結局、午前中は化石の種類ごとに山分けするだけで終わってしまいそうだった。

 シェゾは、ポケットに突っ込んだままになっていた懐中時計を取り出して覗き込み、そろそろ昼時だな、と思った頃だ。しばらく静かだと思っていたアトリエの扉が、突然開いた。
「シェゾさん!!」
「ん?」
 振り返ると、でっぷりと太った男が扉を塞いでいた。初めは、チャーだったかリーだったかが戻ってきたのかと思ったが、その男がチャーやリーよりさらにデブで、腰に白い厨房前掛けをしていたので、辛うじてシェゾにも別人だと判断できた。
 厨房前掛け男は、ガラス戸になっているアトリエの扉を力任せに押し開け、ずかずかと中に入ってきた。そして、何の迷いもなく、シェゾの視界を大きく占領するや否や、仁王立ちのまま大声で言った。
「今日の昼食こそは、逃がしませんぞ!!」
「誰だ? キサマは」
 シェゾは、思いっきり不審人物に向ける目で男を睨んだ。
「あ”、ルビウスさん」
 騒ぎを聞きつけたのか、チャーリーが扉の向こうから顔だけ出して言った。リーマスも、目を丸くしてその下から文字通り首を突っ込んでいる。彼らの様子からして、この厨房前掛け男がこの部屋に現れることは酷く珍しいことらしい。
 厨房前掛け男がわめいた。
「私の給仕をすっぽかしておきながら、妻の、あの悪妻の品性の欠片も無い豪胆料理を召し上がられたそうではありませんか」
「妻? いったい何・・・誰の話をしているんだ・・・?」
「ウシに食わすようなボイルポテトのカタマリをサラダだとか言う、あのバカ妻のことですよ!!」
「は?」
 その時、骨董品を数個抱えて奥の部屋から出てきたウィリアム老人が、静かに悪態をついた。
「・・・ひでぇなぁ、ルビウスさん、私らはウシ扱いですかぃ」
 ウィリアムは、ハハハと乾いた笑いを含めて、半ば独り言のように呟いていた。
「私はこの三十年、毎朝 ベラちゃんのサラダを食ってきたんだけどね・・・」
「ウィリアム老人! あんなモノは、料理の世界では料理とは言えませんぞ!」
 意味も無く声を張り上げるのが余程好きな男らしい。そこでシェゾはようやく、事態を飲み込んだ。
 この男は、今朝、食堂でベラがシェゾに出した豪華10人前朝食のことを言っているのだ。
 シェゾは、シェゾにしては大きな声でルビウスと呼ばれた男に言った。
「屋敷で迷ったんだ。あれは、“間違い”だったんだ」
間違いでは済まされませんぞ! 私は、旦那さまと鑑定士さまとの有意義な正餐のために、食材選びから仕込み、調理に至るまでの一連の給仕準備を魂を賭けてやり遂げてきたのですぞ! それをあんな単純且つ豪放・放胆なボイルポテト・・・」
 何がそんなに悲しいのか知らないが、ルビウスはすっかり落胆した様子であった。
「まぁ、昨夜のディナーはシェゾさんもお疲れであったので、仕方がなかった。そう、仕方が無かったわけです。身体が食事を受け付けぬ時に、無理に摂る必要もありますまい。我々給仕者に出来ることは、お客さまに最高の状態で食べたい時に必要な料理をお出しすることのみなのですから。だからこそ、私は夕食を欠席されたお客さまがそろそろ食事を欲する頃を見計らい、お夜食を出すことを提案したのですぞ!!」
「・・・真夜中にな」 シェゾはボソッと突っ込んだが、当然ルビウスは聞いちゃいなかった。
「ワタシもちょっと手伝ったヨ。ワタシ、実は料理も得意ネ」
 相変わらず、論点のズレたところで話に割り込んでくるのはリーマスだ。
「私の料理の腕は、あの程度ではありませんぞ!」
 逃げたい。シェゾは、ただ率直にそう思った。
「ルビウスさん」
 ウィリアムが見かねて、助け舟を出した。
「あんた、昼食の用意してたんじゃないのかい? こんなところで油売るような人じゃないだろ、何の用?」
「おお、そうでございました!」
 ルビウスはクルリと態度を変えて、ポンと手を打って言った。
「本当ならもう少し早く、ここにお伺いするつもりだったのですがね! いやいや、久々のお客人に出す皿磨きに夢中になって、気づけばこんな時間に・・・。多少焦ってしまいました、ハッハッハ」
 ・・・多少?
 雇われて1日目でなかったら、一発ぶん殴ってやるところだ。シェゾは据わった目でルビウスを睨みつけたが、彼にはまるで通用しなかった。どうやらこの男もまた、自分中心に世界が回っていると考えている人間らしい。ニコニコとシェゾの顔を覗きこみ、言った。
「ところでシェゾさん、昼食には何を召し上がりたいですか」
「・・・・・・・・・」
 たぶん、これを聞くためにここに殴りこみに来たと言いたいらしい。
 シェゾは呆れて、しばらくモノが言えなかった。

