白い羽と闇
屋敷を出て商店街まで歩くと、緊張から開放されたように気分が良くなった。商店街には屋敷以上に人が溢れかえっていたが、誰一人としてシェゾを振り返らない。それが返って心地よかった。上空には、抜けるような青空。商店街の両脇に並ぶの建物はどれも高く、ちょうど日陰になり、夏の日差しが直接照りつけることは無い。海からの風もよく通り、とても爽やかだった。
「やっぱ、ひとりは落ち着くな」
先ほどまでの気分の悪さがウソのように、シェゾは現金にもすたすたとアーケードを歩いていた。レイエの商店街は広いが、港に沿って平行に長いため、住宅街から港へ突っ切れば10分ほどで通り過ぎることが出来る。裏通りへ入って、デイビス店へでも顔を出すのも面白いかとも考えたが、馬鹿馬鹿しいし、運悪く魔王からの黒電話などがかかってきたらイヤなので(シェゾに限ってこういうことは起こりうる)、裏通りへの路地は通り過ぎた。行く当てが特にあるわけではなかったので、シェゾの足は自然に港の方へ向かい、昨日も訪れた街外れの灯台へ向かっていた。
灯台前の広場には、人ひとりいなかった。レイエでは祭が近いこともあり、商店街では賑わいを見せていたが、レイエの人々もさすがに街外れのこんなところにまで気を配る余裕はないようだ。日差しを避けるため鍵の壊れた塔に入り、物見台から海を見た。右手前にレイエの街も見ることが出来た。レイエは切り取られた風景画か何かのように、静かにシェゾの視界の向こうで静止していた。
何の変哲も無い、ただの街。世界を代表する港湾都市。この世界の人間なら、誰もが1度は耳にしたことがあるかもしれないくらい、交易で栄える有名な都市だ。貴重な魔導器や古品の収集のため、シェゾも何度も訪れている。当然、自分にも馴染み深いはずの街だったが、シェゾはどうしてもこの街が自分にとって身近なものだという認識を持てないでいた。何度訪れても、初めて来たような感覚が付きまとう―――――レイエの街を遠くに見ながら、シェゾは一瞬だけ、自分が本来いるべき世界と、それに連続する形で存在する“あの街”のことを思った。
「あの中」にいる自分は、どうなのだろう? 「あの街」は・・・色々な意味で特殊だから、「あの街」にいる自分は、ある意味自然なのかもしれない。だが、やはり不自然でもある―――――たとえば、今ここいる自分のように・・・?
「あーッ シェゾ―――!!」
唐突の甲高い声にシェゾは思わずギクリとした。
―――――なんだ? まさか、あいつ・・・?!
シェゾは、反射的に振り返って確認したのは――――クセのついた空色の髪だった。「・・・どうしたの?」
「・・・・・・」
塔の入口に立っていたのは、少年だった。薄い毛の色、飴玉のような目。甘いドロップの味を思い出す―――――昨日、アイギスの店に現れた、人懐こい少年だった。
「なんだ、・・・オマエか」
シェゾはホッとした。たちまち、ホッとしてどうする、と悪態をつく。
「よく、名前を知ってたな」
「アイギスに聞いたの。今日もお店、やってたよ。アイギスにしては、エライよね」
少年は、少し嬉しそうな言い方をした。
「オマエ、何でこんなところにいるんだ?」
「別に? ここ、僕のお気に入りの場所なんだ。珍しく誰かいるなーとは思ってたけど、まさか昨日の人だとは思わなかった。だから、ちょっとビックリした。いきなり大きな声出して、ゴメンね」
少年は、シェゾの隣の柵に寄りかかって、ドロップの缶を開けた。シェゾは少年が自分の名を呼んだことより、少年が何の警戒もなく近づいてきたことの方に驚いていた。
「僕、セリア。セリアでいいよ」 少年は言った。
「なぜ、オレがお前の名前など覚えなきゃならん」
少年を警戒していたのは実はシェゾの方だった。実のところシェゾは、自分の周りの壁をいともあっさりと踏み越してくる人間が苦手だった。あの屋敷の連中もそうだったが、無邪気で真っ直ぐなだけに警戒心の無い子どもは、さらに苦手な部類に入る。
「・・・? 別に意味は無いけど。僕だけ、シェゾの名前を知ってるのもヘンでしょ」
「別にかまわん。・・・オレの知らんところでオレの名を知ってるヤツなんかいくらでもいる」
「ふぅん?」
シェゾの冷たい態度にさえ、セリアは少し不思議そうな目を向けただけで、すぐにまた元の人懐こい顔に戻ってしまった。シェゾは奇妙な気分になった。少年に、自分が何を言っても通じない「力」のようなものを感じ、戸惑ったのかもしれない。
「シェゾさ。丘の上の、おっきな屋敷で仕事してるって、ホント?」
シェゾとは対照的に、セリアは全くシェゾを警戒していなかった。
「アイギスに聞いたのか」
「まぁね」
と、セリアはドロップを舐めながら聞いた。
「仕事って、どんな感じ? 仕事はどこでやってるの、お屋敷って広いよね」
