<絶対でけへん>10/11up
結婚直前くらいの話だったと思います。
実は私、右親指の付け根付近に、直径5mm程度のイボがありました。とりたてて痛みなどもなかったのですが、ある日「イボコロリ」のテレビコマーシャルが目に留まったのをきっかけに、「この機会にやっつけてやるか」と思いたち、処方箋通りに患部に貼り付け(「傷バンド」のような形状です)、指定された時間経過後取ってみました。すると、見事イボはポロッと取れたのですが、なぜかその跡から直径1mm程のミニイボが顔を出し、そいつはちょっと触れただけでも激痛が走る、「身」がそのまま出てきた感じになっていました。素人治療恐るべし。
その状態ではとても日常生活もおぼつかないということで、当時所属していた今宮ウィンドオーケストラという市民バンドの団長氏に相談しました。当時氏は、とある市民病院で耳鼻科の医長をされており、私はそちらの方で何度かお世話になっていたのです。氏に事情を説明したところ、「わかったわかった。うちの病院の皮膚科の先生を紹介したるわ。腕のいいひとやから、大丈夫やで。」との心強い言葉をもらい、早速翌日、予約をもらっていた時間に訪問しました。
その皮膚科の先生は、私の患部を見たとたん、「あっ、これね。まあ切り取って組織検査をしてみないとはっきりとはわからないけど、おそらく『たししょう』ですね。」とのこと。「はっ?...切り取る?...組織?...たししょう?...足し賞?」と、自分の頭の中で考えつつけげんな表情をしていると、その先生は軽く苦笑しながら、書棚から医学書を取り出し開きつつ、「ほら、よく指が6本ある人見かけるでしょう。まあこの『多指症』は奇形の一種ですが、あなたのはごくごく軽い症状なので、手術すれば簡単に治りますよ。」とのこと。少なくとも自分の周りには指が6本ある人はおらんなー、と思いつつ、切り取り手術の日程を数日後と決め、病院をあとにしました。
さてその手術当日。指先とはいえ自分の体にメスを入れる体験なぞ初めてだった私は、多少の緊張と共にベッドに横になっていました。顔面を覆うマスクにゴム手袋と重装備のその先生から出てきた言葉は、「では、今から部分麻酔を注射します。術後痛むことがありますので、承知おき下さい。...手術がよく見えるように、ベッドの角度をつけましょうか?」。...なんかよくわからん質問だったのですが、「普通は皆さんどうされるんですか?」と問い返すと、「そりゃあ普通は見ないでしょうに。」とあきれかえった調子での答え。なんか胸にモヤモヤを残しつつも、「じゃ、私も普通でいいです。」と答え、結局普通に横になったまま、患部を見ないまま手術は始まりました。
そのプチイボ改めプチ指の切除自体は、ホントにあっという間に終わりました。部分麻酔がよく効いて、痛みも全然なし。術後切除部を縫っている作業の時など、なんか皮膚をものが通っているような感じはするんですが、それに伴うはずの他の触覚が全然なく、変な感じでした。開始後15分位で、「はい、終わりました。」の先生の声。患部を見ると、見事にプチいぼは取れ、切り口1.5cmくらいのところに、黒い糸で4針ほど縫われていました。
しばらく安静にし、約10分後再び先生が現れました。「じゃ、今後のことですが、経過を自分で見て、抜糸くらい自分でできるね。」...えっ?...「自分で抜糸?...この糸って、どこかで聞いたことのある、自然にとけるとかいう糸なんですか?」と聞くと、「見たらわかるでしょ。これがとけるように見えますか。」と、だんだんたしなめるような口調になってきました。その複雑に縫われた糸を見るまでもなく、「いや、抜糸は自分でではできません。」と言うと、さらにけげんそうな表情の先生。「抜糸もできないの?
