短い幸運
3日目
とりあえず翌朝、シェゾは白い巨塔のことは都合よく忘れた。ここしばらく、思い出さなくてもいいとさえ思った。所詮、自分にとっての「召喚器探し」なんて、あの魔王から受けた鑑定の仕事の“ついで”でしかない。真面目にしなくたって、アルベルから支給されるハズの給金が減るわけではないのである。むしろ、忘れていた方が余計なストレスと溜め込まなくて済むとシェゾは判断したわけだ。
それに、だ。この裏仕事は、最終的に『暗黒器は無かった』で通るような気もする。魔王も自分で探すのが面倒臭いからシェゾに頼んできたのは明らかだし、シェゾがいかにアテにならない人間かを思い知らせるいい機会だ。
さらに、どうしても「仕事をしろ」と言われれば、昨日思い付きで考えた『荒業』でコトが収まるような気もしていた。確かに、その『荒業』にもいくつかの問題を抱えているにせよ、巨塔での不毛な作業に頭を悩ますよりは、『荒業』という最終手段を念頭に置いていた方がずっと気が楽だったのである。シェゾは、夜のうちにかなり大雑把にそんな結論に結びつけ、昨日よりやや晴れやかな気分で朝を迎えていた。
朝食の席は、珍しくシェゾは落ち着いていられた。食事の席に、アルベルがいなかったのである。
「アルベルはどうしたんだ?」 シェゾはエルダに尋ねた。
「失礼ながら申し上げます。旦那さまは、今朝早くに出かけられました」
傍らのセイジ執事頭によると、アルベルは早朝、鶏が鳴くと同時に、「ぎゃー!」とか「わー!」とか言って馬車を引っ張り出して矢のように飛んで行ってしまったという。意味がわからない。静かだと思ったら、ルビウスまでもが真っ赤になって、出かけた旦那を馬で追って、弁当を届けに行ってしまったという。エルダとセイジはもう慣れきっているらしく、普段と変わからぬ態度でもうひとりのメイドと共に、シェゾに給仕を行っていた。
シェゾの傍らでバケットを取り替える若いメイドも、今朝はサザンではなく別の女性だった。屋敷での経験も深いらしく、行いがスムーズで心地よい。シェゾは、やっと食事の席でマトモな客人としての待遇を受けることができた。
ダイニングテーブルには、アルベルの席の他に空席が3つあった。シェゾが屋敷へ来て2日間、このテーブルに座るのは3度目だが、シェゾはこの3つの空席のひとつでも埋まっているところを見たことが無かった。エルダやセイジ、ルビウスのものではないのは明らかだ。彼らは食事の席で主人や客人をもてなすのが仕事であり、食事は別に摂る。おそらくはアルベルの家族のモノなのだろうが、そう言えば未だにそのひとりも姿を見せないないというのは、少し妙だ。昨日はまるで気にならなかったが、今朝シェゾは初めて気になった。・・・・・・気になっただけで、口に出そうとはしなかったが(面倒だった)。
食事が終わる頃、エルダはテーブル越しにシェゾに言った。
「昼からは少し、忙しくなるやも知れませんね」
何となく謎めいた台詞だと思いつつ、久々に満足な食事を摂れたシェゾは、うっかりその意味を聞くのを忘れた。
昨日のアトリエで仕事を再開する際、シェゾはウィリアムにアルベル不在のことを告げると、ウィリアムはあっさりと言った。
「いつものことだよ」 ウィリアムは、昨日と全く同じのんびり口調だった。
「レイエのどっかで、目ぼしい品の競売会が開かれるのを、また忘れてたんじゃないの」
「よくあることなのか」
「まぁね」 ウィリアムは、またあっさりと肯定した。
