−waicoの随筆集−

「豚キムチライス大」

 何回生時かは忘れましたが、立響定演パンフに載せるパート紹介文をみんなで考えている時、「今回は『一人一人を食べ物にたとえると』というテーマにしよか。」ということになり、確かS古やったかが、「とりあえず岩井は『豚キムチ(定食)ライス大』やな。」と言ったことを思い出し、タイトルにしてみました。結局、そのネタは使ったんやったっけ?


「いわい亭の食卓」へ
「いわい亭」トップへ


<野球好き>6/25up!

 5月O日(祝)

 10:30起床。「ちょっと寝過ぎたかな」と、多少の罪悪感と共にリビングへ。テレビがついていなかったので、BGM代わりに、BSのメジャーリーグをつける。あくまでBGM代わり。丁度ヤンキースの試合が終了間際となっていた。トーストをほおばりながら、データボタンで今日の松井の成績をチェック。2安打の活躍に頬をゆるめる。11時を過ぎると、放送はそのままマリナーズの中継に。とりあえずイチローの第1打席を見届ける。相変わらずの拙攻ぶりに苦虫をかみつぶしながら、とりあえずすることもなく、あくまでBGM代わり(と自分に言い聞かせて)に観戦し続ける。新聞のテレビ欄を見ると、15:00からABCテレビで阪神戦中継となっているが、スポーツ欄では14:00開始となっている。試合開始後1時間遅れで中継が始まることはよくあるが、通常はその間も他局(主にCATVのチャンネル)でやっていることが多いので、早速チェックすると、スカイAで14:00中継開始とのこと。ホット胸をなで下ろす。

 引き続きメジャーリーグ中継を見つつ、昼ご飯をいただいていると、時計はもう13:00。赤子をあやしながらCATVのチャンネルをチェックすると、ちょうど始まったばかりのデーゲームの中継が始まっている。パ・リーグの試合などあまり見る機会もないし、阪神戦の開始まで特にすることもないし、あくまでBGM代わり(と自分に言い聞かせて)に観戦。CATVに加入されている方はご存じだと思うが、230ch-236chあたりのチャンネルで集中的に中継されているので、リモコンのいわゆる「チャンネル上下」を連続的に一定のテンポで上げたり下げたりしていると、なんと全ての試合がリアルタイムで楽しむことができることに気付く。J-SPORTSの各チャンネル(231ch-233ch)の、得点表示欄(普通画面の右下あたりに表示されているヤツ)の、得点の下の部分に常に表示されている「野球好き」という文字に、妙な納得感と多少の馬鹿にされたような気持ちを感じつつ、気になる打者や場面ではちょっとチャンネルを止めたりして、概ね4試合を堪能するうちに、時刻はもう14:00。すっかりアイドリング完了。

 我が猛虎軍の試合、定刻に無事開始。予定通りスカイAにて観戦。例の著作権問題で、ほとんどの選手の応援歌が変わったため、まだまだなじめない。徐々に気になり始めたヨメや娘の視線を感じつつ、「でも特にする事ないしなー」と小声でアッピールしつつ観戦。先制点も無事取ることができ、とりあえずは一安心。もちろんCM中は得意のチャンネル上下ボタン攻撃で、他の試合の経過チェックにも余念がない。

 15:00。ここで地上波デジタルの6chで試合放送が始まる。スカイAよりこちらの方が、断然画質がいいので、そちらに切り替える。すると...あれ...1回表って...なんじゃこら!、これ、1時間遅れでの放送やないかい!、今はやりの時間差録画なんかい!と多少ピント外れも心の中で思いっきりつっこんだが、野球を見て大声を上げたり不機嫌になったりすると、後でヨメに何を言われるか分からないので、感情表現は極力抑え、元の多少が質の悪いスカイAに戻る。もちろんCM中は得意のチャンネル上下ボタン攻撃で、他の試合の経過チェックにも余念がない。楽天頑張れー。

 試合も順調に進み、猛虎軍2点勝ち越しで迎えた16:00頃、ヨメより「いつまでそんな不毛なモン見てんねん。買い物行くで、買いもん!」との愛情あふれるお言葉。「まあヨメの言うことも一理あるな」という天使の自分と、「まあラジオもあるしな」という悪魔の自分に誘われながら、車で約15分のゑゐだーへ。丁度到着寸前に、おなじみの中盤の大ピンチ(7回表)に直面し、後ろ髪を引かれる思いで下車。ここのところ絶好調の球児の頑張りに託した。

 17:20頃、ようやく買い物を終えて車に戻る。駐車場内で電波状況の悪い中、耳をこらして聞いていると、アニキ金本のヒーローインタビューらしき声が。「よっしゃ、やった!球児よー抑えた!」と、この時ばかりは迂闊にも感情をあらわにしてしまう。長年染みついた負け犬根性で、「負けがデフォルト」と常に脳髄にインプットされているので、毎回勝利の瞬間は望外の喜びである。ヨメもこの時ばかりは「よかったねー」との祝辞。興奮した頭で運転中に、「せや、ひょっとしたら、急いで帰ったら、1時間遅れでやっとった放送の方で、勝利の瞬間が見れるかも...」と考え、速攻で帰宅し、早速テレビをつけたところ、久保田が仁王立ち、歓喜の映像を目に納めることができた。「1時間ずらして放送するっちぅのもえぇもんや!」と心から思う。

 18:00前までの放送を、岡田監督の勝利インタビューまでしっかり見届け、後はにっくき臥軍が負けることを祈るのみ。幸いうちには、CATVという強い味方がいるので(もうこの頃には開き直っている)、18:00よりナイター中継の始まるG+(ジータス)で、引き続き試合開始より観戦。相変わらずの立ち上がりの悪さで、開始早々4失点の展開に思わずほくそ笑む。ヨメより、「もう、アンタなに考えてんの野球ばっかり野球ばっかり。はよ子供ら風呂入れてーな」との敬愛あふれるお言葉。「まあさすがにヨメの言うことも一理あるな」という天使の自分と、「まあ風呂用のラジオもあるしな」という悪魔の自分に誘われながら、去年父の日の贈り物としてもらった耐水ラジオのスイッチを入れつつ、入浴。このイカした愛すべきヤツのおかげで、入浴中の試合展開もしっかりチェックでき、もう大満足。

 風呂からあがり、大好物の鶏の唐揚げを食べながら、今度は地上波デジタルの10chでちゃんと(?)、引き続き観戦。臥軍ボロ負けの展開に、「TにHの阪神マークはマル。GにYの臥マークはバツ。」と娘に教育をする口もなめらかに動く。

 21:30無事臥軍負けで試合終了。猛虎軍の勝ちと臥軍の負けの両立で、私の脳の野球に関する部分は完全に満たされるため、もう喜び一杯お腹一杯、である。

 眠りの床につきながら、スポーツニュースをできうる限りチェックしつつ、一人祝勝会&一人反省会。「あー、いい1日やったー」。...さすがに、ここまで野球漬けだったのは、あの日が最初で最後でしたね、今のところ。...まさに、夢のような1日...ヨメ怖い...。野球好きにもほどがある...か...。


