篠原憮然

篠原憮然が作った「娼婦の作りし哀歌」は、井上理津子著「飛田 最後の色街」から抜粋しました。篠原憮然がどういう人物なのか、ネットで検索しました。
私の推測でしかありませんが、代用教員をしていたということなので、俗に言うエリートではなかったと思います。
(代用教員:単純に臨時的に任用された教員。昔は地方では師範学校を出た人も少なく、
一般の方も学校現場で勤めることができた)

 享年38さい若くして山で遭難して亡くなっています。29さいで世の中に失望し、飛騨に入山したということから直上怪行方のような気がします。そんな憮然に関心をもった女流作家の江夏 美好という方も、私にはどこか惹かれるものがあります。いつか江夏美好氏の小説「雪の碑」を読んでみようと思っています。


以下ネットからの引用です

http://ax00.com/02/walks.html
憮然とは飛騨の山を愛した社会教育者「篠原憮然(しのはらぶぜん・明治22年〜大正13年)」のことです。代用教員として従事するかたわら青年会を組織するなど、全国を講演行脚し社会教育活動を精力的に実践。やがて、世の中に失望し「人界に師なし」として深山に修養の場を求め、大正3年に飛騨に入山。
憮然のつくった歌「飛騨青年の叫び」には「ああ 偉なるかな飛騨の山、ああ美なるかな飛騨の渓、ああ清きかな飛騨の水」とあります。この憮然広場には、その歌の一文が書かれた石碑が設けられています。心地よい風に吹かれ、北アルプスを眺めつつ、のんびりと歌をつくってみてはいかがでしょうか。散策途中にぜひ一度お立ち寄りください。

http://www.h2.dion.ne.jp/~ukawa/isweb/tozanhome/2003fukutiyama.htm
篠原無然(しのはら ぶぜん)
大正13年、上宝の学校に奉職。当村で教職のかたわら、青年会、婦人会などの指導に当たる一方、観光開発、登山道の改修、社会教育に尽力しました。「平湯の父」というべき篠原無然の遺徳をしのんで平湯民族館に『篠原無然記念館』を併設して、蕪村ゆかりの貴重な資料が展示されています。

http://www2s.biglobe.ne.jp/~kayose/sizenhodou/281-290/buzen-sounanhi.html
この碑は安房峠の平湯側にあり、ここが憮然の終焉の地となったのであろう。江夏美好氏の小説「雪の碑」には、 憮然がようやくここにたどり着いたとき「平湯の灯が、はるか彼方の眼下にぼんやりにじんで見える。」とあり、ここでだんだん意識がなくなっていく様子が書かれている。

江夏 美好(えなつ みよし、1923年1月19日 - 1982年7月17日)は、日本の女性作家。
岐阜県吉城郡神岡町(現・飛騨市)生まれ。本名・中野美与志。高山高等女学校中退。『文芸首都』同人から、同人誌『東海文学』を主宰。1950年「南海鳥獣店」で新潮文学賞佳作入選、江夏美子の筆名を用い、1963年「脱走記」で直木賞候補、1964年「流離の記」で再度候補となる。1970年『下々の女』で田村俊子賞受賞。口腔がんを患い、闘病生活のなか、首を吊って自殺した。