セリア


 昼食時も、やはりアルベル(とルビウスたち)は帰っていなかった。しかし、シェゾの幸運はここまでだった。

 昼過ぎ、仕事を続けていると、アトリエにドタバタとどこかで聞いたような2人分の足音があっという間近づき、ガラス戸が勢いよく開かれた。
「爺さん、シェゾさん、大変ッス!!」
「ダンナが、やっちまいやがったネ! ドーするヨ!!」
 血相を変えた風船とリンゴが、同時にアトリエに駆け込んだのと、入口付近にあった花瓶が数個床に落ちたのは、ほぼ同時だった。

 

 チャーリーとリーマスに引っ張られるようにして、シェゾ(とウィリアム)はアトリエの裏手へ出た。庭園の一角に巨大な馬車が止まっていて、その荷台からたくさんに荷物が下ろされようとしていた。驚いたことに、数人の使用人にまぎれて荷物を降ろそうと人一倍頑張っていたのが、アルベルだった。
「ああ、シェゾさん!」
 ウィリアムたちに気づいてアルベルが振り返った。シェゾを見つけるや否や、何か重そうものが入った大きな木箱を2つも抱えてフラフラと近づいてくる。その様子を見てシェゾは嫌な予感がしたが、気づかないフリをして答えた。
「何か用か?」
「見てください」 アルベルが、木箱のひとつを下ろして中を見せた。
 中には、何やら宝石のカケラやページが千切れた書物など、奇妙な古品がぎっしりと詰め込まれていた。アルベルは、少し興奮した様子で言った。
「今朝、異国品市場を回っていて見つけたものなんですがね。ほとんどが異国の玩具や書物などですが、珍しい古品もいくつかありましてね―――こんな機会だから、ぜひシェゾさんに見てもらおうと、帰りの馬車の中で品を選んできたんですよ」
 やっぱりな、とシェゾは心の中で呟いた。・・・シェゾは、ここに来てやっとアルベルという人間がわかってきたような気がする。
「旦那。また、ガラクタを衝動買いしたんだね」
 ウィリアムが、いつものようにのんびりと言った。ウィリアムの口調は、チャーリーとリーマスに対する口調と全く変わっていなかった。
「ガラクタではないよ、ウィリアム。古品市場の由緒あるマーケットで仕入れた品さ。レイエの財閥連合が主催する今夏最後のマーケットを、ウッカリ忘れていてね。朝、急に思い出して、急いで行ってきたんだよ。早く思い出せたおかげで、貴重な品をいくつか手に入れることが出来たよ」
『早く』?」 シェゾの口走りは無視された。
「でも、やっぱり衝動買いには違いないよね」
 ウィリアムが、アルベルの背後で使用人たちがてんてこ舞いになって降ろしている、木箱や袋の山を見て言った。
 高そうな陶器の置物・曰くありげな不気味な人形、古いページの抜け落ちた書物、魔獣の化石らしき骨の塊、異国風の織物や衣装、木馬などの玩具――――おおよそ一貫性のないガラクタが、次々と荷台から降ろされている。
 まるで、粗大ゴミ置き場だな・・・と、シェゾはまるで失礼なことを考えていた。
「シェゾさん、お忙しいところをすまないのですが、鑑定をお願いした昨日の品のついでに、これらの品も調べて頂きたいと思っいるのですよ。――――なに、別に鑑定書を出して欲しいなどとは言いません。単にどの品にどれほどの価値があって、どんな曰くがあるのかが知りたいだけです。適当でよろしいのです。チャーリーもリーマスもいることだし、それほど時間はかからないかと。あの2人はいいね、どんな大きな荷物でも軽々と運んでしまう」
「あの2人は、それしか能がないよ」
 ウィリアムは、のほほんと酷いことを言っていた。
「もちろん、見合っただけの報酬は上乗せいたします。ぜひともお願いしたい」
 拒否権がないことは初めからわかっていたつもりだ。まぁ、報酬が弾むならかまわないとも思うけれど。
 チャーリーとリーマスが役に立つかは別として、今朝はこの2人がいなかったこともあり仕事はよく進んだ。鑑定品のリスト作りはほぼ終わらせることができていたし、古品の鑑定自体はシェゾも嫌いな作業ではない。シェゾとしても、断る理由はあまり無いように思われた。
「いいだろう。金が出るなら文句は無い。異国の品に、興味もあるしな」
 シェゾは、アルベルの足元に置かれた2つの木箱を確認した。大きさからして、中に入っているものはそう多くないだろう。少し面倒な仕事が増えるだけだ――――と、シェゾは考えた。甘い。運命とは、常にシェゾに味方しない
 アルベルは、シェゾの承諾を聞くや否や大げさに喜んだ。
「本当ですか! さすがデイビス古美術店さまですなぁ!! いや、お心が広い。あまりに膨大な品数なので、断られるのではないかと冷や冷やしておりました。―――ウィリアム」
「膨大?」
 シェゾは一瞬意味がわからなかった。木箱の中身は、たしかに品数が多いが“膨大”というほどでは・・・
「それから、チャーリー、リーマス。―――壊れやすい品を運び終わったら、残った品は荷台ごとアトリエの前まで運んでいいよ。シェゾさんが全部お引き受けして下すったよ」
 アルベルは、どう見ても粗大ゴミでしかない品物が乗った荷台を指差して言った。
「うおぉ、マジ? すっげー! シェゾさん、心が広い!(←そんなワケない)」
「すごいネ! ワタシたち、一生懸命運ぶヨ!」
 事態を悟った瞬間、夏の熱波がシェゾを容赦なく攻撃した。シェゾは眩暈を起こしかけたが、絶対に熱波のせいだけではなかったわけである。
 お互いに「暑苦しい」「邪魔だ」と悪態を突きつつ、チャーリーとリーマスは馬車をアトリエへゆっくりと動かし始めた。その後を、壊れやすいモノだけを集めた2つの木箱のうちのひとつを持って、のんびりとついてゆくのはウィリアム老人だった。ウィリアムはやはり表情をホトンド変えず、のほほんと言った。
「シェゾさん、もしかしてこの2つの木箱だけだと思ってたでしょ」
 ウィリアム老人は、いらぬところで鋭い。痛いところを突かれたシェゾだが、これで精神的に参っていては、あの魔王とその周りの連中とは付き合えない。シェゾは毅然と、いや、半ばヤケクソで言った。
うるせぇ、言うな。コキ使われんのは慣れている。こうなったからには、テメェらも覚悟しろよ」
「大丈夫さぁ、お前さんと一緒で慣れてるから。お互い、変わり者の上司を持つと大変だよねぇ」
 ウィリアムの洒落を効かした台詞に、シェゾはまたもあの緑色の髪を剃り上げてしまいたい衝動に駆られるのだった。アイツはオレの上司じゃない―――そんな八つ当たりの意味も含めて、アルベルの大事な木箱をうっかり蹴り上げていた。

