奈良県立橿原考古学研究所友史会
第9回国内遺跡の旅「因幡、伯耆の古代遺跡めぐり」


       案内 前鳥取県埋蔵文化財センタ所長 田中 弘道氏 博物館 北井 利幸氏
   27日 因幡万葉歴史館、岡益の石堂、梶山古墳、青谷上寺地遺跡資料館
   28日 長瀬高浜遺跡、淀江町歴史民族博物館、伯耆古代の丘公園(向山古墳、岩屋古墳)、上淀廃寺、妻木晩田遺跡



新大阪駅 新大阪集合 8時50分出発

加西SA

加西SAで休憩後、青谷上寺地、妻木晩田遺跡のビデオを見る。


河原城 鳥取市に入ると河原城が迎える。

万葉
歴史館

万葉歴史館には、758年に因幡国守として現在の国府町へ赴任し翌年の元旦に万葉集の最後を飾る有名な歌を詠んだ大伴家持因幡の豪族、伊福吉部氏の娘で墓跡は国の史跡、墓誌が刻まれた骨蔵器は国の重要文化財となっている伊福吉部徳足比売(いふきべのとこたりひめ)、梶山古墳石室(複製) 岡益の石堂(写真上)を展示。

写真左上の塔が「時の塔」。

向かいの国府町中央公民館で田中先生の出迎えを受け説明を聞く。 

時の塔から国府周辺を眺める。

西側鳥取市街方面を望む。
右奥の樹木の並びが国府跡といわれているが、発掘が進み、国府町「庁」地名を持つ手前正面の田圃一帯が国府の可能性が高くなっている。

左遠く、森のある集落内に国分寺。
北側を望む。
左端、赤い屋根の家屋の右側森に大伴家持の歌碑
『新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」
が立つ。

中央右山裾、宮ノ下小学校の裏山が伊福吉部徳足比売の墓跡。
東側を望む。
川を遡り、右端の山の裏には、梶山古墳、岡益の石堂がある。

岡益の
石堂
玉石を敷き詰めた坂をのぼり岡益の石堂へ向かう。

ギリシャ起源のエンタシスと蓮華をレリーフした塔柱、忍冬文の装飾受け台、堂々とした石造基壇と障壁などは、謎の石造物といわれた。
安徳天皇陵墓参考地となっているが、東側に金堂、講堂、回廊跡が見つかり寺院跡とわかった。
8世紀建立の伊福部臣都牟自(いふくべのつむじ)が願主の「皇興寺」跡か。


現在の基壇、石障部は鳥取藩主池田家が追加整備?
石堂後ろ側の砂利道が金堂跡、手前落ち葉付近が講堂跡。

梶山古墳
岡益の石堂の向い側山裾に梶山古墳がある。

7世紀中頃の横口式石槨を持つ変形八角形の古墳。前面には祭祀跡とおもられる方形壇がある。
横口式石槨と八角墳は8世紀には天皇陵に採用される様式。
魚文、円文、三角文の彩色装飾を持つが、昔の発掘写真には文様が写っておらず、いたずら書きとの意見もある。
伊福部臣都牟自の墓。


鳥取市を抜け青谷へ向かう。
日本海は波高く潮に煙る。

青谷
上寺地
遺跡
展示館
青谷羽合道路、青谷IC工事中に見つかった水田跡、排水土止跡、工房跡などの弥生の大遺跡。新潟のヒスイ玉、朝鮮の土器、中国の貨幣が出土しており交易の拠点としても機能。
人骨100体が見つかり、内10体は殺傷痕があり、3体には脳みそが残る。すべて溝の中からバラバラで見つかっており、復讐の行為、、殺して割き、串に掛けて路傍にさらした「殺割」か?

木製品が9993点、鉄器300点、卜骨227点など豊富な遺物が出土しているが住居跡は見つかっていない。

遺物は青谷駅前の展示館に展示されている。

三朝
ロイヤル
ホテル
三朝ロイヤルホテルにて田中先生のミニ講座開催。
ホテルから遠くに三朝温泉街を望む。

長瀬
高浜
1号墳

下水道処理場と国道9号線バイパス工事の際に、深さ10mの白砂の下から見つかった遺跡。
遺跡の中心は古墳時代の集落と古墳群。1号墳は長瀬高浜遺跡から発見された最大の円墳。主体部である石棺からは、成年女性の遺骨がほぼ完全な形で発見され、遺跡の南東側に移転復元されている。


湯梨浜町羽合歴史資料館
瀬高浜遺跡で見つかった埴輪群、玉、鉄刀などを展示。
収納庫では、取っ手の付いた謎の土製品「山陰形甑形土製品」を見学し、田中先生の説を聞く。



