騒動
2日目
翌朝、シェゾは無理矢理 早く起きた。
朝は苦手だったが、それを理由に仕事をサボるほどシェゾは愚か者ではなかった。眠い眼をこすりつつもぞもぞと起き上がり、着替えを済ませたところでようやく普段の思考回路が復元された。
「・・・・・・・・・・・・朝メシ」
とりあえず、しなければならないことは何だろう?と考えたシェゾが、なんとなくたどり着いた結論がそれだった。
いつもはそれほどきちんと摂るわけではない朝食だったが、闇の魔導師とはいえ腹は減るものだ。シェゾは、ふらふらと部屋を出て、使用人たちが朝に集まるという食堂へ向かっていた。西の棟に比べて東の棟は朝からとても賑やかだった。東の棟には使用人たちが朝食に集まる食堂がある。賑やかなのは当然だ。朝からガチャガチャと食器の音に混じって、笑い声が聞こえてくる。
食堂は、右側の厨房がカウンターで仕切られている以外は、木製の簡易なテーブルと椅子が雑多に並べられているだけのシンプルな造りだった。それなりに広いのだろうが、そこに集まる人々でテーブルがほぼ占領されているため、見事に窮屈そうに見えた。食堂に面した廊下には、東の棟から、中央の棟から、庭からも、わらわらと屋敷中の使用人が次々と集まり出していた。昨日のメイドのように若い娘もいれば、庭の手入れでもやっていたのか朝から泥にまみれたシャツのまま堂々と飯をかき込んでいる中年男の集団もいた。
シェゾはできるだけ目立たぬよう中年男たちの脇を通り過ぎ、カウンターに近づいた。
「新顔かい?」
カウンターから、白い歯がニッと笑った。浅黒い顔に小さな目の女だった。少々白髪の混じる髪と、目じりのシワにさえ気づかなければ、もっと若い女だと勘違いしていたかもしれない。女の快活な笑みと、若々しい声が、充分にそう錯覚させる要素をなしていた。
「ああ。昨日、来たばかりだ」 シェゾは落ち着いて答えた。
「そうだろうとも。でなきゃ、このあたしが覚えていないわけがない」
「全員覚えているのか」
「当たり前さ。長いことここで働いてる。毎日飽きまいが、おんなじ顔ばっかりさ。それにあんたみたいなキレイな顔の人間が来たら、嫌でも目立つはずだからね」
女の言い方は、いかにも飽きの来ない連中の顔を見て楽しんでいるような言い方だった。
「あんた名前は?」
「・・・シェゾだ」 シェゾは、呟くように言った。
「シェゾ? シェゾ、だね。よぉし、覚えた。あたしはビエラだ。ベラでいいよ」
「―――― 星の名、か」
シェゾはたまたま思い出したことを口にした。
「おや、よく知ってるね」
「・・・・・・聞いたことがあるだけだ」
「充分博識だよ。あたしでさえ、ここに来るまで全く気づいてなかったんだからさ」
ベラの小さな目が、一瞬、昔を懐かしむように細くなった。
「屋敷の旦那がね、雑学に長けててさ。緑のキレイな宝石みたいな星の名だから、大切になさいってね。全く、いい年して夢を見るのが好きな旦那だよ」
ベラは、もう一度カラッと笑って、ポンと手を打った。
「おっと、朝食を摂りにきたんだったね。そこのデッカイ皿を取りな、サービスしてあげるよ」
ベラの「サービス」は、半端じゃなかった。
パンやソーセージはもちろん、スプラングルエッグとハムステーキの上から、ポテトサラダ(だとベラは言ったが、シェゾは単なるボイルポテトにしか見えなかった)を3玉も乗っけられた時は、さすがのシェゾも止めた。やっとの思いで皿を取り上げたと思ったら、ベラは勝手に盆を取り出し、野菜スープとミートスパゲティの小皿を並べ、さらにチョコとバニラのアイスクリームがそれぞれ2玉入ったグラスをドンと置いてしまっていた。