<事件>


 9月X日13:30頃、昭和町駅前「Coco壱番屋」前(下記地図1)にて、(有)岩丼商会所有自転車の前輪が、突然「パァァーーーーーン!!」という大音量と共に炸裂、チューブはバラバラ、タイヤも一部裂けるなどの大惨事となった。「すわ、鉄砲で撃たれたか、あるいはスリッパでしばかれたか!?」と、しばらくは呆然としていたwaico氏であったが、気を取り直して善後策を一人で協議、これはとりあえず近くの自転車屋さんで修理してもらうしかない、との結論に至った。ところが、周辺を見渡したところ希望の店舗がなく、さらに善後策を一人で協議、昔から地元に居住のどら息子氏(実家が下記地図2)に、電話で聞いてみるしかない、との結論に至った。就業中であることは百も承知も、祈るような気持ちで氏の携帯に電話。しかし残念ながら繋がらず、さらに善後策を一人で協議、「まぁとりあえず会社に向かって押して帰ろう。で、途中の自転車屋で直してもらったらええわ。」との結論に至り出立。道中にはアーケードのある商店街があるのだが、そこに自転車屋がないことは知っているので、敢えて商店街以外の道を選択(下記地図矢印参照)。気温約36℃の炎天下の中を、ただ「自転車屋はん...!」の一念のみで歩き続けるが、いざ必要となると、ないもんやねー、自転車屋て。結局、タイヤもだんだん裂けてきて押しづらくなってきた自転車を引きずりながら岩丼商会前(下記地図3)まで戻り(所要時間約30分)、さらに素通りして、行きつけの自転車さんに持ち込んだ(下記地図4・所要時間さらに約3分)。幸い店主も在店で、エアコンのない店内で世間話(これがまた内容も思い出せないほどの無駄話)をしながら、オッサンは慣れた手つきでタイヤとチューブを交換(所要時間約10分)、しめて金参仟六佰萬圓也を支払い、汗でずぶぬれのwaico氏は、ようやく岩丼商会に帰社したのでした(所要時間約45秒)。


 その日の夕刻、どら息子氏より、「昼間電話くれた?」とのメールあり。かくかくしかじか、と上記の事件の概要を告げたところ、「なんや、それやったら、あびこ筋を渡って少し南に行った、ピン高(桃O学院)前あたりにあるのに(上記地図5)。所要約5分か。合掌。」とのメールを拝受する。...合掌。


<この俺も>2/18up

 ある日の晩ご飯での出来事。

 その日は遅くまで練習だったので、軽く弁当(かまどや)で済ませようということになった。私は「大関さん弁当」をオーダー。大学時代は一時主食(?)でもあったこの弁当は、鶏の唐揚げ2ヶ・豚カツ半切れ・ハンバーグ1枚という超若向けのおかずで、久々の体験に対し多少興奮気味に、弁当屋からの帰路の間も、どの順番で食べ進めようかなどと、頭の中でシュミレーションしているのであった。ちなみにヨメは「エビフライ弁当」、娘(2歳4ヶ月)は「ビーフカレー」。

 さて、ようやく家に到着。皆腹ペコなので、早速「いただきまーす!」。娘は、まだ熱いものは苦手なので、別の器に少量移し冷ましてやる。それを、最近なんとか使えるようになってきたスプーンを駆使して食べる。カレーは、最近のお気に入りメニューの一つなのだが、その日のは少し辛かった様子で、あまり食が進んでいなかった。私は少しかわいそうだなと思い、自分の弁当の中の唐揚げを半分に切ってやり、「ほい、かずさんの好きな唐揚げやで。」と娘の器の中に入れてやった。あくまで自然な流れで。

 その瞬間、私は自分の行動に驚愕した。あれほど楽しみに食べる順番をシュミレーションまでしていた完全なる構成品の一部を、中でもあれほど好きな鶏の唐揚げを、隙あらば他人の皿に載っているものまで平らげてやろうと常に虎視眈々と狙っているところの鶏の唐揚げを、娘の器に入れているではないか! しかも、入れてやったことを後悔もせず、美味しそうに食べる娘の顔を見て、残りの半分も入れてやろうと思っているではないか! この貴重な鶏の唐揚げを!

 「...ああ、この俺も、これが親になったということなんかな。」と、妙に感慨に耽ってしまいました。


<大河ドラマ雑感>2/8up


 私も、五辻に負けないくらい、自分の興味のある時の大河は欠かさず見ていました。大学時代はあまり見ていませんでしたが...。一度その雑感をまとめてみたいと思っておりましたので、この機会に、あくまで主観的ですが、特に印象に残っているシリーズについて述べてみます。

「おんな太閤記(1981)」
佐久間良子(ねね)、西田敏行(秀吉)、中村雅俊(秀長)、赤木春江(なか)、泉ピン子(あさひ)、長山藍子(とも)、滝田栄(前田利家)、浅茅陽子(やや)、尾藤イサオ(浅野長政)、音無美紀子(まつ)、池上季美子(淀殿)、藤岡弘(信長)、フランキー堺(家康)、夏目雅子(市)、岩崎良美(豪)

 間違いなく、今まで見たシリーズの中で、総合No.1評価。

 小学6年生だった私が初めて見た大河ですが、今のところこれを越える作品には巡り会っていません。当時小学生にもかかわらず、橋田寿賀子著の原作本を買ってもらって読んでいた程惚れ込んでいました。3年ほど前、ケーブルテレビの地元チャンネルで、同作品をゴールデンタイムに1週間ぶっ通しで同じ回を放送し、それを最終回までやり続ける(約50週間毎日おんな太閤記をやっている)という夢のような企画があり、週に2・3回は見てましたね、同じ回のを。「やっぱり名作やな」の思いをあらたにいたしました。坂田晃一氏によるオープニングテーマも、「いかにも大河」といった叙情的な音楽で、決められた短い時間の中で、見事にクライマックスを迎える様は見事です。

 山あり谷ありの天下取りサクセスストーリーも、橋田寿賀子先生の手に掛かれば、見事な「豊臣食堂」を舞台にしたホームドラマに早変わり。それでいて、歴史的に重要な事件をもらさずそんなに脚色せず描ききれているところがすごかったです。随所に、噂好きキャラのやや(ねねの妹)が登場し、秀吉に詰め寄ったり旦那の浅野長政にハッパをかけたりするのですが、これがまた絶妙で、ドラマ自体にパンチ&テンポ感を与えるのが印象的でした。浅茅陽子恐るべし。他では、弟秀長役の中村雅俊と、親友前田利家役の滝田栄が秀逸でした。

※同作品中最も印象的だった場面(かなりうろ覚え)
(秀次失脚に伴う粛正人事で、秀吉に対し前田利家が全てを失う覚悟で諫める場面)
利:「(いきなり客間にドカドカと入ってきて、殴りかからん勢いで)殿下、今日は昔の友の時代に帰って、話をお聞きいただきたい。」
秀:「ははは...またあらたまって。ワシはいつもそのつもりで利家殿と...」
利:「(さえぎるように)ならば、ねね殿と夫婦になられる時のお気持ちも、よもやお忘れではあるまいな。」

秀:「(少し照れた表情で)何も今更そのような...」
利:「(決然と)今じゃから言うのよ! おぬしの所業は、ねね殿のことを忘れてしもうたとしか思えぬ。おぬしがお拾君のことを可愛がるのはよくわかる。じゃが、そのためにおぬしがしたことは、とても昔の藤吉郎とは思えぬ。しかも、一部の近習に勝手気ままな振る舞いを許すとは何事か。昔の藤吉郎はどこへ行ってしまったのじゃ。」
秀:「(呆然と利家を見つめたまま)...」
利:「ワシはおぬしが好きじゃった。それゆえ、このような苦言も呈するのじゃ。お茶々に溺れ、お拾いに狂い、三成ごときの言いなりになっているおぬしを見たら、今後の豊臣家が案じられてならぬ。今にねね殿もおぬしを見放そう。そうなったら、天下はどうなるとお思いじゃ。」
秀:「(呆然と利家を見つめたまま)...」
利:「わしはのう、おぬしに目を覚ましてもらいたいのじゃ。これだけ言ってもわかってもらえないなら、ワシはおぬしを見限る。そのようなおぬしに仕える気は毛頭ない。」
秀:「(呆然と利家を見つめたまま)...」
利:「気に入らぬのなら、ワシの首を打て。豊臣家の凋落ぶりを見るくらいなら、死んだ方がましじゃ(ここまで一気に)!」
秀:「(さらに呆然と利家を見つめた後、おもむろに)犬千代様!いぬちよさまーー!!今藤吉郎めは目が覚めました! (ボッロボロ落涙しつつ)犬千代様の命を懸けたご諌言、この藤吉郎、しかと、しかと胸に刻みましたぞ! 命懸けでこの藤吉郎のことを考えて下さっているのは、いつの時代にも犬千代様だけじゃ!」