「エルダさんも、セイジさんも、この屋敷じゃ古株なんだけどね。旦那のスケジュールまでは把握してないだよねぇ。なにせ旦那が、縛られることが大嫌いなお人だからさぁ。几帳面でもないし。いっつも気まぐれに、行方不明になるんだよねぇ。たいていは、所有してる工場やら農場なんかを見回りに行ってたり、珍しいモノ探しに外国市場に迷い込んでたりらしいけど」
「まるで風船だな」
「ハハ、面白いたとえ方をするねぇ」 ウィリアムは、ボケッとした顔のまま笑った。
「まぁ、あんまり旦那の行動パターンを把握してる人はいないってことさぁ。勘のいいエルダさんくらいじゃないかなぁ、旦那の居場所を言い当てられる人」
ウィリアムは、昨日のように化石の汚れを取りながら、ちらりとシェゾを見た。そう言えば昨日の早朝、行方不明になったシェゾを食堂で見つけたのもエルダだった。ウィリアムは、そのことを思い出していたのかもしれない。
シェゾは不思議に思った。アルベルの行動を知る人間なら、エルダ以外にもいそうなものだと思ったのだ。
たとえば、―――――――そこまで考えて、シェゾは屋敷に来てから、アルベルの夫人や子どもの気配が全くないことに、やっと気づいた。今朝のテーブルの3つの空席のことを思い出す。
「アルベルには家族はいないのか」
「・・・・・・え?」
普段、のんびりとした表情しか見せないウィリアム老人が、初めて驚いた表情になった。
「不躾なのはわかっている。・・・ただ、何もわからんままではこっちもやりにくいんでな」
「いやぁ、そういうんじゃないよ」
ウィリアム老人は、穏やかに言った。
「お前さんは、旦那のお気に入りだからさぁ。てっきり、もう知ってると思ってたのさぁ」
「・・・お気に入り?」
「食事の席に呼ばれてんだろう? 旦那が、お前さんに興味を持ってるって証拠さぁ」
「あー・・・、そうか」 シェゾは気の無い返事をした。
「わたしも何度か呼ばれてるけどね、断ってるよ。わたしはルビウスさんの食事より、ベラの姉ちゃんの料理の方がええんでさぁ」
ウィリアムは、ベラと自分との少しズレた話をしばらくした後、本題に戻った。
「旦那の家族の話だったね。・・・・・・多分その内、旦那から話があると思うけど――――坊ちゃんがひとりいるよ、屋敷のみんなが知ってることさぁ。お前さんだけが知らないなんて、おかしいじゃないか」
「・・・・・・息子、か」
シェゾは、なぜか意外には感じなかった。言われてみれば、アイギスが何か言っていたような気もする。――――病弱で、屋敷の外へホトンド出ることの出来ない子どもが―――――いるとかなんとか。
「・・・病気、なのか。その息子とやらは」
「? なんで知ってるんだい?」 ウィリアムはとても不思議そうな目をした。曖昧な記憶が間違っていなかったらしい。シェゾは少し焦った。
「いや、・・・別に。食事の席にいなかったからな。席があるのに、出てこないとすれば・・・」
「呆れるねぇ、勘が良すぎるよ。そう、そうらしいよ。そのせいでホトンド奥の部屋から出てこないよ」
シェゾの勘が良いというのは本当だ。この時もまた、その鋭いシェゾの勘が働いた。ウィリアムの表情に、一瞬、影のようなものが走ったのに、シェゾは気づいた。
「たまに見る姿は元気そうなんだけどねぇ。何の病気なんだか、わたしはよく知らないけどさ」
ウィリアムは言いにくそうだ。
―――――あまり、病気のことについては触れない方がいいらしいな。
シェゾは意識がそう認識するより先に、何か反射的に話題を少しズラしていた。
「てことは2つ目の空席は、母親ってことか」
「ん? 何のこと?」 傍らの化石を手に取りながら、ウィリアムは言った。
「ダイニングに、空席が3つあった。ひとつが息子なら・・・」
「ハハ、旦那に連れはいないよ?」 ウィリアムが遮った。「ずいぶん前に亡くなってる」