  

 シェゾが、(うっかり)蹴っ飛ばした木箱の中身を片づけていると、突如として血相を変えた女性が現れた。
「旦那様!!」
「?!」
 シェゾは一瞬、自分が咎められたような気がして、女の声をメイド長のエルダかとさえ思った。しかし違った―――アトリエの影から飛び出したのは、エルダを30歳ほど若くしたような、美しい金髪の女性だった。
 清楚な白いローブを着こなしているあたり、屋敷のメイドではないようだ。かと言って、ウィリアムのような屋敷お抱えの芸術家―――という風でもない。誰だ? と、シェゾは頭をひねった。
 女性は、シェゾなどには目もくれず、アルベルだけを見つけて走り寄ってきた。
「・・・マリアさん」 ウィリアムが木箱を抱えたまま、びっくりしたような顔をした。シェゾは、この老人が驚いた表情をするのを初めて見た。
「うお、めっずらしー・・・」 チャーリーが目を丸くしている。
「どうしたんだね、マリア。君が、こんな屋敷の端っこまで走ってくるなんて、珍しいじゃないか」
 アルベルも予想外だったようで、目をぱちくりさせている。
 マリアと呼ばれた女性は、すぐにでもアルベルに何か報告をしたそうにしていたが、皆に注目されてそうもいかないと思ったらしい。乱れたローブを恥ずかしそうに直し、挨拶した。
「ああ、皆さん。ご無沙汰しております―――シェゾさん、でしたね。私、マリアと申しまして―――」
「マリア、いいよ。後で、きちんと紹介する。何か・・・あったのか?」
 アルベルは手を振って、マリアの言葉を遮った。シェゾは、アルベルの口ぶりから、何となく彼が何があったのかが予想できているのではないかと思った。いつもの快活な声に、不安と気負いが混じっている。
 アルベルはマリアが何も言わないうちから、さりげなくシェゾやウィリアムたちから数歩離れた。すでに、マリアと切羽詰った様子で話し込んでる。耳を澄ませたわけでなくても、断片的にアルベルとマリアの焦った声がシェゾの耳に聞こえてきた。
「―――何だって?! あの子はまた・・・」
「エルダ様には、すでにお伝えしました。私は庭の方を、旦那様は・・・」
 聞いてはいけないと思いながら、気になることには聞き耳を立ててしまう。同時に背後から、チャーリーが心配そうに呟いた。
「・・・何かあったみたいっスね」
「おおかた、坊ちゃんがまた部屋を抜け出したんじゃないの」
 ウィリアムにしては珍しく、声に少し不安が滲んでいる。リーマスは、異国語で何か呟いた。方言がキツかったらしく、よく聞き取れなかったが、東洋の言語で『病気・心配』を意味する言葉だけが聞き取れた。
 ふいに、ウィリアムがアルベルに呼ばれて向こうの会話に加わった。マリアの質問に、しきりに首を横に振っている。その度に、マリアはアルベル以上に不安そうな顔をした。
「あれは誰だ?」 シェゾは、チャーリーに聞いた。
「あれはマリアさんっス」
 チャーリーは答えた。
「セリアくん付きの家庭教師と主治医をしている人っス・・・。ホトンド、セリアくんに付きっ切りで奥の部屋から滅多に出てこないから、あまり話をしたこと無いけど」
「屋敷一番の美人ネ。優しいヨ」
 リーマスが、そう言った時だ。シェゾは、すでに人がいなくなったはずの馬車の影で、何かが動いたのを見たが気にしないことにした。むしろ、チャーリーの一言の方がひっかかった。