 ...今思い出しても、息詰まる名シーンでした。

 ヨメにとっても印象に残ったドラマのようで、いまだに、別のドラマを見ているときでも、おんな太閤記の配役で置き換えたら理解してくれます。
例(「利家とまつ」を見ているとき)
ヨメ:「なー、この唐沢寿明は滝田栄やんなー。」
ワシ:「そう。高嶋兄はフランキー堺やね。草笛光子は赤木春江...別の役で出てるからややこしいな。草笛光子は『葵徳川三代』で北政所の役もやってたっけ...。」

てな具合です。

「山河燃ゆ(1984)」
松本幸四郎(天羽賢治)、西田敏行(天羽忠)、三船敏郎(天羽乙七)、かとうかずこ(井本広子)、多岐川裕美(畑中エミー)、島田陽子(井本椰子)、大原麗子(三島典子)
 「春の波濤(1985)」
中村雅俊(川上音二郎)、松坂慶子(貞奴)、名取裕子(松井須磨子)、小林桂樹(福沢諭吉)、伊丹十三(伊藤博文)、風間杜夫(福沢桃介)、檀ふみ(諭吉の娘)

 「山河燃ゆ」は太平洋戦争によって運命を大きく分けてしまう日系二世兄弟の話、「春の波濤」は明治中期の演劇をテーマとしたドラマでした。この二シリーズは、内容より名オープニングテーマが強く記憶に残っています。前者は三拍子の力強い推進力を感じる佳曲、後者はまさに「ハイカラ・モダン・文明開化」をイメージさせる五拍子の快速な曲でした。「春の波濤」の方、曲の最初の方で、メチャメチャ速いタンギングを要するホルンのパッセージがあり、さすがのN響奏者でも苦戦しているように聴こえたことを覚えています。

「独眼竜政宗(1987)」
渡辺謙(政宗)、桜田淳子(愛姫)、北大路欣也(輝宗)、岩下志麻(義姫)、津川雅彦(家康)、勝新太郎(秀吉)、原田芳雄(最上義光)、三浦友和(伊達成実)、西郷輝彦(片倉小十郎)、八千草薫(ねね)、陣内孝則(豊臣秀次)、沢口靖子(五郎八姫)、真田広之(松平忠輝)、大滝秀治(虎哉宗乙)、いかりや長介(鬼庭左月)

 言わずとしれた名作です。自己評価No.2。オープニングテーママニアとしては、池辺晋一郎氏渾身の名曲も忘れがたいです。意外に知られていない奥羽地方における戦国時代の動きを正面から描いた前半部は、特に興味深かったです。この頃の、極力史実を曲げず(本筋にあまり関係ない事件が省かれることはありましたが)、適度にドラマ性を併せ持っていた頃の大河は本当に好きでした。実はこの作品も、前記の地元ケーブルテレビ局で同企画でやっていたのですが、今見ても全然色褪せていません。

 勝新の秀吉は凄みがあり、全く新しい秀吉像で話題を呼びましたが、何を言っているのかよくわからなかったところが難点でしたね。

「武田信玄(1988)」
中井貴一(信玄)、紺野美紗子(三条)、南野陽子(湖衣姫)、柴田恭兵(謙信)、平幹二朗(武田信虎)、菅原文太(板垣信方)、西田敏行(山本勘助)、石橋凌(信長)、杉良太郎(北条氏康)、中村勘九郎(今川義元)、宍戸錠(原虎胤)、本郷功次郎(甘利虎泰)、児玉清(飯富兵部)、小林克也(原昌俊)、宇津井健(直江実綱)

 しゅっとした主人公を起用し、「従来の信玄像を覆す」という意欲作でした。もちろん作品的にも見どころのあるものでしたが、故山本直純氏の「風林火山」を表したオープニングテーマは、わかりやすすぎて逆に凄みを感じたものです。

「秀吉(1996)」
竹中直人(秀吉)、渡哲也(信長)、沢口靖子(おね)、市原悦子(なか)、高嶋政伸(秀長)、村上弘明(明智光秀)、西村雅彦(家康)、渡辺徹(前田利家)、赤井英和(石川五右衛門)、仲代達矢(千利休)、玉置浩二(足利義昭)、松たか子(淀殿)

 竹中直人による斬新な秀吉で話題になりました。オープニングテーマも非常に闊達で、ドラマのイメージに沿ったものでよかったです。ラッパ大活躍。ただ、石川五右衛門と幼なじみという設定は、あまりにもできすぎでちょっと...、という感想でした。この頃から、少しエンターテイメント路線が強調される演出が入って来つつあったのでしょうか。

「毛利元就(1997)」
中村橋之助(毛利元就)、富田靖子(美伊の方)、松坂慶子(杉の方)、渡部篤郎(毛利興元)、上川隆也(毛利隆元)、恵俊彰(小早川隆景)、松重豊(吉川元家)、細川俊之(大内義興)、風間トオル(大内義隆)、陣内孝則(陶晴賢)、緒方拳(尼子経久)、高嶋政宏(尼子晴久)

 最近の大河では、個人的には非常に興味を持って見ていた中の一つです。「独眼竜政宗」と同じく、あまりメジャーでない中国地方での動乱期をわかりやすく知ることができたのは収穫でした。少し内容がマニアックすぎて、視聴率的には苦戦していたらしいですが。...このような真っ正面から歴史をとらえた正直な作品が評価されないのは、歴史ファンとして誠に残念です。

「徳川慶喜(1998)」
本木雅弘(徳川慶喜)、菅原文太(徳川斉昭)、石田ひかり(美賀)、堺正章(新門辰五郎)、杉良太郎(井伊直弼)、渡辺徹(西郷隆盛)

 終盤戦で、ドラマ自体に少し勢いがなくなってしまったような気がしました。慶喜という人物が、歴史的に見ても非常にわかりにくいので、描く方も苦労が多かったのでしょうか。とかく批判的にとられやすい同人物の幕府滅亡時の行動を、一貫した思想の上でのこととした脚本は、別の顔を見た感じで新鮮でした。モックンの好演は常に光っていましたね。

 個人的には、あまり知られていない維新後の慶喜について、もう少しふれて欲しかったと思います。

「葵 徳川三代(2000)」

津川雅彦(徳川家康)、西田敏行(徳川秀忠)、岩下志麻(お江)、小川真由美(淀殿)、草笛光子(北政所)、江守徹(石田三成)、夏八木勲(島左近)、金田龍之介(天海僧正)、樹木希林(春日局)、尾上辰之助(徳川家光)、尾上菊之助(豊臣秀頼)、中村梅雀(水戸光圀)

 これでもかと言わんばかりの豪華な出演陣でしたね。宇津井健の毛利輝元とか長谷川初範の前田利長とか、ほとんど出演の機会がないところにまでこのようなビッグネームを...。黒沢年男の名束正家など衝撃的でした(何が)。徳川光圀が助さん格さんを伴いつつ語るというスタイルでも話題になりました。