実習でやったことあるでしょ。」と。「はぁっ?実習?何の実習でっか?」
ここまで話して、その先生の勘違いがやっとわかりました。どうも最初に相談した今宮ウィンドの団長氏が、その皮膚科の先生に、「僕の後輩で、いぼを自分で取ろうとして失敗したやつがおるんですわ。いっぺん見たってもらえませんか?」みたいに私のことを紹介してくれたらしいのです。もちろん団長氏は「バンドの後輩」と思って言ってくれているのですが、肝心のその言葉が欠落しており、その先生は、私のことをすっかり大学の後輩、すなわち医大生だと思っていたのでした。そらその説明やったらそない思わはるはずですわ。今までの「妙だな?」と感じていたやり取りも、これで全て納得しました。その先生に、団長氏の説明が言葉足らずだったことを説明したところ、ビックリした表情で、「えっ、そうだったの!...バンドの...」と驚かれていました。
約1週間後、抜糸のため市民病院に最後の訪問。先生は手際よくはさみを入れ、指とピンセットを使い数秒で終了。「ねっ、簡単でしょ。」と微笑まれたのですが、「...ですね。」と答える以外なかったです。抜糸後、切除したプチ指(薬品につけられていました)を見せてもらった時、長年共に過ごしたそいつに対し、少しおセンチになったりもしました。
それにしても、「抜糸を自分でやってくれ」には驚きました。...絶対でけへん...。
<Waico Pygmies>8/30up
実は当HPは「無料アクセス解析」を導入しており、来ていただいた方の時間、IPアドレスかホスト名、リンク元などがわかるシステムになっています。IPアドレス・ホスト名の方の説明は省きますが、これにより大まかなアクセス元がわかります。企業・団体・学校などのホストからの場合はその名前(東Oゴム・琵O湖博物館など)、プロバイダ経由の場合はその名前(zaq・infoweb・hi-hoなど)という程度です。残念ながら、訪問者を特定できるというものではありませんので、ご安心(?)下さい。
興味深いのはリンク元の方で、皆さんがどのように我が「いわい亭」に来て下さるのかがわかります。大半は、畏れ多くもブックマークしていただいているか(この場合、当然「いわい亭」に来られる前にそちらで表示されているペェージが何処かは、こちらにはわかりません)、他HPのリンク集から来て下さるパターンとなっています。面白いのは、たまに検索エンジンから来られる方があるのですが、その場合リンク元ペェージを見ることができるので、どのようなキーワードで引っかかってきたのかがわかるのです。「いわい亭」というピンスポットで狙ったものから、「天高/吹奏楽」、「品性下劣ステッカー」、「加藤剛/サイン会」、「餃子/王将/イーガーコーテル」、「へそくりのため方」など様々なご縁で、見知らぬ人も来てくれてるんやなーと思うと、ますます充実したコンテンツにしなければと気も引き締まる思いです(ちょっとウソ)。
なかでも出色(?)は、イギリスとポーランドから各1名、自国の検索エンジンで「waico」というキーワードで来られた人がいたこと。もちろん当HPはJapanese
onlyなので、おそらくペェージ全体が文字化け表示されただけだと思います。...何を探して「waico」で検索しはったのか知りませんが、もしこのペェージの内容がわかったとしたら、さぞがっかりされたことでしょう。
さて、そんな話をどら息子氏としていたところ、後日氏より、「自分もwaicoで検索してみたら、こんなのがヒットした。"Waico
Pygmies"っていうバンドらしい。」と、トップペェージのURL(
http://www.waicopygmies.com/)が送られてきました。ありがとどら息子。どうやらアメリカのバンドらしく、当然英語表示のみです。「どんなこと書いてあんねやろ?」とちょっと興味が出てきたので、とある翻訳サイトで和訳してみました。下記に全文引用しますので、ご興味のおありの方は、是非元のペェージと見比べてみて下さい。...ある程度デタラメな訳になってしまうのは予想通りだったのですが、それを差し引いても、あまりにもアホい...。さすがwaico。驚くべき睡眠剥奪少年。
−−−(以下)−−−
17.06.2002
おい、皆にそれを単に知らせるために、の中で、その 材料 私たちが現在実行しているセクション、第1の競争、waicopygmies.comでここに。(非常に)単純な質問に答えてください。そうすれば、暇なWaico小人にCDを得させることができました。したがって、それをチェックする、それはよい。
自由 ...
