の女王

電話

 プロローグ

 ジリリリン

 この世界では珍しい黒電話が鳴ったとき、アイギスは思わずため息をついた。何も閉店間際で金銭の帳尻を合わせている時にかけてこなくてもいいじゃないか、と思ったのである。特有の長い金爪を少々もてあましながら受話器をとって、 わかりきっている相手に応対した。
『はい、こちらデイビス古美術店。相変わらず大忙しです。誰か応援を寄越してください』
 相手は少々間を置いて、
『・・・最近そればっかりだなぁ、君は。調査はそんなに大変か?』
と、言った。独特の響きのある、少々間の抜けた口調を除けば荘厳で重みのある魔界の王さながらの声だった。しかし、それに応えるアイギスの口調は対照的に針のように軽やかで冷たい。
『当たり前です。昼間はこの店の仕事もあるし、“裏”の仕事まで任されてしまったら、私はいつ休めばいいんですか』
 アイギスが悪態をつくのも無理は無い。最近、この上司に当たる人物(?)からはコキ使われっぱなしなのだ。なんとか仕事を誰かとシェアリングしたいのだが、この上司はなかなか真面目に取り合ってくれない。
『しょうがないだろう。忙しいのはなにも君だけじゃないのだ。他の連中も色々その手の仕事を抱えていて、それぞれ頑張ってくれている。君のところだけに、何人も人員を裂くことはできないのだよ』
『サタンさまご自身は、すこぶるヒマそうですケドね』
 アイギスは冷たく言ってやった。相手が『アチャッ』と叫んで、しばらく咳き込む音が聞こえていた。
『な、何を言う! そんなことはないぞ、私の予定の書き込みで真っ黒になってしまった手帳を見てみるか?! 1ページに見ろ! 10,000・・・いや、100,000字はあるぞ!!』
『そんなに細かい文字を書き込むヒマが、よくありますね』
 アイギスの声はさらに冷たくなった。
『・・・ヒトの揚げ足ばかり取らないでくれ。と、とにかく今は仕事の忙しさを忘れて、のんびりインキュバスの噂話あたりから始めようではないか』
『そんなヒマはないので、切りますね』
『あ”ッ ちょと、待・・・』
 アイギスは受話器を置いて、窓の外を眺めた。海が夕陽を受けて、赤く染まり始めていた。夕陽はきれいだが、風が出ている。明日は少し海が時化るかもしれない。
 ―――――今日はもう店を閉めるか。
 デイビス古美術店内には時計がない。日の傾き具合、風の吹き具合、アイギスの気分次第で店が開いたり閉まったりする。時刻はあって無いようなものだった。「時計」とは誰が考え出したのか知らないが、 人間とは良くわからないものを作り出すな、とつくづく思う。他の魔族仲間も自分とそうたがう考えは持っていないだろう、とアイギスは思っていた。
 アイギスは店を閉めるべく外に出たところで、さっきサタンが何の用で店に黒電話を寄越したのか、全く聞いてないことを思い出した。

 アイギスは人間ではなく、れっきとした魔族である。もちろん元は魔界の住人であったのだが、魔界にも諸々事情があって、今では魔導世界に安住の地を求める魔族も少なくない。アイギスも、色んな意味でただ真っ暗なだけの魔界に嫌気が差し、 単独で魔導世界に渡った魔族のひとりであった。
 しかし、魔族が人間世界でマトモに生きようと思うと、実はなかなか大変だ。と言うのも、魔導世界に暮らす人間と魔界の魔族というのは昔からなぜかすこぶる仲が悪い。 理由については諸説があるが、詳しいことはわからない。ただ、居住地域を分けることで争いが無くなったというのが定説なもので、人間からすれば魔族は魔界に帰れ!と言うのが正論ということになるのだろう。 まぁ、ただ単に考え方の違いで諍いが絶えないのも理由のひとつであるが、そんなこんなで魔導世界で魔族は一般的に嫌われ者である。
 迫害され続けて魔界に帰る者や、グレて人間に悪さを働く者も中にはいるが、アイギスは人間好きの魔王の後ろ盾を得たことでそうなることを避けられた。 どうもこの魔王、人間相手に暇つぶしするのが好きらしく、いつも持ち前の魔力を使って騒ぎを起こしている。その裏で、人間がどのように生活しているのかを丹念に調べたり研究したりして、 時にその知識を魔導世界に住むことを希望する魔族に勉強の場を提供したりしているのだった。
 アイギスもこの魔王から人間の扱う文字を習い、歴史や生活・文化を学び、人間の考え方について学んで、人間として社会に溶け込む術をある程度身につけた。 今では、魔王が趣味(?)で経営する古美術店を任されるまでの優秀な『人間的魔族』である。もちろん任されているのは、ただの古美術品店経営だけではないけれど。