 関ヶ原前後のシーンはさすがに見応えがありました。特に、夏八木勲が、というか島左近が非常におっとこ前でした。「関ヶ原の合戦で好きな人物第一位」に選ばれるのもうなずけますな。あまり登場人物として出てこないこの好人物を深く知ることができ、うれしい思いをいたしました。もっとも、一番印象的だったのは小川真由美の淀殿...凄みが違いました。

「北条時宗(2001)」

和泉元彌(北条時宗)、西田ひかる(祝子)、渡辺謙(北条時頼)、浅野温子(涼子)、渡部篤郎(北条時輔)、ともさかりえ(時輔の正室)、柳葉敏郎(安達泰盛)、西岡徳馬(足利泰氏)、北大路欣也(謝国明)、藤竜也(佐志房)、木村佳乃(桐子)、北村一輝(平頼綱)、奥田瑛二(日蓮)、バーサンジャブ(クビライ・カーン)

 ここまで読んでいただいておわかりのように、一般的にあまり馴染みのない話のシリーズが好きなので、他と比較してかなりマイナーと思われる時代を扱ったこのドラマ、とても興味を持って見ていました。

 当時の風俗や、ほとんど高校の日本史レベルではふれられることのない当時の政争などを流れの中で知ることができたのは、得難い経験でした。鎌倉期の足利氏のことなど、このドラマがきっかけで興味を持ち、独自に調べたりもしました。ただドラマ的には、偶然の一致が多すぎて、正直閉口してしまう場面が多かったです。同タイプで視聴率の低かった「毛利元就」の反省に基づいて、エンターテイメント性を重視した結果と思われますが、時輔が生きていてしかもクビライ軍に同船してきたり、暗殺者が時宗の側近になったり...。

「利家とまつ(2002)」

唐沢寿明(利家)、松嶋菜々子(まつ)、反町隆史(信長)、香川照之(秀吉)、酒井法子(おね)、山口祐一郎(佐々成政)、天海祐希(はる)、竹之内豊(佐脇良之)、高嶋政宏(家康)、菅原文太(前田利昌)、加賀まり子(たつ)、赤木春恵(うめ)、中条きよし(奥村家福)、的場浩司(村井長頼)、田中美里(市)、草笛光子(なか)

 トレンディ俳優を多く起用し、これまでの大河ドラマのイメージを一新する勢いが感じられました。これまでよく取り上げられた戦国時代末期を、前田家という少し主流とは違う視点から描くという手法は、それなりに面白かったと思います。ただ、エンターテイメント性を重視する余り、主要な事件を割愛したり、事実を歪曲したりしていたのには、正直複雑な気持ちでした。「はる」という史上登場しない架空の人物を配したことで、従来の史実重視路線から、思い切ったヒューマンドラマに転換できたのでしょう。その流れに気持ちがのっている時はいいのですが、やはりたまに「それはないやろ」と心の中で突っ込んでしまいまっていました。あと個人的に、利家末期の複数の側室による出産ラッシュと、利家没後の前田家の成り行きの描写を楽しみにしていたので、これらに全くあるいはほとんどふれられなかったのは残念でした。

 反町隆史の信長は、独眼竜政宗の勝新と同じく、何を言っているのかよくわかりませんでしたが、慣れてくるにしたがって、「なかなかの好演やな」と思うようになってきました。同じことを香川照之の秀吉にも感じました。きっと本当はあれくらい嫌みなヤツだったのでしょう。あれくらいに演じて、初めて歴史との整合性が取れるような気がしました。

 この他にも、”アテブレーベ、オブリガード”で話題となった「信長(1992)」、「おんな太閤記」での利家像があまりに強く主役の滝田栄に終始違和感を感じていた「徳川家康(1983)」、「太平記(1991)」なども強く記憶に残っていることろです。

※本コラムを作成する際、「大河ドラマの歴史」というすごいHPを発見しました。膨大なデータ量で、忘れていた配役の詳細など非常に参考になりました。興味のある方は、是非ご覧下さい。
http://www.asahi-net.or.jp/~JM5H-KTKW/


<麺堅め>1/13up

 私はラーメンに対する思い入れが大変深く、初めての店に入る時などは、来るべき新たな出会いに、常に期待感で胸ふくらんでしまいます。以下は、数日前京都市内の、とあるラーメン店を初訪問した際の出来事です。ある意味久々に感動しました。

 外回りの仕事で昼食を食べるタイミングが遅れてしまい、もう夕刻近くだっただろうか、やっとの思いでその店に入ろうとしたところ、一組のカップルが私の目前で入ろうとしていた。観光客風で、ちょっとベタベタ感を漂わせていたが、こちらは空腹やし、あまり気にすることなく、そのカップルに続くように店に入った。

 あさってな時間だったので、結構有名なそのラーメン屋もガラガラ。私の隣のテーブル席にそのカップルが対面で座った。とにかく私は腹が減っていたので、店員さんが水を持ってきた時に、目に留まった「ラーメン並+チャーハン小」の「セット」を速攻で注文。私の注文を受けた後、既に水を配膳済みのカップルの注文を聞くその店員さん。さあそのバカップル、そんなにヴァリエーションがあるわけではないメニューの内容を、あれこれ質問しだした。「このチャーハン並はどれくらいの量なの?(女)」とか「このセットは私にはちょっと多いかな?(女)」とか。店員さんも困った顔をしていたが、「このラーメン並の量はどれくらい?(男)」という質問に対して「130gです。」と即答していたのには笑った。その店員さんも、どうやら新規の客のオーダーをまとめて通す様子で、くったらくったらしたやり取りの間私のオーダーを先に厨房に通してくれる様子もなし。マジで約3分間のやり取りの後、「じゃ、お隣の人と同じセット2つ。(男)」と言いやがった時には、怒りにまかせてしばいたろかと思った。

 引き続きそのバカップルを横目で観察。一人ずつ交代でトイレに行く様子らしく、「私がいない時にラーメン来たら、先に食べてていいからねん(語尾上向き)。」みたいなことを女の方が言っていた。しばくぞ。女がトイレに行っている間、メニューをしげしげと見ていた男の方が先程の店員さんを呼びつけ、「あのー、ここに書いてある『麺堅め』ってできますか?」と聞きやがった。「もうゆでとるやないか!」と心の中で大声で突っ込みを入れたのであるが、「はい、できますよ。」とあっさり受諾。「ちっ、まだ間に合ってたのか。」とまたまた心の中で毒づく。私は決して口には出さないので、うちのヨメよりは随分いい人である。

 「はい、お待たせしました。『麺堅め』です。」の声と共に、真っ先にその男のラーメンが完成。「しまった、早く食べるにはその手があったか。」と、微妙な敗北感を感じていたところ、その男、目の前のラーメンを眺めつつ一向に箸をつける気配なし。...その後私のと共に出てきた女のラーメンを待って、仲良く食べておられた。...適度に伸びた状態のその自分のラーメンを。「それやったら、なんで『麺堅め』ってゆうたんやっっっっっっ!!!!!! その目的と理由はなんやねんっっっっっ!!!!!!」。

 ...このような面白体験をさせてくれたこのラーメン店ですが、肝心の味がそんなに好みとは言えず、もう二度と行くこともないかも...いや、このバカップルを思い出すために、また行くかも。