「はぃよ、お待たせ。一人前だ」
「・・・・・・・・・は?」
寝起きでハッキリしない視界で、もう一度皿を見る。
しかしシェゾには、どう見ても10人前くらいにしか見えなかった。が、ベラは言う。
「これから仕事があるんだろ? 若いんだから、しっかり食べとかないと持たないよ。オレンジジュースとミルク、どっちがいい? もちろん、“どっちも”ってのもアリだよ」
「・・・・・・・・・」
食べる前から真っ青な顔を隠しきれないシェゾの前で、ベラが持っていたのはLLサイズ級のグラスジョッキだった。シェゾの生来の人間離れした端正な容姿はそれだけで目立つようで、周りからおせっかいな連中が集まり出すのにそう時間はかからなかった。庭職人、住み込みの彫刻家、土木関係の使用人やその家族にシェゾは見る見る囲まれ、ベラの用意した「一人前」の食事はあっという間にテーブルの一角へ運ばれてしまった。屋敷の連中は朝から専ら元気で、ベラのテンションが著しく高いわけでは決してなかったことが明らかになった。
ある者はしゃべりながら食ったら喉を通りやすいと言って、歌を歌うことを強要した(当然、シェゾが歌うワケがなく、シェゾが歌わないとわかると、勝手に自分で歌い始めた)。ある者は、ベラさんは用意したもの残すと次の日には何もくれない、と半ば真剣な表情で脅してきた(そんなことを言われたって、食えないモノは食えるワケがない)。
シェゾは屋敷の連中のテンポにまるで着いていけず、かといって朝っぱらからキレられるほどの気力もなく、ほとんど目を白黒させながら食えるモノを選んで何とか飲み込んでいる状態だった。食堂の扉が勢いよく開き、血相を変えたメイドが2人、シェゾのテーブルへ駆け寄った時、シェゾはまだ「一人前」の10分の一も食べ終えていなかった。
おかしいとは思っていたのだ。昨夜は、メイドに食事に出すメニューの希望まで聞かせておいて、いざ食堂へ来れば厨房の勝手でどんどんと荒っぽいメニューが組み立てられていくのを見た時にである。
慣れない朝食を前に奮闘し、そろそろ死ぬかキレるかを決しなければならんな、と思っていた。年配のメイドであるエルダがサザンを連れて食堂へ乱入してきた時、正直、救われるとは思っていなかった。
年配のエルダは(見たところ、ベラよりもかなり年上だ)食堂に入ってくるなり、年に似合わぬ張りのある声で叫んだ。
「シェゾさんはいらっしゃいますか!!」
エルダの声が飛んだ瞬間、あれほど賑やかだった食堂がシンとなった。エルダの持つある種の何かが、食堂の息吹を一時的に止めてしまったようだった。食堂に鳴る音はすでに、ごほごほとむせ返っている自分のうめき声だけだとわかった時、シェゾは我ながら情けなくなった(それまでも充分情けなかったが)。
その瞬間、エルダの陰から泣きそうな表情で飛び出してきた影があった。昨夜、シェゾの部屋へ夜食を届けに来た若いメイド―――――サザンだった。
「シェゾさん、ここは違うんです!!」
「?」
アイスを飲み込みながら、シェゾはよくわからない表情でサザンを見上げた。サザンの充血した目が、よく眠れていないことをよく物語っている。シェゾは、微妙に的が外れていることを考えた。
そういえば、コイツ、昨夜の真夜中過ぎまで働いていたよな。今朝もこんな朝っぱらから仕事に出るとは、コイツはいったいいつ寝て・・・・・・?
