鈴の音


 若いメイドは、シェゾを西棟の廊下の突き当たりにある部屋に案内した。
 シェゾの石造りの住まいとは違い、細い板壁を並べたような簡素なつくりの部屋だ。照明はひとつも点いていないのに部屋がとても明るく感じられるのは、庭に面した壁にバルコニーに通じる窓が大きくとられているせいだろう。バルコニーの外側には、夏の日差しを遮るように木々の梢が見え、シェゾはなんとなく落ち着いた気分になった。
「どうぞ、ごゆっくり」
 にこにことやたら笑うメイドをとりあえず無視し、シェゾは丹念に部屋を見渡した。入り口近くに、簡素なキッチンが揃っていて部屋の中央に小さなテーブルと椅子。そして、窓の光が届かない部屋の一番奥に古いベッドが置いてある。
 悪くない部屋だ。と、シェゾは思った。
 広くはないが一人で居るには充分だし、家具が少なくて風通しもいい。何より本館から離れているためか、部屋の周りに人気が無い。実際の広さ以上のゆったりとした空間が、シェゾを落ち着いた気分にさせたのかもしれない。
「今、お茶を淹れますね」
 メイドは慣れない手つきで、キッチンの戸棚をあさり始めた。どうやらこの若いメイドは、屋敷に来て日が浅いらしい。応接室へ茶を運んできた年配のメイドと違い、落ち着きもないし、時々不安げに部屋をキョロキョロと見渡すのは、部屋の案内に慣れていない証拠だろう。茶の葉を見つけられないでいるらしいメイドの様子を見かねて、シェゾは溜息をついた。
「いや、いい。あとで、自分で淹れる」
「あ・・・そうですか」
 一瞬、手を止めたメイドだったが、止まりきらないうちにまた言った。
「書物など、何かご入用の物があれば、用意しますが・・・」
「別に・・・。今はいい」
 シェゾは、どさりとベッドに腰掛け、脇の小さな本棚を見上げた。ホコリをかぶったかなり古い書物が2,3冊積みあがっている。何の本かは知らないが、暇があればアレでも手に取ってみるか・・・・・・などと考えた。
 ぼんやりとした思考の中に、耳障りともとれるトーンの高い声がまた聞こえた。
「そうですか。じゃ、また何かあれば言ってください。・・・えーと・・・」
「まだ、何か用か?」
 シェゾにそのつもりは無くとも、この質問はメイドを大いに慌てさせた。ようだ。
「す、すいません。ええと、あの、そう! 旦那さまが、昼食をご一緒に、と」
「いらん」 ハッキリ言って条件反射だった。
「・・・・・・あ」
 固まっているメイドを見て、シェゾはまた「やってしまった」ことに気づいた。
 口下手、無愛想、面倒臭がりの3拍子が見事に揃って、他人から誤解を受けることは、シェゾの場合珍しいことではない。
「いや・・・別に、深い意味は無い。単に、済ましてきた。・・・それだけだ」
 ウソである。実際のところ、朝から口に入れたのは数個のドロップと、先刻のシリアルティーのみだ。
「あ・・・えと。ハイ・・・お伝えします」
「・・・・・・」
 シェゾは(腹が減ってることに今更ながら気づいたこともあるが)、イライラしてきた。
 いらないことを断っているだけなのに、メイドのがいちいち落胆した表情になるので、思わず舌打ちをしたくなる。その険悪さを素早く悟ったのか、メイドはハッとしたように顔を上げた。
「で、では、また何かご入用でしたら、お呼びくださいね」
 メイドは始めに見せた不自然な笑顔をさらに不自然にしたような顔になって、逃げるように部屋を去った。シェゾは、メイドが廊下の角に姿を消したことを確認してドアを閉める。その途端、今まで気づきもしなかった気配が急に現れた。ギクリとして振り返ったシェゾの目に、真っ先に飛び込んできたのは奇妙なマスクだった。
『・・・妙なメイドでしたね』
 マスクの下から、何度聞いても聞きなれない声がした。いつの間に入り込んだのか、ベッドの脇の簡素な椅子にアイギスが座っていた。
「魔族でもそう思うのか?」 シェゾは自分への嘲笑も含めて、ニヤリと口をゆがめた。
『魔族だから? ・・・どうでしょう? 魔族だからなのか、はたまた私が魔族離れしたからこそなのか。・・・とにかく、彼女の笑ったカオは妙に不自然な感じがしました。・・・表情と心が一致していないと言いますか』
 なかなか鋭いモンだな、とシェゾは思った。たしかにこの魔族なら、下級魔族が気づきもしないという力というものを、気づける注意深さががあるのかもしれない。
「人間には、自分の心を自由に表現するのが苦手なヤツもいるってことだ」
『・・・そういうものですか。正直よくわかりませんが。まだ勉強不足なようです』
 さすがのシェゾも、アイギスの金色のマスクを隔てては、その言葉が本心かどうかを見抜くことは出来なかった。
「ところで」
と、シェゾは話を変えた。
「在り来たりなことを言うが・・・まだ、いたのか」
 アイギスとは応接室で別れたはずだった。シェゾが部屋に案内される少し前に、屋敷を出たはずだ。
『別にいいでしょう。私、夜にしか屋敷に入ったことが無いんです。シェゾさんの部屋が何処になるのかにも興味があったし、先回りしていました。渡しておきたいものもありますしね。これです』
 何も無い空間から青い封筒を奇術のように取り出し、アイギスはシェゾに手渡した。
「なんだこれは」
『先日まで、私がこの屋敷で調べた美術品の情報をまとめたものです。怪しいモノが在れば、どうぞ念入りに調べてみてください』
 とは言え、屋敷の美術品について、その出所や特徴をただ箇条書きにしただけのモノらしい。どこまで役に立つかはわからないが、情報量だけなら膨大だ。・・・まぁ無いよりはマシかもしれない。テキストはアイギスが独自に作成したものらしく、文字に独特の書きグセがあり多少読みにくいが、何とか理解できそうだ。
「・・・部屋ごとにまとめてあるのか。助かるな」
『光栄です。言っときますけど、フライン氏の言っていた塔の中まで調べてませんよ』
「なんだそりゃ」
『品の数が多すぎます。フザケンナです。入ろうとさえ思いませんでした』
 そう言いながら、アイギスは無遠慮に次々と部屋の戸棚やクローゼットを開けては中を確認していた。
『しかし、すごい待遇ですね。ベッドもありますし、部屋の端にはキッチンまで。あのドアは、きっとシャワールームですね・・・。見てください、クローゼットに寝具一式揃ってます。あ、予備の枕があります。持って帰って中身を出して、包装用の綿の足しにしましょう』
「やめとけ、アホ」
 それをやったら全くただの泥棒である。屋敷から持ち出すのは枕ではない、持ち出すのなら暗黒召喚器の方だろう、とシェゾはつっこんだ。
