シトロエンとの出会い
留学の為、初めてパリを訪れた1971年の秋、
オルリー空港から宿舎へ向かう途中、モンパル
ナス墓地の塀に沿って停まったグレーの2CV、
中で抱擁する若いカップル。あの光景は今も
まぶたに焼きついています。DSやIDはすっかり
パリの風景の一部になっており、前年発表された
ばかりのGSがどんどん繁殖し始めていました。
SMというすごいクルマがあるということは、人から
聞かされていましたが、目に触れる機会はついぞ
ありませんでした。
1972年頃のパリの街角。DS19の前にAMI6
Break、後ろにRenault10とFiat500。
初めてのシトロエン
長男が誕生して、2シーターのホンダS800
では、どうにもならなくなってしまいました。
そんな時、ご近所で見かけたブルーのGS
が、たまらなく新鮮に見えて、ディーラーを
訪ねるとベージュのGS1220Clubが。これが
運のツキでした。1974年5月のことで、以来
シトロエンとの永い永いお付合いが始まる
ことになるのです。当時北陸の某工事現場
で働いていたのですが、国産車の大半が
FRだった頃で、FFの面目躍如、他の車を
尻目に雪道の通勤に威力を発揮してくれ
ました。反面広いガラス面積が災いして、
真夏は難行でしたが、それでも軽やかな
空冷フラット4のビートを聞きながらの走行
は、本当に楽しいものでした。
フランスでのシトロエン
1979年にフランスへ転勤になり、パリでクルマを所有する事になったのですが、当然のごとくシトロエンのディーラーへ足を運びました。数多い選択肢の中で選んだのは、矢張りGSでした。しかし今度はグレーメタリック(Gris Palladium)のPallasでした。1984年に帰国する迄、忠実に勤めてくれました。
その後のシトロエン
BX19GTi(1905cc SOHC)1986-1989
帰国に際して、GSと娘のピアノを売り払ってシャガールのリトグラフを購入したりしたので、帰国後しばらくは
耐乏生活を余儀なくされ、已む無く勤務先の企業グループの某自動車メーカー製の国産車に乗っていました
が、どうにも物足らず、86年に黒のBX GTi(LHD 5MT)を購入しました。MB190CやBMW320iも候補だった
のですが、結果からいえばBXは高速性能、室内スペースなどほぼ全ての点に於いて他の2車を凌駕
していたと思います。当時東京から実家のある宝塚まで、年3、4回往復していましたが本当に速かったです。
(どれほど速かったかは公表できませんが)
BX19TRi1989-1994
そうこうする間に娘が塾通いをするようになり、家内が送り迎えの為にAT車が必要というので、泣く泣く
RHD ATの19TRiに買い替えました。89年8月号のCG誌上『ファミリーマンのBX』として紹介されたのと色も
全く同じ車で、性能的には物足りませんが、ハイドロ無しでは生きていけない(大袈裟)身であってみれば
他に選択の余地もありませんでした。その内、今度は長男がカートを始めたので、トランスポーターとして
大井松田や新東京サーキット通いをしたものです。
XANTIA V−SX 1994-
BXは何といっても信頼性に不安があり、
2回目の車検を機にXantia(95年式)に
乗換えました。色はGris Crépuscule
(黄昏のグレー)で、比較的少ない色だと
思います。2005年7月現在13.5万kmを後に
しましたが、BXまでのシトロエンと比較して
質感が格段に向上したのと、とにかく故障が
少なく、日常の足としてはサイズも手頃で
ベストな選択では無いかと思っています。
フランスのl'Auto-journal 誌の信頼性
ランキングでもMBと並んで常に1、2位に
輝いていたのもうなずけます。
Hydractive IIは硬めですが、150km/h前後で
巡航しているヨーロッパの高速道路事情を
考えれば、やむを得ないと思います。
1973年生まれの長男は、シトロエン以
外のクルマを知らずに育ちました。
2003年2月、パリのレトロモビールを
見学に行くと言って出かけた長男は
パリから電車で約4時間のクレルモン
フェランまで足を延ばしました。
お目当ては、クレルモンから更に車で
1時間の山中で家具製造業を営むF氏
が所有するDS21でした。F氏は多数の
シトロエンを所有するコレクターで、
最近2ドアのDSクーペを入手、その
レストア費用捻出の為にDS21を手放す
ことになったのです。事前に電話で連絡
を取り合っていた長男はF氏の歓待を受
け、契約を済ませると意気揚揚と帰国、
DS21の到着を待ちわびる一方で、通関や