セリアの質問に戸惑いながらも、シェゾは一応答えを探した。
「どこと言われてもな。・・・屋敷の離れのようなところだ。熱くてかなわん」
「へぇ? もしかして、白い大きな塔がある近くじゃない? 近くにガラスの壁で出来た小屋みたいなのがあるよね」
よくしゃべる子どもだ。相手に深く考える暇を与えないくらい、彼の口はよく動いた。
「・・・よく知っているな」
「知ってるよ。塔は、お屋敷の外からも見えるもん」
セリアは早口に言った。
「でさぁ、仕事ってどんなカンジ? どんな人がいるの」
「なぜそんなことを聞く」
どんな? 一体、コイツは何を聞きたいんだと思いながらシェゾは答えた。
「別に。あんまり、お屋敷の中のこと知らないから」
「・・・?」
根拠はないが、シェゾはセリアがウソをついているのではないかと思った。それは、セリアの早口のせいかもしれないし、彼の飴玉のような目が、一瞬だけ海の方へ逸れたからかもしれない。夕闇のように危うく光る、吸い込まれそうな飴玉の色だ。本当に黄昏時になれば、この瞳は金色に輝くのかもしれない。
純粋な瞳に、思い出したくない誰かを思い出しそうな気がして、シェゾは何となく話を繋げた。
「仕事は・・・まぁ・・・悪くはない」 シェゾは一旦言葉を切り、そして言った。
「無遠慮に自分の領域に足を踏み入れられることは、多少鬱陶しいがな・・・」
「?」
「まぁ、人にはあまり人と話をしたくないこともあるってことだ」
シェゾもまた、早口にそう言った時だ。
「わかる!」
セリアが突然、甲高い声を出した。
「・・・?」
「それ、わかる。あんまりしつこく話しかけられたりすると、息が詰まりそうになるカンジだよね」
「あ? ああ・・・」
シェゾは驚いた。どこまで「わかって」言っているのか知らないが、そんなことを堂々と言ってしまう少年も珍しいと思ったのだ。
セリアは、勢いづいて話し始めた。実はコイツはこれを言いたかったのかもしれない。
「僕もね。どちらかというと、人に囲まれるのは嫌い。誰も僕のことになんか気づいてくれなきゃいいのにって思うこと、あるよ」
セリアは言うのもイヤだというように、ドロップを数個口に放り込んでガリガリとやった。今度はシェゾの方が、不思議そうな顔をする番だった。
「親も鬱陶しいよ。話をしてると、時々どうしようもなくイライラすることあるもんね」
「・・・・・・?」
やはり、不思議な表情をするヤツだ、とシェゾは思った。
シェゾは、少年の言葉よりむしろその不自然な面持ちの方が気になった。・・・少年の顔は、嫌なことを思い出しているようではない―――――気がする。何か、不自然な――――どこか、感情をコントロールできない焦りのような―――――シェゾはまた、アイギスの言葉を反芻していた。
・・・あの少年には力がある――――
途端に、シェゾの意識の奥底で何かが疼いた。その気配にイヤというほど覚えがあったため、シェゾは半ば反射的に意識を現実に戻していた。
「お前みたいなガキが、ンなことを軽々しく言うんじゃねぇよ」
かなり唐突だったようで、セリアが初めてシェゾに驚いたような表情を向けた。
仕方なく、シェゾは言葉を足した。
「・・・・・・世界は、親をひとりに1度しかくれねぇからな。失くしたり、捨ててしまったら、もう二度と同じものは手に入らない」
遠い過去に、多分自分にもいたのだろうが、シェゾにはどうやっても思い出せなかった。つまり、自分は“失くした者”であり、言葉通り、同じものをもう一度手にしたことは――――当然、無かった。それこそが、シェゾの選んだ世界であり、“はぐれもの”を自称する所以でもある。
『親は鬱陶しい』
セリアのような、まだ世界から見捨てられていない人間が言うには似合わない台詞だ、とシェゾは思っていた。
ただ、言葉には「力」がある。軽い気持ちで言った言葉でも、引き寄せられる“力”は人によって違うが、コイツの場合はかなり強いかもしれない――――
「言葉は選んだ方がいい、ってことだ」
「・・・そう、かもね」
セリアはもう一度、今度は複雑な表情でつぶやいた。「うん、わかってる」
「お前も、変わったヤツだな」
シェゾは呟いた。
「そう? ・・・アイギスよりはマシだよ」
セリアはさらっと言ってのけた。もとの人懐こい顔に戻っている。その後、ここに来た時と同じように、「あーッ」と叫んだ。
「・・・なんだ?」
「そうだ、僕、家を抜け出してきてたんだよね。見つかる前に部屋に戻らないと」
急にそう言って、セリアは素早くドロップの缶をカバンにつめて、塔の出入口に駆け出していた。シェゾが何か声をかけたものかと迷う暇もないうちに、セリアは塔の階段を駆け下り、階下から街への道に飛び出していた。
物見台から、道の上で自分に手を振るセリアが見えた。
「また、話しよーね」 セリアがもう、遠くの方で叫んでいた。
また?