<年始競馬報告>1/9up

・恒例の新春園田競馬 2003年1月2日 5レースより開始。
 通算6レース格闘、相変わらずよくわからない中、なんとか2レース的中も大きく負け越し。「年末から調子いいし、ここは勝負!」と張り切って大金を投入し続けた私と、小金(1レース\300〜\500)でセコセコ遊んでいたヨメとさほど変わらない払戻額に涙。園田は割と相性が良かったのだが、今年はまるでダメ男。また今年一年間「園田競馬ダイジェスト」をできる限り見て研究するとしよう。来年の1/2だけのために...。
 同行のいさるは最終レースの好配(馬連約25倍)を\300購入で、だいたいこの分プラス計上。うぬ。イケコ先生は参加者中唯一人馬連40倍超のメインレースを的中、皆の羨望を集める。ヨメはほぼトントン。

・初中央競馬
 2003年1月5日 8レースより開始。
 ヒガリ夫妻来亭の中、自宅でインターネット参戦。京都10R(雅ステークス)で見事本年初万馬券的中(馬連227.9倍\100)。必殺5頭ボックスにて。またまた人気薄のシチー号(16頭中11番人気)が1着。なぜか私は、来客中の方がダントツで的中率が高い。特にGIシーズンは、皆さん週末お待ちしておりますわ。
 しかし、肝心の中山京都両金杯は不的中。考えれば考えるほど「取れた馬券やなー」と悔やむ。

 2003年1月6日 7レースより開始。
 初出勤日。昼休みに携帯(IPAT)にてまとめて購入。偶然テレビ観戦できた7Rで見事万馬券的中(馬連220.7倍\100)。必殺6頭ボックスにて。一本かぶりの人気馬がぶっ飛んで好配。何とこれで中央競馬開催日4日連続万馬券ゲット! その後のレースもちょい負けで終えることができており、この2日間で園田の負けを取り返してあまりあり。むっふ。



<この絵の意味するものわかる?>
11/13up

 かずやんをあやしながら、スケッチブックになぐり描きしたものです。約2分間で完成しました。ヨメが「割とオモロい」と申しますので、お恥ずかしながらアップさせていただきます。昔懐かしいクレペンを用いて描いております。ヨメが小学生の時に使用していたものらしいです。
 何のことかおわかりの方は(抽象的な言い方ですいません)、是非掲示板に報告してください。私が気に入ったお答えの方には、粗品を進呈するかもしれません。




<絶対でけへん>10/11up

 結婚直前くらいの話だったと思います。

 実は私、右親指の付け根付近に、直径5mm程度のイボがありました。とりたてて痛みなどもなかったのですが、ある日「イボコロリ」のテレビコマーシャルが目に留まったのをきっかけに、「この機会にやっつけてやるか」と思いたち、処方箋通りに患部に貼り付け(「傷バンド」のような形状です)、指定された時間経過後取ってみました。すると、見事イボはポロッと取れたのですが、なぜかその跡から直径1mm程のミニイボが顔を出し、そいつはちょっと触れただけでも激痛が走る、「身」がそのまま出てきた感じになっていました。素人治療恐るべし。

 その状態ではとても日常生活もおぼつかないということで、当時所属していた今宮ウィンドオーケストラという市民バンドの団長氏に相談しました。当時氏は、とある市民病院で耳鼻科の医長をされており、私はそちらの方で何度かお世話になっていたのです。氏に事情を説明したところ、「わかったわかった。うちの病院の皮膚科の先生を紹介したるわ。腕のいいひとやから、大丈夫やで。」との心強い言葉をもらい、早速翌日、予約をもらっていた時間に訪問しました。

 その皮膚科の先生は、私の患部を見たとたん、「あっ、これね。まあ切り取って組織検査をしてみないとはっきりとはわからないけど、おそらく『たししょう』ですね。」とのこと。「はっ?...切り取る?...組織?...たししょう?...足し賞?」と、自分の頭の中で考えつつけげんな表情をしていると、その先生は軽く苦笑しながら、書棚から医学書を取り出し開きつつ、「ほら、よく指が6本ある人見かけるでしょう。まあこの『多指症』は奇形の一種ですが、あなたのはごくごく軽い症状なので、手術すれば簡単に治りますよ。」とのこと。少なくとも自分の周りには指が6本ある人はおらんなー、と思いつつ、切り取り手術の日程を数日後と決め、病院をあとにしました。

 さてその手術当日。指先とはいえ自分の体にメスを入れる体験なぞ初めてだった私は、多少の緊張と共にベッドに横になっていました。顔面を覆うマスクにゴム手袋と重装備のその先生から出てきた言葉は、「では、今から部分麻酔を注射します。術後痛むことがありますので、承知おき下さい。...手術がよく見えるように、ベッドの角度をつけましょうか?」。...なんかよくわからん質問だったのですが、「普通は皆さんどうされるんですか?」と問い返すと、「そりゃあ普通は見ないでしょうに。」とあきれかえった調子での答え。なんか胸にモヤモヤを残しつつも、「じゃ、私も普通でいいです。」と答え、結局普通に横になったまま、患部を見ないまま手術は始まりました。

 そのプチイボ改めプチ指の切除自体は、ホントにあっという間に終わりました。部分麻酔がよく効いて、痛みも全然なし。術後切除部を縫っている作業の時など、なんか皮膚をものが通っているような感じはするんですが、それに伴うはずの他の触覚が全然なく、変な感じでした。開始後15分位で、「はい、終わりました。」の先生の声。患部を見ると、見事にプチいぼは取れ、切り口1.5cmくらいのところに、黒い糸で4針ほど縫われていました。

 しばらく安静にし、約10分後再び先生が現れました。「じゃ、今後のことですが、経過を自分で見て、抜糸くらい自分でできるね。」...えっ?...「自分で抜糸?...この糸って、どこかで聞いたことのある、自然にとけるとかいう糸なんですか?」と聞くと、「見たらわかるでしょ。これがとけるように見えますか。」と、だんだんたしなめるような口調になってきました。その複雑に縫われた糸を見るまでもなく、「いや、抜糸は自分でではできません。」と言うと、さらにけげんそうな表情の先生。「抜糸もできないの? 実習でやったことあるでしょ。」と。「はぁっ?実習?何の実習でっか?」

 ここまで話して、その先生の勘違いがやっとわかりました。どうも最初に相談した今宮ウィンドの団長氏が、その皮膚科の先生に、「僕の後輩で、いぼを自分で取ろうとして失敗したやつがおるんですわ。いっぺん見たってもらえませんか?」みたいに私のことを紹介してくれたらしいのです。もちろん団長氏は「バンドの後輩」と思って言ってくれているのですが、肝心のその言葉が欠落しており、その先生は、私のことをすっかり大学の後輩、すなわち医大生だと思っていたのでした。そらその説明やったらそない思わはるはずですわ。今までの「妙だな?」と感じていたやり取りも、これで全て納得しました。その先生に、団長氏の説明が言葉足らずだったことを説明したところ、ビックリした表情で、「えっ、そうだったの!...バンドの...」と驚かれていました。

 約1週間後、抜糸のため市民病院に最後の訪問。先生は手際よくはさみを入れ、指とピンセットを使い数秒で終了。「ねっ、簡単でしょ。」と微笑まれたのですが、「...ですね。」と答える以外なかったです。抜糸後、切除したプチ指(薬品につけられていました)を見せてもらった時、長年共に過ごしたそいつに対し、少しおセンチになったりもしました。

 それにしても、「抜糸を自分でやってくれ」には驚きました。...絶対でけへん...。



<Waico Pygmies>8/30up


 実は当HPは「無料アクセス解析」を導入しており、来ていただいた方の時間、IPアドレスかホスト名、リンク元などがわかるシステムになっています。IPアドレス・ホスト名の方の説明は省きますが、これにより大まかなアクセス元がわかります。企業・団体・学校などのホストからの場合はその名前(東Oゴム・琵O湖博物館など)、プロバイダ経由の場合はその名前(zaq・infoweb・hi-hoなど)という程度です。残念ながら、訪問者を特定できるというものではありませんので、ご安心(?)下さい。