さらに、私たちがチリペッパーに代わりに行くので、エイマンDoranの一頭立て二輪馬車(6月25日)は取り消されました...恐らく臭い老人病科の馬鹿を見る最後の機会。さらに、2つの新しいMP3が加えられました、その
ダウンロード セクション...それらをチェックしてください。
その後!
驚くべき睡眠剥奪少年。
10-6-2002
私たちはゲストブックを加えました、実際のバージョン、の 空所 教区牧師聖から、より多くの写真
また情報私たちの次の一頭立て二輪馬車および私たちのCDに関して。それをチェックしてください!土曜夜にDoransにいたすべての人のおかげで、私は、CDを買ったすべての人がそれが好きだったことを望みます。私たちは火曜日に6月25日にそこで再び遊んでいます、そのときあなたに会います。Da2の中の昨夜のSpeedmanに感謝。
パトリック。
29.5.2002
私たちは、今土曜にエイマンDoransに近く起こるヘッドライン一頭立て二輪馬車の詳細をすべて持っています(6月8日に)。夜に遊ぶ他の2本のバンドはエコー・インディアナおよび大言壮語です。あなたが私たちに支援を与えたく、割引切符を同時に手に入れたい場合、ちょうど
クリックここに 飛ぶものから印刷し、戸口にそれを提出する。私たちは、飛ぶものを使用する人々を評価します。第8の上であなた方全員に会いましょう。
次の数時期の到着はダブリンのSpeedmanを備えた最新の現場Da2の中で私たちがしている一頭立て二輪馬車の上の情報になるでしょう。私は、この一頭立て二輪馬車の日が日曜日に6月9日にあるだろうと思います、1本の他のバンドはさらに遊ぶでしょう。より多くのニュースのためのこのスペースを見てください。
パトリック
23-05-02
はいそれほど愚かな翼状突起、性交、ページをはねかせる、なくなった―永久に!www.waicopygmies.comはここにあります。パトリックが言ったように、私たちはまだ内容をすべて集めているだけです。したがって、私たちを我慢してください。私の仲間pigmonstersおよび私自身を代表して、私は、誰が一頭立て二輪馬車に来ることにより私たちをこれまで援助したか皆に感謝したい。私たちは現在ある新しい糞を集めています@M.F.S.(6月(実際のセクションを参照)の一頭立て二輪馬車のためのダブリン)。戯言戯言戯言。Anyhoo?Iはあなたをもはや退屈させないでしょう、行く、寄せ波!
滑らかなパジャマ#4
アル
22-05-02
今日、私たちは初めてwaicopygmies.comを更新しました。グループとしてともにいた短い量の時のために、私たちは制限のある量の内容を単に持っています。しかし、私たちは、できるだけ多くを含もうとし、さらに、サイトを航海することが容易にしておこうとしました。私たちは、あなたがそれが好きであることを望みます、写真かダウンロードMP3の写真のうちのいくつかをチェックする、さらに、いくらかが「詰める」のを見ることができます!私たちが、近く起こる一頭立て二輪馬車およびより多くのMP3のに関する非常により多くの情報および多くの他の材料を加えることを計画するので、すぐに戻ってください。私たちにあなたの考えを備えた電子メールを送って、私たちに私たちの音楽に関するあなたの正直な見解を自由に与えてください。
後の気取り屋!