 

 

 ランチはシェゾのリクエストどおりとなった。えらい量が多いことを除けば、だが・・・。

 アルベルの部屋からそう遠くない階に、中庭を見下ろせる程の大きな窓のあるダイニングルームが設けられていた。シェゾが部屋へ案内された時にはすでに、白いテーブルの上にはルビウスが腕を振るった料理が並んでいた。ゴルゴンゾーラのタルト、ジェノバ風ミネストローネ、大盛りのスパゲッティ、傍らにはえらく香料や珍味を用いたらしいホカホカのポテトサラダ・・・。セイジ執事長の話によると、デザートにはフルーツカクテルを用意があるとルビウスは言っていたとのことだった。
 ・・・やはり似たもの夫婦なのか。それとも単に、ベラの豪胆料理に対抗しただけなのか。質に加えて量でも優りそうなルビウスの料理がテーブルに所狭しと並べられていた。
 嫌がらせの意味も兼ねて、(シェゾが知る限り)わざと仕込みに手間のかかりそうな料理を言ったわりに、ルビウスは見事にそのすべてを揃えている。文句の一つも言えやしない。・・・考えてみれば自分が知る料理なんて、旅先で余計な時間を取られぬよう手間をかけずに作れるものが中心である。――――料理のプロにしてみれば、多少の仕込み時間などモノともしないのであろう。
「どうやら捕まったらしいですなぁ」
 テーブルの一番奥で、ニヤニヤとイタズラっぽい笑みを貼り付けたままアルベルは言った。
「・・・・・・」
 シェゾは不機嫌を装った。
 メイドに勧められた席に着し、口を固く結んで答える気が無いということを全身で訴えた。
 ・・・が、無駄だったらしい。アルベルに怯む様子はない。
「何をリクエストされたんで?」
「・・・・・・」 だんまりを決め込む。それが良くなかった。
「ほう、ゾンビの味噌煮・・・それとも、納豆カレーですかな」
「ンなワケあるかっ!」
 元々が短気な上に朝から気に入らぬことの連続で、かなり細くなっていたシェゾの堪忍袋は、ついにキレた。
「・・・てめぇ、バラしたな?」
 テーブルの脇にいた昼からの勤務らしいサザンをシェゾは睨んだ。
「す、すいません。あまりに、その、面白い、と言いますか、ビックリしてしまったもので。つい、厨房で、話題に・・・」
 彼女は申し訳なさそうに努めているらしいが、口が不自然に震えている当たり、笑いたくてたまらないらしい。シェゾはますます不愉快になった。
「サザンを責めんでやってください。私たちがムリヤリ聞きだしたんです」
 アルベルが割って入った。
「しかし、世界にはずいぶん珍しい料理があるものなのですな。どんな味がするんで?」
「オマエらな・・・」
 大真面目に冗談に付き合うアルベルの年齢に似合わぬ子どものような態度に、シェゾはイラついているのか呆れているのか、自分でも良くわからなくなった。
「さぞや、脳天が腐るかような凄まじい味が、口いっぱいに広がり、狂者の気分が味わえたでしょう」
「ああ、そんなモン食ってたら、今のオレはここにいなかっただろうよ。良くてあの世逝き、悪くて地獄行きだ」
 古株らしく、厳格な表情を保っていたエルダでさえ、このモノ言いに破顔させかけたのが気配でわかる。
「あ、あの。お食事の前にそんな・・・お料理のお話はやめませんか」
 サザンもそんなことを言っているが、おかしくてたまらないようだ。もう、あからさまに口を押さえて失笑している。年配のメイドも、そんなサザンの客人の前での失態を完全に黙殺していた。
 もしや、呆れられているのは自分の方では? シェゾがそう考えた瞬間だった。
 食堂の厨房へ通じる扉が開き、勢い良くカートが飛び出した。
「バケットが焼きあがりましたぞ!」
 ルビウスだった・・・。ルビウスのカートはさも当然のようにアルベルの脇を通り過ぎ(!)、シェゾの目の前で止まった。
「ささ、シェゾさん。どうぞ、おひとつ、おふたつ、みっつ・・・」