 興味深いのはリンク元の方で、皆さんがどのように我が「いわい亭」に来て下さるのかがわかります。大半は、畏れ多くもブックマークしていただいているか(この場合、当然「いわい亭」に来られる前にそちらで表示されているペェージが何処かは、こちらにはわかりません)、他HPのリンク集から来て下さるパターンとなっています。面白いのは、たまに検索エンジンから来られる方があるのですが、その場合リンク元ペェージを見ることができるので、どのようなキーワードで引っかかってきたのかがわかるのです。「いわい亭」というピンスポットで狙ったものから、「天高/吹奏楽」、「品性下劣ステッカー」、「加藤剛/サイン会」、「餃子/王将/イーガーコーテル」、「へそくりのため方」など様々なご縁で、見知らぬ人も来てくれてるんやなーと思うと、ますます充実したコンテンツにしなければと気も引き締まる思いです(ちょっとウソ)。

 なかでも出色(?)は、イギリスとポーランドから各1名、自国の検索エンジンで「waico」というキーワードで来られた人がいたこと。もちろん当HPはJapanese onlyなので、おそらくペェージ全体が文字化け表示されただけだと思います。...何を探して「waico」で検索しはったのか知りませんが、もしこのペェージの内容がわかったとしたら、さぞがっかりされたことでしょう。

 さて、そんな話をどら息子氏としていたところ、後日氏より、「自分もwaicoで検索してみたら、こんなのがヒットした。"Waico Pygmies"っていうバンドらしい。」と、トップペェージのURL(http://www.waicopygmies.com/)が送られてきました。ありがとどら息子。どうやらアメリカのバンドらしく、当然英語表示のみです。「どんなこと書いてあんねやろ?」とちょっと興味が出てきたので、とある翻訳サイトで和訳してみました。下記に全文引用しますので、ご興味のおありの方は、是非元のペェージと見比べてみて下さい。...ある程度デタラメな訳になってしまうのは予想通りだったのですが、それを差し引いても、あまりにもアホい...。さすがwaico。驚くべき睡眠剥奪少年。

−−−(以下)−−−

17.06.2002

 おい、皆にそれを単に知らせるために、の中で、その 材料 私たちが現在実行しているセクション、第1の競争、waicopygmies.comでここに。(非常に)単純な質問に答えてください。そうすれば、暇なWaico小人にCDを得させることができました。したがって、それをチェックする、それはよい。 自由 ...
 さらに、私たちがチリペッパーに代わりに行くので、エイマンDoranの一頭立て二輪馬車(6月25日)は取り消されました...恐らく臭い老人病科の馬鹿を見る最後の機会。さらに、2つの新しいMP3が加えられました、その ダウンロード セクション...それらをチェックしてください。


その後!

驚くべき睡眠剥奪少年。


10-6-2002

 私たちはゲストブックを加えました、実際のバージョン、の 空所 教区牧師聖から、より多くの写真 また情報私たちの次の一頭立て二輪馬車および私たちのCDに関して。それをチェックしてください!土曜夜にDoransにいたすべての人のおかげで、私は、CDを買ったすべての人がそれが好きだったことを望みます。私たちは火曜日に6月25日にそこで再び遊んでいます、そのときあなたに会います。Da2の中の昨夜のSpeedmanに感謝。

パトリック。


29.5.2002


 私たちは、今土曜にエイマンDoransに近く起こるヘッドライン一頭立て二輪馬車の詳細をすべて持っています(6月8日に)。夜に遊ぶ他の2本のバンドはエコー・インディアナおよび大言壮語です。あなたが私たちに支援を与えたく、割引切符を同時に手に入れたい場合、ちょうど クリックここに 飛ぶものから印刷し、戸口にそれを提出する。私たちは、飛ぶものを使用する人々を評価します。第8の上であなた方全員に会いましょう。
 次の数時期の到着はダブリンのSpeedmanを備えた最新の現場Da2の中で私たちがしている一頭立て二輪馬車の上の情報になるでしょう。私は、この一頭立て二輪馬車の日が日曜日に6月9日にあるだろうと思います、1本の他のバンドはさらに遊ぶでしょう。より多くのニュースのためのこのスペースを見てください。


パトリック


23-05-02


 はいそれほど愚かな翼状突起、性交、ページをはねかせる、なくなった―永久に!www.waicopygmies.comはここにあります。パトリックが言ったように、私たちはまだ内容をすべて集めているだけです。したがって、私たちを我慢してください。私の仲間pigmonstersおよび私自身を代表して、私は、誰が一頭立て二輪馬車に来ることにより私たちをこれまで援助したか皆に感謝したい。私たちは現在ある新しい糞を集めています@M.F.S.(6月(実際のセクションを参照)の一頭立て二輪馬車のためのダブリン)。戯言戯言戯言。Anyhoo?Iはあなたをもはや退屈させないでしょう、行く、寄せ波!

滑らかなパジャマ#4
アル



22-05-02

 今日、私たちは初めてwaicopygmies.comを更新しました。グループとしてともにいた短い量の時のために、私たちは制限のある量の内容を単に持っています。しかし、私たちは、できるだけ多くを含もうとし、さらに、サイトを航海することが容易にしておこうとしました。私たちは、あなたがそれが好きであることを望みます、写真かダウンロードMP3の写真のうちのいくつかをチェックする、さらに、いくらかが「詰める」のを見ることができます!私たちが、近く起こる一頭立て二輪馬車およびより多くのMP3のに関する非常により多くの情報および多くの他の材料を加えることを計画するので、すぐに戻ってください。私たちにあなたの考えを備えた電子メールを送って、私たちに私たちの音楽に関するあなたの正直な見解を自由に与えてください。

後の気取り屋!
パトリック。



<いわい亭の、ある夜の会話>7/20up

(W:waico、Y:ヨメ。)

Y:「そういえば、視聴率不振で、とうとう前田吟下ろされるらしいで。」
W:「ほんまにー。まーしゃーないわなー。」
Y:「はなまるマーケットとかに視聴者を奪われてたんやろか。」
W:「いや、朝のワイドショーの中でも、群を抜いて数字悪かったらしいで。」
Y:「8チャンは小倉何とかいう人やったねー。あの人は毒舌やから結構好きや。」
W:「そうそう。でも、10チャンの健闘が目立つみたいやで。」
Y:「10チャンって誰やったっけ?」
W:「えっと、女は確か麻木久仁子やったなー。男の方は...。」
Y:「男の方は?」
W:「えっと、誰やったかいな。ど忘れやわ。えっと、えっと、...あっ、せやせや、海老名みどりの旦那や。」
Y:「はぁ?全然わからへん。」
W:「えっと、えっと、...そうそう、『アッコにおまかせ』にも出てるわ。吉村某と一緒に。」
Y:「...よけいわからへん。気持ち悪くて、思い出すまで寝られへんわ(思い出さんでも、すぐ寝るけどな)。」
W:「ほんまやなー(思い出さんでも寝てまうくせに。この前かって和恵よりお前が先に寝て、冷房キンキンの部屋で和恵が布団もかぶせてもらえず横で冷たーくなってたやんけ)。くっそー、ここまで出てきてんねんけどな。...おー、確か石原軍団におったぞ。」
Y:「あー、何となく顔が浮かんできたような気が...」
W:「おー、何となく『峰岸徹』みたいな名前やったような気がするぞ。」
Y:「それは『峰』なのか『岸』なのか『徹』のどれと似てんの?」
W:「いや、そんなんじゃなく、字面自体が似てんねん。...確か三文字まで一緒やったような気が...」
Y:「...何となくわかってきたで。その人は、『元』石原軍団やったんと違う?」
W:「おー、そうそう。そいつや。もうここまで出てきてんのにな。」
Y:「わかった! 峰や。」
W:「せや! 峰...竜太や。」
Y:「せや。峰竜太や。あー、すっきりした。」
W:「...いや、ちょっと待てよ。それって『竜雷太』がまじってないか?...残念ながら違うぞ。」
Y:「言われてみればそんな気もするわー。それってゴリさん?ポリデント?」
W:「石原軍団つながりやしなー。」
Y:「あー、気色悪い。ホンマの名前はなんやったんやろ。」
W:「ところで、相撲取りの『霜鳥』って、『霧島』と字面が似てると思わへん?」