パトリック。
<いわい亭の、ある夜の会話>7/20up
(W:waico、Y:ヨメ。)
Y:「そういえば、視聴率不振で、とうとう前田吟下ろされるらしいで。」
W:「ほんまにー。まーしゃーないわなー。」
Y:「はなまるマーケットとかに視聴者を奪われてたんやろか。」
W:「いや、朝のワイドショーの中でも、群を抜いて数字悪かったらしいで。」
Y:「8チャンは小倉何とかいう人やったねー。あの人は毒舌やから結構好きや。」
W:「そうそう。でも、10チャンの健闘が目立つみたいやで。」
Y:「10チャンって誰やったっけ?」
W:「えっと、女は確か麻木久仁子やったなー。男の方は...。」
Y:「男の方は?」
W:「えっと、誰やったかいな。ど忘れやわ。えっと、えっと、...あっ、せやせや、海老名みどりの旦那や。」
Y:「はぁ?全然わからへん。」
W:「えっと、えっと、...そうそう、『アッコにおまかせ』にも出てるわ。吉村某と一緒に。」
Y:「...よけいわからへん。気持ち悪くて、思い出すまで寝られへんわ(思い出さんでも、すぐ寝るけどな)。」
W:「ほんまやなー(思い出さんでも寝てまうくせに。この前かって和恵よりお前が先に寝て、冷房キンキンの部屋で和恵が布団もかぶせてもらえず横で冷たーくなってたやんけ)。くっそー、ここまで出てきてんねんけどな。...おー、確か石原軍団におったぞ。」
Y:「あー、何となく顔が浮かんできたような気が...」
W:「おー、何となく『峰岸徹』みたいな名前やったような気がするぞ。」
Y:「それは『峰』なのか『岸』なのか『徹』のどれと似てんの?」
W:「いや、そんなんじゃなく、字面自体が似てんねん。...確か三文字まで一緒やったような気が...」
Y:「...何となくわかってきたで。その人は、『元』石原軍団やったんと違う?」
W:「おー、そうそう。そいつや。もうここまで出てきてんのにな。」
Y:「わかった! 峰や。」
W:「せや! 峰...竜太や。」
Y:「せや。峰竜太や。あー、すっきりした。」
W:「...いや、ちょっと待てよ。それって『竜雷太』がまじってないか?...残念ながら違うぞ。」
Y:「言われてみればそんな気もするわー。それってゴリさん?ポリデント?」
W:「石原軍団つながりやしなー。」
Y:「あー、気色悪い。ホンマの名前はなんやったんやろ。」
W:「ところで、相撲取りの『霜鳥』って、『霧島』と字面が似てると思わへん?」
...こうして、いわい亭の夜はふけていくのであります。
<鶏好き>7/10up
私は鶏肉が好きである。どれくらい好きかというと、牛肉よりも豚肉よりも魚肉よりも野菜よりもお米よりも好きである。高級な地鶏もぶよぶよのブロイラーも、皮も身も肝も心臓も軟骨も全部好きである。...何故こんなに鶏好きになってしまったのか?
