわかりやすいかな?」
 セリアは絵に描かれた女王の表情に指を置いた。

 驚いたことに、女王が微笑んでいる。消え逝く運命に打ち拉がれながらも、どこか優しささえ感じさせるその笑みは、本の表紙に描かれた悪魔の嘲笑と全くイメージが重ならない。
 それに旅人の様子もおかしかった。

 膝をつき、肩を落とし―――――絶望したような表情――――そして。

「―――――泣いてる?」 シェゾは訝しんだ。ンなバカな。
「うん。なぜだと思う?」
「なぜ、と言われてもな」
 ・・・ただ単純に、わからん。魔女を倒した勇者が何故悲しむ? 話になってない。
 シェゾは頭をひねった。有名なおとぎ話が、元となった話と大きく異なることはまま珍しくない。また、そういう各地で伝承され続けてきた民話や伝説には、古代魔導や未知の力への大きな手がかりが隠されていることも少なくない。そういう意味で、シェゾ自身も物語の元となる話を調べることはキライではなかった。
 というわけで、シェゾは過去の記憶から、この話の元となった話というものを調べたことはないかを思い出そうとした。しかし元々面倒臭がり屋な性格な上、必要のないことはさっさと忘れてしまう悪癖がたたったらしく、有効な情報は何一つ頭の中から引き出せなかった。シェゾが思い出せたことといえば、何か別の機会に何処かでこの話を聞いたことがあるような気がすることくらいで、それは他の何の情報とも結びつかないことは明らかだった。
 悩むシェゾをヨソに、セリアはふと何かに気づいたような表情を一瞬だけ見せて、少し早口に言った。

「真相は、また今度ね。『氷の女王』の面白い話を、教えてあげるよ」

 ふふ、と含み笑いを残して、セリアはすくっと立ち上がる。そして、意外なことを言った。
「えへへ、そろそろ部屋に戻らなきゃ。僕がいないことに気づいて、マリアたちが探し始めたみたいだ」
「・・・? 何故、そんなことがわかる」

「なぜ、っていわれても」
 セリアは、先刻のシェゾの言葉を真似た。

「んー・・・何となく、“わかる”んだよね。上手く言えないけど・・・何か、色んな“声”が聞こえる、気がする。遠くから、かも。・・・こんな時はたいてい、何か騒ぎが起きた時なんだ」

 ――――――コイツの“力”か。

と、シェゾは瞬時に判断した。
 シェゾにわかるのは、屋敷のあちこちで俄かにざわめき始めた風に似た気配だけだったが、セリアが感じた“声”とは、たぶんその“風”の音―――――『気配』のことだ。

 ――――――やはり強いな、コイツの力は。

 『気配』を無意識に読むとは、大した「力」だ。シェゾはふと、ついさっきこの少年が“まるで自分が部屋でサボっていることを知っていたように・・・・・・・・”、部屋まで訪ねてきたことを思い出した。人はそれをしばしば「カンがいい」と表現するが、シェゾに言わせればそれもまた「力」をコントロールする能力のひとつである。シェゾがセリアへの警戒をそう簡単に解かないのも、彼の鋭い直感的な「力」を少なからず恐れてのことだ。まぁ、あまり認めたくはないが、それだけが理由とも言い切れないのも事実だけれど。
 ただ幸いなことに、かなり強い「力」を持つセリア自身、その力をイマイチ使いこなしていない。自分と違って、使いこなす必要がない分、彼は余計なことを考えずに済むのだろう・・・。
 ・・・意識の奥底で疼く、目の前に「力」があれば奪えとウルサイ闇の気配は思考の奥へと押さえ込み、シェゾは、色んな情報が交錯する頭のほんの表面だけで、そんなことを考えていた。

「慌しくてゴメンね。今度はもっとゆっくり話せればいいんだけど」

 軽やかな声でそう言って、セリアはそそくさと扉から出て行った。

 

back   return   next