2人
執事に案内された“アトリエ”は、中庭に面した小さな部屋だった。
広いガラス戸で仕切ってあるせいであまり狭いとは感じないが、さまざまな骨董品がびっしりと並べられた部屋は、少し窮屈に感じる。滑らかな白い陶器が詰まったキャビネット、宝石や宝玉、天球儀やらがずらりと並べられた高い棚、真鍮の容器に入った花瓶が今にも落ちそうなテーブルなど。床には何枚もの絵画が光を避けるようにして壁に伏せられていた。
奇怪な大理石の彫刻を脇に避け、執事はなんとかシェゾが部屋に通れるだけの道を確保した。
「少々せせこましい所ですが、どうぞこちらへ」
シェゾは、骨董品でごった返した部屋を縫うような気持ちで通り抜け、何とか部屋の中央の執事の勧める椅子までたどり着いた。
「この部屋は、旦那さまが未鑑定の品を一時的に保管するために使っています。先月、旦那さまが、北方のフレイア遺跡群の一角にて、仕入れた品がこちらでございます・・・」
執事の引いたカーテンの向こう側は、土の匂いがひときわ濃かった。ひんやりとした空気の中で、キマイラの頭蓋骨や長い牙が所狭しと並べられていた。
シェゾは慎重に手を伸ばし、手近なキマイラの牙のひとつを手に取った。細長い滑らかな牙は、中央部でしなやかに曲がり、形も良く、しかも重い。魔力は感じられないので、シェゾ自身の興味をそそるものではなかったが、キマイラの牙は装飾品の素材としても非常に名高い。魔力の高いメスのキマイラのモノならば、さらにぶっとんだ値がつけられたことだろうが、それに目をつぶったとしてもかなり高い値をつけられるものだと、シェゾは思った。
「いかがでしょう」
「・・・悪くない。傷もないし・・・保存状態もいい。よく、盗掘に遭わずにここまで立派な牙が残ったものだな」
「盗掘は無理でございます」 執事はきっぱりと言った。
「北の大陸の永久凍土が溶け出したのは、つい最近のことでございます。その事実が知られた時点で、遺跡群の全ては中央大陸のネクサック魔導協会によって管理されることになりました。協会の許可が無ければ、何人も遺跡に立ち入ることはできません。旦那さまは管理を委託されたレイエの大財閥家から、一部の管理権を買い取ることで、ようやく化石を手に入れたのでございます」
「あー・・・なるほど?」
シェゾはあいまいな答え方をした。ヌケサク魔導協会だかなんだか知らないが、その気になれば警備など簡単にかいくぐる盗掘屋などいくらでもいることを、シェゾは知っていたからである。毒されていようが呪われていようが魔力の高いメスのキマイラの牙を欲しがる魔導師や魔女は、世界に腐るほどいるし(シェゾもだ)、中には馬鹿みたいにモノ好きな金持ちだって存在する。彼らに雇われた盗掘屋が、正規の管理者が雇った傭兵隊と派手な戦闘を繰り広げることなど、小さな遺跡ではまさに日常茶飯事だった(あるいはシェゾみたく、自ら出向いて盗掘を繰り返す輩も存在する)。屋敷の連中は、そういう裏事情にはあまり通じていないな、とシェゾは思った。
それよりシェゾは、むしろ、永久凍土で半世紀前にさかのぼる盗掘の全盛期による荒らしが行われていなかったことの方に、強く感心していた。普通の方法では破壊できない強固な氷壁、無理に融かそうものなら中の貴重な品ごと破壊しかねないその凍土は、時の止まった化石たちにとって協会の警備など比べようも無いまさに最強の防護障壁だ。
「本当にいい状態で残っている。・・・・・・氷には、護る力があると言われる所以だな」
シェゾは、丁寧に土を払われた牙に最期の冷気を感じながら、呟くように言った。
「護る力が? そうなのですか」
「ああ。・・・魔導の話になるが、氷の魔法には攻撃魔法も多いが、防御魔法も多いんだ」