「・・・セリア?」 シェゾの呟きに、チャーリーが思い当たったようだ。
「あ、そうか。シェゾサンはまだ知らなかったっスね。旦那のひとり息子さんスよ、まだ10歳くらい」
「セリアというのか、その息子とやらは」
「そうだけど?」
「なるほど」
 シェゾはあまり驚かなかった。
「ドウシタの?」 リーマスは、シェゾの表情が微妙に変わったことに気づいたらしい。
「別に。東洋では、白ユリのことだな、と思っただけだ」
 シェゾは興味ない風を装った。
「すごいネ、その通りダヨ! シェゾサン、やっぱりすごいネ」
 リーマスはしきりに褒めたが、同時にアルベルたちの話が終わったようだった。リーマスは、ピタリと手を叩くのをやめた。
 アルベルが、先ほどと打って変わって深刻な顔でシェゾに言った。
「シェゾさん、少し厄介なことになりましてな・・・その」
「息子が行方不明なんだってな。急ぐようなら、説明は後でいい」
 シェゾは性格上、突っぱねた言い方しか出来なかった。これでも、彼なりの気遣いなのだが。
 アルベルは一瞬 目を丸くしたが、すぐに「助かります」と言った。
「少し―――人手が必要で。屋敷の南棟に詳しいウィリアムをお借りしたい」
「どうぞ」
 シェゾは即答だった。別に彼がいなくても仕事は出来る。しかし―――言ってしまってから、シェゾは待てよ?と踏みとどまった。
 ・・・ウィリアムなしで、残った2人のトラブルメーカーをこのオレが束ねろというのか。そりゃゴメンである。
 シェゾは、一息も置かないうちに言った。
「人手がいるなら、こいつらも一緒にどうだ」
 シェゾは我ながら、よい機転だと自負した。
『へ?』 2人は異口同音に変な声を出した。
「いや、しかし―――たしかに、2人のどちらかでも来てくれればとは思いますが―――それではシェゾさんが・・・」
「どっちもどうぞ」
 シェゾは、本気で言った。元々、ウィリアムなしでこいつらのどちらかでも束ねることが出来るとは思っていない。むしろ、どっちも居ない方が気が楽だった。それに、――――気になることもある。
 一瞬、激しく悩んだようだがアルベルの決断は早かった。直ちに「本当に、助かります」とチャーリーとリーマスも呼んだ。
 よほど、切羽詰ってるらしいな。こんなやつらまで動員してまでとは、よほど息子が気がかりらしい。
 シェゾはもう一度、馬車の陰の気配を確認して、どうするか迷ったが結局黙っていることにした。気配は元気そうな生気を発していたし、もうひとつの理由はシェゾ自身もよくわからないが、何か奇妙な力がシェゾに働きかけていて、なぜかアルベルにそれを告げようという気にはなれなかった。
 最後にシェゾは必要ないと思いながら、なぜか聞いてしまった。
「オレはいいのか?」
 感情を抑えたつもりだったが、アルベルはシェゾが気を使ったと信じたらしい。
「いえいえ―――いくら身勝手で図々しい私でも(自覚はあるらしい)、シェゾさんまでをも巻き込むつもりはありません。シェゾさんは、鑑定の仕事のためにここにいらしているのです。どうぞ、気兼ねなく仕事をなさっていて下さい」
 アルベルに引きずられるようにして、チャーリーとリーマスは本棟へ走り去った。その後をウィリアムが彼にしては急ぎ足でついていった。最後にマリアが、ペコンとお辞儀をして同じく屋敷の本棟へ駆けていった。