サザンに強引に席を立たされるシェゾの傍ら、エルダが厨房から出てきたベラや周りの職人たちに何らかの説明をしている。ベラのひときわ目立つ「あれまぁ! えらく若い子だから、てっきりウィリアムあたりが新入りを連れてきたのかと!」という声が、なぜか脳裏に残っていた。
ポカンとした他の連中をよそに、意味が良くわからないまま、シェゾはサザンとエルダに引っ張られるようにして食堂を後にした。エルダはサザンを従えて、シェゾをアルベルの部屋へ案内した。すでに数人のメイドが集まっていたが、シェゾの顔を見るなり、揃ってほっとしたような表情を見せ、エルダに一礼して、それぞれ部屋を出て行った。サザンに声をかけていく者もいた。シェゾはというと、真っ青な顔で重たい胃を抱え、立っているのもやっとであった。エルダがシェゾに手近なイスを勧めたので、シェゾはありがたくその席を頂戴した。アルベルはまだ部屋に来ていない。
「朝から、大変失礼をいたしまして、申し訳ありません」 エルダがかしこまって言った。
「・・・何がだ? 朝からアイスを4玉も食わせたことをか?」
「はい」
シェゾは半ば冗談のつもりで言ったのだが、吐き気を抑えながらの発言だったからだろうか。あまり、冗談に聞こえなかったらしい。エルダは鼻にかけた薄いレンズのズレを、指先で少し直した以外は、全く表情を崩さなかった。
「未熟なメイドを寄越したことにも、深くお詫び申し上げます」
エルダが再び深々とお辞儀したので、サザンも慌てて姿勢を正して全く同じ姿勢になった。困ったのはシェゾである。
「・・・すまんが、意味が良くわからない。説明してくれないか」
「はい」
エルダは、顔を上げることなく話し始めた。エルダの話を総合すると、シェゾの行動は朝、自室を出た時点ですでに間違っていたらしい。シェゾは、屋敷の「使用人」専用の食堂に迷い込んでいたという。エルダによると、シェゾは「使用人」ではなく、屋敷の主人の「客人」であるらしかった。シェゾの食事の席は、アルベルやその家族が食事を摂るためのダイニングに既に客人用の席として作ってあった。ところが、いざ今朝の担当のメイドがシェゾの部屋を訪ねると部屋はもぬけの殻だった。
「すみません・・・」
サザンがそこでもう一度、謝った。後の話を聞いて、シェゾはエルダが「未熟なメイドを寄越した」ことを謝罪した意味をようやく飲み込んだ。
シェゾが東の棟の食堂へ迷い込んでいる間、中央の棟ではシェゾがどこに行ったのかで大騒ぎになり、西の棟を中心に朝からシェゾの大捜索が行われていたという。昨夜、シェゾの部屋へ夜食を届けたサザンも当然、駆り出されることになった。結局、この些細な行き違いは、サザンが昨夜、シェゾへ夜食を届けたついでに、『朝はメイドが呼びに来るまで待つように』と、シェゾに伝えなかったことが原因だったと判明したという。サザンは、エルダにかなり厳しく叱責されたらしく、ひどく落ち込んでいた。話の途中でアルベルも部屋に戻り(なんと、シェゾ捜索活動にアルベルまでも参加していたらしい。・・・アルベルに見つからなくて、本当に良かったとシェゾは思った)、エルダは一連の話を繰り返した。サザンは涙目でひたすらアルベルとシェゾに謝り続けていたが、アルベルはサザンの失態を咎めることもせず、シェゾのマヌケっぷりにひたすら笑い転げていた。
心底では、当然腹を立てていたシェゾだったが、サザン伝いにアルベルに「朝食に出てくれ」と頼まれていたことを思い出し、一応、謝った。
「・・・すまなかったな」
しかし、アルベルは全く気にした風ではない。それどころか、こんなことを言う。
「いや、私はいいんですよ。ですが、ルビウスには良く謝っておいた方がよろしいかもしれませんなぁ。これを聞いたら、完熟トマトのように顔を真っ赤にして怒り出しかねません。いやぁ、恐ろしい」
アルベルは、これは確信だが、全然恐ろしがっていない、とシェゾは思った。
「ルビウスとは誰だ?」
「ウチの給仕長ですよ。客を喜ばせる料理を出すことに命をかけているような男です。間違っても、お客人にポテトサラダをボウルに盛って出すようなことはしない」
「・・・まさか昨夜、焼きたてを出せなかったとかでムリヤリ冷めたバケットを持って来させた・・・?」
「その通りです。シェゾさんはもう、彼の給仕を2度もすっぽかしていますからね。今日の昼食は覚悟を決めた方がよろしいですぞ、ハッハッハ・・・」
フライン氏は、どう見ても面白がっているようにしか見えなかった。アルベルは、謝るサザンにもう一度「いいから、もう寝なさい」と優しく諭し、エルダに連れてゆくように命じた。サザンは、エルダに連れられて部屋を出るとき、もう一度だけシェゾと主人を振り返り、ぺこんと頭を下げた。その目はとても眠そうでもあった。
扉が閉まり、部屋はアルベルとシェゾの二人だけになった。
アルベルは、「さて」と気持ちを切り替えるように言って、奥のマホガニーのデスクについた。そこから昨日も見たキラキラした目で、にっこりと笑って言った。「では、シェゾさん。少々予定が狂いましたが・・・今日から早速、鑑定を始めていただきたい。すぐに、執事たちに美術品を集めた部屋へ案内させます。案内の者を呼んでくるので、それまでここで少しお休み下さい」