 アイギスは店を閉めて、もう一度黒電話の受話器をとった。サタンに用件を聞くためである。この黒電話はこの店とサタンの塔の最上階のみを繋ぐホットラインだ。ダイヤルなどなくても相手に通じる。
 相手――――サタンは、すぐに出た。よほどヒマだったらしい。
『やぁ、アイギス。さっきはサンマの匂いで忙しいと言っていたが、今は大丈夫なのか』
 ワケがわからない。・・・“てんてこ舞い”と言いたかったのだろうか? だとすれば“い”しか合ってない。
『大丈夫です。何か用ですか』
『は? そっちがかけてきたんだろう』
『その前に、突然かけてきたのはそっちじゃないですか』
 アイギスは全く感情を込めずに言ったが、サタンはいかにもしてやったり!な口調になった。
『フッ、アイギス・・・今のは“魔族的ジョーク”だ。君も初期の頃に比べて、かなり人間的になったものだなぁ。ハッハッハ』
『切りますね』
 アイギスは、本当に受話器を元に戻そうとしていた。
『待て、待てぃ! スマン、私が悪かった。聞いて! お願い!!』
 アイギスは受話器を耳元に戻した。
『聞いてる?』 サタンの声だ。
『聞いています』
『よし、ではインキュバスの噂話だが・・・』
『もう聞きました』
 アイギスは冷たく言った。
『え? そうだったっけ?』
『はい』
『では、今ブームの韓流ドラマの話だが・・・』
『それも聞きました』
 魔王は本当に、よっぽどヒマだったらしい。
『あ、あれ? そうだった? では、暗黒召喚器の話は・・・もしかして、これももう聞いたっけ?』
 本件はこれだ、とアイギスは直感した。この“暗黒召喚器”こそ、アイギスが今 仕事の傍ら、裏で捜索している品物だった。さまざまな調査から、アイギスはこの街で有名な美術品コレクター、アルベル=フライン氏の屋敷にそれが紛れ込んでいる可能性が高いと見て、日々調査を進めていた。しかし・・・
『・・・それなら、まだ捜索中だと報告したはずですが』
 アイギスは今朝、その旨を書いた書簡を塔に届けたばかりだった。何か不手際でもあっただろうか?
『ああ、見た。あーそれでだな、アルベル=フラインの屋敷の調査は、どのくらい進んでいる?』
『美術品の調査ですか? およそ半分くらいまで。まだ、それらしきモノは発見できていませんが・・・』
『いや、そっちじゃない。フライン家の家族構成とか、雇っている使用人の職歴とか・・・』
『・・・そんなものまで調べろって言うんですか?』
 アイギスは今度こそブチ切れた。知らず口調が荒くなる。
『い、いや! し、知ってたら教えてもらえると嬉しいかなーって・・・』
 サタンはそう言っているが、知らないのなら調べて欲しいことがバレバレである。アイギスはブチ切れついでに一気にまくし立てた。
サタン様、私には変身能力がありますから人間の屋敷に忍び込むことは容易いですけど、さっきも言ったとおり昼間は古美術店の店員、夜間は連日フライン氏の屋敷の調査じゃ、 さすがに体力的に辛いです。フライン氏の屋敷だって、化石やら古品の類が一体いくつあると思ってるんですか? 彼のコレクター魂はハンパじゃないんですよ?! あの小魔女のウィッチが金のなる木を手に入れたようなモンです!  屋敷中の壁という壁にマンモスだかドラゴンだかの角だ牙だかがへばり付いてるし、庭園にはどこぞの芸術家が作ったワケのわからない彫刻やらボコボコ掘っ立ててあるわ、屋敷の調度品から鳥のエサ箱にまで曰くありげな美術品が使われて、 中庭の倉庫にはまだ10万点以上のコレクションが保管してあるんです。普通に考えてください、私ひとりで調べきれるわけがないでしょう! 本当に誰かいないんですか!?