と、思う間もなく、セリアはもう声も届かないところまで行ってしまっていた。セリアが街へ去った後、同じ方向に黒猫が走っていくのを、シェゾは物見台からぼんやりと眺めていた。
“力”ある少年か。アイツは、まだ世界を知らない。一生知らずに済む場合もあるが、“力”は時に別の“力”を呼び寄せるからな。―――――アイツが巻き込まれなきゃいいが。シェゾが、そう思ったのには理由がある。
魔族であるアイギスにすでに一目置かれていることもそうだが―――――物見台に元の静けさが戻った時、シェゾは静かに言った。
「闇の剣」
―――――ここに。
先ほど押し込んだ闇の疼きが意識の奥底で再び蠢き、それが空間の捩れと共にシェゾの手で具現化した。シェゾの手には音も無く、闇の剣が握られていた。
「オマエ、さっき出てこようとしたろ」 シェゾは冷たく言った。
―――――必要かと。
闇の剣は言葉を選んだらしい。彼は、いつも以上に言葉少なだった。
「・・・セリアの“力”にオレが目をつけたとでも思ったのか?」
シェゾは半分以上呆れて言った。
―――――“力”の気配は確かにあった。主ならば我を抜いても不思議では―――――
「なワケねぇだろ。いくらオレが貪欲でも、あんな取るに足らないガキの力を奪おうと思うほど切羽詰ってない!」
シェゾはがなりたてた。
「それに、アイツには確かに“力”の気配は感じたが・・・“闇”のものなのかはよくわからない。まして、“魔力”ではないと思うがな・・・」
シェゾは曖昧に言った。
―――――主よ、まさか気づいていないのではあるまいな?
「何に?」
シェゾは、屋敷での一件とはまた別の意味でイライラしていた。剣と会話するのには、異常に力と神経を使う。それだけではなかったけれど。
―――――あの少年の“力”は、確かに“魔力”でも“闇”でもない。しかし、こちらが少し働きかけさえすれば・・・
同時に、シェゾの脳裏にアイギスの予言が過ぎった。おそらく、剣も予言 を覚えていたのだろう。
『白い鳥、小さな羽根は光に満つ。闇の気配、未だ歩まず。しかるに秘密に溶けた暗黒の色、鈴の音に紛れて羽根を染める・・・』
「羽を染めるのが、オレの“闇”だと?」
―――――我が力をもってすれば、出来ぬことではないはずだ。
キラリと切っ先を光らせたような感覚が、意識の奥で感じられた。闇の剣が異常な自信を持っているのがわかった。
「あのな」
シェゾは、容赦なくその感覚を遮断した。「闇の剣よ。ひとつ忠告しておくが」
そして、畳み掛けるようにして言った。
「オレが狙うのは、強大な“闇”に属する力か、そうでなければ強大な“魔力”だ。あいつのような、何の“力”かよくわからないモノまで狙うつもりは全くない。あの格闘女の“力”も確かに強大だが、色んな意味でいらん。それと同じだ」
―――――しかし、それも時と場合によるのではないか?
剣は、今日に限ってえらく食いついてくる。あの魔王への対抗心だな。ヤツが何をたくらんでいるかわからないだけに、少しでも危うい“力”は摘み取っておけ、というコイツなりの忠告か。
そこまで読み取ったシェゾであったが、実のところシェゾは指図されたり意見されたりするのが嫌いである。それは魔王はもちろん、闇の剣であったとしても同様だった。
「うるさい。オレのやることはオレが決める。オマエが口を出すことじゃない」
―――――すまぬ。出すぎた真似をした・・・。許せ、主よ。
「ふん・・・」
シェゾは無理矢理、剣を異空間へ押し戻した。
淀んだ水底のような黒。いくら闇を好むシェゾでも、まとわりつくような暗黒色は好きじゃない。シェゾは気を紛らわすように窓の外へ目を向けた。透き通った海の青が目に飛び込んできた。塔の窓に切り取られた海と空を見つめながら、イライラする感情を落ち着かせた。不思議と海の青はシェゾのやり場のない怒りを自然に鎮めた。
今は日を浴びて青く光る海でも、日が落ちれば神秘的な夜を映し出す海。シェゾはどちらかというと海のように、光をも溶け込ませるような闇が好きだった。
夜のように静かで危うい、透き通った闇の色が。