話の発端は、小学生時代にまでさかのぼる。既に潜在的に鶏肉好きだった私であるが、ある事件をきっかけに、当時の岩井家の食卓に鶏肉がのぼる機会が激減した。その事件とは、時期についてはもはやうる覚えであるが、確か私が小学1年生か2年生の夏休み、母方の里である鹿児島に家族全員で行った時に起こった。母の実家の向かいの家で、数羽のチャボ(少し位なら飛ぶことのできる、たくましいニワトリのようなやつ)を放し飼いしていたのであるが、そのチャボに私の弟(2つ年下)がふざけてちょっかいをかけたところ、チャボの逆鱗に触れたらしく、逃げる弟は数羽に追いかけられ、無惨に倒れたところをさらに突っつかれ、どうすることもできず泣きわめくところを、大人達に救出された。幸いけがもなく、普通なら笑い話ですむような出来事であるが、なんとうちの弟は、それ以来鶏肉を一切受け付けなくなったしまったのである。別に食べたら蕁麻疹などの拒絶反応が出るという訳ではなく、「意地で」食べないのである。...もう30歳にもなるのに、いまだに一切受け付けない。...我が弟ながら、恐るべし執念。ちなみに、私の父親も、非常にくだらない事がきっかけで(祖母と「食べろ」「食べない」で言い争ったらしい)、中学時代から(本人曰く)いまだに南瓜を一切口にしない。もう還暦も過ぎたというのに。...親子である。
とにかく、その事件以降、普通の献立の選択肢(?)から鶏肉が消え、一般的な家庭と比べて、私が小学生期に口にした鶏肉の絶対量はかなり少なかったと予想できる。オムライスの中身は決まってハム、炊き込みご飯にも鶏肉の入る余地などなかった。月に1回程度、私が「今晩はどうしても鶏肉を食べたい!」と母親に願った時には、決まって大量の「チューリップ」を数時間生姜醤油に漬け込んで唐揚げにしてくれ、それをむさぼるように食べたのを記憶している。その時も、弟用に豚肉の唐揚げを作らねばならなかった母に対しては、頭の下がる思いである。
さて、高校生にもなると、外食の機会が増し、自分の意志でメニューを選ぶことも多くなってくる。すると私は、それまでの生涯における鶏不足を補うが如く、他人と比べ鶏料理をオーダーすることが多くなっていた。阪和線高架下の「灯火(ともしび)」という洋食屋に天高ブラス仲間と度々食事に行ったが、最も印象に残っている料理は、「チキンブレゼ」と「チキンムルギ」の2品である。「チキンブレゼ」は、鶏の胸肉1枚をビーフシチュー風のデミグラスソースで煮込んだ料理。サワークリームで仕上げられさっぱり感があった。「チキンムルギ」は、やはり鶏の胸肉1枚をカレーソースで煮込んだ料理である。どちらの料理も、まずソースの方でご飯(当然大盛り)をあらかた食べてしまい、その後に鶏肉を幸せに包まれながら食べるのである。まさに至福の時である。よくママさんに「チキンムルギは時間かかるよ。豚の生姜焼きなら早くできるよ。」などとやんわりメニュー変更を打診されたこともあったが、めったに私の気持ちが揺らぐことはなかった。「灯火」にはステーキ料理も当然あり、こちらもボリューム満点で旨いのだが、私の気持ちの中では、牛ステーキ1枚よりも鶏胸肉1枚の方がリッチ感にあふれ、何ともいえぬ贅沢な気持ちになるのである。余談であるが、そのような良心的な値段で学生にも気軽に旨い洋食を提供してくれていた「灯火」がなくなったことは、本当に残念である。今の年齢で食べても絶対に旨い店だと断言できる店であった。
私の鶏好きは、大学生になっても衰えを知らず、存心館地下の学食では「鶏の竜田揚げ丼」か「チキンカツ丼」を食べる機会が圧倒的に多く、オケ練習後にしばしば食べに行った「鉄平」では、他人がほとんどオーダーするのを聞いたことがなかった「チキンカツ定食(やったっけ?)」を注文したことも多かった。「かまどや」の「大関さん弁当」を食べる際は、ハンバーグとトンカツを先にやっつけ、最後に鶏の唐揚げを喜びと共にいただいたものであった。「ほっかほっか亭」の「チキン南蛮弁当」のおかず的能力について、とある先輩と論争をしたこともあった。その先輩の「チキン南蛮弁当では、どうしてもご飯が残ってしまう。」との主張に対し、「自分は、チキン南蛮3切れでライス大盛りを平らげてしまう。残りの2切れはボーナスと思い、味わって食べるのです。」と反論した。