「ほほう?」
「時に闇に勝る強力な魔法だが・・・問題は使い過ぎると、些細な温みでさえ対象が壊れやすくなってしまうところだな」
シェゾは、手に取ったときと同じように丁寧に牙を戻した。
この化石のように、一度でも氷で護られてしまった存在は、再び温みを得ると脆いものだ―――――シェゾがそう言った時、執事の表情にわずかな影が走ったが、残念ながらシェゾは見逃した。
「すまん、ワケのわからん話だったな」
「いえいえ、とんでもない。非常に興味深い話でございました」
執事はさっきと同じように笑った。
「そうです、仕事の話の途中でございましたな。これだけの品をシェゾさんお一人で調べきるのは大変でしょうから、古品に詳しい屋敷の者を呼んでおきました。・・・ウィリアム」
執事はアトリエの古びた階段の上に向かって人の名を呼んだ。しばらくして、階上から白髪のヤギのような男が顔を出した。
「よぉ・・・、セイジさん。珍しいね、なんか用?」
「ウィリアム。お客人を連れてきましたよ」
「客人? 誰か、招いてたっけな・・・」
ウィリアムと呼ばれた老人は、シェゾの顔を見ながらこんな美男子に知り合いはいないとばかりに眉をひそめた。
寝ぼけた目が、間違いなく『おまえ誰?』と言っていた。同時に、ウィリアム老人を見たシェゾの青い目が『絶対ついさっきまで寝てたな、コイツ』と言っていたのはまた別の話だ。
「おいおーい爺さん、まぁた忘れちゃったんスかっ?」
突然、独特の訛りのある2つの口調が割り込んできた。しかも、二人目 はかなり訛りがキツイ。
「プロのお店から、プロの鑑定士招いて、一辺にこのガラクタ部屋を片付けちゃおうってユー、いつもの旦那の大雑把な計画ネ! キットそのプロの鑑定士ネ、この人 ! ずいぶんワカいケド、ワタシの目、確かネ!」
2人してドタバタと狭い階段を転げるように降り、へし合い、下についたときには彼らはすでに喧嘩を始めていた。
「おい、リーマス! テメー、そのデッ腹何とかしやがれ! 邪魔でかなわん!! どけぃ、リンゴ男!」
「なにヲ?! オマエも大して変わらんネ!! 食べテばかりで仕事もロクにしないカラ、ブクブクブクブク風船みたい太るんダ! オマエこそ邪魔ネ!!」
・・・・・・何だコイツら?
シェゾは呆れながら、二人の体型を見た。シェゾに言わせれば、どっちもどっち。どっちもリンゴで風船だ。
記憶が正しかければだが、たしかどちらも今朝の食堂にいた者だ。(よく覚えているわけではないが、)食堂の隅の方で、ソーセージだかアイスを取り合って取っ組み合いを始め、ベラに怒鳴られていたと思う。向こうも覚えているらしく、シェゾが呆れているのに気づくと、ニヤリと笑ってぺこんと頭を下げてきた。
「チャーリー、リーマス。お客人の前で失礼ですぞ」
セイジと呼ばれた執事が2人を諭した。背はそれほどでなくても横にでかいチャーリーとリーマスに挟まれた執事とウィリアムの2老人は、バターをたっぷり含んだパンにサンドされたしなびたレタスのようだった。
そこまで考えて、シェゾは我ながら下らないことを考えるな、と自分で自分が情けなくなった・・・。
どうもこの屋敷の連中は、シェゾのペースを乱させる。
「こちら、チャーリー」
執事が風船男を紹介した。
「チャーリーっス。ウィリアムの爺さんの弟子っス。ヨロシクっス!」
チャーリーは元気がいい。まだ半分以上寝ているウィリアム老人とは対照的だ。
「そして、こちらがリーマス。同じく、ウィリアムの弟子でございます」
今度は、リンゴ男が前に出た。
「ヨロシクネ! ワタシ、おしゃべり好きネ! いっぱいハナシ、しようヨ!」
遠慮しておく。
シェゾは心の中で、思いっきり断言した。早くも、バンダナの下に脂汗が滲み出している。