 小さなカウンターの奥で、ゴソゴソと物色を続けるアイギスを無視して、シェゾはカバンから適当に日用品をとりだし、テーブルの上に置いた。真鍮のグラス、果物ナイフ、酒など。
 簡素だと思っていたテーブルは、なかなかしっかりとしたつくりだった。アイギスの言うとおり、たしかに1ヶ月しか屋敷に置かない“いち労働者”に与える家具にしては豪華だと思う。フライン氏はどうやらかなりデイビス店をかっているらしい。ホトンド“臨時雇いの使用人”どころか“一級客人”に対する待遇だ・・・。魔王の経営するさびれた店からの出張なので、完全に「いち使用人扱い」だろうと踏んでいたシェゾだったが、世の中わからないものだ。
 シェゾの目線は、コーナーに設置された鏡台下の扉で止まった。中は携帯用カレーライスなどの保存食が揃っている。
 都合がいいな、昼飯はこれでいい。
「おい、アイギス」
『なんでしょう』 カウンターの向こうからひょいと怪しいマスクが現れる。
「そっちに食器はあるか」
『ショッキー? ああ、皿のことですか? ありますよ、いろいろ』
 カレーライスを復元し、食器を揃えた。一人暮らしが長いシェゾのこと、手馴れたものだ。
 アイギスはすでにテーブルに着き、キッチンで見つけたらしい缶詰を空け、中の砂糖菓子をパリパリやっていた。その緊張感の無い動作に呆れたわけではないのだが、シェゾはかなり重い溜息をついていた。
 アイギスはどうやら、シェゾの目と顔色を読んだらしい(もしかしらたら、読心術か何かで心の内側も読まれたのかもしれない)。菓子を噛む動作を全く止めずに、間の抜けたような口調でで言った。
『・・・裏の仕事については、そんなに頭を抱えることないんじゃないですか? だって、“闇の力”がこの屋敷に集中し出したのは先月なんですから、屋敷の中の物品で、同じ時期にフライン氏が仕入れた美術品を割り出していけば、かなり絞れると思いますよ』
 アイギスの意見は至極尤もなようにも聞こえる。しかし、シェゾの洞察力は並みより高い。
「コトはそう単純な話じゃないんだ。先月から力が集まり出したのは、先月に力が集まる何らかのキッカケがあったということしか言えない。もともと力をを持った召喚器が遺跡か何処かにあって、先月突然この屋敷に移動させられただけなら、もっと突然この屋敷に闇の力が現れたはずだろう」
『あー、そーいえばそーですね』
 アイギスの言い方はまるで他人事だ。・・・まぁ実際、彼女にとっては他人事でしかないのだろう(彼女の本業はあくまでデイビス古美術商店の店員らしい)。
「おそらくは、前々からフライン氏が所持していたコレクションの中に召喚器があり、先月になんらかのキッカケでその力が解放されたんだ。何より、あの魔王がお前に屋敷中の美術品を調べさせたことが気にかかる。ヤツはこの可能性を考えたからこそオマエに全ての美術品を調べるように言ったんじゃないのか?」
『知りませんよ。全部調べろといわれたので調べようとしたまでです。途中でやる気なくしましたが』
 アイギスの答えは素っ気ない。
「チッ、これだから魔族は使えん」
『そうでもないです。これでも素早い諜報活動は得手ですよ』
 あからさまな非難にさえまるで気を害した様子もない。それは彼女がマスクをつけているからそう見えるのでは決してなく、彼女に感情が欠落しているからであり、根本的な原因は彼女が魔族だからである。
『事実、美術品の出所を調べることに関しては大して苦労してません。フライン氏が過去に訪ねた遺跡・美術商を調べ上げて洗い出すだけですからね。ただ、この中から見たこともない暗黒機器を細々と探し出すのは正直ヘキレキ・・・・ですが』
 正しくは“辟易”―――もうウンザリ、という意味である。が、もちろんシェゾは無視した。
「・・・バカ正直に、いちいち調べて回るから疲れるんだ。もっと効率的にやろうとは思わないのか」
『うーん、あまり考えたことは無いですね。だいたい私は夜間しかこの屋敷を調べることはできないのですから、コーリツを考えようにも限界があります』
「なるほどな」
 アイギスに劣らずシェゾの口調も素っ気ない。そもそも魔族であるアイギスと闇の魔導師シェゾでは、心通う会話が成り立つわけが無かった。お互い敵意さえないだけに、深深と冷たい。
『召喚器探しに夢中になるのも結構ですが、鑑定士の仕事もきちんとやってくださいよ。貴方はあくまでも、表向きはデイビス店の出張店員なんですから』
「それは心配してもらわなくても結構だ。メシと金がかかっている。マジメにやるさ。・・・むしろ見つけたところで得しそうにない、召喚器探しの方が億劫だ・・・」
『あれ、そうなんですか』
「意外か」
『サタン様はそうだと思っていたようですから。“シェゾは魔導器や召喚器に目が無いから、召喚器探しの方に夢中になって、鑑定の仕事には精を出さんかもな”と。それでは私が困るんです』
「あのヤロウはそう言うだろうよ」
 シェゾは吐き捨てた。やはり、魔王は予測していたらしい。こうなるとやはり召喚器を血眼になって探しても、結局は自分のモノになる可能性は高いとは言えない。シェゾは魔王の狡猾さに、もう一度舌打ちした。
『ふぅん・・・?』
「・・・・・・?」
 なぜだろう?
 今一瞬、アイギスが人間に見えた、ような気がした。―――――なぜだろう?
 奇妙な気分を振り払うように、シェゾはアイギスがなぜ未だにここにいるのかの方が気になった―――――ことにした。
「オマエ、用はもう済んだんじゃないのか。いつまでここにいる」
 何をするでもなく、ただ菓子をほお張るだけの女魔族に、シェゾは改めて視線を向けた。
『邪魔ですか』
「邪魔だ」 シェゾの口調は、アイギスより淡々としていた。
『際ですか。では、また夜に、召喚器探しを手伝いに来ます』
 いらん、と口を開く間もなかった。
 スイと空気を切るような静かな音がしたかと思うと、アイギスの姿は消えていた。
 無意識的に気配を読んだシェゾは、開いた窓に目を向ける。一羽の黒い鳥がヴァルコニーの柵に爪を引っ掛けていた。
 鳥は、日の光を背に一度だけシェゾを振り返ると、一瞬怪しいマスクを光らせて翼を広げて窓の外へ消えていった。ご丁寧に、砂糖菓子の袋をしっかり足に引っ掛けて。
「・・・魔族はわからん・・・」
 もとより、理解する気も起きないが。先刻のメイドも不自然といえば不自然だったが、まだ理解できる。気がする。
 これが魔族と人間の違いなのか。
 空になったカレー皿をシンクに放って、シェゾは夕方までひと眠りすることにした。ベッドに近づき、倒れこむ。昨日も含めて今日は疲れた。カレーを少し食べ過ぎたせいもある。その日、かなり疲れていたシェゾはベッドにもぐりこんだ途端、あっという間に眠り込んだ。