登録手続きの準備に明け暮れました。
その甲斐あって、神戸港到着から一ヶ月
弱の短期間で無事登録を済ませる事が
出来たのです。
このDS21、程度は上々で保安基準適合の
為の若干の整備以外は殆ど手を加えずに
車検を通すことが出来ました。1970年式の
キャブ仕様ですが、エンジンは低速でも良く
粘り、高速での加速も十分です。フカフカの
シート、十分なヘッドクリアランスなどSMとは
又ひと味違った趣があります。
昔、フランスのオートルートをGSで目一杯
飛ばしていても、知らない間にDSが後ろから
追い付いていて、パッシングライトを浴びて
すごすご走行車線へ戻った記憶が蘇って
来ます。
DSと2CVの大きな隙間を埋める為にシトロエンが
1961年に発表したのがAMI6である事は説明する
までもありません。シトロエンの狙いは小さなDSで
あったのですが、実際には世間はスーパー2CVと
してAMI6を受け止めました。AMI6のネーミングは
"La Missis"の語呂合わせで、ミセス用のセカンド
カーとしての位置づけを象徴しています。何とも
愛嬌のある顔つきと、逆傾斜のリアウィンドウは
この時期のフラミニオ・ベルトーニの作風に些かの
迷いがあった事を物語っています。1964年にリア
ゲートを持ったBreakが発表されると、大きな荷室
容積も手伝って、Breakの方がはるかに人気を博
するようになります。そしてAMI6は1969年2月に
通常の傾斜のリアウィンドウを持つAMI8に道を譲る
ことになるのですが、その直前1968年10月のパリ
サロンで発表されたのがAMI6 Berlineのclubです。
発表当時20psに過ぎなかったエンジンは、1968年春には35psにまで強化され、最高速度も125km/hに達していた
のですが、club仕様ではDSと同じサイドモールやドアハンドル、内装では人工皮革と布の2トーンのシートやアーム
レストなどが追加になりました。何よりも丸型4灯のヘッドライトが外観上の大きな特徴です。このAMI6
Berline Club
は1968年10月から1969年2月までの極く短期間のみ製造された数百台の内の1台で、極めて良い状態に保存され
た稀少な個体です。
ルノー6、シムカ1100、プジョー104のひしめくマーケットに
殴り込みをかけるべく、AMI8のボディにGSの1015ccエンジン
を搭載し、1973年初めにデビューしたのがAMI Super。
『必要な時に必要なだけのパワー(La puissance qu'il faut
quand il faut)』をスローガンに空冷水平対向4気筒エンジン
は6750回転でSAE67hpを発生、805kgの車体を140km/hr
で走らせた。外観上は横バーの入ったフロントグリル、
グリルとバンパーの間に孔けられた6個の通気用スリット
右フロントフェンダーの『1015』のバッジでAMI8との識別が
可能。室内の質感はAMIより向上し、AMIとGSの中間的な
ダッシュボードが与えられ、4速のシフトレバーはフロアに
移されている。サスペンションは強化された関連懸架で
タイヤも135x15のZXを履いている(AMI8は125x15)。
販売開始時のAMI Superの価格は11,600フランでAMI8
より1,620フラン高く、GSより僅かに1.300フラン安いだけで
あった。その所為もあって、AMI Superの生産台数は1976
年の生産中止まで僅かに44,000台にとどまった。
この個体は73年3月製造、車台番号4965の初期型で
シャシー、ボディは完全にレストアされ、内装や機関も完璧な
状態に維持されている。
運転してみると、先ずあの懐かしいGSの空冷エンジンの感覚が蘇って来ました。GS用にはパワー不足を指摘
された1015ccエンジンですが、GSより100kg車重の軽いAMIのボディには十分であり、どの様な状況でも
不足を感じることはありません。乗り心地の良さは特筆に値します。関連懸架により直接的なショックは一切
伝わって来ませんし、ふかふかのシートと相まってゆったりとした動きは眠気を誘う程です。計器類は速度計
燃料計と電圧計しか付いていませんが、AMI8譲りのベンチレーションは強力です。ステアリングコラムから
生えたスイッチ類の配置と操作がSMやDSやGSと同じなのは言うまでもありません。牧歌的なAMIのボディに
モダンなGSのエンジンを与えられたAMI Superは、何より運転して楽しいクルマです。街中でも高速でも、
まさかこんな外見のクルマにカモられるとは誰も思っていないでしょうから。。。。