レイド
4日目
不思議なことに、鈴の音は真夜中過ぎまでシェゾの頭から離れなかった。
澄み切った空気を薄く裂くような澄んだ音。何の音だったのかを考えるのは無駄だと分かっていても、いつの間にかまだ何の音だったのかを考えている。その繰り返しを、夜の随分遅くまで続けていた。当然、朝にはそれがたたることになった。翌朝、寝不足を圧しつつフラフラと仕事場へ向かうシェゾに、アルベルが声をかけてきた。
「おはよう、シェゾさん。昨日はお疲れでしたか」
見事に寝坊したシェゾを、一応気にかけてくれたらしい。ありがたいような鬱陶しいような。不健康かつ低血圧の脳内で、シェゾは「今日は仕事になるのか」と考えながら、ボーっとした頭でアルベルを視界に入れるのが精一杯だった。やっぱり、シェゾは朝に弱い。
真夜中の鈴の音が未だに頭から離れず、シェゾはアルベルに幾分マト外れなことを聞いていた。
「・・・・・・この屋敷では、猫でも飼っているのか?」
真夜中の鈴の音は、猫の首輪で鳴るそんな音に似ていたような気もした。
「猫? いいえ、ウチのマリアが動物嫌いで」
アルベルは、きょとんとして答えた。
「なにか気になることでも?」
「いや、なんでもない・・・」
「そうですか? 気になることがあれば、何でもおっしゃってくださいよ」
そう言うとアルベルは思い出したように手を打った。
「そうそう、今朝はシェゾさんに紹介したい者がいるのですよ」
アルベルが奥の部屋へ声をかけると、部屋の扉が開き背の高い誰かが出てきた。
それが見覚えのある男だと分かった時、シェゾの眠気は幾分払われた。男の整っていない金髪が、端整な顔立ちの上でうねっている・・・
「ウチの図書室の管理を任せております、レイドです」と、アルベルは簡単に紹介した。
奥の部屋から現れたのは、いつかの真夜中の男だった。
「どうも、おはようございます」
と、レイドはシェゾに向かって優雅に礼儀正しく挨拶した。
緑色の危うい瞳が、やはりレンズの欠けた眼鏡の間から覗いていた。
あの時と同じく、ズレた眼鏡に緑のローブ。レイドはやはり風変わりな出で立ちでシェゾの前に再び現れた。軽く会釈する姿勢も、夜となんら変わりない。
「オマエか・・・」
「近いうちにお会いできると思ってましたよ」
レイドは本心なのか分からない表情で、にこりと笑った。傍らでアルベルが言う。
「彼は元々魔導師で、歴史や地理、魔導の知識にも明るい。屋敷の美術品についても、私よりも詳しいかもしれないくらい博識です。きっとシェゾさんとも話が合うはずです。レイド、旅から帰ったばかりで悪いけれど、身体を休める傍らで良いからシェゾさんの仕事を手伝っておあげなさい。くれぐれも失礼のないように」
「ええ、よろしくお願いしますよ」
真夜中に見かけた時の印象が奇妙すぎたらしい。再び屋敷に現れたレイドは、ただのアルベルの友人といった感じだった。
シェゾはなんだかよくわからないまま、またも奇妙な仕事の助手を提供されていた。チャーリーだったかリーマスだったかのように、無能ではないことは多分確かなので、シェゾは少し安心した。
「昨日は大変だったようですね」
仕事場へ向かう途中、レイドはふいにシェゾに声をかけてきた。
「何の話だ?」 シェゾは淡白に言ったが、レイドに気にした様子はない。
「アルベルさん、昨日もたくさんの美術品を市場で仕入れてきたらしいじゃないですか。貴方、全ての品の鑑定を請け負ったんですってね」
レイドは喉の奥でほんの少し笑ったようだが、それは馬鹿にした様子ではなく、また呆れた風でもなく、ただ義務的にそうしただけのようでさえあった。
「したくてしたわけじゃないんだがな・・・。成り行きだ」