  

■      ■      ■

  

 眠っていても、夢の中まではっきりと透る澄んだ音だった。

「・・・・・・・・・?」
 最近マトモにベッド眠ったことが極端に少なかったせいだろう、ずいぶん深い眠りだったらしい。にもかかわらず、たった一度の音でまどろみと覚醒が翻ったように、身体より先に頭の方が覚醒してしまった。寝起きの悪い自分には、酷く珍しいことだ。一体、何の音だ・・・?
 思わず起こしてしまった身体を静止させ、もう一度目を閉じ、耳を済ませた。
 カチ・・・ カチ・・・ カチ・・・ カチ・・・

 部屋の向かい側にある、柱時計の音だけがやたらとウルサイ。こんな音ではなかった。もっと、薄手のビードロを硬質の金属で打ったような鋭い音。それでいて、耳の奥にすぅと溶け込むような心地よい音だった。
 シェゾは傍らの懐中時計を手に取り、今が夜半に近い時間であることを確認する。
 既に眠る気は失せていた。元々シェゾは夜型だ。昼間は大抵寝ているか、起きていたとしてもダラダラと過ごし、やりたいことの半分もしない。しかし夜になると、何かと活動的になる。シェゾは、すばやく着替えて適当なシャツを羽織り、突き動かされるように廊下へ出た。シンと静まり返った廊下には明かりひとつ見えない。廊下の奥に行くほど深く重苦しい闇が広がるばかりだ。
 ――――――ずいぶん暗いな。
 闇にまとわりつかれるような居心地の悪さに、シェゾは一瞬ライトを唱えようかと思った。しかし、魔物が潜む迷宮ダンジョンの類じゃあるまいし魔導力の無駄遣いだと思い直した。慣れればたいした闇ではない。自分が属する暗黒の世界に比べれば―――――
 シェゾは、なぜか逸る気を抑えつつ、ゆっくりと壁に沿って歩き出した。
 複雑な装飾が施された階段をくだり、――――立派なマホガニーの扉や見事な絵画や彫刻などには目もくれず――――シェゾは、中庭に面した廊下を渡って、西のホールへ出た。右手の壁に大きくとられた窓ガラスは闇色に染まり、近づいてもシェゾの髪の色さえ映さない。
 窓の脇に、装飾を控えたような小さな扉が取り付けてあった。おそらくは中庭に通じているのだろう。ホールも自室よりは広かったが、気配を探るにはより広い空間の方が都合がいい。なんとなく重苦しい空気の屋敷から外に出たいという気分も手伝って、シェゾは慣れた手つきで鍵を外して扉を開けた。

 扉はそうすんなりとは開かなかった。草に絡まる扉を押し開け、シェゾは何とか草の中にレンガ造りの地面を見つけて踏みしめた。長年の錆びだか草だかに押し戻されそうな扉を腕力に任せて押しとどめ、強引に半身をねじり込む。そこは、シェゾが想像した以上に、足場が悪かった。力に任せて強引に外へ出たはいいが、足がザラリとした感触とともに割れたレンガの端を踏みつけ、あっと思った時には遅かった。シェゾの足裏の半分以上が完全に空を踏み、マズイと思う間もなく、シェゾは身体ごとレンガの階段・・を転げ落ちていた。