ウィリアムの口調は淡々としていたが、内に大きな悲しみを秘めていた。力の気配を察することができるシェゾには、それが図らずも容易にわかった。
「空席のひとつは坊ちゃんの主治医の席さぁ。何年か前から坊ちゃんの傍で家庭教師もやってる人でね。今では、奥の部屋から出られない坊ちゃん付きのお目付けみたいな人になってるよ」
ウィリアムは、珍しく早口に言った。
「もうひとつは、そりゃ旦那の兄弟の席だね。レイドさんの席だよ」
「レイド?」
またか、とシェゾは思った。―――――この男は、何かと使用人たちの話題に上がる。
実はシェゾは地獄耳で、食事の席などでメイドやエルダたちが立ち話をよく聞いているのだが、その中でもレイドという名は妙によく聞く。そう言えばこのウィリアムも、昨日1度だけこのレイドを話題にした。今日もまた、彼は話題に上るのか。
「旦那の双子の兄弟みたいなお人でさぁ。もちろん、実際に血が繋がってるわけじゃないんだけどね。兎に角この2人、気が合うんだよねぇ。レイドさんは元々は冒険者で、旅の途中でふらりと屋敷に立ち寄っただけの人だったらしいけど、旦那が気に入ってさぁ。もう、何年も図書室の管理者兼旦那の話し相手、みたいな人なんだよねぇ」
ウィリアムは、息子の主治医のことを言った時とは対照的に、生き生きとレイドについて話した。どうやら、レイドを気に入っているのはアルベルだけではないらしい。少なくともこの白髪の老人も、レイドという人間を嫌ってはない。
「地理とか美術にも詳しい人だからさ。わたしもよく話し相手になってもらうんだけど、難点は・・・これも旦那と一緒だねぇ。気まぐれで、ふらりと旅に出ては行方不明になっちゃうとこさぁ」
ウィリアム老人は昨日レイドの話を出したときと同じように、ガラス戸の外を見た。もちろん、そこに人影は無かったが、シェゾは何となく、この老人は毎日こうして1度はレイドがそこにいやしないか、確認しているのではないかと思った。
ウィリアム老人の横顔を見て、シェゾはにわかにレイドという人間に興味を持った。
2日前の夜に見かけた限りでいえば、確かに興味をそそられる男ではあった。風変わりなローブの着こなし、欠けたメガネ、ボサボサの金髪―――何より印象的なのが、メガネの奥に光るビードロのような冷たい目だった。どこかウィリアムを初め、屋敷の連中の噂に聞くレイドとは印象が違う気もする。そこもまた、シェゾの興味を惹かれるところではあった。
しゃべりを続けながらではあったが、シェゾもウィリアムも別に仕事をサボっていたわけではない。口もよく動かしてはいたが、実は手もかなり動いていた。ウィリアムは石磨き、シェゾは化石の種類や数を紙に書き加えていくだけの単調な作業なので、互いにしゃべり合う余裕があったワケである。チャーリーとリーマスというトラブルメーカーがいないおかげで、仕事は昨日に比べて非常に順調に進んでいた。
そう、今日は、なぜかあの2人がいない。
「ところで、聞かんでおこうとも思ったんだが」 シェゾは何となく言った。
「なんだい?」
「あの2人は、一体どこに行ったんだ?」
ウィリアムは、シェゾよりも気の無い風に答えた。
「ああ。・・・邪魔なんで、早朝に叩き起こして、旦那の手伝いに行ってこいって今朝の騒ぎのドサクサにまぎれて旦那のお供をさせといたよ」
「・・・でかした」
どうりで、今日は静かだったワケだ。今日はなんだか調子がいい。こんな朝は、シェゾにとって滅多にないことだった。シェゾは忘れていた。
シェゾは闇の魔導師であり、またすこぶる運の悪い人間でもあった。当然、こんな良いことがいつまでも続くはずがないのである。