 

 

 誰もいない庭園を、久々に見渡す余裕が生まれた。風のよく通る広い庭だ。ひとしきりその広さを味わってから、シェゾはかねてから気になっていた馬車の陰の気配に声をかけた。馬車の陰から、ずっとこちらを見ている「子どもの」気配を感じていた。真っ直ぐな視線、強い存在感、――――統べて言えば何らかの「力」の気配がそこに在った。
「おい、バレてるぞ」
 シェゾの厳しい声に、気配がギクリとしたらしい。手に取るようにわかるその動揺は、やはり子どものものだ。しばらく待ったが、気配の主は陰から出てくる様子はない。こちらの様子を窺うような視線が、やや強くなっただけだった。
 シェゾは、ため息をついて少し穏やかに言った。
「言いつけやしないから出て来い。それとも、アルベルかエルダに見つかるまでそこにいる気か?」
 完全に見つかっていると、相手も覚悟を決めたらしい。気配がようやく肝を据えて動いた。
「・・・そう簡単に見つかるほど、マヌケじゃないよ」
 挑戦的なモノ言いで荷台の陰から少年が姿を現した。―――随分長いこと、隠れんぼをしていたらしい。空色の髪が泥だらけだ。
 人懐こい幼い面立ち、飴玉のような瞳、少し奇妙な力を有する不思議な気配。手には昨日と同じように、カラカラと鳴るドロップの缶が握られていた。
「まさかとは思ったが・・・やっぱりお前か」
「へへ」
 アイギスの店に現れた少年だった。昨日は、セリアと名乗っていた。相変わらず少年らしい笑顔が明るい。
 セリアは言った。
「僕がここにいること、驚かないんだね。この屋敷の子どもだって、バレてた? アイギスに聞いたのかな」
 セリアがペロリと舌を見せて笑う。そうすれば、全ての罪が許されるかのような笑顔だ。
 本当に、それでどんな罪も洗われればいいのにな。シェゾは、セリアがやはり少し羨ましかった。
 シェゾは言った。
「―――そういうわけじゃない。充分、驚いている。そう見えないか」
「見えないよ」
 セリアが真顔で言ったので、シェゾは苦笑した。
「まぁ、・・・昨日のお前の言葉が全て真実だとは思っていなかったが」
「へぇ」
「この屋敷の、ひとり息子というのがお前だったとは、さすがに。可能性がないわけじゃないとしか」
「? ないわけじゃない? 難しいこと言われたって、わかんないよ」
「そうか? お前は頭がいいヤツだと思ったが」
「え、そう?」
 少し得意げに、セリアが胸を張った。調子に乗りやすいヤツらしい。やっぱガキだな、とシェゾはまた苦笑した。
「菓子屋の息子じゃなかったんだな」
 セリアは、「うん」とあっさり肯定して、馬車の荷台にひょいと腰掛けた。あまりに身軽な動きは、病弱なイメージとはあまり結びつきそうにない。セリアは、動きと同じくらい軽やかに言った。
「あそこで時々、かくまってもらってるんだよ。ずっと部屋に閉じ込められっぱなしじゃつまんないもの。時々、街に行ってかくまってもらう代わりにちょっとだけ店員もやってるの。ドロップももらえるしね・・・」
 セリアはまたドロップの缶をカラカラと鳴らしていた。缶の中から、砂糖のような甘い香りが漂う。セリアの子どもらしい笑みには、このような香りがよく似合っていた。
「あそこの店主さん、元々ウチのコックさんでね。おいしいお菓子を作ってくれるから、僕、好きだったんだ」
「へぇ」
 シェゾは、少し穏やかな表情になった。シェゾにとっては珍しいことではある。
 まぁ、シェゾがいくら人をなかなか信用しない筋金入りのひねくれ者であったとしても、子ども相手にいつまでも神経を尖らせ続けていられるほどの根性があるわけではない。シェゾは、ひねくれ者である同時に、筋金入りの根性ナシでもあった。
「シェゾ、チョコ好き? チョコレートがあるよ、あげる」
 セリアがポケットの中からいくつかの包みを取り出した。ドロップ以外にも、色々なお菓子を持ち歩いているらしい。
「いらねぇよ・・・」