「ちょっと待て、そんなに・・・」
「いやいや、ウチのバケットは冷めても美味いのです。昨日、わかったでしょう。もちろん、焼きたてを召し上がることに越したことはありませんが」
「そういう問題じゃ・・・」
「当然、パン類はお代わり自由でございます。ジャムも自家製! 私が朝の青菜市場へ出向き、仕入れた木苺をたっぷりの砂糖でまぶしたイチゴジャム。また、お屋敷の庭で育てたミツバチが集めたミツに、たっぷりと黒砂糖を加えた、メイプルシロップもオススメでございます! どれもこれも、我が給仕たちの傑作の品! 存分に楽しんでください」
「おい、人の話を・・・」
 ルビウスは言うだけ言って、さっと身体の向きを変えてしまった。
「旦那さま、失礼をいたしました! どうしても、お客人にお出ししたかったもので・・・」
「よいよい。好きなようにするがいい、ルビウス。お客人に、「また」逃げられても困るからな」
「全く、その通りでございます!」
「おい・・・」
「無駄ですよ、シェゾさん」 サザンが言った。
「ルビウスさん、お料理の説明をしている時、人の話なんてホトンド聞いてくださらないんです。無理矢理止めたりすると、旦那さまでも怒られちゃうらしいですよ」
「・・・アイツは、いつもオレの話を聞いていないような気がするんだが・・・」
「そんなことないですよ。ただ、今のルビウスさんの中では、給仕を無断ですっぽかしてしまったシェゾさんが悪いってことになっちゃってるんです」
 サザンも、ちゃっかり言うようになっている。
 ・・・・・・オレ、本当にこの屋敷の“客人”なのか?
 早くも、自分の待遇に疑問を感じるシェゾだった。
 重いため息をついていると、背後から落ち着いた声をかけられた。
「少々騒がしいやもしれぬでしょうが、今は我慢してくだされ」
 このやかましい席で、最後まで穏やかな表情を保っていたセイジ執事長だった。
 執事長のセイジはメイド長のエルダと共に、屋敷の他の落ち着かない人間よりは1歩引いた態度をとる人物だった。物事をよく見、騒がしい連中についていけていない人間は誰かをよく理解している。屋敷の“主人”は嘘くさいが、“執事長”とは、どうやら名ばかりではないようだ。
 心境を見抜かれたことに少し緊張したシェゾだったが、同時に確かな観察力を持つ「執事長」に感心もしていた。 
 セイジは言った。
「旦那さまも含め、皆、少し興奮気味なのでございます。何せ、あのデイビス店様からの鑑定士様ですからな」
「・・・? なんだそれは。デイビス店てのは、そんなに屋敷の連中に有名なのか?」
 少し緊張もほぐれ、パンをかじりながらシェゾはセイジに聞いた。
 セイジは、シェゾに語りかけるように話し始めた。
「屋敷の、といいますか・・・街でもとても有名なお店ですよ。・・・知りませんでしたかな」
「オレは、いつも店にいるわけじゃないんでな・・・」
「やはり、お忙しいのでしょうな。前に、国王直々の鑑定依頼があったのに、アッサリと断られ大騒ぎになって・・・それが今回、いち貿易商人の依頼に応じてわざわざ出張していただけるとは。私たちも驚きました」
「あぁ、それは多分あの魔王バカの気まぐれ・・・いや、なんでもない」
 言っても多分無駄なんだろう。
 何より自分が弁解してやることではなかった。
経営者オーナーの勝手なこだわりだ。何の仕事に興味を持つのか、オレにもわからん」
「旦那さまから、少し聞いています。デイビスさまは、本当に変わり者ですが、とてもいい人だと」
「そうなのか??」
「はい」 セイジは、まるで自分のことのように嬉しそうに言った。
「我々も、旦那さまから貴店のことについてよく聞きいていますので、皆シェゾさんに興味津々なのですよ」
「・・・・・・」
 シェゾは、複雑な気持ちでセイジの言葉を聞いていた。
 そして、赤いジャムをパンに塗りたくりつつ、ぼんやりと考える。