「2人とも、一昨年まで士官学校で魔導を勉強していた魔導士です。何かの役に立つこともあるでしょう。そして・・・」
執事は、最後に初めに出てきたヤギ顔の老人を紹介した。
「こちら、ウィリアム。長く、この屋敷で彫刻の仕事をしております」
白髪の老人は、シェゾの方に向き直り、ぼけっとした表情のまま言った。
「ウィリアムです。彫刻家です。まぁ、たいしたモン作りませんがね・・・」
「シェゾ・ウィグィィだ。・・・シェゾでいい」
執事を除いて、ウィリアム老人がまだ最もマトモそうだとシェゾは判断した。あとの2人は、シェゾの苦手属性だ。無視するに限る。シェゾはウィリアム老人にのみ、頭を下げた。
「彼は魔導を学んだことはありませんが、石材や貴金属、また美術にも明るい者です。鑑定の前に、化石を土から彫り起こす細かい作業があると聞き、彼に任せるのが良いのではないかと呼んでおきました。また、この屋敷やアトリエのことについてわからないことがあれば、この者に聞くのがよろしいかと。弟子の彼らも含めて屋敷での生活が長い者たちですので、このアトリエ周辺のことに関しては私などよりもよく知っています」
「ヨロシクっすー!」
「よろしくネ!」
シェゾはやはり2人を無視したが、やはりそれで気にするような人間どもではなったらしい。
どうやら師匠であるウィリアムにも、日ごろから無視され続けているらしく、「ウィリアムの爺さんみたいな人だなぁ」とか「そう言えば、同じ白髪ネ! シェゾサン、年取ったら、こんなんになるかもネ!」などと勝手なことを抜かしていた。
執事は、その後いくつかの部屋に関する注意点を簡単に述べた。
彼の話が終わる頃、ウィリアムが思い出したように言った。
「じゃあ、俺らは庭へ行って、仕事道具取って来るんでさぁ。シェゾさん、ちょっと待っててくれや」
ウィリアム老人は、のんびりとチャーリーとリーマスを呼び、アトリエを出て行った。
執事も大体のことは話したし、あとはウィリアムとシェゾさんにお任せするということだった。
「昼食は屋敷の方で用意しておきます。頃合を見てメイドがここまで呼びに参りますので、それまではお待ちくだされ」
「・・・・・・わかった」
念を押すような執事の言葉に苦笑しながら、シェゾは唸った。
執事は部屋を出る時、もう一度だけシェゾを振り返った。
「時にシェゾさん」
「ん?」
「先ほどの、氷の魔法の話なのですが・・・」
執事は、少し遠慮がちに言った。「氷の魔法によって脆くなったものは、もう再び温みに触れることはかなわぬのですか」
・・・少し考えて、シェゾは言った。「そりゃ、ある意味難しいな」
「氷の精霊に、対象をもう護る必要が無いことをわからせねばならん。精霊の心を静かに溶かしていかねばならない。・・・強引に炎で叩き割ろうとすると、対象の
核 ごと破壊しかねない。・・・そういう意味で、『氷の精霊 』はタチが悪いな」
「それだけ」 と、シェゾは淡白に言った。「対象を大切に想う力が強い、ということだ」
執事は、シェゾの言葉に深いため息をついた。
「そうですか・・・」
「氷の魔法が、どうかしたのか?」
「いえいえ、興味があったものですから・・・。では」
それだけ言って、執事は今度こそ部屋を出て行った。
■ ■ ■
初めこそ、執事がなぜそんな質問をしたのかが少し気になったシェゾだったが、仕事をいったん始めてしまうと、そんなことを気にしていられなくなった。なにしろ、鑑定しなればならない品がすこぶる多い。目立つキマイラの頭蓋骨や牙だけかと思ったら、アルベルは思ったより細々とした化石まで収集してきていた。まずは、何がいくつあるのかを把握しなければならない。シェゾはウィリアムに、何がどのくらいあるのかがわかるリストのようなものは無いのかと尋ねたが、「大雑把でいつも衝動買いばかりの旦那が、そんなモノを用意しているハズがない」ということだった。シェゾは、あらゆる鑑定品のリストをいちから作成しなければならなかった。
