丹波係長の休暇

 だいたいな、性犯罪ってヤツが大嫌いなんだ俺は。

 丹波肇(40才・美人の女房と子供が1人)は口元の歪みもあらわに心の中でつぶやいていた。いっそ声に出したっていいぐらいなんだ。しかし、いかにも時期がまずかった。
 また、やってしまったのだ。
 少年事件課にとばされて1ヶ月。やっと一課に復帰した矢先で、机の下にはまだ段ボールがそのまま置いてある。そこで応援を割り当てられたのが婦女暴行・殺人未遂事件の聞き込みだったのだが・・・。  犯人を煽る言葉と、被害者への誹謗中傷にかっとなって、善良な市民様を絞めあげてしまったわけだ。

 扉が開いて入ってきた一課長に、歩み寄りながら声をかける。
 「処分決まったか。減俸か?いっそ降格か?」
 笑っていやがる。気でも違ったか。
 「オイコラ、忙しいんだ、早く言え!」
 ますますにっこりと笑いながら、一課長が猫なで声をたてた。
 「丹波君・・・忙しいよね。ストレスも溜まってるからそう暴力ふるうんだろう。」
 「なんだとぉ?」
 「子供さんも小さいのにねえ、ろくに遊んでやれないしねえ」
 「おい、はっきり言え。ま・・まさか、また。」
 少年事件課に逆戻りか?まさか、そんな。またぞろエラオタクと組んだり、綴に小言を言われながら小娘の上司のたわごとを・・・。
 「異動よりもっといい、ご褒美の様な処分だよ。」
 一課長の晴れやかな顔が迫る。
 「丹波君、育児休暇を取りたまえ。入替わりに奥さんが復帰するから。」



 ふざけるな。そう叫んで殴りかかったが俺の行動を読んでいた周囲に一斉に止められた。3人がかりで羽交い締めにされながらも、蹴りが入ったのがせめてもだ。
 一課初どころか本庁初、だそうだ、男の育児休暇は。
 広報誌に載せる取材を受けろと言うので電話を投げてやった。育児休暇だと?昼間っから公園でふらふらしていろっていうのか、この俺に!

 挙げ句に、飲み屋もまだ開かない様な時間に早退をさせられた。

 「丹波君!」
 出迎えの坂上は、輝いていた。
 「課長さんがお電話下さったのよ、育児休暇申請してたなんて、ちっとも言ってくれなかったじゃない。本気で考えてくれていたのね。」
 申請?処分の件は?とまどっている間に、キラキラと上気した坂上は、美容院にいかなくっちゃだの、そろそろ母乳もでなくなっただの、どうでもいい話をまくし立てたあげくに、寝ている純と俺を置いて出ていってしまった。
 「くそぉ!」
 ダイニングテーブルにあたったものの、思いの外大きな音に純を起こしたかとドキッとする。・・・この一年でついた習慣だ。いまいましい。
 坂上も・・・この呼び方にも綴は口をとがらせるが、同期で拝命して以来、えー17年か?そう呼んできてサカジョウはサカジョウだ!文句があるか!・・・もとい。坂上も変わった。
 やかんに常備された純用の麦茶を、アンパンマンのグラスに注いで立ったまま飲む。ひいた椅子の上が食べこぼしだらけで、とても腰を下ろせなかったからだ。

 入籍は妊娠が判明してすぐだったが、ぐずぐずと逃げている間に出産となり、同居を始めた時にはもう新生児の純が居た。
 3時間おきに泣くとは知らなかった。蜜月もなにもあったもんじゃない。いつも身ぎれいに凛としていたいい女が、熱をだした・育児書とあれが違うとオロオロ。スッピンどころか乳を含ませたままでグウグウ寝ているんだから、17年の恋も冷めるかと思うじゃないか。さっきも、純の吐いた乳が少し背中に付いていた。
 言ってやるんだった、と今更思う。
 初めは、そんな変わり様が正直嫌だった。勝手なもんだ。
 それが最近は慣れて、家庭ってのはこういうもんかな、と思い出したところだった。なのに、入れ替わるように坂上が働きたい、少年事件課が恋しい、と言い出す。顔を合わせている短い時間に、言い争いが増えた。

 この間の事件をきっかけに、父親としてもう少し積極的に家庭に関わろう、と思いはしたところだったが・・・忙しいのを言い訳に、まだ何もしていない。そこに降って湧いた育児休暇だ。勝手に坂上が舞い上がるのは無理もないかもしれない。
 そしてやはり、嬉しそうにしている美しい妻をみるのは、気分のいいものだ。  

   隣室に、寝ている息子を覗きに行く。
 つかまり立ちを始めてから、危険なので時間の短い昼寝はベビーベッドでなく下の布団で寝かせるようになった。口元に乳だか昼食だかをこびりつかせながら、小さな生き物が寝息をたて、クマのアップリケが腹の動きに合わせて揺れている。
 頭の横にW字に上がった手に顔をくつけて、小さな布団の端に横になる。吐息が甘い。
 この温もりを拒もうとした時期があったことが信じられない。

 ”いい年をして順序が逆だ””計画性がない”
 揶揄は聞こえぬふりの耳にも届いたものだったが、課長という坂上のキャリアと高年齢出産のリスクと、諸々ゆっくりと考えて計画などしていたら10中8・9なされなかった選択だ。下手をしたら自分との結婚も。
 『つき合ってやるか、一日ぐらい。』

 柔らかな、言葉にならない想いと共に気が遠くなっていく。もしかして、これが・・・・・幸せ。

後半につづく