「クソ・・・」

 鬱蒼と茂った茂みの中で、シェゾはなんとか頭を上げた。草がクッションになったようで、地面と衝突した時の痛みこそなかったが、一瞬ふいに重力から見放された感覚はさすがに気分のいいものではない。細い「階段」の下から、シェゾは恨めしげに足を踏み外した場所を見上げたが、今でさえそこに階段が在るとは信じがたい。レンガが完全に草に隠れてしまっていて、良くてただの坂道、悪くてタチの悪い罠である。シェゾは一瞬、自分はまたいつものように迷宮探索でもやってるんじゃないかと錯覚した。
 シェゾは、立ち上がって砂を払い落としながら、改めてそう広くない周りを見渡した。そこは、今シェゾが出てきた西の棟と、高い生垣に挟まれた非常に細い通路で、屋敷の中で最も端に当たるところだった。生垣はかなり幅のあるもののようで、向こう側は完全に見えない。茨の壁は、細道の奥の奥、屋敷の端の方まで続いている。
 細道もまた、階段を背にまだ少し続いていた。道は西の棟の角で途切れている。その向こうには手入れされた芝が広がっていることを月明かりで確認し、おそらくあれが中庭なのだろうとシェゾは思った。
 シェゾは中庭に出ようと再び歩き出したが、この細い通路は明らかに最近ネコ1匹通していなかった。伸び放題となった草が次々と足に絡まり、行く手を阻む。むしろ進もうとさえしていないのに、草がまるで意思を持った人形のように、足に絡まりあっちへ引っ張ったりこっちへ引っ張ったりする。正直、ここまで足場が悪いとは予想外だ。いくら闇に目が慣れた身だと言っても、この狭い空間で足を取られるなんてたまったもんじゃない。身体を支えようにも、一方は塗り壁、一方は手に切り傷を作るのみで終わりそうな茨の生垣ではどうしようもない。迷宮探索時なら丈夫なグローブくらいつけていようものだが、さすがのシェゾもバンダナこそしっかり巻いているとはいえ、単なる屋敷探索にグローブはつけてこなかった。ついでに言うなら、上半身も薄いシャツを一枚羽織っただけで重装備とは言えない。シャツのあちこちは鋭い茨のトゲで切れ、そのうちいくつかはシェゾの地肌をすり切っていた。

「だぁぁ!!」

 足をとられて、またこけた。もう再び起き上がる気にもなれず、誰かまわず悪態をつく。魔王のこと、魔王のこと、魔王のこと、自分のこと・・・
 いったい自分はこんなところで何をやっているんだ。ここに来た目的も忘れて、しばらく芝の上に寝転がったまま目に入るがままの景色を受け入れることにした。飛び込んできたのは白い棟に切り取られた夜空と、青黒いキャンバスの中央で輝く月。夜風に煽られて鼻をくすぐる草の匂いとあいまって、シェゾはようやく落ち着いた気分になってきた。
 いつの間にか細道を抜け、おそらくこけた拍子に中庭に出られたのだろう。ちらりと横目で見た中庭は、月明かりで、屋敷の中よりはずいぶん明るい印象だった。庭のところどころに立つ天使像は月の光に柔らかく淡く照らされ、むしろ昼間より優雅で美しかったし、さわさわと夜風に揺れる芝はリズミカルでさえあった。夜の庭なぞ、墨を流し込んだような淀んだ水底のようなものだろうと思っていたが、それは間違いだとシェゾは気づいた。

「・・・いったい何をやってるんです?」

 唐突の声に、シェゾは思わず顔を上げた。見れば、深緑の芝と星空を背景に異様に白い顔が浮かび上がっている。背の高い、若い男がそこにいた。男は、音もなくシェゾの半歩隣にしゃがみこみ、シェゾの顔を覗き込んでいた。
 シェゾはあわてて上半身だけで体勢を繕った。
「いや、・・・単に、部屋を出て・・・」
 男を前にそこまで言って、どう言ったものか、一瞬迷う。そして、すでに自分がなぜここに来たのかという目的をすっかり忘れていたことに気づいた。思い出そうと思えば思い出せるだろうが、シェゾはすでに思い出すのもめんどくさい、という生来のズボラな性格を優先させてしまっていた。
「・・・・・・迷った」 と、シェゾはそっけなく言った。
「ああ、わかります。この屋敷は広いですからね。慣れていないと、屋敷の者でも迷いますよ」
 男は、言葉少ななシェゾの言い方に気を悪くした様子もなく、サラリとそれだけのことを言ってのけた。
 男の言動に妙な親近感を感じたシェゾは、訝った目で男を見た。
 ・・・屋敷の使用人だろうか? にしては、やけに風変わりなヤツだと思った。濃い緑のローブを銀色の装身具で軽く止めただけの服装も奇妙だが、小さなメガネ――――よく見ればレンズが少し欠けている――――を斜めにズラしてかけているところがもっと妙だ。メガネをきちんとかけ、ボサボサの金髪を丁寧に結えば、理知的な容姿がもっと引き立つのではなかろうか、などとガラでもないがシェゾはそんなことを思った。
「そういうオマエは、何をしてる」
「中庭を散歩してただけですよ。声がした気がしたから、来てみたんです。したら、貴方が倒れていた」
 淡々と簡潔な答え方だった。鈴を鳴らしたような独特の響きのある声色以外は、特に気になるところはない。
「よく、わかったな。庭は暗いし、広いだろ」
「いくら夜とはいえ、黒が基調の中庭で「銀髪」と白いシャツは浮きますよ」
 呆れたように、男はシェゾの汚れたシャツを指差した。
「ずいぶん汚れていますね、どこから来たんです? 泥棒なら捕まえますよ」
「違う」
 シェゾは、先刻の失態を思い出しかけ、ぶっきらぼうに答えた。
「わかってます」 男はからからと笑った。
 どこまでわかっているという意味だろうか。もしや、さっきの『失態』をも「わかっている」という意味ではないだろうな。
「オマエ、誰だ?」
 シェゾは少し男を警戒して聞いた。
「屋敷の者ですよ。そう、一応、西の棟で図書室の管理などをしています」
「ほぅ」 シェゾは、思わず一瞬だけ警戒を解いた。なるほど、図書室の司書か。
「図書室があるのか」
「ええ」
 シェゾは一瞬、部屋の棚の上にあった古い本を思い浮かべた。
「どんな本がある」
 思わず、身を乗り出して聞いたシェゾだが、言って後悔した。
 何を子どものように興奮しているんだ、自分は。初対面の、それも自分の名も名乗らないような得体の知れない男に向かって―――――・・・
 シェゾの小さな舌打ちを、男は聞いたのか聞こえなかったのか――――変わらぬ微笑を浮かべたまま、言った。
「貴方は魔導師ですね」
「・・・・・・」
 シェゾは黙っていた。得体の知れない男相手に、自分の身分を明かすほどシェゾはお人よしではなかった。そういうコトを、証明したかったのかもしれない。しかし、男は気を悪くした様子もなく、穏やかに言った。
「・・・こんな真夜中に、このようなところで挨拶も無いでしょう。どうせなら、貴方とはもっとゆっくりと話がしたい」
 謎めいた微笑は、インキュバスやサタンの類を思い起こさせた。目元にかかる前髪と小さな眼鏡をかけているせいで、細かな瞳の色は読み取れないが、男のかなり整ったな面立ちがそう思わせたのかもしれない。
「では、また近いうち」
 眼鏡を鈍く光らせて、男は中央の棟へ消えていった。シェゾの中には、男に対する不気味な不信感だけが残った。しかし、不思議と警戒心は沸いてこない。・・・なぜだろう? 全くの不審人物で、思いっ切り警戒すべき相手だと、理性の部分ではとっくに判断を下ししているのに、自分の直感が敵ではないと冷静に訴えている。ワケがわからない。まぁ、確かに敵意を突きつけられたわけではないのだが・・・・・・。
 この場合シェゾ自身も、理論的な結論と、一応今まで信用してきたカンのどちらを信用すべきかわからなかった。
 シェゾの場合、たいてい理論とカンが出した結論は一致する。そしてその最終的な結論が外れたことはまず無かった。だからこそ、シェゾは自分の「判断力」にも「直感」にも、同等の信頼を寄せていたのだった、が―――――
「参ったな・・・」
 屋敷に来て、一日目の真夜中にこれだ。シェゾはもう一度男の言っていたことを反芻した。
 とても短い会話だった。しかもホトンドの意味がわからない。
 わかったことと言えば、男は屋敷の司書だと言っていた。それくらいだった。しかし、それが自分のこの奇妙な気分に何を意味づけするのかも、今のシェゾには判断がつかない。屋敷に来て一日目では、とにかく情報量が少なすぎる、――――オマケに、自分に集中して考える気力がなぜか全く沸いてこない――――最悪だ。何とか手っ取り早く、このもやもやとした気持ちを晴らす手段は無いものか。