 自分は、人から恐怖や畏怖の対象として見られることはあっても、興味の対象として人から見られることはあまり無かった。いつもそうだが、あの魔王は、いつも自分に有り得ない経験ばかりをさせやがる・・・・・・

 果たして、闇魔導師という肩書きを持つ者が、人に興味を持たれ、囲まれ、話をせがまれ、人と食事の席を共にするなどということが、あっていいのか。下らないことを深く考えたい気分ではなかったが、何となくシェゾは赤いジャムの色に、同じ色の眼を持つ何者かを連想していた。
 シェゾは、どっかの誰かがコソ泥ネコババくらいなら女神は許すとか根拠のないことを言っていたのを覚えていたが、・・・たぶん、この状態は女神が許しても他の誰かは決して許さないような気がしていた。

 例えば、それは自分自身―――――特に、赤い眼の悪魔を前にして、何かを叫んだ少年は、たぶん誓ったはずだった―――――もう、このような場所に身を置くことはない、もう自分はこのような場所へ帰らない、と―――――

 

■      ■      ■

 

 明らかに流されている、とシェゾは思った。

 午後の仕事を始めてからというもの、シェゾは一言もしゃべらなかった。相変わらずのチャーリーとリーマスの口喧嘩には見向きもしない。品の仕分けは何とか任せられるようになったウィリアムに任せっぱなしで、自身はアトリエの隅の方で品のリストを作るフリをする。そして、その仕事は全く進んでいなかった。

 屋敷に来てから、いや この街に来てからというものペースを乱されてばかりいる。ここにいると、自分はそれでも闇の魔導師か、と問う前に、・・・自分は本当に「闇の魔導師」なのかという疑問さえわいてくる。
 そりゃ、今は「闇の魔導師」は休業中で、資金稼ぎのためのアルバイト中とも言えるが、それはそれで情けない・・・;
 自分が自分で何者なのかがわからない。かなりヤバイ状態だと、シェゾは思っていた。自分が闇の魔導師だという確固たる自信、あるようでないようなそんな確信が、今の自分に欠けているものなのだろう・・・。

 シェゾは少しでも遠くの世界を見ようと、ガラス戸の向こうを眺めた。見えたのは中庭の一部だったが、それでもアトリエという狭い空間よりは気がまぎれた。中庭そこは屋敷の一部でも、そこに舞い上がる風は自由だ。どこへでも行ける・・・・・・

 ―――――自分は何者か、か。
 ―――――当然、闇の魔導師なんだが、それらしく振舞えない。そう言えば、“あの街”にいる時も、しょっちゅうそんなことを考えているな。

 シェゾは、なぜか急にあの街が懐かしいと思った。

 そうだ。“あいつら”といるときもまた、自分が自分でないと思う時がある――――――
 だがまぁ、その場合、あいつら自身もまた世界から見ればかなりの“変わり者”のうちに入る連中だから、シェゾとしてもまだ気が楽だったのかもしれない。世界の中でも“変わった人間”、“おかしな魔族”、“ヘンなヤツ”の集まる場所。自分と同じ、あるいは自分よりもおかしな連中もたくさんいる・・・言ってしまえば、ある意味「特殊な」世界だった。だから、たぶん、――――――自分が触れてはならないものもあるのだろうが、そればかりでもない・・・・・・。

 しかし。

 「ここ」は明らかに違う。長い間、自分が触れてこなかったもの、触れてはならない禁忌の扉の向こうでもある。魔王の依頼で今は已む無く「ここ」にいるが、本来なら自分は明らかな招かれざる客。踏み入れてはならない場所。書物の中でしか知りえなかったハズの物語。かつては自分もいたはずの、しかしもう二度と戻れない、戻らないと誓った、決して戻ってはならない炎に巻かれた灰の色―――――

「シェゾさん、大丈夫っスか?」

 チャーリーの声にハッとなった。
 気づけば脂汗をかき、肩で息をしている自分がそこにいた。リーマスも妙な顔でシェゾの顔を覗き込んでいた。
「・・・いや、・・・・・・少し、薬品の匂いに酔っただけだ・・・」
 シェゾの視界に、急に赤や緑色のカラフルな薬品が入ってきた。窓の外には黄色い光、アトリエの奥には明るい空色のタペストリ。一辺に、今 自分が闇の無い世界にいることを確認して、シェゾは無意識のうちに闇を求めて目を閉じていた。
「どうしたんで? ものすごく気分悪そう」
「・・・・・・」
「モシかして、朝のアイスが胃にキたんじゃないカ?」
 リーマスも心配そうだ。その顔を見たとたん、余計に気分が悪くなって無理に気丈を装った。上手く装えたかどうかは正直自信の無い話だったが。
「大丈夫だ・・・・・・。少し、風に当たってくる」
「それがいいよ。なんだか幽霊みたいだよ?」
 ウィリアムの、おそらくは非常に的を射ているだろう発言に苦笑しながら、シェゾはふらふらと立ち上がった。ウィリアムにテキトーな仕事を指示して、シェゾはアトリエを後にした。

 中庭に出、日陰を選んで屋敷の正門の前までのろのろと歩く。
 セミの声を背に正門をくぐり屋敷の外へ出た時、シェゾは情けなくも門にもたれかかるようにして、しばらくグッタリとしていた。土を踏みしめている自分の足が、まるで自身の足ではないようだ。

「・・・・・・・・・仕事だからな」

 シェゾは、バンダナに染み入る汗を気持ち悪く感じながら、なんとか言い聞かせるように呟いた。

 

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