と、シェゾは答えた。
「わかりますよ。まぁ、あの主人では素直に引き受けておいた方が賢明かもしれません。断ったら断ったで、あとで迷惑なくらい落ち込まれそうな気がしませんか」
「・・・そんな気もするな」
シェゾは、シェゾにしては珍しく、レイドの口調に悪い気がしなかった。
何より、初めて話す気がしない。たしかに妙な出会いだったとはいえ、レイドとは一度言葉を交わしている。それでも、レイドは他の屋敷の連中よりは話しやすい相手だとシェゾは感じた。レイドの淡々とした口調は、他人への干渉力を感じさせない。そこが、シェゾを安堵させていた。
「で、貴方はどのくらいの品を鑑定することになっているんですか」
「馬車の荷台いっぱいのガラクタを置いていったぞ」
「それはまた・・・」
レイドは、また義務的に驚いたような顔をした。
「まさか、貴方ひとりでそんな仕事を全て請け負ったわけじゃないでしょう?」
「まぁな」 シェゾは、しなびたレタスのような老人とその周りで騒ぐバカ2人を思い出しながら言った。
「屋敷の外れで彫刻やってる老人と、その弟子が手伝うことになっている」
「ああ、たしか彫刻家のウィリアム老人ですね。・・・弟子はともかく、彼はとても器用な人のようですからいい助手になるでしょうね」
「・・・・・・そうか?」
ぼやっとした頭で、シェゾはそれだけ言った。レイドの言葉に妙な引っ掛かりを感じる。・・・なんだろう?
レイドはレイドで、ウィリアム老人の器用さにシェゾが同調しなかったことを疑問に思ったらしい。
「? 彼は役に立ちませんか? 仕事熱心な人だとも聞いていますが」
(・・・?)
シェゾは、違和感の正体に気づいた。多分、これだ。
レイドはどことなく、ウィリアム老人の噂をどこかで聞いてきたような言い方をする。ウィリアムと会ったことは無いのだろうか? ウィリアム老人がレイドを話す時の様子と、少し距離があるような気がした。
ただ、それをここで聞く気にもならない。シェゾはテキトーにレイドに合わせた。
「弟子よりは確かにマシだが、ウィリアムも余計な話ばかりして、よく見りゃ手がホトンド動いてないこともあるからな・・・」
「へぇ、彼が貴方に話を?」
レイドは今度こそ、本当に驚いたような顔をした。
「珍しいのか?」
「彼は気に入った者にしか、あまり口をきかないみたいなんですがね」
「・・・・・・」
やはりシェゾは、レイドの言うウィリアムとレイドとの間にはかなりの距離があるように思った。
シェゾは廊下を歩きながら、レイドと真夜中に会った時、自分がこの男に対して不気味な不信感を感じていたことを、何となく思い出していた。
■ ■ ■
仕事場にレイドが現れたことに、一番喜んだのはやはりウィリアムだ、とシェゾは思った。ウィリアム老人はのんびりした口調こそまるで変わらなかったが、レイドが現れた時、幾分か嬉しそうな表情でレイドを出迎えていた。シェゾがアトリエへ初めて案内された時とは、随分様子が違う。
「久しぶりだねぇ、レイドさん。今度の旅は、随分長かったんじゃないのかい」
ニコニコとまるで離れて暮らしていた息子を出迎える老親のようだ。やはり、ウィリアム老人はレイドをかなり気に入っている。
「お久しぶりです、ウィリアムさん。お変わりありませんか」
「ああ、このアトリエは相変わらずガラクタでいっぱいだよ。けど、お前さんが戻ってきてくれて一安心だ。いい鑑定士さんも来てくれてることだし、今日からは仕事が一気に進みそうだねぇ」