 そういえば・・・

 シェゾがあることを思い出したちょうどその時、シェゾの耳にあの時の音が聞こえた。よく透る澄んだ音。
 シェゾは一瞬迷った。
 が、次の瞬間には、既にシェゾは音が聞こえた中庭には背を向けて、もと来た西の棟へと引き返していた。

 

■      ■      ■

 

 部屋に帰るなりシェゾは汚れたシャツを脱ぎ捨て、手早く着替えてからアイギスの残した分厚い『テキスト』を手に取った。アイギスは屋敷の美術品に関する資料だと言っていたが、会話に奇妙な穴のある彼女のこと、“美術品”以外の情報も残している可能性が(非常に少ないが)あるとシェゾは考えた。
 パラパラとページを捲ると、最初の方は慣れない文字で、美術品名と出所を丁寧に記録している。アイギスの几帳面さがうかがえたが、4,5ページ先になると早くも文字に乱れが出てきた。――――読みにくい。
「・・・あのヤロゥ・・・」
 3日坊主か。10ページ以降になると、魔族の扱う文字が随所に現れ始めた。15ページ以降は全て魔族の扱う特殊な絵記号文字だった。魔族文字は古代魔導語にも通ずるモノがあるので、簡単な単語程度ならシェゾにも何とか理解できるが、複雑なものになるとさすがのシェゾも理解できない。こういう時は、あまり気は乗らないがアイツに頼るしかない。
 シェゾは、片手に闇を集中させて印を結んだ。音も無く呼び出されたのは、今のベッドの上でだらけ切ったシェゾには不似合いな闇の剣・・・
 ――――――喚んだか、主よ。
「ああ、呼んだ」
 ――――――・・・・・・まさか、古代語の翻訳のために真夜中に喚び出されるとは思わなんだぞ。
「仕方が無いだろ。魔王並みとは言わんが、非常識な魔族がワケのわからんテキストを残したんだ」
 ――――――・・・もう少し、我の本来の用途を考えて扱って欲しいモノだが・・・最近は包丁の切れが悪いからと、我をリンゴの皮むき器代わりに使われるし。
「うるさい。ちゃんと本来の用途でも使っってるだろ。・・・ったく、どうせモノを破壊することと無駄に多い知識の提供くらいしか能がないんだから、そのくらい文句言わずにきちんと働け」
 ――――――やれやれ。世界有数の闇の力を有する我も、主の前では形無しか・・・。主の器の大きさは誇りに思うが、同時に近い将来、我と同じく主をあるじとする暗黒器に深く同情する。
「・・・あのな、まだこの屋敷の機器がオレのモンになると決まってるワケじゃないだろ」
 ――――――我はそうなると信じている。・・・いや、むしろ積極的に動き、あの魔王を出し抜き、新たな暗黒器の主となられよ。
「・・・・・・あまり期待するな。それこそ魔王ヤツの思う壺なんだから・・・。つべこべ言わずにさっさとこのテキストから、あの“自称図書室の司書”に繋がる情報を見つけやがれ」
 ――――――御意。
 剣のクリスタルの刃の部分に、シェゾはアイギスの文字を映していった。剣の刃は青白い明暗を繰り返し、(とるに足らない下らない)知識を吸収している。沈黙していた剣が、テキストの5分の4進んだ目当たりで光を止めた。
「何かあったのか」
 ――――――ここから先は、内容が違うようだ。美術品ではなく、屋敷の使用人の情報がまとまっている。
「図書室の司書の情報は無いか」
 ――――――待て。西の棟2階、図書室、・・・管理者・・・レイド。
「・・・レイド? 司書の名か?」
 ――――――恐らく。
「レイド、ね・・・」
 何の変哲も無い普通の人間の男の名だった。まぁ、平凡な大陸出身者の名前にしては、アイツの毛の色が多少薄い気もするが、その程度の移民はいくらでもいる。
「他は何も書いていないのか」
 ――――――ほとんど何も。走り書きに、アタマが悪い、お人よし、などの文字が見える程度で。しかし、この男のことを指しているとも限らない。同頁には、彼の者以外にも複数の使用人の名と管理域が書かれている。確証は無い。
「まぁな・・・。アイギスの人を見る眼も疑わしいし、あまり正確な情報とは思えんな。そもそも魔族が作ったテキストなんか・・・」
 ――――――・・・・・・・・・。
 シェゾは用の済んだテキストをベッドに放って自分も足を投げ出した。時は真夜中なはずだが、先刻ぐっすりと眠ったせいで全く眠気は無かった。時計を見ると、さっき部屋を飛び出してからわずかに20分ほどしか経っていない。もっと経っていると思っていた。・・・妙な時間感覚だった。
 ――――――主よ。この男の名は、新たな暗黒魔導器と繋がりそうなのか。
「さぁ、な。今はなんとも言えん。あの短い時間での印象だけでは・・・。今まであまり感じたことのない変な印象だった。言ってしまえば単に、それだけなんだよな」
 調べた名前がとても平凡だったことに、返って違和感を感じるほどだ。
 そこを考えた時、何かを見落としかけてる気もするのだが・・・今のシェゾにはそれを考える気力はあまり無かった。
 なんだろう? ぐっすり眠ったはずなのに、何となく集中力が持たない。妙に頭がぼーっとしている。シェゾは、この自分の状態を何度も経験したことがある。・・・しかし、何だったか。
 突然、部屋の扉を叩く音がした。ノックだ。
「・・・? 誰だ、こんな時間に」
 これが自分の住処だったら、気配を読むまでもなく相手を確信した上で、居留守を使うべきか転移で逃げるべきかノックが破壊魔法に変わる前に大人しく鍵を開けるべきか―――大抵は結局最後者だ―――激しく悩むところだが、今回ばかりはシェゾも普通に疑問に思った。闇の剣は早くも沈黙を守っている。
 シェゾがドアを開けると、昼間にシェゾを部屋に案内したメイドが立っていた。不自然な笑いを引っ付けたような、あの娘だ。ただ今回は、真夜中ということもあるのだろう、多少笑顔に張りがない。その方が返って、娘の自然な表情を引き出していて、それは少しシェゾをホッとさせた。
 メイドは一礼して、いち早くシェゾの乱れ気味の髪に気づいたらしい。
「あ・・・もしや、起こしてしまいましたか」
「いや、そういうワケじゃない」 シェゾは返事を短く切るつもりだったが、口が勝手にしゃべり出した。
「気にするな。・・・真夜中だろうと早朝だろうとお構いなしに押しかけてきては、破壊魔法で鍵をブッ壊して不法侵入を繰り返すヤツよりずっとマシ・・・」
「・・・・・・は?」
「何もない。いつもは言い切る前に、ぶっ飛ばされるから言い切ってみたかっただけだ」
 ――――――主よ、意味がわからないぞ。
 ベッドの脇で剣が呟いたが、もちろんシェゾには聞こえない。
「それで・・・今度はなんだ?」
「あ、あの・・・ご迷惑かも、とは思ったんですが・・・」
「?」
 メイドは廊下の脇に寄せてあった台車の布を取って見せた。銀製の台車の上に、食事の用意がそろっている。
「お夜食を、と」
「・・・ほぅ」
 シェゾはそこでやっと気づいた。真夜中に目が覚めてから今まで、気力・集中力が途切れがちだったのは、単に腹が減っていたからである。考えてみれば昼過ぎにカレーを一食平らげてから、夕食抜き。今は深夜。かれこれ、10時間近く何も食べていないことになる。腹も減るはずだ。
「気が利くじゃねぇか」