 ぐわっしゃん。

 アイギスとて魔族である。腕力は人間のゆうに50倍はあった。怒りに任せた拳が店のカウンターを兼ねるデスクを叩き壊した音も、受話器を通ったに違いない。
『な、何人かに当たってはいるのだが、皆都合がつかないのだ』
『そんなこと言って、実は単に各地に散らばっている魔族たちに連絡するのが面倒なだけなんじゃないでしょうね』
『ええ?! いや! 断じて、そんなことはない! そ、そうだな・・・この際だから、インキュバスでも呼んでみるか?』
 サタンの言い方は、いかにも今思いついた名をそのまま口にしただけ、というカンジだった。
あまりいい人選だとは思いませんけど。彼、魔族の習慣がまだまだ抜け切って無いでしょう。美形と見れば人間も魔物も見境なく誘惑して・・・比較的人間の多いこの街で、 毎夜変態騒動を起こされて文句が無いなら断りませんが』
『あーうーえー』
 受話器の向こうで、魔王がパラパラと電話帳らしきモノを勢いで捲っている音が聞こえる。一応、都合のつきそうな魔族を当たる気はあるようだ。アイギスは、とりあえずそれを信じることにした。
『まぁ、いいです。もう少しひとりで頑張ってみます。フライン氏の家族構成を調べればいいんですか?』
『そ、そうだ。特に息子と・・・できれば使用人にどういう人物がいるかもわかれば嬉しい』
『息子と使用人・・・? わかりました。でも、頑張るのは今月までです。来月には絶対誰か持ってきてくださいよ』
『わ、わかった。何とか来月にはそっちに誰かを送れるようにする。じゃ、頑張ってくれ』
 黒電話は逃げるように切られてしまった。アイギスも遅れて受話器を置く。
『・・・まったく』
 今度ばかりは、あの魔王も応えただろう。来月からは少しは楽になりそうだ。――――――むしろ、そう期待したい。
 黒電話でのやりとりにいささか疲れたアイギスは、デスクも壊れてしまったことだし、今日古美術店に届いた書簡を魔王の元に送り届けて今日の仕事は終わりだと決めた。

 デイビス古美術商店は、普段は目立たない裏通りでアイギスが切り盛りしている古美術商だが、(後ろ盾が魔王であるため)扱う品々にかなりの珍重品が多い。よって得意先は少なくないし、 美術品の注文や仕事の依頼も比較的多かった。書簡には、貴重な魔導鉱物の加工注文や失われた美術品の捜索など、ずいぶん大きな仕事の依頼もあったが、 実は依頼を受けるかどうかはホトンド魔王の気分次第である。書簡はアイギスから一旦魔王の元へ送られ、魔王が仕事を吟味して(時にはクジで)、引き受ける仕事を決める手はずになっている。

『・・・あれ』

 アイギスは、書簡の束の中に見覚えのある名を見つけて手に取った。
 差出人が、さっきまで魔王相手に自分が話題にしていたアルベル=フラインの名になっている。アイギスは、自分が今裏で引き受けている仕事の重大さからして、 この書簡がサタンの元へ届いた時点でサタンがこの仕事をにべもなく受ける事を直感した。

 ――――――まさか、また仕事が増えるのか?

 アイギスの第六感に、新たな“イヤな予感”が走るのだった。

氷の女王 もくじ

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