 シェゾは断ったが、セリアはますますニコニコ笑って、強引にシェゾにチョコを握らせた。セリアの行動は、どこかアルベルの強引さにも似ていたし、予想外の思い付きは、“あの街”にいる連中をも思わせた。彼らは人をバカにすることと、図々しさにかけては天才的な連中だ。
 セリアはそこまで憎らしくはないが、同属性であるコトには変わりはない。明るい光のような力は、シェゾの最も苦手で、同時にどこか憧れるものでもあった。
「食べていいよ。僕、いらないから」 セリアはアハハと笑った。
「だからオレもいらねぇよ
 ・・・チョコレートは、半分以上溶けていた。
 夏真っ盛り、腰のポケットにこんなものを入れて隠れんぼなどをしていれば、普通こうなる。
 シェゾは、セリアとチョコを交互に見つめて、そういやこんな息子を心配して探している人間がいたことを、ようやく思い出した。シェゾは仕方なくチョコを懐にしまい―――当然、後で捨てるつもりだ――――
「知ってると思うが・・・お前の親父、探してたぞ」
 そう、シェゾが言った時だった。
 ふいに、セリアから笑みが消え、彼は面倒くさそうに唸った―――――
「うーん・・・」
 複雑そうに顔をゆがめた後、セリアはかなりそっけなく言う。
「・・・もう少し、遊んでるよ。昨日みたいに屋敷の外へ出たわけじゃないから大丈夫」
「は? 何が大丈夫なんだ?」
「そんなに怒られないって意味」 セリアはやや早口だった。口調も、どことなくトゲがある。
「心配しなくても、ここでシェゾに会ったことは言わないよ。シェゾが僕をかくまったことになって、シェゾも怒られかねないからね」
 セリアは子どもらしからぬ顔でニヤリとした後、くすくす笑う。
 かばわれているようで、プライドの高いシェゾは少し不機嫌になった。子ども相手にプライドを優先させるようなことはさすがのシェゾもしなかったが、ただのガキ相手に一瞬でも対抗心を持ってしまった大人気ない自分に腹を立てた。
 同時に、やはりコイツは頭がいいな、と改めて思った。なぜコイツはこれほど“考えて”“結論を出す”ことに慣れているんだろう? 子どもらしくない。
「そういやお前、昨日も“抜け出した”みたいなことを言っていたな」
 ふと思い出して、シェゾは言った。セリアの顔がまたも歪む。シェゾは、そこで初めて違和感に気づいた。
 セリアの顔が――――昨日もそうだったが――――初めと全く変わっている。
 セリアは、極端に苦いドロップを口にしたような顔になっていた。
「イヤなんだよね、部屋にいるの。色んな人が来るし、いちいち話するのメンドクサイ」
「・・・病気なんだろ。仕方ないと思うが?」
「そんなに酷い病気じゃないんだよ。普通に歩けるし、部屋にいなきゃなんない病気じゃない。・・・タチは悪いけどさ」
 最後の一言はとても小さな声だった。
「マリアが大げさなだけ。一日中、部屋に居なさいってウルサイんだよ、あの女」
 顔に出さなかったが、シェゾはセリアの口調の変わりように驚いた。“アルベルなら”これには絶句するだろう。
 いくらシェゾに大人気というモノがないとは言え、コイツに同調する気には全くなれない。・・・同時に、彼を叱る気も全く起きなかったが、なぜか、シェゾはアルベルをかばう側に回らざるを得なかった。
「心配してるんだろ?」
「大きなお世話」 セリアはピシャリと言い切ってしまった。取り付く島もない。
 それこそ大きなお世話だが、シェゾはアルベルが哀れだと思った。・・・あれだけ心配していたのに? 何が不満なんだ、このガキは? アルベルが本当に哀れだ。
「―――生意気だな」 と、シェゾはやっとそれだけ言った。
「ほっといて」
 ふん、とセリアはそっぽを向いた。
 妙なヤツだ。人が冷たくしても何でもないことのように人懐こい笑顔を見せるのに、親が心配していると告げると急に手のひらを返したように冷酷な言葉を次々に吐く、不機嫌になる。一体何なんだ、このガキは? ただの反抗期というヤツか・・・?
 その時だった。