 食欲にそそられたシェゾは、一気に機嫌を良くした。・・・考えてみれば、シェゾがこの屋敷での仕事を引き受けた最大の動機のひとつは、これであった。スナワチ、豪華三食の保障。夕食を食いッぱぐれても、きちんと夜食まで出される待遇の良さは、シェゾの気分を大いに浮上させてしまった。
「お夕食に出られなかったので、旦那さまが気を使われたのですよ」
 機嫌のいいシェゾを見たからだろう。初めてメイドが“自然に”笑った。
 メイドが用意したのは、シチューとパンだけという簡素なものだったが、シェゾは満足だった。いつもの“切り詰めた”食事に比べれば、毎食この程度の食事で構わないとさえ思った。
「このパンは“バケット”と言って、屋敷の給仕長さんの自慢の品のひとつなんです。昔は、パン職人だった人で・・・夕食時に焼き立てを出せなかった、と泣いて悔やんでましたよ。・・・シェゾさん、出てこられないから」
「・・・寝てたんだよ」
 言い訳がましいが、シェゾは他にどう言えばいいものか、全く見当がつかなかった。
「お夜食をお出しすることに決まったら、どうしてもこれも持っていけ、と聞かなくて」
「それは悪いことをしたな」
 そう言いながら、シェゾはスプーンを咥えたまま 頭の中に『?』マークを並べて宙を見た。実際のところ、シェゾ自身も本当に自分がそれについて「悪い」と思っているのか、良くわからなかったからだ。しかし、メイドは勘ぐる様子もなく無邪気に笑っている。それが不自然なモノでないだけに、シェゾの中にまたも理解できないもやもやとした感情が膨れ上がってくるのだった。
「・・・あまり、オレの口を信用するなよ」
 調子のいいことばかり言ってる時もあるんだから。そんな言葉は、バケット(と言うらしい)とともに喉の奥に飲み込んだ。
 シェゾがシチューをすする間、何か言いたそうにしていたことは分かっていたが、ついにメイドが口を開いた。
「シェゾさんの好物は何ですか」
「? なぜ、そんなことを聞く?」 一瞬だけシチューをすする手を止めて、シェゾは言った。
「お食事にどんなものを出せばいいか、厨房でもなかなか決まらないんです」
 メイドは首をかしげて、実はついさっきまで揉めていた、と言うような顔をした。
「真夜中までご苦労なこった。・・・別に気を使う必要ないんだがな。人間が食えるモンなら、何だってかまわん」
「でも・・・」 メイドは、困った顔になった。
「好きなものの方が食も進みますでしょう? シェゾさんは、大切な旦那さまのお客さまですから 厨房も出来るだけのことをしたいんだと思います。旦那さまも、ずいぶんシェゾさんとのお食事を楽しみになさっていますから・・・」
「そりゃ困ったな」 シェゾは正直に言った。
「困る? どうして?」
「・・・気を使われることも、人前で食事を摂ることもあまり好きじゃない。大勢なら、尚更だ」
「・・・・・・」
「まぁ、オレの場合、言い出せばキリがない。わがまま言っていても仕事にならん」
 シェゾは開き直った。
「とにかく、食事は何だっていい。これでも長く旅をしてきた。ゾンビの生煮と納豆カレー以外なら何でも食う」
「え”、えええ!?」
 そんな料理、あっても絶対食べたくない――――シェゾだってそうだ――――と、メイドは顔全体でそう言ったようなものだ。
「驚いたか? 冒険者ともなれば、その程度の食生活は普通だぜ」
 まぁ、半分くらいウソだが、半分くらいは本当かもしれない。実際、遺跡や迷宮探索で好き嫌いなど言っていられない場合もある。半ば腐ったものでも、胃腸薬と体力で食いつなぐことくらいはしなければならないこともあるのだ。
「・・・か、鑑定士の方って・・・すごい生活をするんですね」
「まぁ、もちろん鑑定士の全てがこうってワケじゃない。オレの本来の職業は“鑑定士”ではないしな。それに、“鑑定士”とは言っても店や街に雇われたまま、一生過ごすヤツもいる。お前のような屋敷で暮らす人間なんかがよく知る“鑑定士”なんて、大抵そんなヤツだろ」
「・・・あ」
 そこまで言って、シェゾはふと思い出した。「そういえば・・・」
 シェゾが言葉を切った時、少しうつむいたメイドには気づかなかったことにして、シェゾは問うた。
「お前は、この屋敷で長く働いているわけでないようだな」
「・・・え。あ、はい。少し前・・・に、孤児院を出たばかりで」 メイドは、少し控えめに答えた。
「どうしてですか?」
「昼間の対応だ。・・・妙に屋敷の勝手に慣れてなかったからな」
「す、すいません・・・」 メイドは肩をすくめて言った。
「実はここに来て、まだ2週間ほどしか」
「・・・別に構わん。なるほど、院ね」
 この地方では珍しくもない。レイエは豊かな街だが、周りの地域は貧しい村も多いし、戦争を繰り返している国もある。親を亡くした孤児たちが、比較的安定したこの街に流れ着くのは自然なことだった。
「出身は“スーザンシティ”なんです。・・・ホトンド覚えてませんが」 メイドはとても静かに言った。
「院では15で自立しなければならないので・・・そこで偶然、旦那さまにお会いする機会があって、雇ってもらったんですよ」
「へぇ」
 てことは、この娘の年は15か。――――――若いな、と思うのはオレが単に年をとりすぎているからか。
「でも、このお屋敷では珍しくないんですよ。ここにしか家族のない人なんて」
「・・・そうなのか?」
 シェゾは、金持ちの屋敷の連中なんてたいていは保守的で、自分の信頼の置ける人物を中心に雇い入れるのが普通だと思っていた。自分の側近や古株の連中の親族や、その紹介を通じて周りを固めてゆくのが普通で、身元がハッキリしない人間をやたらと呼び込む屋敷の主なんて、相当珍しい気がした。・・・まぁ、レイエには変わり者が多いとは聞くけれど。
「だから、皆さん・・・私もですけど、旦那さまが大好きなんです。美術品マニアで、デイビス店なんてとんでもないところから鑑定士さまをお招きしちゃうくらい、ハッちゃけたところもありますけど・・・できるだけのこと、して差し上げたいんです」
「・・・そんなにハッちゃけてるのか、『デイビス店』と言うのは」
 聞きたくないと思いつつ、シェゾはなんだか予想がつくようでつきづらい“あのヤロウ”の経営手腕を問わずにはいられなかった―――――が。
「ええ。色んな噂を聞きますよ」 メイドは、とても面白そうにイタズラっぽく笑った。
 その表情を見て、シェゾはやはり店の噂など聞きたくない、聞くと今の自分の立場が不幸になりかねないと思った。
「明日の朝食には、出てあげてくださいね。・・・本当に楽しみにしていらっしゃいますから」
 シェゾが食べ終えた皿を素早く片付けると、メイドはそう言い残して、ようやく部屋を出て行った。
 ――――――主にしては、ずいぶんと話した方ではないか?
 メイドが去るのを待ってたように、闇の剣がうなった。
「・・・そうだな」 シェゾは短く答える。そして、娘が去った後の自分が、ものすごく疲れていることに気づいた。
 やたらと全身がだるく、さっき充分に眠ったはずなのに、もう睡魔が押し寄せている。不自然な笑顔を向けられて悪くなった居心地より、もっと強い不安を突きつけられた。あの“自然な”笑顔には、向かい合うだけで脳裏で警告音が鳴った―――――それは本来自分に向けられてはならないもので――――――