...こうして、いわい亭の夜はふけていくのであります。


<鶏好き>7/10up

 私は鶏肉が好きである。どれくらい好きかというと、牛肉よりも豚肉よりも魚肉よりも野菜よりもお米よりも好きである。高級な地鶏もぶよぶよのブロイラーも、皮も身も肝も心臓も軟骨も全部好きである。...何故こんなに鶏好きになってしまったのか?

 話の発端は、小学生時代にまでさかのぼる。既に潜在的に鶏肉好きだった私であるが、ある事件をきっかけに、当時の岩井家の食卓に鶏肉がのぼる機会が激減した。その事件とは、時期についてはもはやうる覚えであるが、確か私が小学1年生か2年生の夏休み、母方の里である鹿児島に家族全員で行った時に起こった。母の実家の向かいの家で、数羽のチャボ(少し位なら飛ぶことのできる、たくましいニワトリのようなやつ)を放し飼いしていたのであるが、そのチャボに私の弟(2つ年下)がふざけてちょっかいをかけたところ、チャボの逆鱗に触れたらしく、逃げる弟は数羽に追いかけられ、無惨に倒れたところをさらに突っつかれ、どうすることもできず泣きわめくところを、大人達に救出された。幸いけがもなく、普通なら笑い話ですむような出来事であるが、なんとうちの弟は、それ以来鶏肉を一切受け付けなくなったしまったのである。別に食べたら蕁麻疹などの拒絶反応が出るという訳ではなく、「意地で」食べないのである。...もう30歳にもなるのに、いまだに一切受け付けない。...我が弟ながら、恐るべし執念。ちなみに、私の父親も、非常にくだらない事がきっかけで(祖母と「食べろ」「食べない」で言い争ったらしい)、中学時代から(本人曰く)いまだに南瓜を一切口にしない。もう還暦も過ぎたというのに。...親子である。

 とにかく、その事件以降、普通の献立の選択肢(?)から鶏肉が消え、一般的な家庭と比べて、私が小学生期に口にした鶏肉の絶対量はかなり少なかったと予想できる。オムライスの中身は決まってハム、炊き込みご飯にも鶏肉の入る余地などなかった。月に1回程度、私が「今晩はどうしても鶏肉を食べたい!」と母親に願った時には、決まって大量の「チューリップ」を数時間生姜醤油に漬け込んで唐揚げにしてくれ、それをむさぼるように食べたのを記憶している。その時も、弟用に豚肉の唐揚げを作らねばならなかった母に対しては、頭の下がる思いである。

 さて、高校生にもなると、外食の機会が増し、自分の意志でメニューを選ぶことも多くなってくる。すると私は、それまでの生涯における鶏不足を補うが如く、他人と比べ鶏料理をオーダーすることが多くなっていた。阪和線高架下の「灯火(ともしび)」という洋食屋に天高ブラス仲間と度々食事に行ったが、最も印象に残っている料理は、「チキンブレゼ」と「チキンムルギ」の2品である。「チキンブレゼ」は、鶏の胸肉1枚をビーフシチュー風のデミグラスソースで煮込んだ料理。サワークリームで仕上げられさっぱり感があった。「チキンムルギ」は、やはり鶏の胸肉1枚をカレーソースで煮込んだ料理である。どちらの料理も、まずソースの方でご飯(当然大盛り)をあらかた食べてしまい、その後に鶏肉を幸せに包まれながら食べるのである。まさに至福の時である。よくママさんに「チキンムルギは時間かかるよ。豚の生姜焼きなら早くできるよ。」などとやんわりメニュー変更を打診されたこともあったが、めったに私の気持ちが揺らぐことはなかった。「灯火」にはステーキ料理も当然あり、こちらもボリューム満点で旨いのだが、私の気持ちの中では、牛ステーキ1枚よりも鶏胸肉1枚の方がリッチ感にあふれ、何ともいえぬ贅沢な気持ちになるのである。余談であるが、そのような良心的な値段で学生にも気軽に旨い洋食を提供してくれていた「灯火」がなくなったことは、本当に残念である。今の年齢で食べても絶対に旨い店だと断言できる店であった。

 私の鶏好きは、大学生になっても衰えを知らず、存心館地下の学食では「鶏の竜田揚げ丼」か「チキンカツ丼」を食べる機会が圧倒的に多く、オケ練習後にしばしば食べに行った「鉄平」では、他人がほとんどオーダーするのを聞いたことがなかった「チキンカツ定食(やったっけ?)」を注文したことも多かった。「かまどや」の「大関さん弁当」を食べる際は、ハンバーグとトンカツを先にやっつけ、最後に鶏の唐揚げを喜びと共にいただいたものであった。「ほっかほっか亭」の「チキン南蛮弁当」のおかず的能力について、とある先輩と論争をしたこともあった。その先輩の「チキン南蛮弁当では、どうしてもご飯が残ってしまう。」との主張に対し、「自分は、チキン南蛮3切れでライス大盛りを平らげてしまう。残りの2切れはボーナスと思い、味わって食べるのです。」と反論した。

 さて、結婚して早数年を経たわけであるが、実は自分の鶏好きを明確に意識し始めたのはここ2〜3年の話である。「あれ、ワシってひょっとして異常に鶏肉好きなんじゃないか?」と意識し始め、「ああそういえばこんな事もあんな事もあったな」といった上記のような話を思い出し、その裏付けとしている。なにせ、スーパーで何か一品総菜の選択を任されると、売場で目移りしたあげく、たいてい「鶏の唐揚げ」か「鶏の竜田揚げ」を手にして呆然としてしまっている。揚げ物に飽きた時は「鶏の蒲焼き」、サラダ系の場合はもちろん「鶏とクラゲときゅうりの酢の物」。回転寿司に行ったら必ず「地鶏たたき」や「鴨ロース」などの鶏関係を真っ先にチョイス。焼き鳥処「まいど」になんか行った日にゃ、もう幸せすぎて涙ぐんでしまう。ヨメも、私の鶏好きはよく心得てくれているので、カロリー摂取量などにも気を遣いつつ様々な鶏料理を作ってくれる。なかでも、ガラスのボールに鶏の胸肉と醤油・酒などの調味料、香味野菜を入れてレンジでチン、という一品は、シンプルかつローカロリーで美味、ボリュームもありと、なかなかナイスな料理である。また、実家では決して口にすることのなかった「チキンカレー」も度々食卓に登場し、私の胸を打つ。当面の夢は、カルフール光明池店(1回だけ行った)で目撃した、大衆が行列をなして購入する「ローストチキン(1羽丸ごと)」を食すことである。