大山 大山を横目に淀江ヘ向かう。
このあたりからは伯耆富士の面影はない。

伯耆古代の丘公園 淀江「伯耆古代の丘公園」

塔の下には、後方の山の中腹「石馬谷古墳」から出土した石馬の復元が置かれている。

西の丘陵、階段を登ると、向山古墳群がある。

向山
古墳群

7号墳は6世紀前葉の長さ20m、高さ4.5mの円墳または方墳。須恵器、円筒埴輪が出土。


7号墳の北側は、3号墳。
全長39m、後円部径23.5m、前方部幅16.7mの南西向きの前方後円墳。須恵器、円筒埴輪、盾形埴輪などが出土した、5世紀後葉の築造で古墳群ないでは最古。

7号墳の北西には2号墳。
全長16m、後円部径14.5m、高さ1.8mの6世紀中頃から後葉築造の南向きの前方後円墳。須恵器、円筒埴輪が出土。

7号墳の北東には6号墳。
全長40m、後円部径18m、高さ2mの6世紀中頃築造の北向きの前方後円墳。須恵器、円筒埴輪が出土。
2号墳の北側は8号墳。
一辺26m、高さ2.8mの方墳。
須恵器、円筒埴輪、形象埴輪などが出土。
6世紀中頃の築造。

岩屋古墳 一番北に岩屋古墳がある。
全長52m、後円部径30m、高さ6m、前方部幅20m、2段築成の西向きの前方後円墳。
後円部南側に全長9mの横穴式石室が開口。
前室と後室からなる複室構造で入り口はくりぬいた玄門がある石棺式石室構造。

米子市
淀江
歴史民族
資料館
主要展示物
○石馬谷古墳 石馬
 古墳時代の後期に築かれた石馬谷古墳に立て並べていたものと考えられる 体長およそ1.5メートルの「石馬」。
 九州岩戸山古墳の石馬は有名。九州以外は唯一ここだけ。
 かつては、ふもとの天神垣神社に置かれていた。
○上淀廃寺の国内最古級の仏教壁画
 飛鳥・奈良時代の寺院跡、上淀廃寺から見つかった「仏教壁画」。
 法隆寺金堂壁画に匹敵するとまで言われ、今までの調査で約5,500点が確認。
○象形埴輪
 井出挟3号墳の周りの溝から出土した、盾持人、鹿、鳥、家などの「円筒埴輪・形象埴輪」。
 西日本では出土例が少ない「盾持人」は3体ほぼ原型をとどめた形で発見。

石馬谷
古墳
石馬が出土したとされる石馬谷古墳(坪根垣古墳)は、正面小枝山丘陵中腹に存在。全長61.2m。後円部径34.5m、高さ7mの6世紀中頃の前方後円墳。

上淀廃寺 壁画の見つかった金堂(写真上右)と3つの塔(写真上左)で有名な白鳳寺院跡。

丘陵の南側傾斜地を3段に整形し、西に金堂、東に塔。
金堂基壇も2重基壇で14.36m×11.8m。
10世紀頃焼失したと推定され、金堂基壇の北側の焦土層から彩色壁画片、塑像片が出土。

塔基壇(写真下)は、2重で、基壇の上は瓦積、下は石積、東西約9.9m、南北で約10.2m。
基壇上には、心礎は無く、心礎抜取穴と根石、側柱礎石の抜取穴と根石を検出。
塔基壇跡の南側2.3mの所に同じ規模、構造の塔基壇跡が出土。いずれも三重塔と推定される。
双塔跡のさらに北側(写真上左手前)に、心礎を新たに発見。
心礎は長径約1.6m、中央に径約64cm、深さ約4cmの穴。
心礎は既発見の心礎の延長線上にあり、3塔心礎がほぼ等間隔に並ぶ。

集合写真 


妻木
晩田
遺跡

妻木晩田遺跡は、ゴルフ場建設にともない発見された、洞ノ原地区、妻木山地区、妻木新山地区、仙谷墳墓群、松尾頭地区、松尾城地区)と、隣接する小真石清水遺跡をあわせた総称。遺跡の総面積156ヘクタールの日本最大の弥生遺跡。
弥生後期(1世紀後半~3世紀前半)を中心とする886軒の建物からなる集落と、山陰地方特有の四隅突出墓を主とする多数の墳墓群。


ボランティアガイドに案内いただく。
洞ノ原2号竪穴住居

大形の 2号四隅突出墓

小形 四隅突出墓
中央小山は、晩田山古墳群の1つ
弥生遺跡の中にあって古墳時代の遺跡は無視されている。
山陰の住居に最適な土葺き住居。
地表に入り口はなく、屋根から出入。
雪に埋まった時は出入りに便利。

高床式住居跡


環濠跡
米子方面を望む

米子自動車道から帰路。
大山が伯耆富士の滑らかな稜線を見せる。


奈良県立橿原考古学研究所 友史会 「第7回海外遺跡の旅 黄河下流域の古代文明を訪ねる」