「セリアさま!」

「ん?」
 知った声に、シェゾは振り返った。セリアは「アチャ!」と呟いた。
 屋敷中を探しつくしたのか、アルベルとマリアが離れへ戻ってくるところだった。
「ちぇ。かくれんぼ、終わっちゃった」
 あくまで軽いイタズラだったかのような言い方だった。
「あんまり、親を心配させるようなことをするなよ」
 聞こえたのか聞こえなかったのか、セリアは何も答えずにぴょんと荷台を降りてしまった。アルベルとマリアが元のアトリエ前に到着したとほぼ同時だった。
「こんなところにいたのか」 アルベルは、心底心配そうだった。
 しかし、返ってきたのはセリアの「アハハ」というあまりに軽い笑いだ。
「気づかなかったでしょー?」
「セリアさま、・・・お部屋に戻りましょう? 充分、遊んだでしょう? ね、お願いですから」
 マリアの言葉はアルベル以上に優しかった。しかし、セリアは彼女にさえ、鬱陶しそうに冷たい視線を向けただけだ。
「わかったよ、マリア。ちゃんと戻るから、ちょっと先に行っといて。僕、もうちょっとシェゾと話があるから」
 シェゾには急に、セリアが金持ちの屋敷によくいる甘やかされた“世間知らず”に見えた。そんなはずはないのだけれど。シェゾのカンではセリアは絶対に馬鹿ではなかった。シェゾは顔にこそ出さなかったが、セリアを本当の意味で“妙な人間”だと思った。
 アルベルとマリアが数歩先に行ったのを確認して、セリアは聞いた。
「シェゾはいつまでここにいるの?」
「・・・仕事が終わるまでだが?」 シェゾは、一言で言った。
「仕事はいつ終わるの?」 セリアはいつの間にか、子どもらしい表情に戻っていた。
「・・・? さぁな、1ヶ月くらいと聞いているが」
「へぇー」
 セリアはまだシェゾに興味があるらしい。セリアは気づいていないようだが、アルベルの心配そうな視線が厳しい。今度はシェゾの方がセリアを鬱陶しくなった。
「お前、部屋に戻るんじゃなかったのか」
「うー、戻るよ。そんな冷たい顔しなくてもさぁ」
「お前が、今やってたことだろ」
「・・・そうだけど」 セリアは少し、バツの悪そうな顔をした。
 ――――? 自覚はあるのか。
 シェゾは一瞬そう思ったが、セリアはすぐに元の表情に戻った。
「ありがとね、シェゾ。忙しかったのに」 セリアはシェゾを気遣う台詞を言った。とても演技には見えない。アルベルにも、そんな風に笑ってやればいいのに。一瞬だけそんなことを思ったが、シェゾはさっさと忘れた。
「・・・あんまり、親を心配させるなよ」 今度は、きちんと聞こえたらしい。
「わかってる。じゃあね、シェゾ。また」
 そう言って、セリアはアルベルとマリアの方へ駆けていった。

 去ったセリアの後姿を、シェゾはしばらく見ていた。
 アルベルが心配そうに息子に声をかけようと、そばへ寄るのを見ていた。
 にこりと笑って、セリアはためらいながら父親を振り向く。そして、「ごめん」と言ったのだろう。肩をすくませて、少しだけ俯いた。
 アルベルとマリアについて屋敷へ戻って行くセリアの後姿は、実際にはシェゾから十数歩と離れていなかったが、シェゾにはなぜか、セリアたちがとても遠いところへ帰ってゆくように見えた。

 ―――――当たり前か。と、シェゾは思った。

 実際、彼らと自分との間には、見えない隔たりがあるのだろう。
 居場所を持たず闇の中で彷徨う自分と、光の世界に何の不安もなく居住する彼ら。あまりにも違いすぎる立場の差を自分は感じただけなのかもしれない。

 遠い昔に、たぶん自分で断ち切った場所。それがなぜか、今 近くに見えるからおかしな違和感を感じるのだ。
 もう、決して触れることも、心を掠めることすらないと思っていた光景なだけに。

 

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