 ――――――主よ。
「何だ」 シェゾは、ハッとした。睡魔に身を任せる直前だった体勢から、現実に引き戻された。
 ――――――余計なコトかもしれぬが。
「? 何だ、はっきりしろ」
 ――――――さっきの娘の名もテキストにあった。西の棟、メイド、エルダ・サザン・ミレディ・アヤカ・・・
「・・・本当に、余計なことだな。メイドの名などどうでもいい」
 睡魔を圧して聞いた話がかなり下らないものだったことは、シェゾの機嫌を大いに損ねた。
 ――――――そうだな・・・。まぁ、どの道この4つの名のどれがあの娘かはわからぬし、役には立つまい。
「・・・・・・たぶん、“サザン”だろ」 呟くように、シェゾは言った。
 ――――――・・・? なぜだ。
「“サザン”は、“南”の意味だ。あの娘、言ってたろ・・・“スーザンシティ”が自分の故郷だと。古語で“南の街”と言う意味だ。・・・孤児院では、出身地を孤児の名に残すことが多いからな・・・・・・」
 ――――――・・・・・・・・・。
「・・・さて、もういい。疲れた・・・」 シェゾの頭はすでに枕の深いところへ沈んでいる。誰の話を聞くつもりも無い。
 ――――――人と長く話しすぎだ、主よ。休んだ方がいい
「言われなくても・・・もう、誰とも話す気なんか・・・」
 そう言った途端、シェゾはブチ切れた。
 開けっ放しだった窓から、見たことのある“黒い鳥”が舞い込んできたからだ。