ウィリアムは言う。
「旦那はねぇ、自分の好きなことにかけては物凄く細かいんだよねぇ。けども、興味の無いことにかけてはとんだ雑把な人間で、自分が収集品にかけた金やモノの数なんていちいち数えてないんだよね」
極端に大雑把なくせに、妙なところで上に馬鹿がつくほどの凝りようをみせる。人間ではないが、シェゾはこういう性質 の持ち主を知っていた。・・・アルベルが、デイビス店を気に入る理由がわかったような気がした。
加えて、2人してウィリアムの一番弟子を自称するチャーリーとリーマスだが、これらは完全にただの役立たずだった。美術品に関する知識は、まだ芸術家の端くれとしての域を辛うじて留めているとはいえ、魔導の知識に関しては目も当てられない。魔導学校の低学年層が学ぶ内容に毛が生えた程度だった。
「キマイラの牙の先を持つんじゃない! 魔獣の魔力を甘く見るな」
アトリエに、シェゾの怒号が飛んだ。
「特に牙と心臓付近には注意しろ。うっかり中てられても、責任持たんからな!」
「でも、もう死んでウン十万年経つんでしょ? まだそんな魔力あんの?」
チャーリーは不思議そうな顔をしている。これで、屋敷では「魔導士」を名乗っていられるというのだから、魔導士がすべってこける。シェゾはまくし立てた。
「何十万年も前の魔力だから、怖いんだろうが! オマエら魔導を甘く見すぎてるんじゃないのか。古い魔導器や遺跡もそうだが、何十万年も前に封印された魔導の類ほど厄介なものはないんだぞ」
「ああ、コダイ魔導ってヤツ?」
「アー、なんか学校で習ったヨウナ気がするネ! ジョウモン時代の次だっケ?」
「オマエら、もう一度 学校の入学式からやり直して来たらどうだ」
明らかに、チャーリーとリーマスに古代魔導について講義するのは無駄だった。
さらにウィリアムも含めて、彼らは全くと言っていいほど古品・化石の扱いに慣れていない。ウィリアムは、チャーリーやリーマスよりは化石の知識には明るかったが、それでも魔獣に関してはやはり無知だった。キマイラの牙と肋骨の区別がつかず、何度もシェゾに聞いてくるし、シェゾは化石の品目リストを作る仕事に一切集中できなかった。
「何度言ったらわかるんだ。鋭く尖っていても細かい毛が枝状に分かれているのが肋骨、毛がやや濃くて弾力があるのが牙だ。ただし犬歯だけは非常に堅くて弾力は少ない、これだけのことがどうして覚えられないんだ」
「・・・年を取るとねぇ。どうも、物覚えが悪くなってさぁ」
白髪をガリガリやりながら、ウィリアムは言った。
「石材を磨いたり、汚れを取り除くことなら得意なんだけど」
「・・・もういい。なら、アンタは分けた化石を磨いておいてくれ。化石を傷つけずに、土から取り出すんだ。石材を磨く要領でいい、わかるだろ」
「助かるねぇ。それなら任せてよ」
ウィリアムは、シェゾの用意した特殊な薬品を持って部屋の隅に移動した。
その途端、背後で何かが思いっきり割れる音がする。
シェゾは頭を抱えた。
チャーリーが、リーマスのぶよぶよした腹に、巻尺を投げつけているところだった。
「おい、リーマス! お前なに勝手なことしてんだよ! 化石と一緒に盛るぞ、このデブ猫!!」
「何を、オマエこそその腹肉、油料理にピッタリネ! ヒキ肉にしテ、化石と一緒に炒めてやるヨ!!」
リーマスも負けじと、右手に持った泥除去用のブラシを投げつけていた。左手の梟の嘴(骨董品)を投げなかっただけマシなのか?