さて、結婚して早数年を経たわけであるが、実は自分の鶏好きを明確に意識し始めたのはここ2〜3年の話である。「あれ、ワシってひょっとして異常に鶏肉好きなんじゃないか?」と意識し始め、「ああそういえばこんな事もあんな事もあったな」といった上記のような話を思い出し、その裏付けとしている。なにせ、スーパーで何か一品総菜の選択を任されると、売場で目移りしたあげく、たいてい「鶏の唐揚げ」か「鶏の竜田揚げ」を手にして呆然としてしまっている。揚げ物に飽きた時は「鶏の蒲焼き」、サラダ系の場合はもちろん「鶏とクラゲときゅうりの酢の物」。回転寿司に行ったら必ず「地鶏たたき」や「鴨ロース」などの鶏関係を真っ先にチョイス。焼き鳥処「まいど」になんか行った日にゃ、もう幸せすぎて涙ぐんでしまう。ヨメも、私の鶏好きはよく心得てくれているので、カロリー摂取量などにも気を遣いつつ様々な鶏料理を作ってくれる。なかでも、ガラスのボールに鶏の胸肉と醤油・酒などの調味料、香味野菜を入れてレンジでチン、という一品は、シンプルかつローカロリーで美味、ボリュームもありと、なかなかナイスな料理である。また、実家では決して口にすることのなかった「チキンカレー」も度々食卓に登場し、私の胸を打つ。当面の夢は、カルフール光明池店(1回だけ行った)で目撃した、大衆が行列をなして購入する「ローストチキン(1羽丸ごと)」を食すことである。
...結婚当初は、「今日の晩御飯何がいい?」「そーやなー、たまには焼きそばとかどーや?」(ちなみに焼きそばもメッチャ好き)などというごく普通の会話もなされていたが、最近では、ヨメからのその問いかけに対し、「鶏、やったらなんでもええで」とか「ぼ肉べいべー!」(「ぼ」は「お」が訛ったもの)などとしか答えないため、あまり聞いてくれなくなった...。
最後に、とりわけ好きであるところの、鶏の唐揚げへの熱き想いを。まずは何をおいてもあの食感。噛んだとたんパリッとした薄い衣からほとばしる肉汁。皮がついていればなおよろしい。何ともいえないカリッと香ばしい食感がプラスされ、まさに「三味一体」となったそれは、もはや芸術の域である。下味をしっかり生姜醤油で漬けたものはもちろん美味であるが、いわゆる「唐揚げ粉」も、独特の旨味があり捨てがたい。
大学時代に経験した鶏の唐揚げの衝撃的な食べ方として、「ぽんから」を挙げねばなるまい。居酒屋「串八」のメニューであったが、ごく普通の骨なし唐揚げに、もみじおろしとネギを添えポン酢でいただくというもの。これは私にとってまさに未体験ゾーンの禁断の味であった。あまりの旨さに酔いも手伝って、泣きながら食べた。
あと、どうしてもふれなければならないのは「ほっかほっか亭」と「かまどや」の鶏の唐揚げについて。どちらの弁当屋のも非常に美味であり、それを口に入れる瞬間のことを一日中考えるに値する代物である。まず「ほっかほっか亭」のそれは、一般的に非常に柔らかい出来で衣も極薄目。味付けも万人受けすると思われる程良いバランスで、1個でご飯2/3は食べられる。ただ個人的に、本体の味付けがしっかりしているので、別添の「ゆずしょうゆ」は不要と考える。まあそういう向きがあるので「別添」になっているのであろうが。これに対し「かまどや」のそれは、比較的衣が厚く、カリッとした食感。秀逸なのはその若向けの味付けである。衣の部分だけでもご飯が進む。しかし、特に、はやっていない店舗の暇な時間に買いに行くと、「これ何時間前に揚げたの?」という油がまわった劣悪な状態のものを出されることがあり、期待の大きさの反動で、弁当を半泣きになりながら地面にたたきつけてやろうかと思うこともあった。まさに、可愛さあまって憎さ百倍。...それでも最後まで食べるんだけど...。
最近、ケンタッキーフライドチキンを食べていない。あの胸の部分を、手をドロドロにして久しぶりに食べてみたい。
<お前もやないか!>6/19up
割と最近の「ネタ腸」<怖い話。>参照。...お前も怖いやないか...。