『呼ばれて飛び出てじゃジャジャジャーン』

 台詞だけなら間違いなくサタンを思わせるが、ここは抑揚のない淡々とした口調を信じた方が良さそうだ。
 いや、そんなことより、シェゾは窓を開け放していたことを激しく後悔した―――――後悔したところで無駄だっただろうが、そんなことはどうでもいい。そんな半分寝てかけた頭では考えられないほどの複雑な心境が、今のシェゾの心に一番近かった―――――のかもしれない―――――
「・・・・・・キサマ・・・何の用だ・・・・・・・アイギス
『召喚器探しを手伝いに来たんですよ。ひとりでは大変でしょう』
「ふざけるなッ 出て行けッ!!」
 シェゾの寝起きは最悪である。傍らの闇の剣を引っつかんで、力任せに黒い女の影を薙ぎ払った。が、当然ながらそれをアイギスは軽やかに避けた。力技では魔族に勝てない。
『? 機嫌 悪いですねぇ』
 間の抜けた台詞を聞き流そうと、シェゾは必死でもう半分寝ている理性に訴えた。
 魔族だ。そう、相手は魔族だ。そう思うんだ、と言うかその通りなんだからその判断は正しい。魔族だからこそ、この程度の力量は当然だ―――――それは理解っている。理解っているが、ムカつくことには変わりない
「言っておくがな」 シェゾは何の緊張からか、肩で息をしながら“警告”した。
「今日は、裏の仕事をやるつもりは無い。さっさと帰れ、邪魔だ」
『えー? せっかく来たのに』
「キサマが勝手に来たんだろうが!!」
『う・・・な、なんですか。私だって、来たくて来たわけじゃ・・・用があったから』
「だったらさっさと用件を言え」 シェゾは据わった目でアイギスを睨んだ。
『サタン様から黒電話が繋がってます』
「は?」
『なんでも昨日のお昼間にかけたとき、貴方と全く話が出来なかったそうで』
 シェゾは据わった目をさらに冷たく細めた。そして、
 ああ、そうだったっけなぁ??
などと、半ば他人ごとのように受話器を受け取った。途端に、間違いなく今一番聞きたくなかったヤツのやたら元気な声が耳をつんざく。最悪だ。
『こら、シェゾ! イキナリ一方的に電話を切るとは酷いではないか!!』
「うるさい・・・」
『何だ、えらく機嫌が悪いな』
 そう言ったものの、魔王は全く大したことではないと判断したらしい。
『まぁ、聞け。どうせ、ヒマなのだろう。ゆっくりと、最近の話題のイナヴァウアーの噂話から始めようではないか!』
 普段のシェゾなら、「何時だと思ってるんだバカ魔王」くらいの冷静なツッコミが入ったのかもしれない。オマケに噂の流行期限が微妙にズレている(どうでもいい)。
「・・・・・・・・・」
 シェゾはマジ切れを通り越して、自分が可哀相になっていた。
 もういい。頼むから寝かせてくれ。なぜオレの周りには、オレの安眠を妨げる行動しかとれんヤツばかりが集まるんだ? 闇の魔導師としての宿命か? そういうことか? そういうことなのか? そんなモノからは逃げれば済むと思っていたオレが間違いか? ああ、そうかよ、そういうことか。だったらであろーとどーであろーと今のオレには関係無い、とりあえずキサマ、オレを眠らせるつもりあるのか無いんだな、ないヤツとオレが何を話すというんだ、ああそうか今オレの周りには敵しかいないんだな、そうだ魔王という位だ、オレが何♪するにも邪魔×っかしやがって、こう◇▲うヤツこそが○×▽で、世のために◎●×■♪※で、◎▲□◇×で、¶○×※▽◆×I♪×■◎※〜〜〜〜〜〜〜
 ――――――−−−。
 シェゾの中で、最後の何かがキレた瞬間だった。
「やかましい・・・」
『へ?』
 シェゾは寝起きも悪いが、寝る前もヤバイ。要するに、睡魔が乗り移っている時にシェゾの逆鱗に触れると、実はシェゾに対しては最強と思われているアルルでさえ、この時のシェゾには実は敵わなかったりすることもある!
『いや、ちょっ、待て! スマン、私が悪かった! そ、そっちの屋敷にいるレイドという男ダ、ガッ・・』

 ガッチャン

『・・・話は終わったんですか』
「ああ、永遠に終わった。もう二度とその電話、ここに持ってこなくていいぞ」
『そうですか、助かります。結構重いんですよね、この電話』
 当然かもしれないが、アイギスがそそくさと出て行ってから、ほんの数秒でシェゾはベッドで眠りこけていた。

 真夜中に色んなことがありすぎた。

 シェゾの頭の中からは、真夜の鈴の音の記憶など、とお――――に消え去っていた。

 

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