「化石の周りで、物を投げるな!! ケンカなら外でやれ!」
「チャーリー、外で勝負ネ!!」
「望むところだ、コテンパンにしてやるよ!」
仕事そっちのけで、2人はバタバタと中庭に出て行った。初めからそうだったが、2人は仕事に全く熱心でない・・・。
2人がいなくなったことで、やっとアトリエの中が静かになった。
それでもまだ、彼らが外で騒ぐ音が聞こえてくる。・・・なかなか、仕事を始める気にならない。
たぶん、それだけが原因ではなかったのだろうが、シェゾはイライラしながら、ひとりアトリエに残ったウィリアムを振り返った。
ウィリアムは、まるで何事も無かったかのように、部屋の隅で静かに化石磨きをしていた。
「おい、アンタ」
シェゾが低い声で言うと、ウィリアム老人はのんびりした調子で答えた。
「ウィリアムですよ」
口調は優しくのんびりした様子ではあったが、奇妙な威圧感があった。よく見ればこの老人、間の抜けた態度ではいるが、白髪の下の目はシェゾを何となく落ち着かなくさせる力を持っていた。・・・白髪も、骨に張り付いたような肌も干からびきっているのに、瞳だけが生まれたばかりの黒真珠のようだ。・・・・・・彼が、ひとクセもふたクセもあると言われる芸術の“達人”、というのも実は伊達でないのかもしれない。
シェゾは、すばやく「ああ、そうだったな」と弁解し、改めて言った。
「・・・ウィリアム。オマエ、あの弟子どもを何とかしろ」
「あいつらはダメですよ。ナニをさせてもあんなカンジでさぁ」
ウィリアムの手に収まっているキマイラの牙に、ふーっとウィリアムが一息吹きかけると、薄汚れた毛が全て散り、キレイな光沢を持つ美しい牙が現れた。・・・なるほど、彫刻家とは名ばかりではなさそうだ。あの精錬技術なら、化石の鑑定はずいぶん楽になりそうだな、とシェゾは頭の隅で考えた。
「・・・・・・感心してる場合かよ」
ウィリアムに対しての言葉だったが、これは今、自分に言った言葉かもしれなかった。
「あいつらには当分、荷物運びと部屋の掃除をさせておくのが無難でしょうな」
ウィリアムは相変わらず、のんびりと言った。
「そうかよ」
「いつもなら、レイドさんがいるんだけどね」
と、ウィリアムは思い出したように言った。
「レイド?」
シェゾは少しイライラしながら、どこかで聞いたことのある名前を反芻した。一瞬遅れて、シェゾの脳裏を昨夜の男の澄んだ声がスィと掠めた。
「図書室の管理をしている人でさぁ。かなり魔導に明るい人でね、ちょっと変わってるけど・・・。今まであの人が屋敷中の美術品の管理をやっていたようなもんなんだよねぇ」
そこまで言って、ウィリアムは最後に独り言のように呟いた。
「そういえば、最近 見てないんだよね。休暇でもとってんのかな・・・」
ウィリアムは、ふと窓の外に目を向けた。レイドがまるで、今 そこにいるんじゃないか、とでも言うように。
その男なら、昨夜見かけた・・・と、シェゾは言うべきか迷った。だが、考えてみれば昨夜会った男自ら「レイド」と名乗ったわけではない。シェゾは結局、黙っていた。
「まぁ、彼も旦那さまに劣らず、旅好きな人だから。そのうちふらっと帰ってくるつもりかもしんないし。そしたら、シェゾさんもちょっとは楽になると思うよ?」
「・・・期待しておく」
ウソかもしれなかった。だいたい、美術品の管理に長けた人間がいるなら、この部屋の骨董品ももう少し整理されててもいいはずだとシェゾは思っていた。しかし、アトリエの中は見事に滅茶苦茶だった。
改めて奥に目を向けてみると、骨董品や美術品も含めて、これらはキャビネットや棚に単に押し込まれているだけで、なんら均一性が無い。整理がされていないところにかけては、まるで『デイビス古美術店』だ―――――あそこはもうその時点で店として失格だが―――――つまり、レイドという男がどれほど美術品の管理に長けた人間であったとしても、所詮はアイギス並み、この屋敷の学者に毛が生えた程度ということになる。
あまり、期待できそうに無いな、と奥のガラクタ置き場を見ながら、シェゾはぼんやりと考えていた。