チャーリーとリーマスは、さっさと外の掃除に追い出し、アトリエの中でシェゾとレイド、そしてウィリアム老人で作業を行なうことになった。しばらくして外からホウキを使ったチャンバラの音が聞こえてくる頃、シェゾは次第にレイドの器用さを目の当たりにすることになる。
レイドは、キマイラの牙と肋骨の区別はもちろん、羽を一枚見ただけで何の種類のフクロウなのかも言い当てた。そして、危険な動物の毛皮を扱う時の器用さはプロ並だった。さすがウィリアム老人が太鼓判を押すだけある。ヤマネコの皮を元通りに縫い合わせる滑らかな手の動きを見た時は、さすがのシェゾも舌を巻いた。
「・・・ずいぶん手馴れてるんだな」
「器用なんです。これでも、小さな魔獣の類を扱うのは得意ですよ」
レイドは、流れるように動く手を少しも止めずに言った。
「へぇ」
「フクロウやコウモリ、ネコや火トカゲなんかは、特に扱いやすいですね」
「・・・なんだか、魔女が使い魔に使いそうな動物ばかりだな」
シェゾも、そう言いながらレイドと同じく手はホトンド止めていなかった。シェゾも(普段あまりその能力を生かす機会がないだけで、)生来器用なのだ。傍らで、ウィリアム老人がのほほんとその様子を感心しながら眺めていた。
「シェゾさんも、魔導師なんでしょう。使い魔は連れてないのですか」
レイドは興味深げに聞いてきた。
その質問に、シェゾはどうだろう? と頭の中で首をかしげた。たしかに、ここ最近自分が拠点としている住処には、複数の小動物や魔物が住み着いてはいるが、どれも別に自分が必要だと思って傍においているわけではない・・・
「・・・連れようと思って連れちゃいないんだがな。向こうが勝手に群がってくるのを、放っておいてる」
「へえ、動物に好かれているのですね」
シェゾは苦笑した。
「そういうわけじゃない、小動物なんてガキと一緒だ。相手がどんな人間か見極めもせずに、適当な相手に構われたがっているだけだろ。いちいち付き合ってられんだけだ」
シェゾは、相手が魔族のアイギスだろーと無愛想なシェゾだろーと平気で構われたがる少年を思い出し、さらに同じく相手が魔王だろーと闇の魔導師だろーと平気で魔法をぶっ放すどちらサマかを思い出しかけて、少し疲れた気分になった。
しかし、レイドはシェゾの言葉に妙な顔をした。
「それは、少し違うかもしれませんよ」
と、レイドは言った。
「動物や子どもはね、意外に不思議な力を持っているものです。相手が自分をどう思っているかは、意外とよくわかっていますよ」
「・・・・・・?」
レイドの、ビードロのような光沢を持つ瞳が俄かにシェゾを捉えていた。
「貴方は、貴方が思っているほど人に好かれにくいわけではないのでは?」
「同感だねぇ」
シェゾが『何をバカな』と言おうとする前に、今まで黙っていたウィリアムが、ごく自然に言葉を挟んできた。
「・・・ウチの旦那だってさ、人当たり良さそうな顔して、気に入らない相手には実はとことん冷たいからね。でも、シェゾさん相手にはよく笑ってる。気に入られてんだねぇ、わたしもシェゾさんのことは嫌いじゃないよ」
「私も、結構好きですね」 レイドもさらりと言った。
「・・・オマエら、モノ好きだな」
彼らはその事実こそ知らないが、シェゾは『闇の魔導師』だった。
街や教会を破壊し、悪行の限りを尽くしたと言われる前代の闇の魔導師ルーンロード。その命運を受け継ぐ“闇の魔導師”を気に入るなんて、それこそモノ好きというか、狂気の沙汰というヤツであった。シェゾは、そう考えていた。取るに足らない話を続けているワリには、3人は着実に仕事を進めていた。外でチャンバラを続けるトラブルメーカーがいないせいか、レイドという新たな助手が加わったためか、昨日までとは比べ物にならぬほどガラクタの処理は速く進んでいた。