 ...結婚当初は、「今日の晩御飯何がいい?」「そーやなー、たまには焼きそばとかどーや?」(ちなみに焼きそばもメッチャ好き)などというごく普通の会話もなされていたが、最近では、ヨメからのその問いかけに対し、「鶏、やったらなんでもええで」とか「ぼ肉べいべー!」(「ぼ」は「お」が訛ったもの)などとしか答えないため、あまり聞いてくれなくなった...。

 最後に、とりわけ好きであるところの、鶏の唐揚げへの熱き想いを。まずは何をおいてもあの食感。噛んだとたんパリッとした薄い衣からほとばしる肉汁。皮がついていればなおよろしい。何ともいえないカリッと香ばしい食感がプラスされ、まさに「三味一体」となったそれは、もはや芸術の域である。下味をしっかり生姜醤油で漬けたものはもちろん美味であるが、いわゆる「唐揚げ粉」も、独特の旨味があり捨てがたい。

 大学時代に経験した鶏の唐揚げの衝撃的な食べ方として、「ぽんから」を挙げねばなるまい。居酒屋「串八」のメニューであったが、ごく普通の骨なし唐揚げに、もみじおろしとネギを添えポン酢でいただくというもの。これは私にとってまさに未体験ゾーンの禁断の味であった。あまりの旨さに酔いも手伝って、泣きながら食べた。

 あと、どうしてもふれなければならないのは「ほっかほっか亭」と「かまどや」の鶏の唐揚げについて。どちらの弁当屋のも非常に美味であり、それを口に入れる瞬間のことを一日中考えるに値する代物である。まず「ほっかほっか亭」のそれは、一般的に非常に柔らかい出来で衣も極薄目。味付けも万人受けすると思われる程良いバランスで、1個でご飯2/3は食べられる。ただ個人的に、本体の味付けがしっかりしているので、別添の「ゆずしょうゆ」は不要と考える。まあそういう向きがあるので「別添」になっているのであろうが。これに対し「かまどや」のそれは、比較的衣が厚く、カリッとした食感。秀逸なのはその若向けの味付けである。衣の部分だけでもご飯が進む。しかし、特に、はやっていない店舗の暇な時間に買いに行くと、「これ何時間前に揚げたの?」という油がまわった劣悪な状態のものを出されることがあり、期待の大きさの反動で、弁当を半泣きになりながら地面にたたきつけてやろうかと思うこともあった。まさに、可愛さあまって憎さ百倍。...それでも最後まで食べるんだけど...。

 最近、ケンタッキーフライドチキンを食べていない。あの胸の部分を、手をドロドロにして久しぶりに食べてみたい。


<お前もやないか!>6/19up

 割と最近の「ネタ腸」<怖い話。>参照。...お前も怖いやないか...。

 

 もちろん現役生です。...確か、「ゐゑだのお魚講習会(今年3月)」の時に、「捨てる」と言っていたような記憶が...。


<悪夢のやうな出来事>4/29up

2002年4月27日(土)、15:50
 こそらでぃそ氏より、京都競馬場にいるとの報に接す。ちょうどメインレースも終わり、最終第12レースを残すのみの時間帯。早速氏の携帯にTEL。予想通り「ここまで全然だめですー」とのこと。冷やかし半分に「最終レース、なんか目に付く馬はおるか?」と問うと、「13番のマルハチマエストロとかですかね」とのこと。なんと手元のスポーツ紙を見ていた私と奇しくも狙い馬が一致するではないか。翌日に天皇賞を控え、あまり電話投票の口座に資金を入れていなかった私としては、その日は競馬をするつもりはなかったが、運命的なものを感じ、急遽参戦することとした。「他に気になる馬は?」と問うたところ、「16番のスピニングアローですね。」とのこと。新聞を見たところ、完全無印(どの記者も馬券に絡むと予想していない)。「その馬を推す根拠は? パドックでよさそうに見えるのか?」と聞くと、「いや、なんとなく。」と。まあ軽く聞き流し、しばし新聞を眺めつつ2人で検討会。近走の成績やコース実績などを材料に数頭ピックアップし、「ほんなら、今の話を軸にもうちょっと検討して決定するわ。そっちも頑張って。」と電話を切ろうとしたところ、「16番をお忘れなく」との氏からの念押し。「オッケーオッケー、ボックス馬券に入れとくわ」と返事し、電話を切った。

16:00
 最近こればっかであるが、5頭ボックスでいこうと決断し、最終選考作業。諸々絞り込み作業を施したが、どうしても6頭残ってしまう。私事であるが、最近負けがこんでいるため、あえてカツカツの金額しか口座に入れないという作戦(?)をとっている。余計な金を使わないための自衛策である。そのため、6頭ボックス(×\100=\1,500)ですら買えない残金であったので、どうしても1頭削る必要があった。...で、見れば見るほど、こそらでぃそ氏推奨の16番を買う根拠がないことに気づく。去年11月以来の復帰戦で、休養前もさほど良績もなし、厩舎のコメントも弱気、太め残り、騎手もイマイチ。「こんな馬がおすすめとは、こそらでぃそもまだまだやなー。あるいは、負けまくって切れてしもたんか。」と同情しつつ同馬を消し。

16:06
 こそらでぃそ氏にメール。「最終結論」のタイトル、「2・6・9・12・13の馬連ボックス。16はなんぼなんでもないわ。」の内容。

16:20
 最終12レース(サラブレット系4歳以上1,000万円以下・ダート1,200m)発走。私はTV観戦。16番の好スタートにまずのけぞるが、「まあ休養明けやし、すぐ失速するやろ。」と、あまり気にもとめない。買った馬の中では、1番人気の6番ニシノツルギが好位をキープ。「よし、どれか買った馬差してこい!」と気合も入る最後の直線、そこまで2〜3番手を走行していた16番の足色が意外に良く、失速どころかグングン加速。「おーい(小声)、おーい(中声)、ぬおー!(絶叫)」の私の悲鳴と共に、なんと16番が大外一蹴で1着入線。2着にその1番人気の6番が入線した。ちなみに3着入線は、私の挙げた渾身の穴馬9番ネオマックイーンだったが、2着から4馬身放され、見所なしであった。そこには、ひきつり笑顔&半泣きの私がいるのみ。なんというか、16番の加速に伴い、肉が引きちぎられていく感じ。顔が歪んでいく感じ。

16:23
 レース終了直後 こそらでぃそ氏に「ぬおー」とかメールしようと思い携帯を手にした瞬間、氏からのコール。「でや!?」と自信満々のコメント。現場からハイテンションのご様子。そらこんな穴馬を推奨できたら気持ちええもんですわな。「まいった。まいりました先生。...で、先生はいくら買ってたのですか?」と問うと、「いや、実は買ってない。その両方の馬を買い目には挙げてるんやど、その組み合わせはない。」との絶望的な答え。「がっはっはっ。何でやねん。とりあえず引っ付けとかなあかん組み合わせやないか。えーっ。」と嘲笑いつつも、「ワシもとりあえず『でや!?』とか言ってみたいもんやわ。最近そういう会心事が全然あらへん(涙)。」との思いがつのり、何とも複雑な心情。

16:30
 その16番の馬が8番人気であったことを知り、己の不明を改めて悟る。でも、「なんであのデータで8番人気もあるねん。なんか裏情報でもあったんか? それかどっかの新聞に穴馬として強調する記事でもあったんか?」との納得のいかない気持ちもやはり残る。馬連62.5倍の数字を見るにつけ、逃した魚の大きさに改めて愕然とすると共に、この馬券を取れなかったこそらでぃそ氏に、意地悪な同情を覚えたのであった。自分が氏の立場やったら、多分暴れ回ってる...。まあそのようなことになるのが怖いので、最近はボックス馬券ばかり購入しているのであるが。


「いわい亭の食卓」へ
「いわい亭」トップへ